300 エピソードオブ人魚4
竜宮国最上階真下――人魚姫及びその子孫の居住スペース。
地上の規模で言うなら、一つの町が丸ごと一家の敷地のようなものだ。広すぎる居住スペースに案内された誠二は口を半開きにしながら周囲を見渡している。
人魚姫と誠二の間にここまでで会話ゼロ。人魚姫の方は人間を嫌う節があるので、誠二はその感情を雰囲気から読み取って黙っている。結果二人は喋ることなく游奈の住む家にまで辿り着く。
「ここが游奈の家です。同時に私の家でもありますが」
「えっと、お邪魔します」
「邪魔するなら帰ってください」
「ええ!? 何そのテンプレみたいな返し!」
紅い巨大な珊瑚をくり抜いて作られた家に、穴は空いていても扉や窓はない。そんな通気性抜群の家に住んでいれば外にいる誠二の声も確実に届く。
ツッコミの声が気になったのか二階部分の穴から顔を出す游奈は、下にいる誠二のことを視界に入れると「誠二……?」と呟く。まるで現実を何度も自分で確認するかのように「誠二、誠二よね」と呟き、二人が家に入ろうと前に進んだ瞬間に游奈は飛び降りた。
「せーいーじー!」
突如真上から大声と共に飛び降りてきた游奈を視認して「游奈!?」と二人は驚愕して叫び、そのまま為すすべなく誠二が潰されて「ぐぶええっ!?」と蛙が潰れたかのような悲鳴を上げる。
「わーもう会いたかったんだからあ! なんでここにいるの!? はっ、私が会いたいと思うばかりに誠二の幻覚を見ているとか……それはそれでアリだね!」
「落ち着けよ……まず幻覚じゃねえから早くどいてくれ」
「幻覚じゃない……なら、なんなの?」
「本物だよ! それ以外何かある!?」
游奈の気持ちも誠二は多少分かる。人間は普通海底になんて来れないし、会いたかった人間が突然現れるなど幻覚だと思ってしまうだろう。誠二だって突然家に游奈が来たら幻覚だと思ってしまう。
再会は喜ばしいが決してないわけではない胸を押し付けられては誠二もたまらない。主に理性が溶けてしまう。完全に理性が消え去る前に、抱きしめてくる游奈の腕を外してゆっくり立ち上がる。
「あー、その、久し振りだな……游奈」
「……うん、久し振り……誠二」
二人は向き合って、照れて顔を少し赤面させて互いの顔を見つめる。その様子を見て「ごほんっ」とわざとらしい咳払いをした人魚姫に視線が集まる。
「再会が嬉しいのは分かりますがそれくらいにしてください」
「あ、すいみません」
「久し振りに会ったんだからこれくらいいいじゃない。私が二度と地上に行けないんなら尚更よ、ここでしか会えないんだから」
その口ぶりに誠二は、游奈がもうすでに地上に行くのが禁止されることを知っているのだと理解した。
喜ばしい再会だというのに喜びの感情の余韻にゆっくり浸ることもできず、誠二は真剣な表情で游奈を見やる。
「知ってたんだな游奈、もう地上へ行けないって」
「……うん。でも誤解しないで! あのときはそんなこと言われるなんてこれっぽっちも思っていなかったの……。元々黙って地上に行ってたから怒られるのは覚悟してたんだけど……ごめんね……もしこっちに来なかったら来年まで知れないよね……」
地上への移動禁止を知らなかったら、誠二は来年約束の日を過ぎても待ち続けていただろう。一日過ぎれば笑って許すが、二日過ぎれば信じたくない現実に向き合い、三日過ぎれば約束を破られたと意気消沈していたはずだ。
「いいんだ、もしもの話なんてどうでもいい。今の話をしよう」
落ち込んで俯き、泣きそうになっていた游奈の頭を撫でてから、誠二は人魚姫の方へと顔を向ける。
「人魚姫、どうして地上へ行くのを禁止にするのか理由を聞かせてください。もし納得できる理由なら今日は大人しく帰ります」
地上へ游奈が来れないのなら花火の約束が果たせなくなってしまう。さすがに竜宮国で花火を打ち上げてもらうわけにもいかない。もし打ち上げようものなら海水侵入防止用のバリアに衝突して爆発し、飛び散った火花でこの建物が火事になる。
