229 滅亡――あの光のせいで――
2025/11/03 文章一部修正
焦って異世界に飛び込んでからしばらく経ち、鷲本恵は目を覚ます。
目が覚めたことで気を失っていたということに初めて気がつく。
視界に入っているオレンジに近い赤の大地によって、半信半疑だった異世界に辿り着いたと理解する。
「ここ……異世界なんだ。あっ、洋一は!? 洋一! 神谷さん!」
視界には誰も映らないし、反応も返ってこない。
異世界に来る前の洋一の様子を思い出すと、恵は胸が千切れるような痛みに襲われた。
「はぐれたの? どうしよう、私のせいで……私って洋一に迷惑掛けてばっかり……! 絶対に私が洋一を助けってうわ!?」
歩き出してすぐ恵は転んでしまう。
大地には無数の亀裂が走っていて転びやすいが、恵が今転んだ理由は亀裂ではない。転んだ原因を確かめようと立ち上がり、さっきまで立っていた場所を見ると恵の目は見開かれる。
「洋一……?」
そこに倒れていたのは紛れもなく、捜し求めていた白部洋一であった。
転んだ原因は洋一に躓いたことだったのだ。
恵は駆け寄り、屈み込んで声を掛ける。目覚めさせるために肩を揺らそうとしたが、それは倒れている人間にやっていいことではないと思い出して止めた。
「洋一、洋一! 目を覚まして!」
「……ぅ、ぁ……ぅうん? めぐ、み……」
「起きた! よかったあ」
呼びかけで目覚めた洋一はゆっくりと目を開き、しっかり恵のことを見る。
洋一は右膝から下がない状態であるが、それで動けないわけではない。両腕と左足を使ってなんとか立ち上がろうとしたので、心配した恵が肩を支える。
「あ、ありがとう。それで……ここは?」
「ほら、七不思議のうち一つ。異世界に通じる階段を上がったらここに居たのよ……ここってやっぱり異世界だよね?」
「異世界か……あの時とは違う、ムゲンはどう思う?」
洋一の腰に紐で固定されている魔導書が問いに答える。
「あの世界とは根本的に違う異世界じゃな。人の夢や希望を実体化させたあの世界とは違い、この場所は正真正銘全く違う世界じゃ。しかしどうやらこの世界はすでに滅びているようじゃな。気を付けろ洋一、何が来るのか分からんぞ」
「分かってる……〈解析〉」
洋一の瞳が金色に光り、世界そのものを解析していく。
「過去を調べたけど、どうやらファンタジー世界みたいだね。僕達の世界もファンタジー世界だけど、なんというかこっちは本格的だよ。まるでゲームみたいな世界かな」
「じゃあもしかして私にも魔法とか使えたりするの!?」
「いやそれは無理だね。魔力がないから」
魔力があっても操れなければ魔法は使えない。
例外はなく、魔力を引き出せない恵も使えない。
しょんぼりする恵はふと犬のことを思い出し、洋一に問いかける。
「ねえ洋一、さっきの子犬なんだけど……何を視たの?」
「あれは子犬なんて生易しいものじゃないよ。あれの名は『神をも喰らう犬』。その名の通り神すら餌にする上位の生命体だ。そして恵、あれに舐められた君は餌としてロックオンされてしまったんだよ」
「それって私の存在が女神みたいって話……じゃないわよねぇ」
物騒すぎる動物に餌認定されたと言われたら気分は沈む。
「舐められたら最後。生きていようが死んでいようが、巨大に開く口で吸いこまれる。口の中はブラックホールみたいになってて、一度噛まれたらもう吸い込まれるしかない。とにかく逃げても追いかけてくるから異世界に行って、僕達だけ戻れたらさすがに追いかけて来られないと思ったんだ。おそらくあれもこっちに来てる。早く神谷さんと隼君を見つけて元の世界に帰る方法を探さないと」
