264 依頼――はじめてのおつかい――
盆栽や小池がある隼家の庭にて、見た目一歳児のソラシドは元気に走り回っている。
時々転んでは立ち上がり再び走り出す。杭のように地面に打ち込まれている丸太の上を跳んだり、時には逆立ちしたりしながら動き回る。
そんな元気に笑顔で走り回るソラシドを見て、縁側に座る神奈は同じく隣に座る速人に話しかける。
「なあ、あの障害物みたいなのはなんだ? 昨日までなかった気がするんだけど」
昨日といえば神奈とソラシドの関係が洋一と恵にもバレてしまっている。
事情がバレたとはいえ、やはり隠し続けることに忌避感を持っていた神奈はそのまま流れ的に話した。
正気を疑うような言動だったが洋一達二人は最終的に信じ、何かあったら力になると約束する。いい友人を持ったなと神奈は思いつつ、隠していたことが原因の体の重さやストレスは解消された。
「今朝作った即席アスレチックだ」
「ソラシドが楽しめるように?」
「いや、あいつは順当にいけば俺達隼家の養子。つまり戦闘のプロでなければいけない」
「あ、そういう理由ね」
隼家は殺し屋の家系。毒などを用いた暗殺という方法もあるが、多少の戦闘ができなければ長くは生きられない。速人は速人なりにソラシドのことを想い、小さいうちから鍛えておこうと即席アスレチックを作成していた。
殺し屋ということを神奈も分かっているので何も言うことはない。
「そういえば子供は養子じゃダメだったんじゃないのか? 私的にはそれでいいならありがたいんだけど」
「もちろん養子ではダメだが、それは他に子供がいない場合だ。俺の弟妹のことを忘れるな」
血を残すということに特別な意味を持つ隼家。彼らが血を残せる可能性がある者は四人のみ。
一人は説明不要の速人。二人目は少し年齢が高いが子供は一応産める冬美。三人目と四人目は速人の弟妹、弟の蘭兎、妹の兎化。母親であることと年齢的な面から冬美は実質いないようなもので、子孫を残せるのは三人。速人の他にあと二人もいる。
「……なるほど、弟に妹か。冷静に考えれば跡継ぎは他にいる。私達が結婚することはもう決まっちゃったようなものだけど、無理して子供を作る必要はないのか」
「まあ、それもあいつらが子供を作ればの話だがな。兎化は活発だがアホだし、蘭兎は優等生を無理に演じているせいで逆に近寄りづらい。二人とも恋愛関係の話など全くない。母さんがお前との子作りを進めたのは少しでも確実に子孫を残すためだろう」
「頑張ってもらわなきゃな、あいつらに」
「本当にな。お前との子作りなど死んでも嫌だからな」
「ははは、私の台詞だよ」
笑みは浮かべていても神奈の目は全く笑っていない。
二人の会話を気にもせず、ソラシドは地面に刺さっている丸太の上に立ち、一番近い丸太の上に飛び移る。何度も何度もそれを続けて成功させていく。
「……この結婚は私にとって試練だ。そしてそんな試練はいつでも突然やってくる。だからソラシドにも試練を与えよう、厳しめのな」
神奈は立ち上がると部屋の中に一人歩いて行く。そんな不可解な行動に速人は部屋の中へと視線を送る。
そのとき、ソラシドは丸太から落ちそうになり――白い一対の翼を背に顕現させて落下を防ぐ。
白い翼を羽ばたかせ、ゆっくりと地面に降り立つソラシドはまさに天使。シルクのように白い翼はすぐに仕舞われる。そんな不思議な光景を見ることなく神奈は部屋の中心まで歩くと振り返り、大きな声で試練の内容を言い放つ。
「これくらいの歳に経験するだろう……はじめてのおつかい!」
「はじめての……おつかい……!」
速人は戦慄する。そこまで厳しい試練を神奈が与えるというのが予想外だったのだ。
「バカな、無茶だ! そんな高難度なことをこなせるようになるにはあと四年はいる!」
「それが試練だ! 私達はソラシドを鍛えるんだろ! ならこれもできるようにならなきゃダメなことだ。確かに厳しい試練だとは私も思う。まだ幼いソラシドが一人で買い物なんて死ぬかもしれない。でもそんな危機に陥ったときは私達が助ければいい。違うか?」
「くっ……! これも修行か……!」
どこか茶番のような会話に腕輪は呆れる。
本来なら一歳児の見た目をしているソラシドにできないわけではない。難しいこととはいえ、ここまで思い詰める必要などない。交通事故の危険性があるとしても死ぬというのはもはや妄想だ。
「お二人共、別におつかいくらい行けると思いますよ。なんか過保護すぎやしません?」
「馬鹿野郎!」
勢いよく神奈は腕輪を床に投げつける。
「ちょっと酷くな――」
「酷いのはお前だ! たかがおつかいとか思って甘く見るなよ! 確実に安全に行くには中学生くらいにはならなきゃいけないくらいだぞ!」
一見めちゃくちゃな発言に速人が同意する。
「その通りだ、おつかいを安全にするには保護者の同伴は必須。戦闘力が三百くらいあれば問題はないだろうがな」