「あ、誠二、それはね……人間と関わるのは危ないからだって」
「いや、それなら俺を歓迎する理由がない。人魚姫、危ないからじゃないんでしょう? 本当に危ないからという理由なら俺が今ここにいられるはずがない。もうとっくに追い出されているはずだ」
「……なるほど、少しは頭を使えるようですね。ですが残念、告げた理由は嘘偽りないものです」
「でも誠二は怖い人じゃないよ! 守ってくれたし、私はこれから誠二と一緒にいたい!」
本当に危険な人間というのは多胡沢のような者のことだ。悪人から守ってくれた事実がある以上、誠二が危険であるなどと游奈は信じない。
「事実ですよ。危ないというのは何も肉体的ダメージを与えてくる相手のことだけではありません。精神的ダメージを与えてくる相手も等しく危ないのです」
「誠二は大丈夫だもん!」
「ああ、俺は別に罵倒とかしない。……エムガメにはするけど」
「あなたにその気がなくても、関わっただけでダメなんですよ。人魚と人間が関わっただけで精神的ダメージは発生します。……だって人間は、人魚よりも寿命が遥かに短いのですから」
誠二と游奈は「……え?」と目を丸くして間抜けっぽい声を漏らす。
種族が違えば当然どこかに違いが出る。例えば強靭な肉体を子供のときから持っていたり、例えばオイル以外を摂取できなかったり、例えば種族特有のエネルギーや技を扱えたりなど様々な違いがある。人魚と人間でも必ず見た目以外に違いがあるということを、二人共失念していた。
「少し昔話をしましょう。一人の人魚と、一人の人間の恋物語を。これは友達の友達の話なのですが……」
(それたぶん自分のことだ……)
(お母さんのことでしょそれ……)
「ある日、竜宮国に一人の青年がやって来ました。あのエムガメのような案内人に連れられて、人間がこの地に足を踏み入れたのです。その者の名は浦島。珍しい客人に当時の人魚達は興味津々で、歓迎しました」
浦島という名前から連想されるのは一つしかない。誰でも知っているだろう有名な男の名前がタイトルになっている話。
(まさか浦島って……浦島太郎か?)
「彼、浦島次郎は歓迎を受けて大変喜びました」
(一文字違いの別人!)
残念なことに太郎ではなく次郎である。もはや兄弟と言われても信じられるくらいに似ている。
「当時の人魚姫は宴の最中に浦島へ惹かれていきました。顔の造形もよく、話も面白く、純粋な性格。何より人魚達は今まで男など知らない女の集団……彼に興味を示すのは当然だったのかもしれません。これについては游奈、あなたも同じです」
「私が物珍しさから誠二に惹かれてるってこと……?」
人魚は産卵で子孫を残していくのだが、そこに男性との性交渉は不必要。ゆえに竜宮国には女性しかおらず全く男性を見たことがない。
初めて見るモノに興味を示すのは至極当然だ。ファンタジー世界の者がこの世界に来れば様々な文明に興味を持つことだろう。それと同じで人魚という種族は初見の男性、しかも人間という種族に興味を抱く。
「最初はそういうものです。もちろん、だから悪いというわけではありません。興味から相手を知り、それから好意や嫌悪を抱くのはごくごく自然でしょう。彼女もまた同じでした。浦島という男性を知り、好意を抱いて、本当なら帰るべきの彼を竜宮国に引き留め続けました。もし帰らせれば次にいつ会えるか分からない。もしかしたら永遠に会えないかもしれない。そう思えば思う程、彼女の束縛する想いは強くなっていった」
好意も大きすぎれば害へ変わることがある。個人差があるとはいえ、意中の者を他の異性と関わらせたくないと思ってしまう。重度のものだと友人や家族の絆すら断ち切ろうとしてくる。
