298 宴――歓迎ムード――
人魚姫の案内の元、最上階へ辿り着いた神奈達。
最上階では大勢の人魚達が控えており、全員が宙に浮かびながら頭を下げて二列に並んでいる。その二列の間、人が二人通れるかといった狭さの作られた道を人魚姫は泳いでいく。
その人魚達の道を見て目を丸くした神奈達は歩くことを止める。
部屋の奥にある大きな窓からは、魚達が泳ぐ海の景色がよく見える。通常深海ゆえに光の届かない暗闇であるはずなのだが、竜宮国から発される光で照らされて見えるようななっている。
奥にある玉座にまで泳ぎ、座った人魚姫は両手を一度パンと叩いた。
「それでは皆様、これより始まる宴をごゆるりとお楽しみください」
モーセのような道を作っていた人魚達が一斉に散らばる。その内の三人が神奈達の方に近寄って「こちらです」と席に案内してくれる。
部屋の右端、中央寄りに用意された三つの透明な座布団。人魚達の「お座りください」という声に応じて腰を下ろすと、普通の座布団とは違うひんやりとした感触とジェルのような柔らかさ。
「これはなんでしょう、どうやら地上にある座布団とは違うようですが」
「そりゃバルルンクラゲだな。軽い衝撃を与えると風船みてえに膨らむんだ。性格は穏やかだから座っても問題ねえさ」
「生物かよ。……てか穏やかだからって座っていいのか」
生きている者に座るなど単なる罰ゲームだとしか神奈は思えないのだが、肝心のバルルンクラゲは顔もないのでどう思っているのか分からない。反抗もしないのでどうとも思っていないのだろうが、そもそも知能が低すぎて何も把握していない可能性すらある。
不思議な生物バルルンクラゲのことを考えていると、神奈達の前に膳が人魚の手によって運ばれてくる。
膳に乗っているの料理は魚介系の料理のみ。元々深海にある竜宮国では魚類以外に採れるものが少ない。だがそんなことより気になることが神奈にはあった。
(魚って……共食いじゃね?)
人魚の下半身は魚である。魚である以上、魚を食べることは共食いである。
複雑な気分になった神奈は横目でチラッと恵の方を見る。
「うわっ、これすごく美味しい~」
(普通に食べてる……。もういいや、私も食べよう)
何も気にせず食べている恵を見て神奈も深く考えるのは止めた。
「すみません、オイルはありませんか?」
(あるわけないだろポンコツ)
パンダレイが手を上げて近くを通りかかった人魚に質問した。当然そんなものが海底に存在するはずもなく人魚は「オイル……?」と首を傾げるだけである。
オイル以外あまり摂取できない体のパンダレイには酷な話だが、これに関しては機械人が人間社会に溶け込むうえで避けて通れない。オイル、唐揚げ、カレー以外を摂取出来ないという特殊すぎる体なら、他者と同じ物を飲食できなくて当前だ。
食べる必要すらないパンダレイにとって食事は趣味だ……しかし他者と同じものを食べられないのは辛い。無表情なので顔には出さないがパンダレイも心が傷ついている。
「ねえねえ、この透明な魚は何? すごい美味しいんだけど!」
恵が透明感ある刺身を箸で持ちながら問いかけると、近くにいたエムガメが解説しようと口を開く。
「それはステルスフィッシュだ。周囲の色に溶け込むことのできる魚でな、その味は長生きしている個体程旨味が凝縮されるらしい。まあ今食べてるのは三十年ちょっとしか生きてないから貴重ってわけじゃねえ。本当に美味いやつは数百年以上生きた個体だからな」
「ふーん、やっぱり海って広いよね。私の知らない生き物がこんなにいるんだから」
感心した様子でまた恵は別の料理に箸を伸ばす。
「そうだな。おっ、それはリンネナマコだな。寿命が近くなると一気に幼体になって、再びナマコ生を歩み出す珍しいやつだ。若返った数だけ旨味が増すとも言われてる」
「うーん、コリコリしてて美味しい~。食感は貝に似てるかなあ」
