252 一番――気付いた――
甘いです、注意してください。もしもそんな感じのが苦手ならばこの話の最後辺りまで飛ばしてください。
全ての戦闘が終了して宴会場は一気に静かになった。
光司を倒したのは洋一でも明日香でもない。蔑ろにしていた道具というものが命あるまま屍のようにするという結果に終わった。
静かな宴会場で高い女性の声が一番に響き渡る。
「よ、洋一、大丈夫? け、怪我とか、ない?」
壁際で全てを見ていた恵が不安そうに瞳を揺らして、洋一に慌てて駆けつけたい衝動を抑えてゆっくりと歩いて行く。
戦いの最中、洋一の義足が外れるのを初めて見た。二年近く一緒にいる恵だが、そもそも誰かと戦うなどということなどほぼなかったのだ。負荷を掛けすぎれば自動で外れてくれる義足だとはいえ心配になってしまうのも無理はない。
「恵……うん、大丈夫。ああでも骨にヒビが入ってるかも……後で病院に行くよ」
「そんな、そんな怪我までして……どうして……ううん、洋一なら来ちゃうよね。だって洋一なんだもん」
「どういう意味なのか是非聞きたいけれど、その前に話しておきたいことがあるんだ」
「ではその前に私は帰りましょう。神谷さん、速人はどうしたんです?」
「帰りましたよ。まあ主謀者があのザマじゃ婚約の件はなくなったも同然だし、また学校で会えますよ。それにしてもダメイドのやつ戻ってこないな……どんだけ遠くまで行ったんだ」
ずっと頭を抱えながらうずくまったまま動かない光司に目をやり、神奈は涼しい顔をして答える。それに頷いた明日香は木刀をいつもなら腰にある鞘に収めようとして、急いだため忘れていることに気付き結局手に持ったまま神奈と一緒に歩いて入口に向かう。
お礼を言おうと思っていたのに出ていく二人を恵は止めることができなかった。手を伸ばそうとするも動かない。洋一の真剣な瞳に射抜かれて、言葉を発することも行動することもうまくできずにいた。
「夢でした話の続きをしよう」
「……いや」
絞り出せた言葉はそれだけだ。その一言だけで恵は明確な拒絶という今の気持ちを表している。
聞きたくない。答えが分かりきっているからこそ、決めつけてしまっているからこそ恵はそうとしか思えない。
「君は言ったよね。散々付きまとっていた自分が好かれるわけがない、そう言っていたよね?」
「うんそうだよ、だってそれが現実でしょ? この世界のどこにストーカーされ続けてもその相手のことを嫌わない人間がいるのよ」
「ここにいるよ。少なくとも一人、ここにいる」
自虐的な笑みを見せる恵の問いに、洋一は真剣な答えを口にした。
「どういう、こと?」
「だいぶ、気付くのが遅くなってしまった。僕は君が好きなんだ」
「……友達として?」
「……女性としてだよ」
混乱するしかなかった。恵の頭の中では「好きなんだ」という言葉が繰り返されて、聞けばすぐに分かるはずの言葉でも理解するのに数秒を要した。
女性として鷲本恵が好きというのが洋一の出した結論だった。求めていたはずの答えなのに、恵が疑ってしまうのは急すぎたからというのもあるだろう。それでも、いくら疑ったとしても、たとえ偽りの言葉だったとしても小躍りしたいくらいには嬉しかった。表情に出さないのはやはり知っているからだろう……洋一の好きな女性は自分ではない。それを知っているんだと恵は答えを決めつけていた。
「嘘だよ」
喜んでくれると思っていた洋一はまさか否定が飛んでくるとは思っていなかったので目を丸くする。しかし夢で会ったときの会話を思い出せばおかしくはないかと納得した。
「だって洋一にはムゲンちゃんがいる。それにあのオレンジ髪の可愛い女の子も。……私が入り込む隙間なんて、どこにもっ、ないよ……洋一の一番はもう埋まってるじゃない……!」
痛い。体のどこにも怪我はないのに、まるで針で刺されたかのように胸が痛んだ。恵は自分で言っておいて、自分から諦めておいてどうしてこんなに痛いのかと自問自答する。
――諦めたからといって、洋一のことを好きなことに変わりはない。
好きだからこその痛みなのだ。肉体的ではなく精神的な痛みだ。恵が堪えていた涙はもう止まってくれない。
「それなんだけどね。確かに僕の一番は埋まっている、でもそれにどうして君がいないなんて決めつけるのさ。ムゲンは僕の理解者で相棒だし、笑里は最高の友達だと思ってる。二人とも確かに一番というに相応しいよ。だから……ああ、察してくれないのかな。いつもなら妄想とはいえそういう思考になってくれるじゃないか」
「照れるな洋一、きっぱりと言ってしまえ」
「ム、ムゲン……いやでもこれ覚悟してた以上に恥ずかしくて」
「なんなの……? 早く、言うなら早く、はっきり言ってよ……私のことなんて本当は」
心の痛みが止まらない。恵が耐えることも難しくなってきていた。早く終わらせたいと、終わりにしてほしいと切実に願う。
「ああもう、言うよ、はっきり言う」
観念したかのように洋一は目を閉じて、深呼吸して精神を落ち着ける。まだ精神安定の魔法は掛かっているのに落ち着くのには何秒もかかってしまう。
目を開けて、洋一は覚悟を決めて恵のことを真っすぐ見つめながら告げた。
「――恵、君のことが僕は好きなんだ」