「元の世界に戻れる方法が分かっていないのに飛び込むとは、切羽詰まった状況だったとはいえバカなことをしたものじゃ。しかし、一度奴から離れるために良い一手ではあった。あの犬は異常という言葉が似合う。もはや犬とは呼べないな」
「ねえ洋一……」
「どうしたの恵、何かあったの?」
「あれ、私の見間違いならいいんだけど……こっちへ来てない?」
「あれ?」
恵がそう言って指を向ける方向を洋一が見ると、驚愕する。
遠いこともあるが、小さな体躯は豆粒のように見えている。
それはオレンジに近い赤の地面とは違って血を被ったかのように真っ赤だ。
それは走ってきている。確かに近付いている。
「『神をも喰らう犬』……!」
その正体が洋一は一目で分かった。
「嘘でしょ……だって、なんでよ……これじゃあ……こんな世界に来た意味なんてないじゃない」
「ダメだ、僕は右足がないし戦っても勝てないかもしれない。恵逃げよう! 今すぐ逃げるんだ!」
「洋一……」
逃げるしか選択肢がない。それ以外を選ぶならば死あるのみだ。
それしかないといっても逃げ切れるかは分からない。恵が洋一に肩を貸しながら走れば速度が半減してしまうし、どういう体勢で支えようと速度減少は変わらない。そもそも、仮に恵が全速力を出せたとしても敵の方が速い。
「逃げるのは洋一、あなた一人よ」
「……え?」
「あの犬の狙いは私でしょ? だったら私が残って抵抗するからその間に逃げて、生き延びて」
間抜けな返事をした洋一は理解したが、納得はしない。
「ふざけないでよ、君が死んだら意味がないんだ! 全員で生きて帰らなきゃいけないんだ! 君までいなくなったら……僕は……僕はもう、立ち直れないかもしれない」
「ごめん、私は洋一にだけは生きていてほしい」
恵は洋一の肩を支えるのを止めて一歩前へと踏み出す。
『神をも喰らう犬』は姿をはっきり視認出来るくらいに近付いていた。
「ダメだ、ダメなんだ。もう僕は失いたくないんだよ。記憶から忘れられて、みんな僕の傍にいてくれなくて、ムゲンと君がいなかったら心が壊れてたかもしれない。頼むよ、僕には君が必要なんだよ、必要なんだ……!」
「嬉しいよ、生きてきた中で今が一番嬉しい。ねえ洋一、初めて会った時、洋一は言ってくれたよね。心が折れても、砕けても、大切な人のことを思って行動すればきっと心は治っていくって。それでその後、言ってくれたよね。もしも大切な人がいないのなら、僕と友達になってお互い大切に思える関係になろうって……私その言葉で、どれだけ救われたか自分でも分からない」
「だったら! だったら一緒に逃げるんだ!」
「大切な人を守るために犠牲になることに躊躇はしない。ねえ洋一、最低の告白だけどさ……たぶんもう言えないだろうから今言うね。絶対聞き逃さないでね」
『神をも喰らう犬』が数メートルという距離まで近付いて、人間が縦に入るくらいに口を大きく開ける。
恵は涙を流しながら目の前に迫る死に背を向けて、僅かに笑いながら洋一の方を向く。
「失う前に、戦ってやる」
洋一は魔力を高めて、勝てる可能性が一パーセントでもあるのなら戦おうと覚悟を決める。夢現世界で死闘なら経験済みだからか覚悟が決まるのは早かった。絶望も敵も全て吹き飛ばしてやると意気込み拳を握る。
「私は、鷲本恵は……白部洋一のことを……愛――」
「〈炎熱波動〉!」
上から降ってきた灼熱の炎が『神をも喰らう犬』に直撃した。
「し……え?」
炎が『神をも喰らう犬』を苦しめるが、驚くべきことに炎をスープのように飲み始めた。
みるみると小さくなった炎は全て口に吸い込まれて消えた。
「大丈夫ですか!? とりあえず失礼します!」
炎の後、さらに上から下りて来たのは神奈、速人、シャンの三人。
シャンの黒いローブを神奈と速人は掴みながら、洋一と恵の手をそれぞれ掴む。
「〈下級転移魔法〉!」
