28 言語――通訳は大事――
ついにエクエスは地球の近くにまでやってきていた。
その証拠に強大な魔力が向かってきているのをレイは感知している。
(まさか星の外からでも感じられる程の魔力なんて……予想外だな)
あと一時間程で地球に入る。軌道を計算すると場所はレイ達の宇宙船がある山の近くであった。
ようやく来た決戦のとき。家にいたレイは椅子から立ち上がって、近くの二人に声をかける。
「ディスト、グラヴィー、準備はいいかな?」
緊張感のないように見えるよう振る舞っている二人。
ディストは持っていた家庭用ゲーム機を停止させ、グラヴィーは見ていた携帯を操作してから電源を落とす。そうやって緊張していないように見せても、体の微弱な震えは誤魔化せない。
「問題はない」
「ああ、いつでも構わない」
「……よし、行こう」
レイはレイ自身のけじめをつけなければいけないと考える。そのために神奈の手は借りないし、事情を知らせることなく迷惑もかけない。
地球を守るのは当然として、これまで侵略してきた星々のためにも、レイ達はここでトルバと決別するためにも勝たなければならない。
「……行こう、最強に挑みに」
そうしてレイ達は走り出して目的地に辿り着く。
山の近く、緑の木々があっても整備されていない地面。人が滅多に通らないだろうことはむしろレイ達に都合がいい。
「……ついに来たか。既に連絡はした、必ず来いよ? 来るよな? 奴はレイのことが気に入ってるみたいだし来るだろうな……たぶん」
小声で何かグラヴィーが言っていたが、レイはきっと気持ちを落ち着けているんだろうとそっとしておいた。
そして気持ちを落ち着けるのはいいが現在問題が一つある。
「あと四十分か……暇だな」
――レイ達は少し早く着きすぎた。
軌道と到着の計算した時間よりかなり早く目的地に着いてしまっている。
どれだけ待ったことだろう。あと十五分になりはしたが長すぎる。……もうレイ達は同じ姿勢で二十分以上待っている。レイの後ろではグラヴィーとディストが、さすがに暇だからかしりとりをして遊んでいる。
「もう少し緊張感を大事にしないかい?」
「いや、暇だったからついな……」
「なんで僕達はしりとりをやっちゃダメなんだ。緊張を解すためだしいいだろう? 別にまだ十分以上あるんだ」
「……だからってこのままやり続けるのもな。あと五分くらいで終わりにするか」
ディストが首を捻りながら難しい顔をして、終了させるのを宣言する。
その会話にレイは何か違和感を抱く。普通に聞き流していればまず気付かないような、些細な違和感が確かにある。
「回答に詰まっている時点でもはや僕の勝ちは揺るがないがな」
「なっ、まだ勝負は分からんぞ」
「会話が繋がってる! しりとりってそういう遊び方!? ……まあ止めてくれるのならいいんだけどっ……! ものすごいスピードでこちらに向かってくる者がいる。まさか、いやエクエスではない。彼の反応は未だ宇宙だ、ならいったい誰だ……!」
誰かが高速で近づいてくるのを感じ取りレイが背後を確認する。その眼にここにいてはいけない人間が映った。
内緒にしていたはずなのに、何も知らないはずなのに、どうしてこの場所に来るのかとレイは戸惑いの表情を浮かべる。
(どうして……内緒にしていたのに、どうしてここにいるんだ神奈……!)
