303 海梨游奈――何も言えない――
海水の竜巻が徐々に肥大化していく。巨大になっていく段階で一部から圧縮された海水光線が誠二に向けて放たれたので、神奈は一歩右にずれて素手で防御する。
もう戦うしかないと悟った游奈も鋭い目で実の母親を射抜く。
「後悔しても遅いですよ。この地上はいずれ沈没する。游奈、あなたはただ泡となって消えるだけ。数多の人間達と一緒に、いえその前に邪魔な連中と共に私に殺されなさい」
今度は游奈にも海水光線が向かっていくが、それも神奈が素手で弾いた。高水圧の水飛沫が周囲をまるでマシンガンで撃たれたかのような状態にしていく。
「水位上昇は継続しています。およそニ十五分後には一帯が海に沈むと予想。早急な処置が必要となります」
「原因はたぶんお母さんの〈水操〉よ。まさか水を増幅させることも出来るなんて知らなかったけど……」
「つまり早いとこぶっ飛ばせばいいってことだな。得意分野で安心したよ」
ただ殴って倒せばいい。神奈がこれまで何度もやってきたことだ。
「地上の生物達よ……この世から……消えよ!」
海水の竜巻のあちこちが光り出す。星々のように輝いたのは攻撃をするという合図のようなもの。数えきれない海水圧縮弾が一斉に神奈達に向けて放たれる。
神奈は先程のように游奈や誠二に当たるものだけを弾いて防御し、パンダレイは左手を前方に発射してなんとか防いだ。しかしそれだけで終わりではない。まだ残っている海水圧縮弾が老化して動けない者達にまで向かっていた。
(あいつ、狙いが私達だけじゃない!)
「マテリアルキャノン!」
パンダレイの失った左手首が空洞になり、白光エネルギー体を海水圧縮弾に向けて放つ。連続して放たれたそれは見事に数十の海水圧縮弾を相殺させた。残ったいくつかの海水圧縮弾は神奈が魔力弾で相殺する。
「恵、動けるならここから離れてくれ!」
「無理……今のやつ避けようとして腰を痛めた」
「なんでえ!?」
元気だった恵も動けなくなった今、老化した者達で戦える者などいはしない。並の老人程度に動けたところで戦力にならないので全員戦力外である。
「神谷さん、私も戦うよ」
ここで立候補してきたのは游奈であった。
「海梨、でもお前」
「練度は全然違うけど私も同じ力が使える。防ぐくらいなら私にだって出来るよ」
「分かった……無茶はするなよ」
海水の竜巻が再びあちこち光り出す。
数十の海水圧縮弾が一斉に放たれて神奈達は浜辺にいる者に危害が出ないように防ぐ。神奈は少し離れた場所にいる老人の元へと飛んで、ビーチバレーでするような滑り込みでなんとか間に合って殴り飛ばした。
パンダレイは右手首に右膝を叩き込んで〈ロケットぱーんち〉をせずに右手を外した。先程の左手首で行った〈マテリアルキャノン〉は右手首からでも撃てるので、両腕から攻撃することであらゆる方向からの攻撃にも対処できる。空中へと跳ねて誰かへ直撃するもののみを相殺し続ける。
不安に思われていた游奈も、恵達に向かって来た海水圧縮弾に手を翳し、同じ〈水操〉で向きを操って狙いを外す。
(誰かを守るので精一杯で攻撃に移れない……! 一発だ、一発でいいから殴るための時間があれば……! いや、このままじゃ防戦一方の状況が変わらない。こっちから動かないとダメだ!)
神奈は〈フライ〉で飛び上がり人魚姫の元へと一直線に向かう。
気付いた人魚姫は撃ち出し続けている海水圧縮弾の半数を神奈に向かわせた。しかも避ければ誰かに被害が出る軌道を計算して。
(避けちゃダメだ……あいつ、全部計算してやってるのか!)
