267 再会――数か月でも人は劇的に変化する――
七月二十日。二十一時丁度。藤原邸。
天体観測を行うと決まり、才華の家に都合のつく者のみが集まっている。
見晴らしのいい草原と見間違うほどに広い庭。そこに集まるは宝生小学校から才華と友達だった者や、別々の学校の生徒でも友達になれた者。今では同じ宝生高校に通う者達も十人以上いる。
「才華ちゃん! 今日は誘ってくれてありがとう!」
人一倍元気のいい声が、天体望遠鏡を設置していた才華の耳に届く。
秋野笑里。才華とは親友であり、よく神奈と一緒に遊んだりすることがある。最近では忙しいからか、色々都合の合わないことも多いが、三人が仲良しであることは変わらない。
「いいのよ笑里さん。むしろあなたがこういったことに興味があるとは思っていなかったわ。正直来てくれる人はあまりいないと思っていたから」
「うん、お星さまってきれいだよね! いつか私も行ってみたいなあ」
「今の技術じゃ遠くまで行けないからね。でもいつか、宇宙にある星々に人類が足を運ぶことも当たり前になるわ。技術の進歩のため、藤原の家は大量に投資しているの。今も日々技術は高まっていっているわ」
「へぇー、すごいんだねえ」
なお現在、地球には宇宙人が何十人も存在しているが、その事実を知るのは数少ない者達のみ。代表的な例として、トルバ人であるレイ、ディスト、グラヴィーの三人が宝生町に住んでいるのだが、彼らが宇宙人であると知っているのは深く関わった者くらいである。
もしかしたら宇宙旅行なんてものにも行けるかもしれない。そんな話をされた笑里は現実感が持てなかったので、何か分からないがすごい程度にしか思っていない。
二人が話していると、ワゴンカートを転がす音が聞こえ、徐々に大きくなる。
音が後ろで止まったので振り向けば、メイド服を着ている少女がワゴンカートに手をかけていて、穏やかな表情で口を開く。
「才華様、笑里様。軽いお食事を用意しましたので、もし小腹が空いたのなら遠慮なくお申しつけください」
メイドの正体は黄泉川三子。両親の死去を見かねた才華が引き取った、才華専属メイドとして働く少女だ。
艶のある黒い髪を結び、二つにして下ろしているおさげ髪。最初は失敗ばかりであった彼女も、現在は立派なメイドの一人として認められている。仕草や雰囲気が静かで、穏やかなメイドらしいものになっていた。
押されてきたワゴンカートには、油分少な目の胃に優しい料理が並んでいる。現在が夜であるがゆえの配慮で、胃もたれするようなものや、量が多すぎるものは作られていない。どちらかといえば野菜中心だが、笑里は美味しそうな料理の数々によだれを垂らす。
「お、美味しそう……。こ、これ頂戴!」
「この料理ですか? かしこまりました」
「ちょ、ちょっと笑里さん……よだれ、よだれ垂れてるから」
みっともなくよだれを口から垂らす笑里に呆れつつ、それが地面に零れないように、才華はポケットからハンカチを取り出して拭いておく。
まるで母娘のような状態に苦笑いしながら、三子は小型サンドイッチの乗る皿を手渡す。
よだれがなくなった笑里はサンドイッチにかぶりつく。真っ白いフワフワ触感のパン、それに挟まれるのはベーコン、レタス、トマトという定番の具材。王道ともいえるサンドイッチを通常の半分程のサイズにされ、食べやすいようになっている。
「おいひー! もう一個! もう一個頂戴!」
あっという間に口に全て運び、咀嚼して、食べ終わった笑里はもう一個と要求する。
「三子さん、もう行っていいわ。これ以上笑里さんが食べる前に別の人のところに持っていって」
「……そうですね。失礼します」
二人は笑里の腹部を見て、食べさせてはいけないと判断した。
「あー! どうして!? 私もっと食べたいのに!」
それはなぜか。目を向ければ一目瞭然。
――笑里の腹部が妙に膨らんでいたからである。
