27.6 反則――ルールに従えば問題なし――
二週間ほど前。
速人はディストと戦い重傷を負っている。神奈が助けるのが少しでも遅れていれば、確実に死んでいたほど酷い傷だ。四肢が裂けそうになっていたと医師から聞かされた神奈は、間に合ってよかったと胸を撫で下ろしたものだ。
そのすぐに治るはずのない重傷のはずの速人が、なぜか神奈の目の前にいる。
元気そうに夏祭りに来て射的屋で遊び、残弾全てを当てたぬいぐるみがほぼ動かないという失態を見せてくれた。
「ていうかお前、こんなところにいていいのかよ。あんな怪我してたんなら、一か月経たないで完治とかありえないだろ」
「フッ、バカにするなよ。俺はあの程度の傷なら三日もあれば治るんだ」
心配していただけでバカにはしていない。
そう思いつつ神奈は速人の腕を浴衣ごしに掴んで、ほんの少しだけ力を入れてみる。
「まあとにかくこの俺としょうがああああああ!」
絶叫したと速人は地面に膝をつけて、今にも死にそうな顔をしている。やはり完治したなど嘘なのだ。
「しょうが? てかやっぱり治ってないじゃん。どうせお前病院抜け出してきたんだろ」
「くっ、ぐうっ……立てる、立てるぞお……! 心臓が痛い、しかし動くぞ……!」
「もうそれ怪我治ってる人間の台詞じゃないよ! 右腕吹っ飛ばしたわけじゃないんだぞ、大人しく病院に戻っておけって。余計治るのが遅くなるぞ」
プルプルと全身を小刻みに震わせながら、速人はゆっくり立ち上がる。
腕に関係がない心臓部分も押さえていることから、完治どころかほとんど治ってすらいない。自力で動ける時点で少しは回復しているのだが、そんなものは焼け石に水。ダメージが深すぎて、回復していても完治までは遠い。
「バ、バカめ、この俺が入院だと……? どうしても病院に戻したければ俺と勝負しろ……!」
腕輪が「神奈さん……」と心配そうに呟く。
意地でも退かない速人をどうにかするには、やはり戦うしかないのだ。
「……分かったよ。やるよ、やればいいんだろ」
勝負など神奈はやりたくはないが、気絶させるために攻撃しようにも、元から重傷すぎて攻撃したら死んでしまうかもしれないのでできない。とりあえずここで勝負をし、負ければ病院に戻ると言っているので早々に決着をつけてしまおうと判断した。
幸いにも、怪我を理解している速人はいつもの戦闘ではなく、祭りならではの射的での勝負を選んだ。
射的屋の店主に三百円を渡して神奈もコルク銃を受け取る。笑里と才華には悪いと思いつつ、後ろで待っていてもらう。
「勝負内容は交互に撃ち合い、より多くの景品を落とした方が勝ちだ。先程俺がやっていたから残っている景品は五個だな……つまり早い者勝ちというわけか」
景品がないなら補充すればいいのだが、実は予備の景品すらもう取りつくされてしまっている。隣の射的ゲーム屋に客が訪れようとしたとき、必ず客が流れてくるので大盛況であった。逆に隣は閑古鳥が鳴いている。
棚の上に残っている景品は、先程速人が落とせなかった大きなうさぎのぬいぐるみの他に四つ。小さなお菓子の箱。細長い筆箱。ブックカバーがされている分厚めの本。有名な児童用玩具の変身ベルト。
コルク銃の弾数は一回で三個のみ。この勝負は一回分の勝負なので、二人で六発撃つことができる。つまり一発でも外すと、相手が景品を撃ち漏らさなければ負けてしまう。
当てれば落ちそうな景品はお菓子の箱、細長い筆箱、箱に入っている変身ベルトの三つ。逆に当てても落ちなさそうなのは分厚めの本と、大きなぬいぐるみの二つ。
確実に勝つのなら簡単に落とせそうな景品を全て神奈が落とすことだが、実は神奈は射的などやったことがない。今まで夏祭りなど行かなかったことの弊害がついに出てしまった。
常識的に考えて初心者である神奈が、落ちなかったとはいえうさぎのぬいぐるみに全弾当ててみせた速人に勝てはしない。一発でも外してしまえば危機的状況になるのはプレッシャーである。
「先攻はお前にくれてやろう。先にやっていたのは俺だからな」
「いいのか、それなら遠慮なくやらせてもらうぞ」
この勝負は当然だが先攻が有利だ。