前後上下左右あらゆる方向から海水圧縮弾がやって来るので、神奈は〈魔力感知〉を使用して位置を把握した全ての攻撃を拳と蹴りで弾き飛ばす。だがそれに安心する間もなく神奈に向かって、いや浜辺に向かって大規模な津波が押し寄せていた。
津波など避ける以前の問題だ。まず巨大すぎて避ける手段が存在しない。
「うおっ、ふざけっ……! だああああ!」
押し寄せる津波に向けて拳を振るうと、それによって発生した風が嵐のように吹き荒れる。津波が拳圧により後方へと押し戻されていくのを見てホッとするのも束の間、今の攻撃によって出た突風が何人かの老人達の体を一メートル程浮かして地へ落とす。肉体強度が老人並になるというのならそれだけでも骨折する可能性がある。現に落下して痛がっている老人は少なくない。
(得意分野……バカか私は。誰かを守りながら戦うのがこんなにきついなんて思いもしなかった。あいつと戦うだけなら楽勝だってのに……!)
弱者を助けながら戦うのは想像以上に辛いものだ。神奈はこれまでそんな経験をほとんどしていない。こんな状況に――慣れていない。
「往生際の悪い人間めえ!」
「マジかあの野郎……!」
押し戻したはずの津波が数百の海水圧縮弾となって浜辺へと降り注ぐ。
一発一発が即死レベルの一撃。数百ものそれらを防ぐために神奈は慌てて砂浜へと戻って、魔力で広範囲に及ぶ障壁を作り出して防ぐ。
水の球が弾け飛び、圧縮弾だった海水は障壁上を流れて海へと戻る。
「くそっ、パンダレイ! 私が防御から抜けて全員守りきれるか!?」
「可能性、二十七パーセント。防御の要は神谷様ですので離脱はマズいです」
攻撃するなら自分以外を守る余裕などない。一撃だけといっても人魚姫へ攻撃する前に死者が出る可能性が高い。
「――だったら俺が盾になってやんよ!」
そう声を上げたのはエムガメであった。予想外な者が介入してきたことに神奈達は驚きの声を上げる。
「エムガメ!?」
「なんであなたが……」
「へっ、誠二も神奈もダチだからな、見捨てることなんざできやしねえ。人魚姫が正気とも思えねえしな」
足元にいるエムガメを神奈は見下ろす。
「それに……あの攻撃を浴びたら気持ちよさそうだと思ってなあああ!」
「台無しだあああ!」
良い感じのことを言っていたのに、己の欲望を露わにしたせいで最低の台詞になってしまった。ショックを受ける神奈達をよそに、エムガメは〈変体〉によって巨大化していく。
推定される甲羅の幅は五十メートル、高さは三十メートル。十分に盾として攻撃を受けられる大きさだ。
「エムガメ、頼んでいいんだな」
足元で巨大化されたせいで甲羅の上に避難していた神奈が問いかける。
「当ったり前よ、大船に乗った気でいな!」
それに答えたエムガメを見て、人魚姫は視線を冷たくする。
「……エムガメ、まさか裏切るとは」
海水圧縮弾がまた数十という数で放たれ始める。
パンダレイは両手の〈マテリアルキャノン〉で、游奈は〈水操〉で、エムガメはその耐久力ある自慢の体で人々への危害を防ぐ。
「くうううぅ……痺れるぜ! ちょっと甘く見すぎてたな……その冷めた視線も攻撃も最高に気持ちいいいいぃ!」
しかしエムガメがいくら硬いといっても限度がある。神奈のように飛び抜けた実力を持つわけではなく、ただ単に体が硬いだけのエムガメはいつまでも耐えられない。甲羅には早くも亀裂が入っており、ぶつかる度に巨大な鉄球でも直撃したような尋常でない痛みが襲っている。
――だから早く決着をつけなければならない。
「任せたからなエムガメ、みんな……!」
「むうっ、性懲りもなくまた来ましたか! 人間、今度こそひしゃげてしまいなさい!」
空中を高速移動しながら、迫る海水圧縮弾を躱しながら接近する神奈。距離はあっという間に縮まっていく。
