27.4 射的――一発逆転を狙うなら工夫せよ――
夏祭りが開催される神社。笑里との集合場所であるそこに、一足早く着いた神奈は集合時刻まで待つことにする。
ここに来るまでに神奈は浴衣を着るために浴衣レンタル店に行っていた。
祝福とやらを貰えた神奈は晴れやかな気分で赴く。地味で目立たない黒一色の浴衣を選んだが、店員にもったいないと言われて、黒一色ではなく、そこに白い花柄も追加されたものに強引に替えられた。
店員が客の選んだ物を替えるなど理不尽すぎると神奈は思う。
浴衣というものを初めて着た神奈はかなり戸惑っていた。
よく分からない専門用語に、小難しい説明。一応小学生だからか言葉は優しかったが、肝心の浴衣の着方はややこしい。左の衿が上になるように着るのだと言われ、これを「右前」と呼ぶなどややこしい以外のなにものでもないだろう。
右前と聞くと右の衿が上になると勘違いしやすい。せっかく左衿が上になるように着ると覚えても、右前と言われたら逆なのではと素人は混乱してしまう。
和装で使われる右前というのは右衿が上になるという意味ではなく、右衿を左衿の前に重ねるという意味である。つまり左の前に右を重ねるというのは前後の順番のことを意味している。
「言葉だけを聞くと勘違いしそうですが、神奈さんはもう覚えましたか? 覚えられないならアルファベットのYの小文字を思い浮かべるといいですよ」
「覚えたよ。もう浴衣なんか面倒で着ないかもしれないけどな」
「えぇ、もったいないですねえ。和服いいじゃないですか」
店員も口にしていたが何がもったいないのか神奈には分からない。誰がどんな服を着ようが個人の自由だ。
神奈は腕輪とそれからも他愛のない会話をしていると、集合時刻はもうあと十分となった。暇つぶしでやっていたしりとりがなかなか続いた。
太鼓の音が周囲に鳴り響き始め、賑やかさも増してくる。家族や恋人、友達同士で来ている客が押し寄せて、本格的に祭りが始まった。
そんな賑やかな音の中だというのに、一際大きな声で神奈の名前が叫ばれる。
「神奈ちゃあーん!」
「笑里さっ、こわっ、怖いからスピードを、落としてえええ!」
道の最奥からオレンジ色の猛牛が走ってきていた。いや、それと見間違うほど速く走りすぎている笑里だった。
オレンジ色で蝶柄の浴衣を着て、笑顔で両手を振りながら走ってくる笑里の背中には、同じく浴衣を着ているが青い顔をしている才華がしがみついている。
笑里タクシーは高速道路を走る自動車以上の速度。安全性皆無なので才華が怖がって当然だ。少しでも力を抜けば地に落ちて、見るも無残な死体となってしまうだろう。
歩いたり走ったりするのに法定速度はない。だが自動車より速いなら、法律で縛るくらいしないといつか人が死にそうである。
靴が道路と擦れて出た音とは思えない、車の急ブレーキのような音を出しながら、笑里は減速して神奈の目の前でピタッと止まる。それと同時に力が抜けた才華が、硬い道路に尻を打ち痛みから声をあげた。
「才華ちゃん大丈夫!?」
「心配するなら……せめて、半分くらいの速度に、してよ」
恐怖から両足が生まれたばかりの小鹿のように震えており、才華が立つ気配が全くない。だが神奈が手を貸すと、才華は足を震わせながらも掴まってなんとか立ち上がる。
「立ちましたね神奈さん。才華さんが……才華さんが立ちましたよ!」
「いやここそんなに感動する場面じゃないだろ! ていうか才華はどうして笑里におんぶされてたの?」
黄色い浴衣で向日葵を連想させる浴衣を才華は着ている。
地面に打った尻部分をはたくと、才華は涙目になりながらも説明した。
「私も笑里さんに夏祭りに行かないかって誘われたんだけど、集合時間に習い事で間に合いそうにないって言ったら一緒に行こうと言われて……」
「暴走タクシーと化した笑里に乗ってきたと……もうこれわけわっかんないな」
コミュ力が爆発している笑里のことだ、神奈はきっと才華も誘っていると思っていた。夢咲辺りも誘っているのかと思っていたが、話題に出てこないということは誘っていないらしい。
神奈は夢咲に最強の侵略者について話してはいないが、すでに宇宙人の件については解決したと報告している。安堵しきった表情だった。予知夢を見てから、神奈という強力な味方がいても不安が拭えなかったのだろう。しかしグラヴィーは当然まだ地球にいるので、見られたりしてバレたら即アウトである。
「時間には間に合ったしよかったね! それじゃあ早速行こうよ!」
「鬼かお前は。まだ才華の足震えてるぞ」
「行きましょう……」