もし仮に三発全てを外さずに景品を棚から落とせたのならば、五個しかない景品のうち三つを神奈が落とせることになる。
神奈が外さなければ、後攻が景品を三つとるのは不可能なのだ。
冷静になり、集中して神奈はコルク銃を構える。
魔力弾を撃つイメージをしてなんとか狙いを定める。
戦闘で使用する魔力弾は、当てようとするときに相手の動きを読んだ上で放出するので、動かない的に当てるよりも難易度は高い。そう考えれば神奈はそれを戦いで当たり前のようにやっているのだから、こんな遊戯である射的が出来ないはずがない。
思い切って神奈は一発目を発射した。狙いは一番軽いであろう小さなお菓子の箱だ。
撃ちだした弾は見事にお菓子の箱に命中し、一回で後ろに倒して棚から落とすことができた。
「神奈ちゃんすごいすごい!」
「正確な射撃だったわね。スナイパーにだってなれるんじゃないかしら」
「まあな、これくらいならちょろいちょろい。……才華、スナイパーにはならないからな?」
ちょろいと口に出したが多少の疲労感が神奈を襲っている。
初めてのことだったからか、外せば負けるかもしれないからか、無駄に力が入って余計に集中しすぎたのだ。
「ほう、一発目は当てたか。まあ俺も当然当てるがな」
当然であるが速人も一発目を当てて景品を落とす。
落とされたのは児童用玩具の変身ベルト。これで残りの景品は三つ。細長い筆箱、分厚めの本、大きなうさぎのぬいぐるみだけだ。
先程の命中率なら神奈達も驚くことはない。ましてやこの男は手裏剣の投擲を得意としているので、神奈と同じように、動かない的に当てるくらいやってのけると容易に想像できる。
「勝負は同点ね、まだどうなるか分からないわ」
「そうだね才華ちゃん。……お腹空いたし、私焼きそば買ってきていいかな?」
「……まあすぐそこにあるみたいだしいいと思うわ。近いからはぐれる心配もないし」
才華と笑里がゴクリと喉を鳴らす。笑里の方は神奈達の勝負ではなく、焼きそばの方に対して鳴らしたようだ。向かい側にある焼きそば屋に小走りで向かう笑里は放っておき、神奈はこれからの動きを考える。
残りの景品は三つ。細長い筆箱、分厚めの本、大きなうさぎのぬいぐるみ。狙うならば棚から落としやすそうな細長い筆箱がいいだろう。
神奈は「いけ!」と叫んで、細長い筆箱に対してコルク弾を撃つ。軌道も角度も問題ない。このままいけば確実に落とせる――はずだった。
「なっ、弾が二つ……!」
細長い筆箱にコルク弾が二つ向かっていた。
コルク弾の一つは神奈のものだが、もう一つはもちろん神奈のものではない。コルク銃は一度に二発など撃てはしないのだから。この場でコルク銃を他に撃てる人間など速人しかいない。
神奈の弾と速人の弾はあろうことか標的に当たる前にぶつかり、神奈が放った弾は細長い筆箱から逸れてしまった。
邪魔をした速人の弾は見事に細長い筆箱に直撃して、棚から落とすことができていた。
――跳弾。
相手が発射した弾や障害物と、自分の発射した弾を計算した角度で直撃させて、曲がった弾が標的に当たるようにする技術。これには当然想像もつかないほどの演算が必要となる。
問題は神奈の弾の軌道を逸らされて外されたことではなく、なぜ速人が跳弾を狙ったのかだ。
勝つためというのは分かる。しかしどんな勝負にもルールというものが必要で、この射的勝負も例外ではない。ルールならば速人が『勝負内容は交互に撃ち合い、より多くの景品を落とした方が勝ちだ』と最初に言っている。
速人が勝つことを目的として動いているのは神奈も分かっていたつもりだ。しかしそのために自ら決めたルールを破るということは、神奈はありえないと思っていた。だいたいそれなら反則負けだ。
責めるような視線を送っても、速人は気にしないで勝ち誇った表情を浮かべている。
「ふっ、どういうことだとでも言いたげだな。俺はルールを破ったつもりはない、むしろルールを守っている。交互に撃つとは言ったが時間の間隔までは定めていない。つまりお前が撃ってすぐなら撃っていいということになる」
「な、なん……だと?」