柔らかいことから軟体動物であることを想像されがちなナマコであるが、ウニなどと同じ棘皮動物の一種である。いざ食べるとなればそれ程柔らかいわけではない食感で、ナマコに嫌悪感があっても一度食べてしまえば次も食べたくなるだろう。
「なあ腕輪、私はいつからグルメ漫画の人間になったんだ」
「そんなに不思議ですかねぇ。以前から割とおかしな生物を目にしていると思うんですけど」
食事を楽しんでいる神奈と恵、そしてそんな二人を羨ましそうに見ているパンダレイ。三人の正面に美しい人魚達が十人程やってきて踊り始める。
華麗な舞が披露され、一挙一動に魅了された。踊りに興味がない神奈達でも素晴らしい舞であると理解できた。
宴と呼ぶに相応しく、食べ、飲み、踊る。
何かの贔屓なく楽しかったと言える時間も終わりが来る。
宴が終了を迎えると、舞と食事に満足した神奈達の元に人魚姫が宙を泳いで近寄って来た。
「ご満足していただけましたか地上の方々」
「人魚姫。十分満足しましたよ、正直ここまで歓迎されるとは思っていなかったので驚きましたし。いったいどうしてここまでしてくれたんですか?」
神奈の問いに人魚姫は真剣な表情で言葉を返す。
「……もちろん、お客人だからですよ」
案内人が連れて来た大切な客人だから。そう返ってきた答えに神奈は少し納得がいかなかった。別に無暗に人魚姫を疑うわけでなく、異種族で、しかも人魚に害をもたらす者が多い人間を、最初から好感度マックスで歓迎するというのは腑に落ちないのだ。
向けられる疑惑の目から逃れるためか、人魚姫は「そうです」とあたかも今思い出したかのように手を叩く。
「そこのあなた、あの宝物を持って来てください」
宴の片付けをするために近くにいた人魚へ人魚姫が話しかける。
話しかけられた人魚は少しの間困惑していたが「はい」と返事をして、急いでどこかへ泳いでいく。その彼女が五分後に戻って来たとき、両手で黒い箱を大事そうに抱えていた。
「ありがとうございます。皆様、これは玉手箱。我々人魚達に伝わる秘宝の一つ。是非ともこれを持ち帰ってください」
「ええっ、そんな悪いですよ! 受け取れないです!」
「恵のいう通りですよ。それに……いきなり秘宝をあげるなんて少し不自然じゃないですかね」
「あげると言うのなら貰えばいいのでは?」
「パンダレイ、人類みんなお前みたいに素直ならいいのにな」
もはや神奈の不審度はマックスだ。何を言われても疑う姿勢に入っている。
「酷いですね。他者からの厚意は受け取らなければなりませんよ」
「いや、でも……」
「酷いですね。他者からの厚意は受け取らなければなりませんよ」
「あのですね」
「酷いですね。他者からの厚意は受け取らなければなりませんよ」
「……受け取ります」
「そうですか、受け取ってくれて嬉しいです」
恵は簡単に人魚姫の圧力に押し負けて玉手箱を受け取ってしまった。
ジト目を向ける神奈に気付いていたが、恵は敢えて目を逸らす。
「よーしそれじゃあ、あんま遅くなってもいけねえし帰ろうぜ!」
「そうだな、白部君達待たせてるし」
エムガメの叫びに神奈も同意する。
正直なところは何を考えているか分からない人魚姫から距離を取りたかったのだ。笑顔の裏に隠れているであろう不気味な本性など、神奈は知りたくもないのだから。
「そんじゃ地上に向けて出発だあ!」
竜宮国の建物から出た神奈達はエムガメの背に乗って、ぐんぐんと海底から昇っていく。それを見送った人魚姫は笑顔を消した。
(人間……珍しい客でしたね。以前人間が訪れたのは一年前でしたか。あのとき、私の娘を誑かした男……彼はまだ元気にやっているのでしょうか)
神奈達が見えなくなるのを確認して、人魚姫は竜宮国内へと戻っていった。
次回 エピソードオブ人魚3
腕輪「大塚誠二と海梨游奈、二人の物語も終わりが近付いてきましたね。二人が今の関係になるまでどんなことがあったのか……私、気になります!」