「保護者同伴だったら付き添いですし、戦闘力三百あったら軍人よりも強いですよ! ちょっと今の本当なら神奈さんの台詞でしょ!? なんでツッコミからボケに回っているんですか!?」
「全くの同意見だからだよ」
「うそでしょう!?」
二人と一個の会話の内容を理解することなく、ソラシドはただ首を傾げた。
* * * * * * * * * *
一人の幼児が人通りの少ない住宅街を歩く。その後ろで曲がり角や障害物に隠れながら、二人の男女が尾行している。
十分前。ソラシドは神奈から一枚のメモを受け取り、買い物に行くよう指示された。といってもそんなものを渡されても字を読めないので意味はない。言葉自体は分かるので自分が何をするよう言われたのかは理解している。
「今のところ異常はないな」
「この辺りは車も来ないしな」
神奈と速人はバレないように後をつける。ときどきソラシドが後ろを振り向いたが、その瞬間には隠れて様子を窺う。
「いや異常ありでしょう。車が来なくても不審者がここにいますし」
腕輪の正論に何も返せない……いつもならばの話だ。
今の神奈達は親バカとも呼べるほどおかしくなっている。傍から見れば児童を尾行しているとして通報されても文句は言えない。
「うるさいぞ。確かに怪しいかもしれないけど、これもソラシドを守るためだ」
「安心しろ、不審者が現れたなら俺が斬り殺す」
「不審者ここにいますううう!」
そんな会話をしているうちに、ソラシドが立ち止まった。
複雑な道ではないので迷いはしないだろうと神奈達は思う。ゆえに何かアクシデントがあったか、曲がり角から顔だけを出して様子を窺う。
「お前……確か神谷と隼の」
白衣を纏う霧雨和樹が正面に現れた。
もう会うのは三回目なので、ソラシドも霧雨も互いのことを忘れているはずもない。
「一人か? 全くあいつら、面倒を見ているとか言っておいて……しょうがない奴らだな」
「しょうがない?」
周囲を見渡す霧雨だが、隠れているので神奈達を発見することは叶わない。もしかしたら近くにいるかもと思っての行動だったのだが、実際に近くにいても見つけられなければいないのと同義だ。
「迷子かもしれないか。とりあえずお前の家に送っていくから、俺の手に掴ま――」
「おつかい途中だから送っていくな!」
「があっ!?」
突如、霧雨の顔面に紫に光る光球が直撃して爆発した。
もちろん神奈が放ったもので、非道な行為を恥じるわけでもなくホッと胸を撫で下ろす。
衝撃で脳が揺さぶられ、霧雨は訳も分からず気絶して地面に倒れる。
「……よし」
「よし、じゃないですよ何してるんですか神奈さん!」
「おつかいの邪魔をされるわけにはいかないだろ? 大丈夫だ、手加減はすごくしてる」
「手加減ありなしの問題ですか!? ソラシドさんすごい混乱してますけど!?」
いきなりの爆発にソラシドは目を丸くして固まる。
数秒硬直した後でようやく動き出し、気絶して倒れている霧雨の傍に寄って指でつつく。
「だいじょうぶ?」
当然大丈夫ではない。
手加減されたとはいえ、衝撃で気絶するほどのダメージを受けて無事なわけがない。もしも威力の調整を間違えたなら木端微塵に体が弾け飛んでいた。
数回指でつついても霧雨は起きない。ソラシドがもう諦めようかと思い始めたとき、新たな来訪者が現れる。
霧雨がやってきた方向とは反対から、獅子のたてがみのような髪型をした男が歩いてきた。
「あ? んだこりゃ、まさかお前がやったのか?」
その男、獅子神は状況を勘違いしてしまった。
実際のところ、その場にはソラシドと気絶している霧雨しかいないので、まだ幼い子供が強いなどという勘違いをしてもおかしくはない。だが常識的な判断をするなら幼児が高校生を気絶させたなど考えはしないだろう。
「へっへっへ、いいねえいいねえ。久しぶりに血が騒ぐ、沸騰するように熱く! 俺と戦えガキ!」
「なんで?」
「いいから戦えや! 来ねえならこっちからいくぜオラアアブハッ!?」
またしても、紫の光球が爆発を起こす。今度の威力は先程より圧倒的に強く、吹き飛ばされた獅子神は近くの電柱に頭を打ちつけて気絶した。
紫に光る魔力弾を放ったのはもちろん神奈であり、ソラシドは二度目の異常に驚愕して後退りする。
「どうなって……」
「ねっみいなあ……ってなんだこりゃ!? がはっ!?」
恐ろしく速い魔力弾が、偶然歩いてきた金髪の不良のような男に直撃して爆発する。
当然のように気絶した男を見て、ソラシドは恐怖で叫びながら走り出す。
「うわああああ!」
「いや最後! 最後の日野さん! 明らかに何もしてないのに!」
走り去るソラシドを見失わないように、神奈達は倒れる男達を無視して走り出す。
それから通りすがりの男性が驚きながらも救急車を呼ぶ事態になることは、その状況を作り出した人間が一生知ることはない。
神奈&速人「子供を守るのは親の役目だ」
腕輪「それも限度があると思います!」