海水圧縮弾が無駄だと悟った人魚姫は頭上に海水を溜め込む。もう百立方メートルはある球体に神奈も気がついている。
「滅べ、人間! 自由の意思の元に!」
「砲撃勝負といくか、人魚姫ええ!」
巨大な海水の竜巻がうねりをあげて、人魚姫の頭上に存在していた球体が超高水圧の砲撃となって神奈に放たれた。
水圧カッターのように鋭く迫る巨大な砲撃に対して、神奈は左手を翳し同等の大きさの魔力光線を放つ。
澄んだ海水と紫の光線が衝突し、一瞬の拮抗を見せて海水が呑み込まれていく。
「なぜ、私が負けるのです!? 母なる海を守護せんとしたこの私がなぜえええ!」
負けると気付いたときにはもう遅い。人魚姫の肉体は魔力光線に呑まれて僅か数秒で肉体が崩壊し、消滅してしまった。
戦闘が終わって「ふううぅ」と深いため息を吐いた神奈は浜辺へと降りていく。海水圧縮弾も操っていた者が死亡したので勢いを失って落ちていく。
「終わった終わった。いやぁ今回は助かっ……た……よ……」
――そして神奈は見た。
あれだけ大きくなって目立つはずのエムガメの姿はない。少し集中して捜してみれば砂に血濡れで埋もれているのを発見する。
問題はエムガメだけではない。パンダレイは左腕が千切れて配線のようなものが露出しているし、游奈は呆然として俯いている。さらに游奈の足元に転がっている老人の腹部はごっそりと抉れて、血を流し続けていた。
「まさか……」
死亡しているであろう老人が誰なのか、神奈はすぐ答えに辿り着く。
着地した神奈は走って近付いた。信じたくない現実と向き合おうとしてもうまく思考が働かない。
「神谷さん、君は悪くないよ」
肩を掴まれて振り返れば、神奈の背後には老化が治っている洋一がいた。
「最善を尽くしたはずさ。だから自分を責めちゃダメだ。きっとそう考えたらこれからずっと何があっても自分のせいだと思ってしまう」
一時的なものだったのか、老化が全員解けて元通りの姿になっていた。それでも誠二が元に戻っていないのは――死んでいるからだろう。
戻っていた恵も駆け寄ってきて、声を掛けようとしていたが異変に気付いて口を閉ざす。あまりのショックに両手で口を押さえた。
「ごめんね……誠二、こんなお別れになるなんて……」
小さく游奈が呟いた。
「でも、寂しい思いはさせないよ。私はいつでも……一緒にいてあげるから」
誠二の遺体を游奈が抱え、海の方へとゆっくり歩いて行く。
人魚は陸に上がってから再び海に入ると泡となって消えてしまう。そんな話を思い出して神奈達はこれが後追い自殺だと悟る。
「……待て……待てよ……海梨!」
慌てて止めるために叫んだ神奈の表情は泣きそうであった。神奈だけでなく全員が悲痛そうな顔をしている。
しかし神奈達の声は耳に届いても、心にまでは届かない。
「……みんな……ごめんね」
「待って……! 私が……!」
言葉がそれ以上出てこなかった。最愛の人を失った人間に対して掛けるべき言葉など神奈には思いつかなかった。いや、そもそも掛けるべき言葉など存在すらしていないのかもしれない。
自分のせいで死なせたという思いが少なからず心にあることで思考を鈍らせる。何も止めるための言葉が出てこないことで、神奈は両膝から砂に崩れ落ちる。
洋一も、恵も、パンダレイも何一つ言えない。
怒らせてでも自殺を踏みとどまらせるべきなのに口が動いてくれない。
結果、四人が俯いている間に――游奈は海へと足を踏み入れてしまった。
海に触れた瞬間、游奈の体は徐々に足から泡となり始める。
両足の先から消えていく游奈は涙を流しながら微笑み、まだ残っている両腕で誠二を抱きしめる。そして腕すら消え始めたせいで誠二の体は海へと音を立てて落ちた。
透明な泡となり――海梨游奈はこの世界から消滅した。
その死に様を神奈達は黙って見ていることしか出来なかった。