恵はハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。もちろん実際にダメージがあるわけではなく、心底驚愕しているだけだ。
「かなり前から僕は恵のことが好きだったんだと思う。君に会えると思っていたのに、会えるのが当たり前だと思っていたのに会えなかったとき……心が沈んだ。僕のことを好きだとは知っていた、けれど迷ってしまったんだ。初めて会ったときに落ちこんでいた君を励まして、弱っていた心を利用して友達になった。そんな僕が君の好意に甘えてしまっていいのかと、ずっと迷った結果が今なんだ。これは恋愛感情だと自覚するのに時間がかかったけど、もう分かったから迷わない」
瞳が大きく揺れ、はっきりと言われたことで頬だけでなく顔全体が紅潮した。
真実か嘘か。どちらでも嬉しいし、洋一がこういう時に嘘を吐かないのは二年以上の付き合いで分かる。だからこそ信じられずに目が丸くなって口を魚のようにパクパクとすることしかできない。
しばらく経ち、紅潮は頬だけになり、女性らしい柔らかい笑みを浮かべて言葉を発する。
「う、嬉しい。正直になっちゃえば今ここで跳び回って、叫んで、抱き着いて、押し倒して、キスして、そのまま流れ的に最後までしたいって思っちゃった」
「今までの君を知っているから本気そうで怖いな……できれば叫ぶ、いや抱きつくまでにしてほしいんだけど」
「ううん、やらないよ。ねえ洋一、それじゃあ私は一番なの?」
「うん、僕が初めて女性として好きになったんだ。紛れもなく一番だよ。君が付きまとっていたことを悪だと思っても、僕にとっては心の傷を癒やしてくれた善なんだ。もちろん恵だからそういうことを許容できたんだよ? 他の人なら絶対にもう関わらないと思う」
「そうなんだ……ねえ、なら証明……できる?」
証明という言葉を恵は全て分かったうえで言い放つ。言葉だけでも嬉しく思うが脆い幻想のようで、夢を見ているのではないかと不安になってしまうのだ。だから少しでも現実だと宣言した愛をもって示してほしかった。
「たとえば……キスんっ!?」
髪の毛を弄り、照れながら発していた言葉は遮られた。
今まで感じたことがない感触が唇にある。温かく、柔らかい。それに洋一の顔が今までにないくらい恵の近くにあった。
――されているのは紛れもなくキスだと、数秒かけて完全に理解する。
目を閉じている洋一の頬も僅かにだが赤い。だがそれよりも恵の方が赤い。どうしてこんなことをしたのかと問いかけるよりも、唇に伝わる愛おしい感触と快楽に浸って幸福感を得る方を優先した。
十秒近くが何分にも何十分にも感じられるほど、二人は幸福の波に呑まれていた。しかし洋一が恵から一歩離れることで必ず来る終わりを告げる。
深くしない触れるだけの口づけであったが、それでも初体験である二人には刺激が強く多少の余韻に浸る。
そして洋一は頬を掻きながら口を開く。
「今のが、僕が君を好きな証明……満足かな?」
恵は言葉を発することも忘れてコクコクと頷いて返す。そうなってしまうくらいには衝撃的であった。恵自身からするのならばともかく、洋一が自分からこういった行為をするとは恵からすれば予想外だったのだ。証明という言葉も実際に行動に移されるとはあまり期待していなかった。行動するとしても洋一ならば抱きつくまでかななどと恵は思っていた。
「……それじゃあ行こうか。あまりここに長居する必要もむっ!?」
今度は洋一の言葉が遮られる。自分がしたことをお返しといわんばかりに返されて動揺してしまう。自分からするのはある程度の覚悟を決められたが、相手からいきなりされるのはやはり嬉しいとはいえ全身に電気が流れたかのような衝撃が走る。
時間にして数秒であったが触れるだけのキスをした恵は洋一から一歩離れる。
「えへへっ、大好きだよ……今までも、これからも!」
今までの精神的な疲労がとれたような元気な微笑み。それは洋一が今まで共にいた中で見たことのないほどの、恵の一番の笑みだった。
恵と洋一は微笑み合って入口へと向かっていくと、慌てて入口から頭を引っ込める三人がいた。それが遅いと思ったのか、三人はゆっくりと顔だけを出す。
「二人とも大胆だね。おっと驚きのあまり語尾忘れにゃん」
「いやいや、これ本当に真実の愛か? 奇跡の婚約指輪のせいなんじゃないの? ていうかダメイド、お前の語尾忘れはいつもだろ」
「神谷さん、それは野暮というものですよ。きっかけがなんであれ二人の愛は本物だと思います。私には分かるのです、あの二人の感情は道具に左右されたものなどではないと。それと深山さん、キャラ付けならばしっかりとしましょうね」
笑顔が固まった。ピシリと亀裂が入ったような音さえどこかから聞こえた。
「三人とも……というか深山さんもいたんだね」
「えっと、もしかしてずっと見てたの?」
恵の笑顔のままでの問いに、入口で今までのことをずっと見ていた神奈、明日香、戻ってきていた和猫が分かりきっている答えを返す。
「見てたよ」
「見てましたね」
「見てた、にゃん」
顔だけ出しながら答えた神奈達に向かい、恵は笑顔のまま偶然足元に落ちていた刀を拾う。
「全員極刑」
神奈達は笑顔のまま刀を振り回す恵に追いかけられて、町中を一日中逃げ回ることになった。




