247 用意――ここで来なければ――
じりじりと焦がすように熱く、神奈と速人の二人の視線が交差する。
そのとき、自分達の前にやって来て、手に抜刀した刀を持っている速人に明日香は叫んだ。
「速人、どうして戦おうとしているのですか! 私達は味方のはずでしょう!?」
そう、戦おうとしている。すでに戦闘態勢に入ってしまっている。殺意や敵意の感情が向けられてはいないものの、戦おうとしているという意思だけは感じ取れているのでそうなるしかないのだ。
そもそも明日香がここに来たのは和猫から速人と恵の婚約話を聞き、望まない婚約から助けるためである。それなのに助けようとしていた相手が立ちはだかる現状に困惑してしまう。
「味方、か。それは何に対しての味方なんだろうな? 俺のためを思って来たとほざくつもりならば放っておけ。加勢ならば白部の方に行ってやればいい、あの鷲本家当主も多少は腕が立つようだしな」
「どうして……!」
悲しそうな顔をする明日香を無視して速人は刀を向けて神奈に声を掛ける。
「俺がやりあいたいのはお前だけだ、他のことはどうでもいい。この婚約も都合がよかったから放置していたというだけにすぎない。俺ならばあの当主を殺して婚約を白紙に戻すことなど造作もないことなのだからな」
「都合がよかったっていうのは私が止めに来るからか? そんなの絶対来るなんて言いきれないだろ」
「来るさ、お前なら来ると思っていたんだ。ここで来なければ神谷神奈ではない、それが分かるくらいもう長い付き合いだ。そしてお前が何かを守るためになら限界を超えた力を出すということも分かっている。だから俺は用意したんだよ、このお前と全力で戦える決戦の場をな」
「何を言っても無駄なんだろうな、お前には。しょうがない……生徒会長、申し訳ないんですけど白部君の方を補助してあげてください」
悲しそうな表情の明日香に神奈は酷だと思いつつも提案する。
助けたいと思っていた相手は差し伸ばした手を掴んではくれないのだ。助けを求めていないから、明日香の速人を助けたいという想いは無駄になってしまっていた。
しかし唇を少し噛んだあと、深呼吸して精神を落ち着けると明日香の表情は元に戻っていた。
「分かりました。助けるべきは速人ではなく鷲本さんのようですからね。速人のことは任せましたよ神谷さん、この戦いが終われば生徒会でこき使ってあげようと思うので存分に戦ってぶっ飛ばしてあげてください」
「はい、任せといてください」
含み笑いをしながら神奈は洋一の元へと駆ける明日香を見送る。
残るは和猫のみだが、空気を読もうとしない性格だからか場違いなことを言い放つ。
「さあ、これで邪魔者は消えたにゃんね」
「いやお前が邪魔者だよ。え、さっきから何を聞いていたんだよお前は……私は一人でこいつの相手をするからお前も向こう行けよ」
「見せてあげるにゃ、私の家系の一子相伝の暗殺拳を!」
「見せなくていいよ、ていうかお前の家は温泉旅館だろ! なんで旅館を営む家系が暗殺拳を伝えてんだ!」
コオオォという深い呼吸とともに両手を動かしている和猫にツッコミを入れる神奈だが、止めようと動く前に和猫が速人に突っ込んでいく。
「喰らうにゃあ! 猫猫神拳、猫パンチ!」
「それただのパンチじゃん!」
圧倒的な速度を持って出された拳は、速人に当たる直前でピタッと止まってしまう。
その原因は速人が和猫に見せている緑色の小さな実だ。右に左に揺らすと和猫の黒目もそれと同じように揺れる。
「お前のことは調べた。まあお前だけではなく、邪魔されても退散させられるように伊世高校で神谷神奈と関わりがある人間のことは全員調べた。猫の獣人であるお前は当然、猫としての特性がある。この実はお前用だ」
「……なんだそれ、なんかの果物?」
分からない神奈が質問すると速人は答える。
「この実は宇宙を旅していた時に見つけた。惑星ニャーズにしかないマタタビの一種、ニャンバーマタタビだ。猫に関連する種族ならこれを目にした瞬間に釘付けになり、思考がこの実のことしか考えられないようになる」
そう言うと速人はニャンバーマタタビをつまんでいる手を頭上にあげる。それを追うように目にハートが浮かんでいる和猫が手をあげるが身長差があるために届かない。跳べば届くというのに、簡単な方法を考える思考すら今の和猫にはないのだ。
「にゃあ、にゃにゃにゃああ」
「そうれ、これが欲しいなら……取ってこい!」
「にゃあああああ!」
ニャンバーマタタビを力任せに思いっきり投げると、神奈が蹴り飛ばしたことで扉が無くなっている入口から出ていく。和猫はニャンバーマタタビを追いかけて宴会場を出ていってしまった。あまりの変わりように神奈は呆然として見送ってしまう。
「他にも用意していたんだがな。海梨游奈には大塚誠二の隠し撮り写真、大塚誠二にはその逆。唯一、藤堂綺羅々だけは実力行使で遠ざける以外に方法がなかったから困ったが、ここには来ていないようだな」
「元々は白部君と二人で来る予定だったからな、このことは別に白部君以外に言ってない」