「だから俺はルールに従っているので反則負けではない。俺がお前よりも早く撃ったという証拠でもあれば負けになるが……藤原才華、この俺が撃ったのが神谷神奈よりも早かったと言えるか?」
「……いいえ、速すぎて目ではよく見えなかったから正確には判断できないわ」
申し訳なさそうな顔をして才華が告げる。
笑里ならば見えたかもしれないが、彼女はいま焼きそばを買いに行っているせいで見ていない。神奈も集中しすぎなければ、速人がいつ撃ったのかくらい分かりそうだが……もう何もかも遅い。
跳弾により景品を落とした速人は二点目、外れた神奈は一点だ。勝つことはもう不可能で、どんなに足掻いても引き分けにしかならない。その引き分けにするのも速人が外すか、景品が当たっても落ちないことが絶対条件だ。
焼きそばを無事買えた笑里が戻ってくる。
(あともう少し早ければなあ。いや本当に私より先に撃ったかどうかは分からないけど)
跳弾を実行するには距離の関係もあるため神奈と同時か、少し早めに撃つ必要がある。だが速人ほどの身体能力や反射速度ならば、相手が撃つコンマ一秒後に撃つことだって可能だ。
「残り一発、外せないか」
大きなうさぎのぬいぐるみは論外である。何発当たってもほぼ動いていないあれは、店側の悪意の塊でしかない。
なぜか目を押さえている速人。これからどうすれば勝てるかを神奈は少し考え、分厚めの本に狙いを定めて弾を発射した。
軽い銃声が聞こえて誰もが撃ったことを理解する。しかし神奈が狙っていた分厚めの本は微動だにしていない。
「……く、くくく、外したようだな。景品が倒れていない。お前は外したのだ! 俺の勝ちだ!」
ルール上、もう弾数がなければ神奈は次を撃てない。取れた景品も一個のみ。敗北は決定的で、速人は三発目を外しても勝てる。
もう勝ったと思っているからか、それとも落とせなかったことへのリベンジか、速人は大きなうさぎのぬいぐるみに弾を発射する。だが残念ながら、直撃してもぬいぐるみは動かずリベンジは叶わない。
「ちっ、落とせなかったか。だがまあいい、この勝負は俺の勝ちなのだからな……! どうだ神谷神奈! 今日で俺は射的とはいえお前に……何を、している……?」
勝負を見ていた誰もが困惑する。
それは神奈がコルク銃をまた構えているからだ。
「お前の弾はもうないはずだ。新しく弾を買っても勝負には反映されんぞ」
「だろうな。でも、私にはまだ残っているんだ――三発目が」
銃を構えるのを止めて、神奈は銃の先端にあるコルク弾を見せつける。
「どういうことだ? 新しく買ったわけではない……お前の妙な力なのか」
「違うよ、妙な力が働いたとかじゃない」
確かに腕輪なら、コルク弾を増やすだけの魔法など、意味の分からない魔法を言い出しそうではある。しかしこのトリックを成したのは正真正銘神奈一人の力で、魔法だとか特別な力は何一つ使用していない。
「説明すると――」
神奈は三発目を分厚めの本目がけて確かに撃った。発射した時のポンッという音も周囲に聞こえているし、それは間違いない。しかし神奈は撃った直後のコルク弾を左手で、誰にも見えない速度で掴み取ったのだ。撃たれて掴まれた弾が景品に当たるはずがない。
発射音もしたので誰も疑いはしなかった。
速人なら見えてもおかしくはなかったが、どうにもさっきから目の調子が悪いらしく、視界がぼやけているのかもしれない。見えるといえば見えるようだがはっきりとは見えていないのだ。そんな状態で神奈の手の動きを捉えることなどできはしない。
なぜそんなことをしたかといえば、速人の油断を誘うためだ。
もう勝利していると思わせれば、必ず負けず嫌いの速人はぬいぐるみを撃つと思っていた。そんな神奈の想像通りにリベンジして、思惑通り失敗している。これにより、引き分けになる可能性がぐっと上がる。
ルール上、確かに弾数がないなら続けることは不可能だ。しかし神奈には掴んだことでリセットした三発目が残っている。つまり交互に撃つというルールに則って、次は神奈の番となる。
「――ってわけ」
種明かしをすれば簡単だ。もっとも実際にやることは一般人には到底不可能である。
「ば、バカな……そんなでたらめな……」
