295 エピソードオブ人魚2
大塚誠二が海梨游奈と出会ってから数日。
夜も遅かったので星を三十分程見てから帰った二人は、また誠二の昼休憩時にこそこそ会っていた。別にこそこそ会う必要はないのだが、游奈の正体が人魚だと判明した以上極力人目を避ける必要があると誠二は思っている。
実際、多胡沢のように人魚を求める人間も存在しているのだ。もし研究機関などに捕らえられた場合、どうなるのかなど考えなくても実験動物一択だと理解できてしまう。
昼は世間話。夜は星の観賞。
二人の距離は少しずつ縮まっていっている。游奈もだいぶ誠二に対して昔からの友達のように気を許している。
――夜。星々を眺めているとき。
誠二はなぜこんなことをしているのか疑問に思った。初日は約束をしてしまったからだが、それ以降は約束などしていないので一緒に見る義理もない。だというのになんだかんだで游奈と待ち合わせて一緒に鑑賞会を開いてしまっている。
別に星など誠二は興味がない。ただ游奈といると居心地がいい気がしているだけだ。ならその理由はなんなのか、未だ恋愛感情とも呼べない咲いたばかりの花に誠二は困惑し続けている。
いつもの如く今日も綺麗な星々を眺める夜、目を輝かせていた游奈が「ねえ」と話しかける。
「明るい星はどこにあるのかな」
「……上にいっぱいあるけど」
「そうじゃなくて、なんだかこう……ドカーンと一瞬で花が咲いたみたいな、大きい星のこと! 私、元々はそれを見に来たのよ。でも今日まで一度もそれを見れてない……」
分かりづらい説明だったが誠二は一つの仮説を立てる。
一瞬で花が咲いたという表現。そして他の星と比べて大きいという発言。游奈の見に来た星というのが実は星ではなく――花火だったとするなら一度も見れていないという言葉にも納得できる。
海底の事情など誠二は知ったことではないが、地上のことを知らないなら花火のことを星だと勘違いする者がいてもおかしくはないだろう。
「もしかしたらだけどよ……それ、花火ってやつかもしれねえ」
「花火……っていう星?」
「いやそうじゃなくて、星とは別なんだよ。人間が作った道具。お前の証言にもある程度当てはまるから間違ってはいないと思う」
「星じゃなくて……花火……」
ずっと海中で暮らしていたのなら詳しくないのも無理はない。星を知っていたのは海中からでも見えるからで、地上の物である花火や焼きそばなど人魚達は知らない。
求めていたものが花火だと教えられた游奈の目は丸くなり、その輝きを一層増して誠二を見つめる。
「ねえ、私……花火が見たい。一度は海中から見たことがあったんだけど、あの綺麗な輝きをもっと近くで見たいの」
純粋な瞳を向けられて誠二はたじろぐ。
「え、あ、この辺りで花火大会が開かれていたのはもう何年も前の話だっていうし……。ここじゃもう……見れねえかも……」
「……そう、なんだ。……見れないんだ」
段々と輝きを失っていく瞳を見て誠二は心が痛む。
純粋に花火を見たい一心で地上までやって来たというのに、それを見る手助けすら出来ないのかと無力さを痛感する。
落ちこむ游奈をどうにか元気づけようと誠二は口を開く。
「で、でも! どうにかなんねえか俺の方で動いてみる! ホテルに泊まりに来た人の中に花火大会の関係者でもいればなんとかなるかもしれねえしさ!」
「……ほんと?」
「本当だ! 約束してやる、俺が絶対にお前に花火を見せてやるって」
誰かに暗い顔をしてほしくないと誠二は常に思っている。
人間でも、人魚でも、根本的なところでは同じ存在。喜怒哀楽がある生物なら楽しい人生を送ってほしいと思う。なぜそう思うかは誠二の過去が関係している。
そもそも誠二が中学生なことを高校生と誤魔化してまでアルバイトしているのには、両親が残した借金という理由がある。
会社を立ち上げたはいいものの経営がうまくいかず、借金までして持ち堪えようとしたにもかかわらず破産してしまったのだ。残ったのは借金のみ、大塚夫妻は共働きでなんとか返そうとするも働きすぎで体を壊し――過労死した。
幼い頃から大変そうな両親の手伝いをしたいと思っていた誠二は、借金返済のために年を偽ってアルバイト生活を送っている。――もう死んだ両親の借金返済を手伝うために。
今の生活に文句はない。誠二自身が選んだ選択であるし、慣れればアルバイト生活も楽しいものだ。様々な職業に触れて社会勉強にもなる。もっとも法律で禁止されているのでバレれば罰金を科されるが。
