230 帰還――守りたかった――
2025/11/03 文章一部修正
「そちらの世界はどういった場所なんですか? 是非知りたいです」
その問いに対して神奈と洋一が今までの出来事から、ゆっくりと話した。
家族への執着から生き返らせようとしていた者がいた。
生まれた場所でのルールや常識に縛られて苦しんだ者がいた。
欲望のままに暴れたり、復讐しようとした者がいた。
ただ平穏を望む者がいた。
世界を変えようとする者がいた。
そんな者達との戦いもあったが、結論は……不思議だけど良い世界。
時に意見の違いからぶつかり合う。そんなことはどの世界だろうと、どんな人間だろうと変わらないだろう。少なくとも神奈達の世界は、この世界のように滅びない。
「なるほど……しかし、もしも明確な世界の敵が現れたら」
「その時は私が倒します。一人で無理なら仲間と一緒に、戦える仲間がいないなら一人ででも。私は一緒に日常を過ごす人達のために戦うんです」
「僕も同じかな。そういうことで神谷さんの仲間は一人、ここに確実にいるからね」
「ふふ。強い正義、まるで勇者のようですね。さて、あと数時間も暇でしょう。睡眠をとってゆっくり疲れを癒やしてください。時が来たら起こしますので」
そこで神奈達は思い出す。自分達はもう一日以上起きていることを。
七不思議探索のため夜遅くに学校へ侵入してから数時間が経っている。
睡眠のことを忘れていた神奈達は頷き合い、シャンが用意したふかふかの布団で眠りについた。
「あれ? あなたは寝ないのですか?」
ただ一人、速人だけは横になっていない。
「俺はいい。寝るのは元の世界にある自宅に帰ってからだ」
なぜ寝ないのか、シャンはその理由を問いかけようとして止める。
目で分かってしまったからだ。速人は完全にシャンを信用しているわけではないということに。
「そうですか……警戒心が強いんですね」
「平和ボケのこいつらの代わりに俺が警戒してやっているんだ。未知の場所で、よく知らん人間と共にいるのだから警戒は当然だろう? 相対している者が優しそうに振る舞っている奴でもな」
速人の疑いの目は立ったまま閉じられた。
眠ってはいない。目に頼らず警戒を続けている。
「危害は加えませんよ。そして……加えさせませんよ。私は今度こそ、守ってみせますから」
真夜中の十二時になるまで残り一時間となった頃。
ギリギリに起こしても焦るだけなので、余裕を持ってシャンが神奈達を起こす。
「ふああぁ……ねっむうぅ……今何時いぃ?」
「真夜中の一時間前ですよ。あと二十分くらいで出発するので準備をしてください」
「すいませんネビュラスさん、遅くなって。あ、でも一人起きてない人がいますね」
起きている全員の視線が一か所に集中する。
神奈は未だに小さな寝息を立ててだらしなく寝ていた。
「神谷神奈さん起きてください」
「なんじゃそりゃああああ!」
「ひえっ!?」
神奈の体を揺らしていたシャンは、いきなり寝言で叫び声を上げた神奈に驚いて尻餅をついてしまう。
暑さを感じていないのに神奈は多く汗を掻いている。顔は血の気が引いたように青く、息も切らしている。精神面が不安定でも起床は出来たようだ。
「か、神谷さん……だ、大丈夫?」
「気分最悪だ。口に出すのも憚られる程の悪夢を見たぞ」
「ご、ご愁傷様」
「どんな夢だったんですか?」
「腕輪、世の中には訊かない方がいいこともある。それをお前はよく知っているはずだ」
「なんだかシリアスな台詞なんですけど。悪夢見ただけですよね?」
息を整わせて、顔色も平常に戻った神奈は手洗いうがいをし、最後に顔を洗ってからリビングに戻る。
異世界でも水道や電気があるのは文化が多少神奈達の世界に近いからだ。しかし、水は最低限しか出ず、色は少し茶色く濁っている。嫌でもそれを使うしかなく、渋々神奈は嫌な顔をしながら使っていた。
風呂に入って体を洗いたいと思っていた神奈と恵は諦めるしかない。水道を使用した時と同じように水が汚いし、水が出る量も多くないので時間がかかりすぎてしまう。
「さて、残り三十分を切ってることだし。シャンさん、行こう」
「ええ、ではみなさん私に付いて来てください」
「洋一は私が運ぶからね」
シャンの家を出て、二つの世界を繋ぐゲートがある場所へと向かう。
数分飛べば着くとシャンは言っていたが速度と時間は本人基準。恵は空を飛べないし、暗い外を慎重に走っているので倍はかかるだろう。
車椅子を食われた洋一は恵に運ばれるが不満の表情を浮かべている。
「ねえ、恵」
「なあに洋一」
「おかしくないかい?」
「何が?」
「この運び方がだよ! なんでまたこのお姫様抱っこなのさ!? 今は別に危機的状況じゃないだろう!?」