「撃った弾を掴んで戻したらいけないなんてルールはないぞ。つまり私は反則負けにはならない。引き分けにしかならないけどフィナーレといくか」
再び神奈は銃を構えるが……心中は不安である。
景品に当たる当たらない、景品が落ちる落ちない以前に――弾が発射されるかが不安なのだ。
一度掴んだ弾の戻し方など知らないので、神奈はコルク銃へと強引にねじ込んだ。壊れているかもと思うと怖い。
「うん、ダメだな。やっぱりこうしよう」
先端に押し込まれているコルク弾を、神奈は爪を引っかけて強引に取り出す。そして右手の中に収める。
「おい、まさか……」
「か、神奈さん? まさかそのまま……」
「焼きそば美味しいいい」
笑里が焼きそばを口に入れたまま何か喋っているが、何を言っているのか分からない。そんなことは置いておき、神奈は軽く右腕を振って――手にしていた弾を投げつけた。
小さな弾は音より遥かに速くうさぎのぬいぐるみに到達し――貫通した。
「……あれ?」
貫通した。動くとか、動かないとか、そういう次元の話ではなく貫通してしまった。神奈の予想では景品があっさりと地に落ちるはずだったのに、ぬいぐるみを残し、弾は遥か彼方へ飛んでいってしまう。
「お客さんなんてことスル! これ弁償ヨ、三千円払うがイイ!」
中国人っぽい口調で店主が怒り出した。
速人は吹き出して、才華は険しい表情をしている。笑里は呑気に「神奈ちゃんはすごいね」などと口にしている。
(どうなってんだ……。今のは私が勝って終わる流れだったはずなのに。どうして私は今お金を請求されているんだ……)
「くっ、くははっ! 俺の勝ちだ、残念だったなあ! 早いとこ弁償してやるんだなあ!」
「うるさい! ふざけんなおかしいだろ、なんだよあのぬいぐるみ! 今ので落ちないとかありえないだろ!」
「黙るネ。早く金払うネ」
しぶしぶ神奈が三千円払おうと財布を取り出すと、才華が待ったをかけた。エセ中国人のような言葉を話す店主に対して才華は口を開く。
「店主さん、そのぬいぐるみ、明らかにおかしいですよね? 今ので落ちないとなると真下に超強力な接着剤でも塗ってあるんじゃないですか?」
「なんという言いがかりカ、ワタシそんなことしてないネ」
「それなら確かめさせてください。そんなことをしていないというのなら問題ないでしょう。笑里さんお願い、あのぬいぐるみを引っ張って」
指示を受けた笑里がぬいぐるみが置いてある棚に飛び移る。
引っ張られようとしたとき、店主が慌てて焦ったような声を出す。
「ま、待て、そんなことしたらダメ! ダメ絶対!」
大きなぬいぐるみが「えいっ」という可愛らしい声と、棚からブチブチという繊維が切れるような音と共に離される。
その場にいる全員が接着されていたことを理解する。
「オーマイゴッド! なんということカ! ブレースリック!」
(店主はなんなんだよ。英語なのかエセ中国語なのか、それともよく分からない言語なのかはっきりしろよ。見た目日本人なんだから、もうずっと日本語喋ってればいいのに)
「これで……言い逃れはできないわ。警察に連絡します」
ぬいぐるみの真下には、もう固まっている白い物体がこびりついていた。言い訳ができないほど接着剤にしか見えない。
「ホワーイ、ワタシナニモシラナイ」
「誤魔化すの下手か!」
目を逸らす店主だがもう言い逃れできない。
近くにいた警備員の人に事情を説明して来てもらい、事警察が来るまで拘束することになった。
「さて隼、こんな事態になったんだ。もう今回の勝負は無効で……いい、な……隼さん?」
――倒れていた。
声を掛けてもいつもの喧しい反応がないので神奈が目を向けると、地面にうつ伏せで速人が寝てしまっていた。赤い染みが服にできているのを見つけたので、これはマズい事態だとはっきり理解する。
「救急車だ才華! 救急車も呼んでくれええ!」
警備員の人に速人を渡して応急処置してもらい、救急車が来るまで出血を抑えてもらうことになった。
当たり前だが、怪我がまだ酷いのに病院を抜け出したりするのは絶対ダメである。それで怒らない人などいないので、大人しく入院していた方がいい。
倒れられると神奈も少しだけ……心配するのだから。