「浦島にも待っている者、家族や友人がいる。そんなことは彼女も分かっていました……しかし彼がいなくなる生活を想像して耐えられない。だから思い切って彼女は問いかけたのです……『こんな気持ち初めてなのですが、あなたと一緒に居続けたい。ここで一緒に暮らしませんか?』なんて、図々しい我が儘を口に出してしまったのです。……彼は、当然断りました」
(まあ……俺もそれはちょっと嫌だな)
「この竜宮国に永住するとなれば様々な苦労があるでしょう。食事は魚介しかない。今までに知り合った者達、家族と気軽に会うことも出来ない。今思えば自分のことしか考えていない愚者の言葉でしたね」
いきなり住む場所を変えるというのは厳しい。いくら海が好きな人間でも、海の中で一生を過ごしたいとは思わない。環境ががらりと変化してしまえばそれだけで多大なストレスとなる。
「しかし彼は……『ここで暮らすことは厳しいとしても、あなたのお気持ちはありがたいです。……僕は海辺沿いの家に住んでいます。提案なのですが、一日に一度でもいいので上で会いませんか』と告げたのです。これは相思相愛、互いを運命の相手と認めた証拠の言葉でもある」
「いい話じゃない。何がお母さ……その人を傷付けたっていうのよ」
ここまでの話を聞いてみればただの惚気話だ。いったい人魚姫が何を話したいのかを游奈と誠二は把握できていない。
「……彼女は嬉々として毎日浦島と会っていました。それは数年、数十年続き、やがて彼女は気付きたくないことに気付いてしまったのです。浦島の髪は白く染まり、体にはシワがいくつもでき、調子も悪くなっていた。そう、彼女の気付いた事実とは――人間は人魚よりも酷く短命だということ」
「短命……あの、人魚ってそんなに長生きなんですか?」
「私達からすれば普通ですが……ざっと四、五百年は生きられます。中年と呼べるのはおよそ二百五十歳あたり、老人となればおよそ四百歳あたりでしょう。分かりますか? これがどれ程の苦痛をもたらすのか。たった百年にも満たない時間で死を迎える人間と関わり合うことが、いったいどれ程の虚無を生み出すのか」
説明を聞いている途中、誠二は「そんなに……?」と驚愕していた。
人間であるなら九十歳程まで生きられれば十分長生きとされるだろう。だというのに人魚は軽くその四倍以上を生きる。先に死を迎えるのは確実に人間の方だ。
「游奈、この人間と関わればあなたは確実に後悔する。恋人になるなど以ての外です。耐えられるのですか? 彼は若い、後七十年近くは生きられるでしょう。ですがそれまでです……彼が死した後、悲しむのはあなたなのですよ?」
「でも……それでも……私は……!」
「……本来人間は海を汚す愚かな種族。彼らと私達では結局上手くいくはずもないのです。游奈、母親からの忠告は素直に受け取りなさい」
「私は……誠二……」
俯いてしまった游奈に誠二は手を伸ばす。
誠二は「おい」と話しかけて游奈の頭を撫でた。
「シンプルにいけ。悩んだってどうしようもないことはある」
「でも誠二……私、誠二が死ぬところなんて見たくないよ……それでも自分の気持ち、抑えられないの……私は誠二と一緒にいたい」
「――ならそれでいいじゃねえか。死なないなんて約束はできねえけどさ、まっ、健康に気を遣ってそれなりに長生きしてやるさ。お前と出来るだけ長く一緒にいたいからな」
満面の笑みで誠二はそう告げた。
いつか死ぬと分かっていても、たとえ誠二の方が早く死ぬと分かっていても、游奈は今を生きている。共にいられないのが苦痛だと感じるのにどうして我慢する必要があるのだろうか。
「そうだね。種族の差とか、そういうの色々後で考えればいいよね」
「待ちなさい! 游奈、何を言っているのか分かっているのですか!」
「分かってる。私はお母さんと同じじゃない、後悔なんてしない。というわけで誠二、私達のするべきことは一つだよね?」
「……ああ、そうだな。取るべき行動は一つだけだ」