――洋一は、横抱きで運ばれていた。
学校で『神をも喰らう犬』から逃げていた時は緊急時だから許容していた。だが、急いでいないし追いかけられているわけでもない現状で、お姫様抱っこという男として屈辱的な運ばれ方は不満があるに決まっている。
さらに言うなら、自分を抱えているのは未遂であったが告白されたも同然の女子だ。好意に気付いていたから驚きは少なかったが、告白される前と比べて羞恥心が大きく膨れている。
「何言ってるのよ。危機的状況よ、主に洋一の貞操とか」
「それたぶん襲おうとしてるの君だよね!? 君が状況を悪化させようとしてるよね!?」
身動きしづらい洋一を抱えているのをいいことに、恵は彼の腹部に顔をうずめた。
「ちょっ、何してるのさ!」
「くふぅ、すううぅ、はああぁ、洋一の匂いがする……」
「そりゃするよ恵が嗅いでるの僕だから! 今度は頬ずりしないで! 神谷さん、隼君、シャンさん誰でもいいから助けてくれえ! ああ、涎ついてる……! 僕を持つのを恵と代わってくれえ!」
暗いが、まだ人の輪郭は見える。そんな環境で変態に襲われる洋一は、普段と比べ物にならない恐怖が心を支配している。相手が積極的すぎるのも問題だ。羞恥心はいつの間にか吹き飛んでいた。
危機的状況だから必死に助けを求めるが、助けようと動く者はいない。
「うふふ、お似合いですよ」
「これのどこを見たらそういう感想になるんですか!?」
「面倒だ。我慢しろ」
「我慢……か、神谷さん! 神谷さんなら助けてくれるよね!?」
「白部君」
神奈は少し後ろを走っている恵に並ぶと、洋一の肩に手を置く。
助けてくれるのかと希望を感じた洋一に、神奈は片方の手でサムズアップする。
「頑張れ」
「助けてくれないの!?」
希望は打ち砕かれる。
この状況からは誰も助けてくれないのだ。
恵の恋を応援すると決めている神奈はわざわざ引き剥がそうとしない。建前はそれであるが、もしも引き剥がして自分が持つことになったら恵が鬼のように怒る。そしてそうなると怖いというのが神奈の本音だった。
「ゲートがある場所も近いんだしいいだろ。シャンさん、ゲートまで後どれくらい距離ありますか?」
「もうそろそろ見えてきてもいいですね。ああ、あれがゲートで――」
のんびりとした平和な雰囲気から一転、シャンの表情は強張ってゲート付近を見つめる。
淡く白く光る薄い鏡がゲートはシャンなら見慣れている。だが、直感が危険を知らせていた。何かが普段と違う。警戒心を高めてゲートを見ていると、その後方から恐怖の象徴が飛び出した。
「ぜ、全員回避いいい!」
近付いて来る赤を確認してからシャンが叫ぶまでは早かった。
時間にして僅か一秒未満。突然の叫びに神奈達が反応したのは流石と褒められるべきだろう。咄嗟に横へ移動すると、赤い点が猛スピードで通りすぎる。赤い何かはそのまま去ろうとせず、急ブレーキをかけたかのように大地を抉りながら止まる。
「あいつは……!」
「な、なんでよ! なんでこの犬がまた出てくるのよ!」
「……『神をも喰らう犬』、ですか」
赤い点の正体は神奈達が異世界に来た原因であり、厄介な敵である『神をも喰らう犬』だ。
――残念ながら、敵はそれだけではなかった。
「空を見ろ。この犬だけではないらしいな。俺達が帰る前に殺戮パーティーでもしてくれるらしい」
空には無数の白い点が浮かんでいた。
段々近づいて来た姿がはっきり見えてシャンの表情は一気に絶望に染まる。
「……こ、光天使」
現れたのは光天使。
一体ならまだよかった。しかし現在、空を飛んで来ているのは数えきれない数である。月が雲に覆われて暗かった空が明るくなる。無数の光天使が輝く星々のように光源としての役割を果たしていた。
「まるで軍勢だな。恵は白部君を連れたままゲートの前で待機してくれ。十二時になるまであまり時間がない」
「で、でも神谷さんは!?」
「私と隼とシャンさんはあいつらを迎え撃つ! あいつらと戦えるのは私達だけだからな。大丈夫大丈夫、一秒前くらいにゲートへ行けば間に合うだろ」
「いいえ。神谷神奈さん、隼速人さん。お二人も行ってください」
臨戦態勢に入る神奈と速人にシャンは優し気な声で話しかける。
「どういうつもりだ、死ぬ気か? お前一人が戦ったところで数秒も持たんぞ」
「ゲートのリンクまで一分を切ったところです」
「なら……」
「だからこそ、帰れなくなっては困るでしょう?」
シャンは危機的状況とは思えない笑顔を神奈達に向ける。
彼女の笑顔を見た神奈は探るような目をして質問する。
「私達を助けるために消滅する危険まであるのに戦って、後悔しないんですか?」
