251 漆黒彗星――貫け――
洋一は白い着物姿の人物が自分達を庇うように立っているのを見た。両手を広げて戦いに割り込んだのは恵だ。
敵を追い詰めていい気分になっていた光司の顔が邪魔な物が割って入ってきたと認識し歪む。
「今さらなんだ? お友達のことは見捨てて邪魔をしないようにしていたと思っていたのによお。自分が何をしているのか分かってんのか?」
「分かってるわ。大切な人が傷付けられているから助けようとしてるの。私はどうなろうと構わない、でも洋一は……他の人は関係ないでしょ!」
「関係ないだあ? 大アリだろうが、そいつらのせいで今日が台無しになってんだぞ!」
「だとしても殺させない、私の心に輝く一番星は壊させない。どんな時でも私の心を照らしてくれた洋一だけは私がどうなっても守る!」
犠牲は覚悟している。しかし殺されるわけないと恵は確信している。
今回の婚約に必要なのは当然であるが花嫁である恵だ。もしも血が繋がっているだけで尊敬もしたくない父親が殺そうものならば、それこそ婚約は意味がないものとなり裏で考えている計画は失敗する。
しかし洋一は恵が殺されないとしても、殺されないだけであることに気付いていた。死なせはしないが死なせずに痛めつける方法など世に溢れている。もう逆らわないように拷問のようなものだってされるかもしれないことに恵は気付いていない。
「アンタなんか……アンタなんか今まで、父親だと思ったことなんてないんだから! 怖かったから逆らえなかったけど、洋一のためなら――」
「当たり前だバカが! 俺にはガキなんていないんだよ!」
怒りだ。火山の奥底で眠っていたものが、限界だと噴出された。
光司は目前の邪魔な物の頭に生えているローズピンクの糸を強引に掴んで引っ張ると、怒鳴りちらす。
頭から髪が抜けてしまうのではないかと心配になるほどの苦痛に恵は顔を歪めている。
「自分のガキだってんならもっと可愛げがあるだろうが、お前みたいな道具にはそんなものねえんだよ! 道具は道具らしくこの俺に利用されてればいいんだ!」
苦痛による喘ぎ声が口から漏れながら、恵は投げ飛ばされる。
壁に激突して転がる恵を目にして、精神安定の魔法が重ね掛けされても抑えきれない怒りが洋一の心を支配しそうになる。それでもムゲンが諦めずに二十回以上も精神安定魔法を掛け続けていることで爆発一歩手前で押しとどめられていた。明日香も怒りゆえに鋭く睨み、木刀を握る力を強めている。
「恵は、あなたの子供だ……道具なんかじゃ、ないはずだ」
「血は繋がっている、それだけだ。あれは弱い、弱すぎるんだよ、修行に耐えきれず逃げ出したこともあった。違うだろ、俺のガキだっていうんなら辛い修行も涼しい顔してこなさなきゃいけねえだろうが。少なくとも隼のガキはそうだったと聞いた。ならあれは俺のガキじゃない、あの女が俺に一つだけ残してくれた道具だ」
「隼君と恵が違うのは当たり前です……恵は普通の女の子なんだから。知っていますか? 彼女は可愛い物、その中でも特に小犬が好きなんです。知っていますか? 彼女は敵には容赦ないけど、周りの人間には人一倍優しいところがあります。知っていますか? 彼女の、笑顔を……」
「知らねえよ、興味もない」
ばっさりと切り捨てた。子供のことなのに興味すらないと、最低の父親は切って捨てた。
「先ほどから聞いていれば自分勝手ですね。鷲本さんが弱いから道具である? 笑わせないでください。道具に頼って強くなった気でいるあなたが、努力をして強くなった彼女をそんな風に言う権利などないのです!」
ドーピング紛いのことなどせずに、努力で強くなろうとしている明日香だからこそ言える言葉だった。しかし光司の心にその言葉が影響することはない。
「道具に対してなんか言うことに権利が必要だとは知らなかったな。てかんなことどうでもいいんだよ……あんな役立たずのことなんてどうでもいい。いや役には立つか、これから隼のガキと子供を作るとかいう理由で懐に入り込めるんだから。あれが女でなければこの計画も遠回りなものになっていただろうしなあ」
計画という単語に不吉なものを感じた洋一達に、光司は興奮しているせいか口が止まらずに説明していく。
「まず一番厄介な隼のガキを子作りの最中に殺す。そして残りは俺が始末する、そこに策など必要ない。当主は刑務所にいるらしいから放置して構わねえだろう。完全に家を乗っ取った後はこう発表するんだよ、隼家は俺を残して恨みある鷹の怨霊により全滅した……この俺が当主としての責務を果たすとなあ! 全ては落ちた名声を取り戻すためだ、その名声が誰のものでも奪ってしまえば俺のものだ!」
「まるで寄生虫のような思考ですね」
「控えめに言っても最低だ……」
計画の全容を聞いた洋一達は蔑むような目を向ける。
「黙れ! どんな手を使ってでも俺は過去を取り戻すんだよ! その計画の第一歩をよくも邪魔してくれたなあ、一人残らず皆殺しだ!」
青筋を立てて怒り狂いながら振り下ろされる凶刃。空気を裂いて接近するのは明日香であり、木刀と金属の刀がぶつかりつばぜり合いが始まる。
女性であるにもかかわらず単純な力だけで身体強化しているはずの光司を明日香が上回る。押されていることが嫌でも分かってしまう光司は目的消失の力を明日香に向けた。当然、防ぐ術などなく戦うという目的を失いぼんやりとしている明日香から力が抜けていく。
「進藤会長!」