「しょうがないな。神社の階段くらいは私が背負っていくよ」
「ありがとう、安全運転でお願いするわ……」
言われなくても、神奈は時速八十キロメートルを超えるような笑里と同じにするつもりはない。
神社はまず長い階段から始まる。合計三百段はあるという本当に長い階段だ。
神奈の場合飛んでも跳んでもすぐに上に着くが、人が大勢いる場所では魔法を使うとマズい。身体能力の方については速人や笑里などの超人例もあるので、基準が分からないとはいえ多少なら出してもいいと神奈は思う。
長い階段を、神奈は才華を背負いながら上りきる。
その頃には足の震えも段々と収まってきたようで、才華は下ろされても、立てないほど震えることはなくなっていた。
「それにしても二人とも浴衣似合ってるな」
紐に吊るされている赤い提灯が、屋台が数多く並ぶ夏祭り会場の道を囲んでいる。夜が近いというのに太陽とは違う明るさを持っていた。
大勢の人で賑わい、道行く半分近くの人は神奈達と同じように浴衣を着用している。やはり夏祭りといえば浴衣を着なければ勿体ない。そう思いながら神奈は二人の浴衣姿を目に焼きつける。
「ありがとう、神奈さんも似合っていると思うわ」
「神奈ちゃんも可愛いよね、すごくきれい!」
褒め言葉である「可愛い」や「きれい」など、女性に使われそうな言葉に神奈は一瞬眉を顰めるが、今の性別が女性なのは確かであるし仕方ないと受け入れる。
褒められているのだから文句は言わず「ありがとう」と素直に感謝を伝えた。
神奈達三人は夏祭りに本格的に参加し始める。
食べ物を売っている多くの屋台から、すぐ近くにあるリンゴ飴に早速笑里が目をつけた。
リンゴ飴というのは、リンゴをべっこう飴でコーティングした食べ物。竹串に刺さっている赤く光るリンゴは神奈にも美味しそうに見える。
「笑里さん、涎は拭きましょう。というか垂らさないでね」
「どんだけ空腹だったんだお前……」
「今日のためにおやつを抜いてきたからね」
「おやつだけかよ! じゃあ空腹ってほどでもないのに涎ってそんなに垂れるほど出る!?」
涎を垂らしたり飲み込んだりしてじゅるりと音が鳴る。
夏祭りでこんなに涎を出している人間を神奈は初めて見たし、おそらく他にはいない。
三つリンゴ飴を購入して、三人でそれぞれのものを舐める。
甘いという感想が一番に出た。鮮やかに光る赤い果実と、それに塗られて固まっているこれまた赤い飴は実に甘い。ハチミツのように濃厚な甘さを持っていて、舐めれば舐めるほど脳を刺激してくる。
しかし突然――硬いものを噛み砕くような音が神奈には聞こえてきた。
「う~ん、おいしいいい」
笑里がリンゴ飴をバリボリと噛み砕いていた。食べ方は人それぞれであるし大多数がそう食べるのでおかしくはない。……ないのだが、硬いはずの芯まで、クッキーでも齧るみたいに食べているのはさすがにおかしい。
リンゴの芯を食べる人間などそうはいない。そもそも本当に芯まで食べて美味しいのか神奈には疑問である。
竹串以外全て腹に収めた笑里に、まだ半分も食べられていない才華が慌てて叫ぶ。
「ちょ、ちょっと笑里さん! リンゴの芯までは食べたらダメよ!」
「え、どうして? おいしいけど」
「リンゴの種にはアミグダリンっていうのが含まれてて、体内でシアン化物に変わる。このシアン化物は、人を殺す力を持っているのよ」
神奈が思った以上にリンゴの芯、というよりは種にヤバい成分が入っていた。少し齧っていたら種が口に入ってきたので慌てて地面に吐き出す。
「そのアミグダリン、リンゴ数個程度なら摂取しても問題ありませんよ。多く食べ過ぎたらもちろんダメですがね」
ここで腕輪の豆知識が登場。
情報は信用できるが、神奈は結局リンゴの芯を残して、屋台の傍にあるゴミ箱へと捨てる。
「だって! なら大丈夫だよね!」
「もう、日本で芯まで食べると周りから変な目で見られるから言ってるのに……」
「ああそういうことか」
別に腕輪が言ったことを知らなかったわけではなく、ただ才華は目立ちたくないから、笑里が芯を食べることを止めさせたかっただけであった。
店主も「え、マジかよ」と驚愕の表情で零している。確かに芯まで食べるという行為を、見る人が見れば驚くことなのは間違いない。
リンゴ飴を完食し終わった神奈達は歩き出す。
少し歩いて次に立ち止まったのは射的のゲームができる店だ。
「ゲームをやっていくか? 一回百円だ」
コードが店の奥へと伸びている玩具の銃を店主が渡してくる。
意気揚々と笑里が受け取ると、困惑したように景品を探す。