「あなた達は良い人だし、希望でもある。光天使がそちらの世界に現れた時、必ずあなた達が救世主になってくれると信じてる。もう二度とこんな世界を生み出さないでほしいの。だから私は……ここで希望を守りたいんです」
「それが……未練、か」
神奈はシャンと無数の敵に背を向けて、ゲートへと歩き出す。
「おい?」
「隼、行くぞ。シャンさんの想いを無駄にするな」
「どういうつもりだ。いつもならお前は……」
「うるさい、いいから行くぞ!」
今までの神奈ならシャン一人に戦いを任せない。彼女が敵に対処出来るならともかく、今回は戦力的に厳しい。奇跡でも起きなければ彼女は死ぬ。想いを無駄にするななんて、犠牲を許容する言葉を神奈は吐かない。少なくとも速人はそう思っている。
何か意味があると理解しようとしても、速人は神奈の考えが理解出来ない。
「ありがとう……守らせてくれて、ありがとう。ここで消滅しても、私に悔いは残らない。今まで存在し続けてきた意味は……守りたい相手は違っても、本質的には変わらない……! あの時守れなかったからこそ、私は守らなければいけないの!」
光天使が、『神をも喰らう犬』が距離を縮めて来てもシャン・ネビュラスは怯まない。
恐怖はなかった。心には勇者と言えるような勇気、そして必ず守るという強固な意志が存在している。
可愛らしい犬以外はこの世の終わりのような光景だ。
触れたものを分子レベルで消滅させる破壊力の光が五十以上、雨のように降り注ぎ、大地に次々と大穴を空けていく。シャンが光を避けても爆風と大地の欠片が襲い掛かる。それに耐えていると『神をも喰らう犬』が横を通り過ぎようとしたので、最高火力の炎魔法を放つ。
「〈炎熱波動〉!」
鋼鉄だろうと瞬時に融解させる熱量の炎が子犬に直撃して、肉体を燃やし尽くそうと炎柱が上がる。炎の勢いは収まらず、身を包む高熱が子犬の命を奪おうとするが、異常に気付いたシャンは目を見開く。
――全く、意に介していない。
神すら喰らい殺せるという噂からその名がつけられた生物は、可愛らしい見た目をしていてもその実力は確かである。熱耐性も異常であり、全身のモフモフした体毛は魔力そのものを分解する特性があった。
ゆえにシャンが放った最高火力の攻撃は、光天使も焼き尽くせる火力だったにもかかわらず、一匹の子犬を殺すことが出来なかったのだ。
炎の中で平然とする『神をも喰らう犬』は口を面倒そうに開ける。
瞳が体毛と同じように真っ赤に染まると、小さな口に高熱の炎が吸い込まれて勢いを弱めていく。炎はみるみると小さくなり、天にも届いていた炎全てが胃の中に収められてしまった。
一見、意味のない攻防。
シャンは全力で殺そうとしても殺せる術を持たず、『神をも喰らう犬』はシャンなど眼中にない。
しかし、数秒足を止められたことには意味があった。
時刻は進み、真夜中の十二時丁度になる。
その時、元から淡く光っていた鏡のようなゲートが強い光を放ち、帰還する準備が整った。異なる世界同士が強い繋がりを持ち、道が繋がったことが激しい光によって全員に知らされる。
「光が強くなったよ! 今なら元の世界と繋がってるんだよね!?」
「そのはずだよ、全員飛び込むんだ! シャンさんの時間稼ぎを無駄にしちゃいけない!」
「その通りだよ白部君、行こう……いや、帰ろう!」
「シャン・ネビュラス。せめてその最期を見ておきたかったな」
異世界人の四人はゲートに飛び込む。
まずは洋一を抱えた恵が入り、後に神奈と速人の二人が続き……ふと、振り返る。
『神をも喰らう犬』は餌目掛けて駆けており、光天使は光の雨を降り注がせることに集中している。光の雨が大地を抉り続ける。終焉を迎えるかのような光景。破滅へ向かう世界でシャンは……緑色の光の粒へと分解されていた。
光線に当たったからではない。
シャンが消えていくのは自分自身の仕業だったのだから。
「安らかに成仏してくれシャン・ネビュラス。来世は平和な世界に生まれるといいな」
「まさかあの女は、あの女の正体は……お前は気付いていたのか」
神奈と速人がゲートに入った直後、白い光は弱まっていく。
一日の内たった一分だけの役目をゲートは終えた。
それからすぐ『神をも喰らう犬』が飛び掛かるが、どこにも繋がることはなくゲートをすり抜けるだけで終わった。次は二十四時間待たなければ異世界へと繋がらない。
「あなた達はあなた達の世界を守って……その世界の勇者となって……守って、ね」
下から光となって消えていくシャンは、言い終わると同時に一気に体全てが粒となった。
緑色の粒はどこを目指すのか天高くに昇っていく。
その場にいた光天使以外の全ての存在がその世界から消えても、光の雨が降るのは止まらない。
鏡のようなゲートは、一本の光線によって近くの大地ごと消滅してしまった。