腹部が膨らむといえば妊娠だが、常識的に考えて笑里が妊婦になったなど考えられない。冷静な判断をするなら、食べ過ぎで前に出てしまっているというのが自然だ。
「だって笑里さん、お腹がバスケットボール入れてるみたいに大きいわよ? あなたいったいここに来るまでに何を食べてきたの?」
「えー? 別にちょっとラーメンを食べてきただけだよ」
「ちょっと食べたくらいでそんなに膨らむわけないでしょ。何杯食べてきたのかしら」
「ほ、本当にちょっとだよ! 二杯だけだもん! ……まあその前にカレーとかステーキとか食べちゃったけど」
「それはちょっとじゃないわよ! しかも食べ過ぎでしょう! 将来は大食いの選手にでもなるつもり!?」
ここに来るまでに食べてきたもの。季節の野菜入りカレー三人前。ステーキ二キログラム。海鮮丼四人前。味噌ラーメン一杯、塩ラーメン一杯。合計、笑里の腹に収まっているのは十キログラムを超えている。誰がどう考えても食べすぎである。
「うーん、それもアリかなあ。もちろん空手道場もやりながらだよ? でもほら、大食い選手ってお腹一杯食べられるんでしょ。それってすっごく幸せだなーなんて思ったりして」
「そ、そう……まあなりたいならなればいいと思う。たぶんなれるでしょうしね。でも、そんなに食べたら太ってしまうでしょう?」
「あ、それなら大丈夫!」
何を思ったか、笑里は大丈夫と抜かした。太っても気にしないと言っている。だが本人が気にしなくても、一緒にいる才華が気にするのだ。もちろんいくら太ろうが、いくら痩せようが、才華が見た目で友情を否定することはない。ただ、健康面での心配がのしかかるだけである。
全く気にしていない笑里はこのまま星を見る――かと思いきや力み始めた。
「えーい! 霊・鳥・化!」
「……は? ……え?」
緑色のオーラ、笑里の体から霊力が溢れ出し、背中に三対の天使の翼のようなものが勢いよく生える。それは緑色の羽で、天使の翼のような形をしているのに、どこか不気味なものに才華は思えた。
急に妙な技を繰り出す笑里に才華は困惑する。
困惑は終わらない。緑の翼が出てからすぐ、笑里の丸く膨らんだ腹部が――徐々にしぼみ始めたのだ。
明らかに不思議で目を疑いたくなる現象に、才華は何度も瞬きしたり、手で目を擦ったりしている。そして現実だと諦めたとき、笑里の羽は霧散して、腹部は全く膨らみのないスレンダーなものになっていた。
「ええええええええ!? ちょっと何その羨ましい技!?」
「えへへー、なんだかいっぱい力入れたら出来るようになったんだあ。これでいくらでも食べれるよ」
「いやおかしいでしょう! 食べた物はどこに行ったのよ! 胃の中にブラックホールでも作ったの!?」
「よく分かんないけど、これやるとお腹が戻るんだ」
本人が理解していないまま使用したのは、霊力の体内循環速度を高める技の一つ。
かの悪霊、藤堂零が使用した切り札でもある。それを笑里はあろうことか、本来一対である翼を三対にまで増やし、大幅にグレードアップさせていた。だが同時に技の影響でエネルギーを多く使用してしまうため、食べ物から得たエネルギーを消費して維持している。
結果として、笑里はこの技をダイエットによく使用するようになり、本来の効果を理解することなく宝の持ち腐れ状態になっている。
「はぁ……。ほんと、どこまでも不思議な人達なんだから……」
「そういえば才華ちゃん。神奈ちゃんは今日来るの? 私最近レインで話すだけで会ってないんだ」
「私も三か月くらい会ってないわ。丁度、高校入学前に一度会ったくらいね。でも今日は参加するって言ってたから、久し振りに会えるわよ」
二人が話していると、再びワゴンカートを押す音が近付いてくる。
今度は右から音がしているので、二人は導かれるように右を向く。すると当然の如く、ワゴンカートを押している三子が歩いて近付いてきていた。
「お二人共、どうやら神奈様がお見えになられたようです。この温かく強大な魔力は間違いありません」