射的といえばコルク銃で用意されている景品に銃弾を当て、棚から落とすとその景品が貰えるというようなゲームのはずだが――この射的屋にはどこにも景品がない。
唯一他の店と違うのは、正面に真っ暗な液晶画面のようなものが置いてあることだ。それがなんなのか神奈が考えていると、いきなり光り出して画面に「START」という文字が浮かぶ。少ししてその「START」の文字が消え、画面が切り替わる。
古い木造建築の内部を画面が映し出すと、奥からゆっくりと人ではないものが向かってくる。ゾンビだと言われれば納得する見た目で、笑里が銃を試しに撃ってみると、ゾンビらしき生物にヘッドショットが決まり一撃で消え失せた。
画面右上にある数字がゼロから増加した。
「これただのゲーセンにあるゲームじゃん!」
しばらくして、慌てながらも笑里が画面の敵全てを倒しきると「CLEAR」の文字が大きく表示された。
完全に、疑いようがなく、この機械はゲームセンターのものだ。
一回百円というのもそれを考慮すれば的確な値段……というかそれを機械に入れなければ、プレイすることすらできない。
「おおすげえな、おつかれさん」
「怖かったあ……」
「怖かったの……? 笑里さんけっこう楽しんでいたように見えたのだけど」
「うん、ゾンビっていってもやっぱり元々は人間なんだよね。それなら人殺しとは違うけどやっぱり怖いよ……殺しちゃうなんて私は嫌だな。たとえゾンビでも話し合って、笑い合って、一緒に生きていければいいのにってずっと思ってた」
笑里がまともなことを言うと、違和感があるのはおかしなことではない。
本人が殺したくないと言っていても、普段仲良くなろうとするときにするパンチは殺傷能力が高い。今まで実力のある神奈とレイ、予知の力で防いだ夢咲、どうにか説得してみせた才華くらいしか知る者はいない。笑里の拳はほとんどの人間を一撃で殺す力があるということを。
「ゾンビね……もしもそんなのがいたら原因を突き止めないといけないわね。ウイルス、突然変異、それとも科学兵器……いったい何が原因でこの人達はゾンビになってしまったのかしら」
「そこまで考える必要なくない? これたかがゲームだよ?」
才華なら原因を突き止めて、ゾンビ化を防ぐ方法も見つけられるかもしれない。無論それは全て財力によるものだが、財力という一点のみで勝負すれば才華ほど強い者もいないだろう。
「ていうかなんで夏祭りでゲーセンの機械があるんだよ」
まず一番の疑問はそこだろう。
本来ならゲームセンターにある機械。それがなぜ夏祭りの場に屋台として置かれているのか。
この店の主である男は素朴な疑問にすまし顔で答える。
「祭りの時はみんなが張り切るから、出し物が被ったら人気で勝負する形になる。俺は被るのが嫌で、それでいて何か楽して稼げないかなと思ってゲームセンターに目をつけた。学生人気が高いゲームで、なおかつ店頭に置いてない台はないかと聞けば、ゲームセンターに一台だけあったんだ。俺はそれを買い取ってこの祭りで勝負することにした。全ては金儲けのためにな」
「ちなみにそのお値段は?」
神奈が訊くと、男は難しい顔をして口を動かす。
「五十万円だ。今ので百円取り戻した。だから頼む、あと五千回近くプレイしてくれ」
「利益よりも支出の方が多いじゃん!」
せっかくの夏祭りにゲーセンの機械で遊ぶ輩はそういない。明らかにこの男の考えが浅かった。
誰かと被ることを恐れて特殊なことに手を出すのはいいが、それが正解かどうかは分からない。今までにないものにチャレンジするには、それなりに計画というものを立てなければいけないものだ。
「本物の射的屋さんはどこにあるの?」
「それならほら、隣だ」
「隣にあるのかよ! ならほとんどの人がそっち行くよ!」
祭りにある一般的なの射的がやりたかった笑里の問いに、店主が左隣を指さすと「しゃてき」という文字が書かれた暖簾がある店が存在していた。
祭りでしかできない射的と、ゲームセンターに行けばいくらでもできる射的。どちらを選ぶか聞かれれば、誰もが当然ここでしかできない方を選ぶだろう。
神奈達三人は隣の射的屋に移る。そこには見覚えのある先客がコルク銃を撃っていた。
その先客は神奈達がいることに気がつくと、残りの弾全てを連射して、一番大きな一メートルはある大きいうさぎのぬいぐるみに当てる。
「待っていたぞ神谷神奈、射的で勝負だ!」
「お前かよ! 全弾当てたぬいぐるみ動いてないのかっこ悪いな!」
先客の正体は入院しているはずの隼速人だった。
 