互いに笑顔で見つめ合った二人は人魚姫に背を向ける。
「「――逃げる!」」
振り返ることなく、二人は全速力でその場から逃走した。
予想外の行動を取られて人魚姫は「……は?」としか呟けない。やがて状況を呑み込んだ人魚姫は青筋を額に立てて叫んだ。
「逃げるなああああああああ!」
* * *
一気に竜宮国入口にまで降りた誠二と游奈は後ろを振り返る。
鬼の形相で宙を泳いで追跡してくる人魚姫が二人の後方から迫って来ていた。それを見て二人の速度は限界を超えて速くなる。
「エムガメえええ! 即行で地上に戻してくれええ!」
「待ちなさいエムガメ! その者達を返してはなりません!」
「ええ!? 何事!?」
誠二と人魚姫が荒げた声で話しかけたのは、入口でずっと放置されていたエムガメにだ。彼が協力しなければ誠二は地上へと戻ることができない。
「なんかよく分からんが、悪いな誠二。人魚姫の命令には逆らえねえ」
「地上に着いたら最強の蹴りをお前にくれてやる! お前が満足するまで何度もな!」
「よっしゃ早く地上に行こうぜ!」
背に乗った誠二と游奈を確認してからエムガメは精一杯泳ぎ始める。なんとその速度通常の二倍以上、未来の快楽を求めている結果火事場の馬鹿力が発動したのだ。
驚くべき速度で海底から上昇していく誠二達を、人魚姫は「この裏切り者おおおお!」と叫びながら追いかける。
「游奈ああああ! 分かっているのですか! 地上に、陸に上がれば我々人魚がどうなるのかを教えたはずですよ!」
「分かってるに決まってるでしょ! 陸に上がれば下半身が人間のものへと変化する!」
「それだけじゃない、もうそうなったら海に入れなくなるのですよ! 泡となって消えてしまう! あなたは我々との縁を切ろうというのですか!」
「だったらそっちが会いに来てよ! 地上でも海に浸かったままなら平気でしょ!」
「ふざけっ……戻って来なさああああい!」
海中を進みながら游奈と人魚姫は口論を続けた。そこに誠二も介入して叫ぶ。
「游奈に後悔なんてさせねえ! 俺が死んだとしても、一生霞まない思い出をこいつに与えてやるさ! いつかアンタが地上に来たとき、それまでの思い出を語ってやるから楽しみにしてやがれ!」
「大塚誠二いいい! にんげえええええん! 許さない、絶対に許さないぞ娘を誑かした汚染物質がああああ!」
そんな口論を繰り広げながら誠二、游奈、エムガメは地上へと戻って来た。
人がいない浜辺に無事上陸して転がった二人と一匹はすぐに海の方を確認するが、人魚姫の姿はもうすでに見えなくなっていた。
陸に来たとなれば誠二が気になるのは游奈だ。
人魚は陸に上がったとき下半身が魚から人間のものになるとさっき口論の中で知った。今、游奈の下半身はどうなっているのかと視線を向ければ、そこにあったのは大きな魚のものではなく白い肌が魅力的な二本の脚。紛れもなく人間の有する脚の形をしている。
「誠二……これでお揃いだね」
「ああ、これからは人間として暮らすんだ。色々覚えるの大変だぜ?」
「平気だよ、誠二と一緒ならなんだって出来るもん」
二人は立ち上がろうとして、游奈がバランスを崩したので誠二が手を取って助ける。そして無事立ち上がれた二人は笑い合う。
「おい誠二! 約束忘れんなよ、俺を蹴り飛ばせ!」
「おっと悪いな。じゃあ早速ぶっ飛んどけ」
勢いよく蹴りが突き刺さり「さいっこうううう!」と叫んだエムガメは遠くに吹き飛び、チャポンと音を立てて海へ沈んでいく。
雑な流れに游奈は「あはは……」と苦笑する。そして再び向かい合った二人は嬉しそうな笑みを浮かべる。
「これからよろしくね、せーいーじー」
「ああ。でも……とりあえずなんか履こうか」
白い肌の下半身を晒し続けているので誠二はそう呟いた。
腕輪「祝! 300話! ……いや、とっくに超えてるんですけどね」