五人は一瞬にして姿を消した。
『神をも喰らう犬』はすぐ近くに居たはずの餌を探す。
その場から忽然と姿を消してしまったことに首を傾げ、途切れている匂いと自身にだけ感知できるモノを頼りに走り出した。食べると決めた餌を食べるまで『神をも喰らう犬』は諦めない。
* * *
数多の崩壊した建物がある場所で、一軒だけ無傷の家屋が存在している。
瓦礫だらけの場所に似合わず可愛らしいピンク色の壁、屋根は茶色のグラデーションで上にのぼっていくごとに色が薄くなっている。その家屋に四人の人間と一人の魔法使いがいた。建てられたばかりのような家屋は魔法使い、シャンのものだった。
「あの、さっきの……聞いてました?」
長い沈黙を破ったのは恵だ。
まるでこれから死ぬかのような台詞を口にして、告白の言葉をほぼ言い終わっているところで救助された。助けられたとはいえ恥ずかしく、誰もがそれを理解しているので十分以上沈黙状態になっていた。
沈黙の中でも一応話をしようとしていたので、小さな机を五人で囲うように椅子に座っている。
そして話をするために神奈が翻訳魔法を全員にかけているので、会話は成立する。こまめに掛け直さなければならない面倒なデメリットはあるが、自分以外会話できないよりはマシだと思う。
「……はい、バッチリと」
「し、死にたい……」
頬を赤らめた恵はそれを隠すために両手で顔を覆う。
「ダ、ダメだよ恵、助かったんだから! お、遅くなったけど助けてくれてありがとうございました!」
「いいんです、神谷神奈さんと捜していたので当然ですよ。あの、失礼ですけど、告白は早めにした方がいいですよ? 死ぬ間際にされても困ると思います」
「し、死にたい……! いっそ殺してよ……!」
無言で刀を抜こうとする速人を神奈が手で止める。
「それであなたはどうするんですか?」
シャンが洋一へと顔を向ける。
「告白されたんですよね。未遂ですが、もうしたようなものでしょう。返事はどうするんですか?」
「えっと、僕としてはまだ友達でいたいといいますか……」
洋一の言葉で恵は机に突っ伏してしまった。
「その、元気を出してください。実は私も過去に失恋したことがありましてね。あの時は一晩泣いておやつしか喉を通りませんでした」
「……おやつは喉に通ったんですね」
「ええ。ああ食べますか? 今はどこでも作られてませんけど、この国の、今は国ですらないですけど、美味しいクッキーがあるんですよ」
刀を抜くことを諦めた速人が神奈に目で訴えて、理解した神奈は手を放す。
「いつまでもくだらん話をするな、肝心な話が出来ん。シャン・ネビュラスだったな、お前が知っていることを全て吐け」
「言い方は引っかかりますけど……分かりました。この伝説の魔法使いである私が話をしましょう」
「……伝説って自分で言うんだ」
まだ少し頬が赤い恵は顔を上げ、両手を膝の上に戻して呟いた。
「その美味しいクッキーは紅茶によく合いましてね。女性に大人気の甘い果実を生地に練り込んだ甘味が強いものです。一時期は売れすぎて製造が間に合わず、販売停止になったこともあります」
「誰がクッキーの話をしろと言ったんだ! この世界の現状についてに決まっているだろうが!」
「……今のは場を和ませようとしただけですよ」
わざとらしくゴホンと咳払いをしたシャンは改めて口を開く。
「ええ、まずはっきりさせておきたいのは、あなた達が異世界の人間であることですね。あの光天使を知らなかったことからこれは決定的ですし、神谷神奈さんの発言からも断言出来ます。白部洋一さん達もそうですね?」
「はい、僕達はとある理由からとある場所を調べていて、その途中でこの世界に飛ばされてしまったんです。シャンさんは異世界ということにあまり驚いていませんね。もしかして珍しくはないんですか? 帰る方法が分かっているとありがたいんですが……」