つばぜり合いで動きが止まっていることを利用して、神経を研ぎ澄まし指輪へと攻撃しようとしていた洋一だが明日香のピンチに割り込む。
木刀は握ったままだが床に座り込んでしまった明日香を守るため、今度は洋一の剣が光司の刀とつばぜり合う。
「ムゲン、今すぐ僕の時のように解除を!」
「無理じゃ! あれは余と洋一が深いところで繋がっているからであって、この娘は洋一のように解除できない!」
「はははっ、お前の左手に持ってるその本かあ? それの言うことは素直に聞いときなあ! 目的消失は短くても一分、長ければ数分は続くぜ。その隙にお前を一対一で殺しちまえば楽になるなあ!」
契約により洋一とムゲンは魔力を通して深いところで繋がっている。その繋がりがあるからこそ目的消失により心の一部分を覆う闇を見つけ出し払うことができた。しかし赤の他人である明日香の心に侵入して一部分を覆う闇を払うのは、洋一の時のようにスムーズには行えない。
目的消失を解除できないと確信した光司は全神経を目前のことに集中させる。
徐々にではあるが洋一が押され始めていた。迫る刃に死を感じて汗が流れる顔を歪めていくが、なぜかゆっくりとではあるが口元がほころんでいく。
ようやく邪魔なやつを消せると光司は高笑いしそうになるほど嬉しかった。その口は洋一以上に緩んでいき、血走った目も合わさり狂人のようだ。
「夢断流……漆黒彗星!」
全神経を目前のぶつかり合いに集中させていたからこそ気付けなかった――迫りくる黒き尾をひく木刀に。
「洋一のように解除できないとは言ったがな、すぐには解除できないという意味じゃ。早とちりしたな小僧」
光司の左手目掛けて、座り込んでいた態勢から明日香が木刀を真っすぐに突き出していた。その木刀は魔力により黒く染まり、突き出すと同時に黒い輝きが尾のように後方へとなびく。
「なんっ、があああああ!」
漆黒の木刀は真っすぐに光司の左薬指の根本に命中し、ほんの僅かな時間のみ耐えた薬指は骨も肉も貫かれたことにより地に落ちる。
どんな怪我をしたとしても、気絶したとしても治ってしまう治癒の指輪。それを攻略するにはどうしても指輪がはめられている指を落とすしかなかった。
「ゆ、指がああ! な、治れ治れ治れ治れ治れよおお! 俺はこれから頂点に立つ男だぞおお!」
もうどんなに喚いても治ることはない、指輪が指ごと落ちたことにより効力は発揮されない。落ちた薬指からは指輪は外れて転がっていた。薬指の断面からはどちらからも真っ赤な人の血が流れ出ている。
一歩、二歩、三歩、どんどんよろけるようにおぼつかない足取りで後退していく。流れ出る血が現実だと認めたくないからか、先ほどまで狂気すら宿っていたその目は酷く揺れていた。
「進藤会長、信じていましたよ」
「まんまと敵の力で無力化されてしまったのは失態ですがね……」
明日香は膝から座り込んでしまったことで制服のスカートについた汚れを、手ではたきながら立ち上がる。
立ち上がったのは明日香だけではなく、少し遠くに投げ飛ばされてしまっていた恵もだ。きれいに結んであった髪も解けてしまい、白い着物には汚れが多少目立つ。
「勝った、の?」
信じられないというふうに答えが返ってくるわけでもないが恵は呟いた。
その目で見たことのみが答えとなる。だから戦いはまだ続くのだと悟る。光司の目には狂気が再び宿り、じりじりと焦がされるような殺気が洋一達に向いていたからだ。
「クソガキがあああ……許さんぞお、俺の邪魔をするやつは全員殺してやるううう!」
「くっ、降参しなさい! もうこれ以上やっても勝ち目がないと分からないのですか!」
「そうです、二対一でなくてもあなたはもう勝てない。大人しくしてください!」
降参を促す洋一と明日香に、光司は聞く耳を持たずに襲いかかろうとする。
刀を振りかぶり、洋一に向かって駆け、そして――体が崩れ落ちた。
「はあ? な、なんだ……こ、れは」
床に倒れた光司を見て全員が絶句していた。
男性らしい屈強な肉体は見る影もなく、その体は急速にシワが目立つ老人のようになっていくからだ。刀も持ち続けることすらできずに床へ落とされる。力も見た目も完全に老いていた。
「原因は、これかな」
洋一にだけは光司を襲っている異常の原因に心当たりがあった。
床に落ちていた指輪を拾うと解析でもう一度調べ上げていく。
【名前 治癒の指輪】
【説明 古代に作られし道具の一つ。指にあわせてサイズは自動変更される。生命の治癒力を大幅に強化する力があるが、外したときにその代償として治った傷の分だけ老化する。作成者である古代の大発明家のキリサ】
途中で知りたいことを知れたので洋一は解析を解除する。
どういうことだと覇気のない目で睨む光司の近くに、洋一は治癒の指輪を投げて告げる。
「便利すぎる道具には穴があるものですよ。あなたは道具を軽視して利用し続けたあまり、短所に気付くことができなかった」
「お、俺の……どう、ぐが」
「この結末はあなたの自業自得です……これまで彼女を泣かせた罪を、しっかりと償ってください」
「あ、ああ、あああ……」
生気のなくなりつつある瞳が揺れ、瞼が閉じられて光司は意識だけで深い絶望の海を泳ぐ。広大な世界が、目的という光を失い闇に閉ざされてしまう。
これからどうすればいいのか、目的が消失してしまった光司は動くことを止めた。
人は目的を持っていなければ生きられない。鷲本光司は生きたしかばねと成り果てた。