「そうか、そうだろうと思っていたさ……さて、もう誰も俺達を邪魔する者はいない。存分に戦えるということだ、こんな建物など壊しても構わんぞ? この日のために俺はこの宴会場そのものを買ったのでな」
「何してんだお前……まあいいや、お前がそんなにお膳立てしてくれたんだ。こうまでするってことはこの戦いは特別な意味があるんだよな? たぶんだけど勝てると思っているからか?」
「……どうだろうな?」
宇宙で修行していたということで神奈は少し期待している……戦闘前に笑ってしまうほどに。
宇宙は地球より広く、まだ見ぬ強者もいると神奈は確信している。実際エクエスやスピルドなどとんでもない実力を持っていた相手と会っている。あの時と比べて強くなりすぎたからか、相手がこれまでに負けたことがない速人だからか、神奈は微塵も負けると思っていない。
楽しい戦いになればいい。そう思って、ふと神奈は疑問に思う。
どうしてこんなにも速人と戦うことを楽しみにしているのか。
転生前の上谷翔であった時は論外として、神谷神奈となってから戦いを楽しもうなどと思ったことはない。世界の危機だったりが戦闘の理由だったからか、だとすれば恵を救うということも楽しむ余裕などないはずだ。
(いや……違う、今回は私が救うんじゃないんだ。今まで似合わないヒーロー役は私だったけど……相応しいヒーロー役がこの場にいるから安心しているんだ)
白部洋一は自分よりも人を助けるのに向いている。それがはっきりと神奈には分かっていた。
今まで数々の事件を解決し、人々に関わってきた神奈だからそれが感じられるのだ。洋一にはまるで物語の主人公のような内に光るものがあると。
「なあんだ、初めからシンプルだったんだな。私がすべきことは白部君の手伝いだ、つまり敵に回っているお前といま戦う理由はある。でもそれ以上に……なぜかお前とは戦いたいと思うのはどうしてだろうなあ」
「そう、初めから、あのまだ小さい時から俺達の関係性はシンプルなものだった。勝負を挑み、競い合い、勝利を求める。そして今、この勝敗で一つの終止符を打つ。まあ俺はお前に勝つことで終わらせるつもりでいるがな……」
負けたらどうなるのだろうか。神奈は様々な未来を予想する。
負けたことが悔しくて今度は自分から勝負を挑むのか、負けたことが悲しくて会いたくないと思うのか、どれもしっくりこない。まだ起こりえていないことは想像でしかなく、確定したものではないのだから当然だ。
しかし一つだけ、神奈は口にできることがあった。
「お前には負けないよ。負けたくないから……負けない」
別に速人は神奈を負かしたとしても洋一の邪魔はしないだろう。むしろこの婚約のことをよく思っていないのだから洋一に加勢するかもしれない。しかしそれでも、負けても勝っても状況が変わらないとしても、神奈は速人に負けたくないと強く思えた。
その強い言葉を聞いた速人は笑みを浮かべる。
「そうだその気持ちだ。今、お前は俺を一人のライバルとして認識したことで、対抗心が以前より強くなった。今まではあったとしても、俺のことをライバルだなんて思っていなかったろう。それは俺の以前までの弱さが原因だ。さあ、始めよう。誰の邪魔も入らない場所で、最高の勝負を!」
右足を一歩前へと踏み出させて折り曲げ、そこから一気に加速して神奈に急接近して刀を振る。攻撃を横にずれることで躱した神奈は拳を突き出すと、速人もそれを最低限の動きで横にずれて躱す。
一度の攻防で神奈は理解した。今までの速人とは強さが比べ物にならない。ドーピング紛いのことをしたわけでもなく、ただ努力のみで自分に追いつこうとしている少年に神奈は心の中で素直に感心する。
刀と拳が振られ、躱し続けるという図が完成していた。速人の刀は神奈の拳に耐えきれず破壊されてしまうし、神奈も今までのように刃物など通用しないと思っていると危険だと考えて、どちらも避けることしかしなかった。
しかしそれも数十を超える攻撃を繰り出し、避け続けていれば変化が生じ始める。
神奈の拳に対して速人が躱す以外の行動をとった。それは神奈が足先だけで移動のフェイントをかけ続けることにより、避ける先を予測から外れさせたことで流れを変えて拳を放ったからだ。
避けきれないとすぐに理解した速人は迫る拳に左手を添えて、横に強引に移動させることで逸らしてみせた。目を見開いて驚く神奈は隙を作ってしまったことに気がついて、後方に跳ぶことで振るわれた刀を躱す。
「ふぅ、今のは危なかったな……」
「余裕で躱したろうに。だがそうだな、もうそろそろ体も温まってきたところだ。ウォーミングアップもこれくらいにして、全力で動くとしよう」
「おいおいもう温まったのか? 私は全然だなあ」
「……ふっ、俺も温まったといってもほんの少しだ」
一般人はもちろん、相当な実力者からしてもこれまでの攻防がウォーミングアップと言われても納得したくないだろう。それほどまでに二人の動きは逸脱しすぎているのだ。
二人による静かな攻防が一旦止まったが、再び動き出す時には戦闘のレベルはより高まっていく。
「分身の術」
フェイントも織り交ぜてはいるが何の特殊な力もない攻防は終わる。始まったのはそこに技能が追加された……激しくなるであろう戦いだ。