「……やっと! 見つけたぞ!」
「神奈……なんでここに君が――」
「そんなのどうでもいい! お前な、なに三人でこの星の運命抱え込んでんだよ! もっと困ってるなら相談しろよ、私達は友達だろうが!」
口ぶりからエクエスのことは知られているとレイは悟る。
神奈が来てしまった以上全てを話そうかと考えるが、それはまだ尚早な考えだと頭を横に振る。
レイは神奈のおかげで生まれ故郷を裏切る覚悟を手に入れた。そのために酷い傷を負っている状態の彼女を好き放題攻撃したのは、まだ精神的に苦しい過去である。彼女がそこまでしてくれたのだから今の、地球を守るために戦おうとするレイがいる。
もう十分に迷惑を掛けている。レイは神奈をこれ以上、トルバの事情に巻き込みたくない。
「なぜ知っているのかはこの際いいよ。でも僕は君に迷惑を掛けたく――」
「友達が困って相談することを、迷惑だなんて突っぱねないに決まってるだろ。勝手に一人で、じゃなくて三人で、この星の運命握んなよほんとうに……」
神奈は悲しそうな顔をしていて、段々と声が沈んでいく。
(そうか……迷惑じゃない、か)
関わらせたくないというのは、神奈を想ってのことだとレイは思っていた。
しかしもしかすれば、神奈を関わらせたくないというのは自分のためだったのかもしれない。これ以上神奈が傷付くのを見たくないから、もうこちらの事情で傷つける側になりたくないから、レイは戦わせたくなかったのかもしれない。
改めて気持ちを整理すれば見えてくるものもある。
「ありがとう、そしてごめん。でもどうして君がここに?」
「グラヴィーに全部聞いたんだよ。ていうかグラヴィーお前、場所の画像を添付するとか送っておきながら添付しわすれてたからな! そのせいでどんだけ走り回ったと思ってんだよ!」
すでに迷惑はかけていた。レイではなく、主にグラヴィーが。
「……グラヴィー」
「む、なんだレイ」
レイは短く犯人の名前を呼び睨みつけるが、グラヴィーは悪気などなく平然としている。その様子にため息を吐き、責めるような視線を止めることにした。
「勝手なことをしたのには文句を言いたいけれど、今回だけは許すよ。けど次はないからね」
「誰かさんが無謀な戦いに挑もうとしているから、勝たせようとしただけだ」
「……君は」
勝てない。そう言っているのかと問いかけることはレイにできなかった。
修行したレイ達三人でも勝つことが出来ないのか。そう問いたくても、今までの努力を否定する答えを返されるのを恐ろしく思う。
そしてレイが次に口を開いた瞬間――ディストが大声をあげた。
「おい話してる場合じゃないぞ! もう宇宙船がこっちに来た!」
「……あれが」
空高く、遠くに見える物体は一人用の宇宙船だ。
小型船で、機能などはいたってシンプル、乗り心地は良いと評判の高級品である。平行四辺形のような形をしているそれはゆっくりと地上に降りてきて、音もなく静かに着陸する。
レイ達が緊張しつつそれを注視していると、扉が開き、一人の高身長の男が出てきた。
灰色の短髪。まるで肉食獣のような獲物を狙う目。身長が約二メートル以上あるので、その高さから見下ろされると妙な威圧感を相手に与える。さらに何者をも寄せ付けまいと全身から溢れ出ている殺気。それにはレイ達全員が僅かに竦んでしまう。
(あれがエクエスか。なんて強大な魔力だ……こんなに凄いとは思わなかった。なるほど、これを知っていたとしたらグラヴィーやディストが勝てないと思うのも当然だ)
周囲を見渡すエクエスがレイ達の方を向く。
視界に入ったようで、すぐにトルバの言葉で話しかけてくる。
「お前達がトルバの戦士だな? 顔写真で見た通りだ、間違ってはいないな。なぜなにも連絡をしなかった。もう本部ではお前たちのことを死者とみなして処理している。だが生きて帰ればまだ戦士を名乗れるぞ。さあ早くこの星を侵略しろ、手始めにこの国を手に入れてこい」
トルバにおいては戦士というのが一番誇らしい称号。
レイは幼い時から戦いが好きではなかった。戦士という言葉が重かった。侵略なんていう仕事にも嫌気がさしていた。それに気付かせてくれたのは、決心させてくれたのは紛れもなく隣にいる少女だ。
「……悪いけど、断るよ」
こうして冷や汗を流しながらも、勇気を出して抵抗できるのは――神奈のおかげだ。
まさか断られると思っていなかったのか、エクエスは多少の驚きを見せる。