(父さんや母さんみたいに暗い顔はしてほしくねえ。俺がなんとかするんだ、花火鑑賞の夢を手伝うことで……なんとかしてやるんだ)
* * *
翌日の海の家でのアルバイト中、誠二は店長に花火大会について訊ねてみた。
游奈の夢を実現させるため、出来ることは全てやると決めた誠二だが誠二自身に出来ることは何もない。精々周囲の人々にまた花火大会を開催できないか情報を集めることくらいである。
「うーん? 花火大会ねえ、なんでまた?」
「いや、実は知り合いが花火を見たいって言ってて……」
アロハシャツを着て、サングラスをかけたアフロの中年男性は焼きそばを調理しながら話を続ける。
「確かにここで開かれていたときはあったけど、二年前くらいだったかなあ……環境に配慮云々の理由で中止になったの。別にここじゃなくて他のとこ行けばいいんじゃない?」
「それが、そいつ病気でこの付近から離れられないんです。だから花火をこの海岸でできないかなって思いまして」
「誠二クン、君~それ女だろお。おじさんには分かるんだぞお?」
口角を上げてにやにやする店長相手に誠二は慌てて「んなっ!」と声を上げる。
「いや、確かにそうっすけど下心とかはなくてですね。純粋にですね……」
少し頬を赤くして顔を逸らすあからさまな反応をする誠二を、店長は声を大にして笑う。まさか笑われると思わなかった誠二は恥ずかしさを覚えながらも抗議する。
「ちょっ、笑わないでくださいよ。こっちは真剣なんだから」
「いやあ~めんごめんご、初心だねえ少年。まあ真面目な話、どうにか出来ると思うよ~」
誠二は「本当ですか!?」と目を見開いて店長に詰め寄る。
マイペースな店長は「ほんとほんと」と返して、少し離れるよう誠二のことを軽く押す。
「おじさんこれでも花火職人には知り合いがいてね、それも大会の花火作っていたやつだから花火上げるだけなら出来るんだよ。まあ今年はもうどっかの金持ちに大量受注されたせいで作れないらしいけどさ」
「……来年ですか」
「うーんまあそんなとこだろうね。来年の夏なら本職の人間が作った花火を見られるよ、大会は無理かもだけど。……さあ、焼きそばお客さんに持ってちゃってよ誠二クン。いつまでもサボりは感心しないぜ」
「あ、すみません、今持っていきます」
焼きそばを作り終わった店長から指摘されて誠二は再び仕事に戻る。
時間が経てば確実に花火を打ち上げられると理解した。それでも長い期間待たせることは申し訳なく思い、それまで游奈が一緒にいてくれるかが分からない。
それから海の家でのバイトが終わると、次はホテルの受付の仕事だ。
さすがに受付の仕事をしているとき客へ職業を聞くのはマナー的にも雰囲気的にも許されない。花火職人や大会関係の人間が運よく泊まりに来ている確率などゼロに近いだろう。
受付の仕事が終了して今日も游奈のところへ行こうとすると、誠二はスーツ姿の多胡沢を見つけた。ホテルの入口付近で立ち続けている多胡沢にも、一応花火のことでいい策がないか訊いてみることにした。
「多胡沢さん、こんばんは」
「君は受付の……どうしたのかねこんな時間に」
夏でも冷たい夜風が吹く時間帯。外出は減ってくるだろう時間に出かけようとしている誠二に、多胡沢は探るような視線を向ける。
「ちょっと相談があって、ああ人魚の――」
「人魚の目撃情報かね!?」
「人魚の話じゃないんですけど……個人的な相談がありまして」
目を見開いて勢いよく詰め寄る多胡沢に少し誠二は引き気味だ。
求めていた人魚の話でないと分かると多胡沢は「すまない」と呟いて一歩引く。
「なぜ私なのかね、そこまで親しい仲でないはずなのだが」
「いや、一応顔見知りを見かけたついでです」
「なるほどつまり誰でもよかったと……まあ、いいがね。相談というのは?」
相談に乗ってくれるのを多少意外に思いつつ誠二は語る。
「実はこの付近から動けない知り合いが花火を見たいらしいんです。でも花火大会はなくなっているし、実際の職人さんに作ってもらうにしても当てのある人は来年になるって言ってます。今年はどうしても無理なのかまだ結論が出てないし、伝えて悲しませたくないんですよ」
多胡沢からしてみればどうでもいい話だろう。しかし相談に乗ることにしたのは多胡沢本人なので自業自得である。