「噂をすればなんとやらね。それにしても魔力とか霊力とか便利な力よね。誰かが来るのが分かったり、お腹も引っ込められるんだもの」
「お腹を、引っ込める……?」
何の話か分からないので三子は疑問符を浮かべる。
「ようやく会えるんだね! 迎えに行こうよ才華ちゃん! 三子ちゃんも!」
「私はいいけど、三子さんは仕事があるからダメね」
「はい、承知しています。というわけで申し訳ありません」
「むー、じゃあいいや! 二人で行こう!」
笑里は才華の手を取って走り出す。小走り程度なので、才華が置いて行かれるということもない。
久し振りに会える親友に二人はどこか嬉しくなって口元が緩み、走る速度は段々上がっていく。そうして二人は再会の距離を縮めていった。
* * *
藤原邸。天体観測が行われる本日、神奈と速人はソラシドを連れ訪れようとしていた。
事前に許可を貰っているのでインターホンを押す必要はない。巨大な門を開け、広大な庭へと侵入しようとする。
十メートルはあるだろう巨大門が、神奈の力で開いていく光景は新鮮なもの。速人に肩車されているソラシドは目を丸くして、偉業を成し遂げたかのように拍手した。
「おー、ははうえすごいね」
「ふっ、だろ?」
小さな手での拍手を聞き、神奈は気分がよくなってしたり顔になる。
一人だけ褒められて面白くないので速人は不満を露わにして、早口で自分もすごいことをアピールする。
「おい俺もあれぐらいできる。なんならあんな門殴り飛ばせるぞ」
「人様の家の門を殴り飛ばすなよ」
「ちちうえもすごーい」
褒められて気をよくした速人は得意げな表情を浮かべる。
「ふっ、だろ?」
「だろ? じゃねーよ! 絶対やんなよ!」
当たり前だが他人の家、たとえ友達の家だろうと、破壊行為は器物損壊罪になるので注意しなければならない。才華の場合は苦笑いで許してくれるだろうが、普通なら修理費用もかかるので許さない。
いつまでも門の前にいるのもおかしいので、とりあえず神奈達は草原のような庭に入る。
「神奈ちゃーん!」
「神奈さーん!」
入ってすぐ、遠くから笑里と才華の二人が神奈達の元に走って来る。
笑顔で駆けつけた二人に、久し振りに会ったことで神奈も笑みを零す。
「笑里、才華! なんかすごい久し振りな気がするな!」
「うん、すっごい久し振りだよ! だって三か月以上も会ってないもん!」
「レインでメッセージを送ったり、無料通話をしていたりはしたけど、やっぱりこうして会うのが一番ね」
「分かる分かる、顔見て話すのが一番だよな」
メールで文通のようなことはできる。電話で声を聞ける。でもやはり、友達と直接会うというのはいいことである。
笑顔で話している笑里と才華は、神奈と一緒に来た速人へも声を掛ける。
「隼君も久し振りだね。もう何年も会ってない気がするよ」
「そうよね、私も中学生になった以降会った記憶がないわ。もう三年以上かしら」
「ふん、もうそんなになるか。お前達の個性は強いから記憶が薄れんな」
意外にも速人は交流が少ない。ほぼ毎日修行していることも原因の一つだ。
平和な時間を過ごしていると、ソラシドが速人の髪の毛を結んで遊び出す。その様子を見て、事情を何一つ知らない笑里と才華は当然の問いを投げかける。
「その子はどうしたの? 子守りのアルバイトでも始めたの?」
「外国の血が強そうね。言葉は話せる?」
二人の好奇心からの問いに、速人は神奈に目配せする。
意図を察した神奈は緊張した様子でゆっくり頷く。
つまりソラシドのことを話すかどうかということ。神奈は来る前から気持ちを固めている。もう隠すことはない、驚かれるのは確かだろうがそれで友情に何か起こるわけではない。そう信じている。
正直に、何も包み隠さず、速人は事実を口にした。
「この子はソラシド。俺と神谷神奈の子供だ」
(おい待て、その言い方は誤解を招くだろ! それじゃあまるで、私達の愛の結晶ですみたいな言い方に……!)
