306 遺跡――ERROR――
これから少し続く遺跡の話はプロローグ的な何かです。
神奈達四人は、全く内部調査されていないという古びた遺跡の前に立っていた。
壁も薄汚れ、八割方コケに覆われて緑になっている。遺跡の大きさはかなり大きく、目測で横に一キロメートル程の壁が伸びている。
冒険家が感じたという嫌な予感は今のところ誰も感じていない。それが吉と出るか凶と出るかまだ予測すら出来ない。
「ここからは白部君を頼りにしていいかしら」
「うん、任せて。こういう使い方をするのも初めてじゃないからさ」
洋一の瞳が茶から金に変わる。視界の全てを調査することが出来る固有魔法、〈解析〉を使用している証拠である。
遺跡の入口周辺を見ているのには理由があり、進行方向に罠がないか確かめているのだ。嫌な予感というのが罠に働いたのなら洋一の〈解析〉で全て見破ればいい。
呆然とする洋一が「これは……」と呟く。
彼の瞳に映る文字はシンプル――【ERROR】の五文字。
「こんなことは初めてだ……エラーだなんて……この建物を調べることができない。ごめん藤原さん、頼りにしてくれたのに力になれそうにない」
「……なら仕方ないわ。慎重に進みましょう」
そう告げて才華は先頭を歩いて先へと進む。
最後尾になってしまった洋一は遅れて車椅子を前に進ませる。その胸中では、本当にこれが初めてだったのかが引っ掛かってすぐに思い出していた。
(そうだ、初めてじゃない。僕は前にもあの表示を見たことがある。神谷さんだ、彼女を見たときにも同じことが起きていた。……偶然なのか?)
まだ伊世高校に入学して間もない頃、七不思議を解明しようとしているときに神奈を〈解析〉で視ようとしたことがあった。しかしその結果も【ERROR】という表示が出ただけで、何一つ分かることはなかった。
今一度試してみようと洋一は瞳を金色に変化させようとして――車椅子の座席端に置いてある桃色の本から止められる。
『止めておけ洋一。無理に視ようとするな』
声を直接脳内に送る念話。契約という繋がりがあるからこそ出来る芸当だ。
『ムゲン、どういう意味かな』
『お主の〈解析〉も万能ではない。強大すぎる力を無理に視ようとすればお主の目が爆発するぞ』
『この遺跡や神谷さんがそれ程に強大な何かを秘めているってこと?』
『詳しいことは余にも分からぬ。じゃが確かなことは一つ、この世には視てはならぬこともあるということじゃ。女性のスリーサイズじゃとか、他人の愚かすぎる夢じゃとかそういうことではなく、もっと世界の真理に触れるような……禁忌』
洋一はムゲンからの忠告を受けて神奈からゆっくり目を逸らす。
眼球が爆発するなどと言われれば視る気にはならないが、視線を逸らしたのはもっと常識的な考えの元だ。何を秘めていようと、他人を視るのは本来褒められたことではない。あくまでも自分の中の常識と照らし合わせて行動を決定したにすぎない。
「……今のところ、罠はなさそうだな」
自分に関して密談されていたなど考えもしない神奈は警戒しつつ足は止めない。
罠とされるような仕掛けは今まで作動していない。むしろどこかの金持ちの屋敷のような通路で進みやすく、とても危険な場所には思えなかった。
「そうね、こういった遺跡だと岩が転がってくる罠とか定番なんだけど。あとは大量の水が流れて押し戻されたり、どこかに閉じ込められたり」
「才華、実は期待してる?」
「……してないわ。あ、それよりも見て、分かれ道よ」
百メートル程進んでみても一本道だったが、この先は三つに道が分かれていた。右方、左方、前方、そして神奈達が通ってきた道と合わせれば見事な十字路になる。
「どうする? 右、左、前、どれに進む?」
「才華的にはどう?」
「……左、かしら」
別にどの道が正解なのかも分からないので適当に選ぶしかない。もしかしたら罠などではなく全ての道が先へ通じているのかもしれない。何かを疑ってしまう程、選ぶのに悩んで時間がかかってしまうものだ。
「パンダレイと白部君は?」
「人間は左に行きやすい心理があるというデータがあります。よって右かと」
「あ、それは聞いたことがあるな。確か右利きの人は左に進みやすいんだよね。……でもそれを踏まえて前に進んでもいいと思うな」
「見事に分かれたなあ……」
才華が左、パンダレイが右、洋一が前。一番手っ取り早いのは単独行動して全方向を調査することだが、そんなことをして誰かが迷いでもすれば大変なことになる。
「そういう神奈さんはどう進むべきだと思うの?」
「……白部君と同じで左かなあ。てかどう進んでも同じな気がしてきた」
「まあ一理あるわね。とりあえず……効率を考えて二手に分かれましょう」
「そうすると危なくないか? 地図とかもないんだから迷うかもしれないし。四人纏まって行動していた方が色々助け合えると思うんだけど」
「そんな意見も出ると思って用意した物があるわ」
背負っているリュックサックを一度地面に下ろし、中から才華が取り出したのは米粒並に小さい灰色の球体。見てもよく分からない物体なので神奈は「これは?」と才華に正体を確かめる。
「発信機よ。本当はGPSがよかったんだけど、生憎とここは電波が届かないのよね。だから電波を必要としない発信機を用意させてもらったわ」
「じゃあこれって何で位置情報が発信されるんだ?」
「分かりやすく言うなら生物の心音で作動して、人間には聞こえない超低周波音を放出するの。互いにそれを飛ばすことで大まかな位置情報を確認出来る……という話だわ。専門的な言葉が飛び交っていた説明で私も完璧に理解は出来なかったから詳しくないんだけど」
「よく分からないけど……やっぱ纏まってた方がいいんじゃないかな」
神奈の目線が下がって発信機から逸れる。
守りたいという想いが強いせいで別れることに納得がいかないのだ。本人さえも理解していない想いの強さがスムーズな選択を不可能としていた。
「でも私達は四人いるんだし、二手に分かれた方が手っ取り早く済むわ。何か道中で変わった物があったなら合流したときに報告してくれればいいし」
「それでも……目を離したくないんだ。一緒にいなきゃ……私は」
さすがに様子がおかしいのに気がついた才華は「……神奈さん?」と呟く。
一緒にいるというに拘り続けていては意見が対立するだけだ。才華が折れるのを待ってもいいが、洋一は待つだけでは事態を先送りにするだけだと思う。
「神谷さん、僕が藤原さんに同行するよ」
「でも……私が……」
「僕じゃあ不安かな? 一年もいかない付き合いだし信じられない?」
幼い子供に語りかけるかのように優しい声を洋一はかける。
「……いや、心強い……と思う」
「それなら決まりだね。神谷さんはパンダレイさんを見ていてあげてよ」
覇気のない返事だが「ああ、うん」と神奈は別れることに賛成した。……とはいえこれで神奈の心が元通りになったわけではないと洋一も分かっている。今はまだどうすることもできないと悟っているので内心悔しい気持ちで一杯だった。
「話は纏まったみたいね。それじゃあ話の流れからして私と白部君、神奈さんとパンダレイさんのペアで左右に進みましょう。もし調査が終了したら遺跡の入口で待っていてね」
神奈とパンダレイは左に。才華と洋一は右に。
別れて進もうとするときに神奈は口を開く。
「白部君、才華のことお願いね……」
「分かっているよ。こっちのことはあまり気にしなくていいさ」
「うん、ありがとう……」
神奈が礼を言ってから、二人組になってそれぞれ進むべき方向へ体を向ける。そして静かに左右の道を進み始めた――それぞれが不安を抱えて。