少しの間目を閉じ、こめかみに指を当てて考え込むと、答えが出たのか目を開けて腕を下ろす。
「……それなら、期待外れかもしれないが市販の品を使うのはどうだろう。最近の市販品もバカにはできないからね」
「市販品っすか、あんまよく分からないんですけど本物には劣るんですよね?」
「そりゃあね、でも連発すればそれなりのものになると思うよ。さっきも言ったけど市販品もバカにできないのさ、日々進化しているんだから」
「分かりました、ありがとうございます。参考になりました」
花火は何も祭りなどでしか見ることのできないわけではない。市販のものでも打ち上げ花火は存在しているし、他にも線香花火やねずみ花火など様々な種類の花火が売られている。そういったもので楽しむのも手の一つだ。
(待ち合わせの約束まであと七分くらいか、急げば行けるな)
海岸近くにある店には水着や花火などが売られている。約束まで七分だとしても、誠二の身体能力なら急げば購入は間に合う。
游奈の見たい花火は打ち上げ花火なので、一人で持てるだけの分を購入してから待ち合わせ場所へと向かった。そこには頬を軽く膨らませた游奈が海に浸かっていた。
「……二分遅刻」
「わりいわりい、色々あって迷っちまったからさ」
「え、浜辺で迷う人なんているんだ」
「おい待て勘違いだ。道に迷ったわけじゃない」
ホテルから海岸までは一本道だ。迷うことなどまずありえない。誠二が迷ったというのは花火の種類についてである。
「これ、買うのに手間取っちまったんだよ」
そう正直に告げながら誠二は買い物をしてきた証として、いくつもの打ち上げ花火が入った白いビニール袋を見せつける。
「買うってなに? 何かの隠語?」
まさかの返しに誠二は「え」と呟いて、少しの間硬直する。
游奈は位置的にビニール袋の中身が見えないのだが、そもそも買い物自体を知らなかったので見せたところで意味はなかっただろう。こんなところで種族の違いが影響してくるとは誠二も思っていなかった。
「買い物を……知らねえの?」
「うん、知らない」
「じゃあお前、人魚ってどうやって物を手に入れるんだよ」
「欲しい物があったら作り方とかを教えてもらうけど? あーでも地上の物はあんまり持ち込んじゃダメって言われてるから、花火の作り方は聞かなかったけど」
買い物というか物々交換すら人魚の世界に存在していない。
文化が違いすぎる。肉体だけでなく種族の差とはこういうものかと誠二は改めて驚く。
「はあー、正直あんま想像できねえな。……まあそんなことよりこれ、花火だよ」
「ほんと!? じゃあ花火見れるの!?」
「……悪いけどお前の見たがっていたような物じゃない。劣化版みたいなもんだ。来年になればお前の言ってたでっけえ花火もここで見れるらしいんだけどさ」
「それでもいいよ! 早く一緒に見ようよ!」
游奈のテンションが元に戻らない。花火を見れるという興奮が、劣化版だと知らされても収まることがない。
少し笑みを浮かべた誠二は「ガッカリすんなよ?」と一応の保険染みた前置きを言ってから、買ってきた打ち上げ花火を用意する。
市販の打ち上げ花火も単純に火を点ければいいだけだ。一緒に買ってきたマッチを使用して、岩の上に並べた花火の筒の導火線を着火する。そして合計十回、並べた十個の筒の導火線に次々と火を点けていく。
最初に着火した筒から順に、バンという大きな破裂音と共に花火が打ち上げられる。
一発目が誠二の三十メートル程上空で花開く。祭りなどで目にするものとは違い歪な花の形だったとはいえ、初めて近くで目にした游奈の瞳はキラキラと輝いている。
二発目、三発目と続いていき、十種類の花火が上空で形を広げた。
色が青や緑だったり、形が花や円だったりと様々な花火。それらはあっという間に散って小さな花火大会はもう終了した。
綺麗だったとはいえ、あまりの呆気なさに誠二は「もう終わりか……」と呟く。奮発した合計一万円が文字通り吹き飛んだことで複雑な気持ちになる。
しかし游奈の心は喜び一色であった。確かに規模は一度見た花火より遥かに小さかったが、それでも海中からではなく地上から、誠二と一緒に見上げた花火は何よりも綺麗なものだった。
「……ありがとう。誠二のおかげですっごく綺麗なものが見れたよ」
「あんなんでいいのか? お前が初めて見たものはもっと凄かったろ」