「俺と……?」
「神奈ちゃんの……?」
一瞬何を言われたのか二人は分からず、理解が遅れる。
「子供……?」
二人揃って首を傾げる。
現実であると言葉を呑みこんだとき、どう思われるのか神奈はもう容易く想像できる。だからその前になんとしても、誤解を招くような言い方を訂正しなければと声を上げる。
「二人共、その子は――」
「えええええええええええええええ!」
訂正の前に、二人は速人の言葉の意味を理解してしまい、喉が裂けそうになるほどの大声で叫んだ。
「ど、どどどどどういうこと神奈さん! 子供って! 子供ってどういう……神奈さんの子供!? 産んだの? ねえ産んだの!?」
神奈は才華に肩を掴まれて揺さぶられる。
最近似たようなことがあったなと、神奈は呑気に考える。
「わあ、神奈ちゃんおめでとう。元気な男の子だね」
「そんなこと言っている場合じゃないでしょう、何を呑気に祝福してるのよ! この歳で子供を産むなんて非常識にもほどがあるわ! まだ高校生、十六歳なのよ! だいたいどうして何も言ってくれなかったの! あなたが選んだ道なら私達は受け入れたし、素直に報告してくれれば驚きはするけどおめでとうって言えたかもしれない。なのにこんな大事なことをどうして……。私達、友達でしょ……?」
誤解もここまでくると清々しいものだ。速人の言い方では誤解するなという方が無理ではあるが。
最初は突然の報告に驚愕、次になぜ今さらという怒り、そして最後に信じられていないのかという悲しみ。二転三転と才華の感情が変化する。
今では大事なことを隠されていたことを知り、悲しみとともに涙も溢れている。
子供が産まれたというのはそれだけ大事なことなのだ。しかしそれは誤解である。神奈としても、もし才華が同じように隠していたら同じようになると確信できるが、誤解でここまで言われてはたまったものではない。全ての元凶である速人に鋭い目を向けてから、顔も声も穏やかにして誤解を解こうとする。
「なあ才華、冷静に考えてくれ」
俯いて涙を溢れさせていた才華が顔を上げる。
「一つ、ソラシドの見た目は私達と似ていない。二つ、私が隼とそういうことをするわけがない。そしてなによりも三つ……もし本当に私に子供ができたら、大切な親友である才華達に教えないわけがない。隠し事なんてお前らにはしないさ」
涙が止まる。潤んだ目が丸くなり、才華は濡れている頬や目元を手で拭きとった。
ついさっきまで、自分は友達ではないのか、友達だと思っていたのは自分だけだったのかと思考していたのが途端にバカらしくなる。神奈に限ってそんなことがあるはずないと、夜風で頭が冷えた才華は結論を出す。
「……そうね、冷静になってみるとありえないわ。あなたは私の親友だもの」
「え? 神奈ちゃんの子供じゃないの?」
「お前はいい加減に気付けよ」
何も分かっていない笑里に、神奈は呆れたようなジト目を向ける。
「うん、ごめんなさい取り乱して。もう冷静だわ。……ふふ、こういうのも私達っぽくていいのかも」
思い返せば神奈達はいつも騒がしい日常を過ごしていた。ついさっきの動揺や叫び、まさにいつも通りだっただろう。
変わっていない自分達を認識し、才華は小さな笑い声を零した。
シリアス「そろそろ出番か」
日常「黙れ! 私はまだ死なんぞ!」
ギャグ「その通り、我々は永遠に不滅よ!」
シリアス「くっ、次回こそは……次回こそは俺が支配してやるぞ!」
腕輪「……いやぁ、話的に無理じゃないですかね?」