「……なに?」
「断ると言ったんだ!」
「……この星に情でも抱いたか。侵略者として風上にも置けんな」
もうレイは侵略者ではない。今のレイはこの星を守るための……いや、一人の少女が大事にするものを守る男なのだ。
「ここで君を倒す、そのために僕らはここに来た!」
「……ふむ、おいそこにいる女」
なぜかエクエスは神奈に話しかけていた。
いったい何が狙いなのかと、レイは警戒しながら見守ることにする。
* * *
「ktwrtittnd!」
「……knhsnjudmditk。snryksytstkzkmnmoknn」
エクエスがレイと話しているのだが、会話全てが日本語ではなくトルバの言葉。
到底神奈には理解することができず、言語が通じていないのが一人なのでアウェー感が半端ない。
何を言っているのか知るために、神奈はグラヴィーに通訳してもらうことにした。
「ていうかてっきり私はお前らの国も日本語なのかなって思ってたんだけど」
「そんなわけないだろう、国同士でさえ言語が違うのに、星同士で一緒なんてことはありえない。僕達はたまたまこの日本に降りたから日本語を習得したに過ぎない」
「そんなすぐに習得できるのか?」
神奈が覚えている言語など日本語くらいだ。英語なんて挨拶くらいしか覚えていない。その他の言語なんてほとんど知らない。
「ああ、真面目に勉強すればだいたい一日で一つの言語をマスターできる。僕達はこの星の言語をすでに三つ程習得している。一つ目は日本語、二つ目は英語、三つめはサンスクリット語だ」
「サンスクリット語っている!? てかどこの国の言葉だよ聞いたことないぞ!」
「それは……ん?」
「……hm、oisknironn」
何を言っているのか分からないが、神奈はエクエスの言葉が自分に向いていることだけ分かる。シリアスな雰囲気だから理解したいので、グラヴィーに翻訳を願う。
「おい、そこにいる女と言っている」
「あれでそう言ってんのか、全く分からん」
英語のようにも聞こえるし、全く意味がない言葉の羅列にも聞こえる。聞いているだけで頭痛がするような言語である。
「ksmntugnzkknir? ksmhknhsnjnindru、knkinihzd」
「この星の人間で、関係がないはずの貴様は何故ここにいると言っている」
「え、お、おう。そんなのがお前に関係あるのか? てかこの星を侵略するっていうなら無関係じゃないだろ。私はお前をぶっ飛ばしに来たんだからな」
戸惑いながら口にした神奈の言葉をグラヴィーが翻訳して伝える。
「omewbtbstmdtknonnhitir」
「knorwbtbsdt? hwrenijudnd」
「笑えない冗談だと言っている」
「言ってろよ、私は本気だ。ってか面倒だなこの通訳!」
いちいち通訳をはさまなければいけないので会話がスムーズに進まない。これでは会話しているうちに日が暮れる。
「itrywtshhnkdttkmndudnkntuyktitir」
「hu? tsknhbndn……knormknhsngngwsyutksrtsrk」
「なに?」
エクエスの言葉を聞いて、グラヴィーのみならず他の二人も驚いている。神奈だけは何も分からないので通訳してもらわなければ驚きようがない。
「なんて言ったんだ?」
「この星の言語をこの場で習得するつもりらしい……」
「なっ、そんなこと出来るのか!?」
先程トルバ人が言語を習得するのに、グラヴィーは一日かかると告げている。それを今すぐに習得するというのだから驚くのは当然。自分達よりも遥かに、どの分野でも格上であると告げられたも同然である。
「aーahーアー、あ、あ、あ、あっとこれで通じているか」
「マジで習得しやがったよおい」
「あっさりと……」
「へ、へえ、トルバ人ってこんな簡単に言語取得できるんだなあ。もうこれ通訳の仕事とか、最適なんじゃないの? 侵略とかやめようぜ」
神奈とて目前の男に多少恐怖を覚えていた。声も上擦っておかしくなっている。
今まで会った中で圧倒的強者。誰も寄せ付けないほどの最強。
もし戦わなくていいなら神奈も戦いたくない。相手を想ってではなく自分自身の安全を考慮して。
「ふむ、どうやら問題ないらしいな。さて、お前はこの俺をぶっ飛ばすつもりらしいが……なるほど、改めて見れば分かる。お前は強いな……俺の次に」
「随分と自信家じゃんかよ。そういうやつに限って、実は大したことないんだよなあ」