「そんなことないよ。あのときの花火よりも、今見た花火の方がずっと綺麗だったもん。大事なのは気持ちだよ誠二、頑張ってくれた誠二と一緒に見たからこそすっごく綺麗な花火になったんだよ」
あまり納得できない誠二は「そんなもんかね……」と呟きながら後頭部を掻く。
「もう、そんなに納得できないなら来年も一緒に見ようよ。今度はもっとおっきいやつ」
「……そうだな、来年も見るか。いつ見ても綺麗なもんだし」
まさに芸術と呼べる爆発。花火とは無限の可能性を秘めている。いつ、どこで見ても、綺麗な花火というものは綺麗なのだ。
「じゃあ誠二、来年ここでまた会おうね! 長いけど私のこと忘れないでね!」
「安心しろ、人魚と知り合ったことなんて衝撃的すぎて忘れねえよ」
お互いに軽く手を振って別れの挨拶をする。
「――残念ながらその来年はない」
そんなときに限って邪魔が入った。鞭が游奈の腕に絡まって帰れなくする。
突然の出来事に二人は戸惑いながら犯人の方を見ればそこにいたのはスーツ姿の男。
「多胡沢さん……? なんで……ここに……」
「なに、アドバイスした身として行く末を見守りたくてね。そうしたらまさかの大発見。まさか君の知り合いが人魚だったとは思わなかったよ!」
興奮しているからか力が強まり、游奈の腕が鞭に引っ張られて「いたいっ」という呟きが誠二に聞こえる。
「感謝してくれよ、ここまで空気を読んで出てこなかったんだから。……さあ、我慢ももう限界だ。人魚を捕獲して色々と調べさせてもらおう!」
鞭で釣りのように釣り上げようとする多胡沢。抵抗している游奈だが、単純に力負けしていて徐々に岸側へと引っ張られていく。
「やめてくれ多胡沢さん! アンタの情熱は分かったけど、ここはあいつを見逃してやってくれ!」
「嫌だね! せっかくお目にかかれた人魚だ、絶対に捕獲する! 君も知りたくはないか!? 人魚の肉体は人間と比べてどう違うのか、解剖してみたくはないか!?」
「そんなわけないだろうが! くそっ、多胡沢あああ!」
一撃。誠二の重い拳が多胡沢の顔面にめり込んで十メートル以上吹き飛ぶ。
あまりの速度に反応できず、受けすぎたダメージに多胡沢は立ち上がることもできない。ただ恨めしそうに誠二のことを睨みつけることしか出来なかった。
「俺の大事な游奈に指一本触れてみろ。そんときはお前がもう二度と人魚を見れないくらいタコ殴りにしてやる! 二人の愛の力でな!」
* * *
「――ということがあって、今の私と誠二がいるわけなの」
かなり長かった過去語りに洋一は意外そうに誠二を見やり、恵は興奮した様子で游奈に対して問い詰める。
「それでそれで!? その後どうなったの!?」
「えっとね、その後は――」
「いや鷲本、白部、最後ら辺はただの捏造だから本気にすんなよ」
そして二人は「え」と呟いて、最後の方を語っていた游奈の目を凝視する。
「ちょっとなんで嘘だって言っちゃうの! せっかく誠二の勇姿を二人にかっこよく伝えられてたのに!」
「嘘を伝えるのはよくないだろ。実際に多胡沢とは戦ったけどさ、一撃で倒せたわけじゃなくて三十分くらいの死闘を繰り広げてたんだから。……あと最後の台詞は言った覚えがねえし」
真実を聞いた二人は確かに捏造しすぎだと密かに思った。
「もー、ちょっとくらいいいじゃない。……あ、もう結構遅い時間。さすがにこれ以上話し込むのはよくないし私達は部屋に戻るね」
時刻はもう午前一時半。深夜だ。
夜更かしをするのは健康面であまりよくない。……といっても現在進行形でしてしまっているので今さらであるが。
「はぁ、おい白部、俺達だけ話すのはフェアじゃねえだろ。機会があったら次はお前と鷲本の馴れ初めを聞かせてもらうからな」
「あはは、機会があったらね」
そう言いつつ、絶対に話さないし恵に話させないと洋一は誓う。十中八九、恵も游奈と同じように過去を捏造する可能性が出てきたからだ。
誠二と游奈が部屋を出ていった後、洋一は恵の腕を優しく掴む。
「恵、くれぐれも海梨さんみたいに過去を変えないでね」
「もちろん、当たり前じゃない!」
信用できない言動は他人だろうと恋人だろうとするものなのだと、洋一はどうでもいい知識をまた一つ身につけた。
これにて一旦エピソードオブ人魚は中断されます。
次回から現在の話が再始動し、そしてエピソードオブ人魚に戻ります。