「異世界のことを知っているのは以前、異世界人を勇者として召喚しようなどという企みを持った王がいたからです。まあそこらへんの話はどうでもいいですね。結論を言えば、私はあなた達が帰る方法を知っています」
神奈達は「おお」と嬉しそうな声を出す。
「そもそもこの世界と繋がっている異世界は、私が勇者召喚魔法を研究してゲートを繋げた世界一つだけです。ゲートがある場所はここから東に数分飛べば着きますよ」
「ならすぐにでも帰れるのね! よかったああ」
「いえ、今すぐというわけにはいきません。ゲートが繋がるのは真夜中だけですから。今は昼ですし、あと半日過ぎないと帰れないでしょう」
「それも階段と同じ。もしかしてあの階段がゲートだったのか……?」
真夜中に繋がるという点から洋一は伊世高校四階へと繋がる階段と、異世界に存在するゲートが繋がっていると推測する。なぜ学校の階段と異世界が繋がるのかは分からないが。
「なるほど、帰る方法は分かりました。じゃあ次の話題に移りましょう。どうしてゲートを作ったのか。あの光天使はなんなのか。聞きたいことは山程あります」
神奈はシャンの話を聞いてから色々と気になり始めていた。
ゲートをわざわざ作り上げた理由。
無差別に攻撃してくる光天使が何者なのか。
大きな謎はこの二つである。
「そうですね、この世界に来てしまったのも何かの縁ですし話しましょうか。私は勇者一行の仲間として魔王を倒す旅をし、いくつもの苦労の末、魔王を倒すことが出来ました」
「もしかして、その勇者ってのが異世界人ですか?」
「いいえ、魔王を倒したのはこの世界に選ばれた者です。異世界人を勇者として召喚した王はいますが、その勇者は力に溺れ、人類の希望にあるまじき行為ばかりしていたので、私達が倒したのです」
「……典型的なクズじゃん異世界人勇者」
「話を戻しますが、魔王を倒して数か月の時が経ったある日……あの光天使が現れたのです」
「すみません、その光天使ってなんですか?」
黙って話を聞いていた洋一は光天使を知らないので問いかける。
「光天使……正式な名前がそれで正しいのかは分かりませんが、私達人類はそう呼びました。光そのもののような、天使の姿を模した体。これらから光天使と名付けられたのです。あれらは勇者が倒しても、新たな個体が出現して滅びませんでした。戦いが続いていくと人類が押し負け……人類は滅びました」
「なんでその光天使って人を襲うんでしょうか」
「どのようにして生まれたのか、詳しいことは何も分かっていません。分かっているのはあれらが強いこと、数が多いこと、なぜか生命体を確認すると攻撃してくることだけですので」
未知のものは怖い。洋一は自分の世界でも光天使が現れないか不安になる。
「それで異世界に繋げて……あれ? 目的はなんですか?」
「初めは私達よりも強い者がいると思い、救助してもらう目的で作りました。異世界から勇者が召喚された時は強さが目立ちましたからね。でも、今となってはもう手遅れです。人類も世界も滅びてしまいましたからね。だから今、勇者があなた達の世界で何をしているのかは知りません。ああ、言う順番が逆になってしまいましたが、勇者がそちらに行っているのです」
「なるほど……もうだいたい分かりました。どうしてこの世界が滅びたのか。異世界へと繋げたのか。知りたいことはもう分かりましたよ。辛いこともあったのに話してくれてありがとうございました」
神奈達は知りたいことを知ることが出来た。
これ以上シャンに辛いことを思い出させる必要はない。
神奈達はそこで一旦異世界について知ろうとするのを止めた。