「……どうかな。俺は本気を出せばこの星の文明を数秒で滅ぼせる。それはお前も同じかもしれんが……戦って勝てるかという問題ではない。俺とお前が戦いだした時点でこの星が滅ぶ」
「えっと、どうすりゃいいんだそれ」
滅茶苦茶なことを言っているが、エクエスの言うことには現実味がある。
これまで神奈が本気を出したことはない。異世界行ったら本気を出すのではなく、転生前でしか本気を出していない。もしも全力で拳を振るえば、蹴りを放てば、魔力弾を撃ち出せば、いったいどうなってしまうのか神奈は怖かったのだ。
つまり知らない。全力で動いたとして、本当に文明が滅びるほどの影響を及ぼすのか。否定できる材料が何一つない。
「それについては問題ない。僕達は元から地球で戦うつもりじゃなかったんだ。被害を出さないために他の、遥か彼方の無人の星で戦うことにしていた」
レイの言葉にエクエスは「ほう?」と興味深そうに返す。
「いや他の星ってどうやって行くんだよ? まさか宇宙船で?」
「違うさ。魔技、星間移動を使うんだ」
「……もうなんでもありだなそれ」
魔技は魔力の応用技術みたいなもの。そう神奈は聞いていたのだが、明らかに魔力だけでどうこうなるようなレベルではない。星を移動するなど、どうやったら魔力だけで出来るというのか。
レイ曰く誰でも出来ると断言していても、神奈には全く出来る気がしない。
「戦いはいつでも構わない。俺だってこの星を破壊したくはない。知能ある生物がいなければ取引は成立しないからな」
「……それじゃあディストにグラヴィー、それに神奈とエクエスもついてきてくれ」
「いや、二人はここに残ってくれ」
神奈は逆にグラヴィーとディストに残れと願う。
ただ戦力を減らすだけの無意味な選択に、レイは「神奈?」と呟き不思議そうな顔をしている。
もちろん神奈にも考えがある。
グラヴィーとディストは能力的に劣っている。厳しく言葉にするのなら足手まといなのだ。
このエクエス、序列一位ということからレイより強いのは明白。そもそも魔力と殺気から神奈でさえ勝てるか怪しいと思うほどである。そこにレイ一人にすら勝てない二人が加わったところで、補助すらできずに殺されるのがオチだ。
できればこの戦いで死者を出したくないと神奈は思う。
二人が死んでしまえばレイが悲しむだろう。そんな未来にしないために、神奈は確実に犠牲を減らそうとしていた。
「なぜだ、俺たちは確かに実力で劣るが、わざわざ数の利を捨てる気か!」
「いや、数なら別にレイと私で二人だからいい。お前達はここに残って、もしもの時の為に備えていてくれ」
「……ディスト、僕は残るぞ」
グラヴィーが神奈と目を合わせてからそう告げた。
勝てないと分かっているのだ。神奈に知らせてくれたのはグラヴィーだった、たとえ修行した三人でも勝てないと思ったから相談してくれたんだろうと神奈は推測する。
「本当は気付いているだろう。奴にとって数の利なんて大した意味はない。確かに協力して戦った方が少しは有利かもしれない、しかし僕達が行ったところで戦闘についていけないだろう。レベルが違いすぎるんだ、こいつらとは」
「それは……くそっ……レイ、ついでに神谷神奈。必ず生きて帰ってこい」
「私はついでかよ」
「もう別れは済んだか? 後悔はないようにした方がいい。なにせ、もう会うことはないだろうからな」
話がまとまったのを見計らいエクエスが会話に割って入る。
「勝手に言ってろよ、レイ!」
「うん、星間移動!」
レイがその技を発動したとき、突然何もないところに暗闇が出現する。
暗闇は渦を巻いていて、ものすごく薄い円盤のようだった。それは星間移動のゲート。これを潜ることで星を移動できるのだと神奈も悟る。
「行くぞ!」
神奈、レイ、エクエスの三人がゲートを潜る。
一瞬の暗闇の中から出ると、そこは先程までとはもう別の場所であった。
大地が荒廃し、自然の緑などなく、空は紫というもはや死んだ星。ここには生物など存在せず、思いっきり暴れられる数少ない場所の一つ。
神奈達から少し離れたところにエクエスは歩いていく。
戦士として一応堂々と戦う気があるのだ。いきなり戦闘を始められたら神奈でも怖すぎるので、その方がありがたい。
「さて、始めようか。一方的な蹂躙を」
二対一ではあるが向かい合う。
運命の決戦は今、始まろうとしていた。




