225.1 美顔――顔を隠す理由――
神谷神奈は悩んでいた。
最近調査中の七不思議についてではない。後ろの席の生徒、自称スライムのスラリンについてだ。青い球体の被り物を被り続ける彼女のことが非常に気になる。
授業を真面目に受けようと思っても、後ろの彼女の姿が頭から離れず集中出来ない。常にあんな被り物をしていたら誰だって注目するだろう。もはや間接的な授業妨害だ。
「なあスラリン」
「ん? 何?」
一限目の授業が終わってから神奈は振り返り、思い切ってスラリンへと話し掛けた。相変わらず彼女の声はいつまでも聞いていられると思える程に美しい。被り物のせいで少し声がこもってしまうのが残念だ。
「お前さ、なんでそんなもん被ってんの?」
正直聞きたいことはいくつもある。
まずスラリンという名前は絶対偽名だし、被り物で息苦しくならないのかも知りたい。一先ず聞きたいのはなぜ被り物をしているのかだ。授業の妨げになるので理由は知っておきたい。
「やっぱり気になる?」
「めっちゃ気になるよ。授業に集中出来ん」
「ごめん。でも、これを取るつもりはない。絶対顔を隠したいから」
「あー、まあ、顔が理由だよな」
顔を隠したいのかな、と神奈は初対面から思っていた。
目立つ傷があるとか、醜いと思っているとか、顔を隠したくなる理由があるのだろう。それが何かは分からないが可能なら被り物を外してほしい。
「その、顔を隠したい理由って聞いていい?」
「――聞くまでもないでしょ神谷さん」
話に割って入ったのは亜麻色の髪を持つ少女、大空天海。
自己紹介の時に天使を自称していた美少女だ。
「大空。どういう意味だよ」
「本当に分からないの? 顔を隠したい理由なんて自分の顔に自信がないからに決まってるよ。それをわざわざ言わせるなんてスラリンさんが可哀想だよっ」
「違うよ。自分の顔は可愛いと思ってる。モテていたから。ただ、顔が良すぎるせいで中学生の時、女友達の好きな人が私を好きになっちゃって。女友達からは一方的に縁を切られた。だから、高校では顔を隠そうと思ったの」
珍しくもない話だ。女友達の好きな相手が自分を好きになると面倒なことになる。抜け駆けしたとか、誘惑したとか、勝手な妄想を膨らませて責めてくる。もちろん全員がではなく、一部の心の狭い女子だけだが。
「それは……お前、何も悪くないだろ。お前が顔を隠す必要なんてない」
「私もそう思うよ。本当に可愛い顔なら出さなきゃ勿体ないって」
「私の顔が原因で学校崩壊しちゃっても?」
「もちろ……学校崩壊って何?」
学級崩壊なら聞いたことはあるが学校崩壊はない。
言葉の通りなら学校が崩壊することである。
「学校崩壊は学校崩壊だよ。文字通り崩壊したの」
本当に言葉通りの意味だった。
「尚更意味不明なんだけど?」
「私のこと好きな人、教師と生徒合わせて二百人以上が喧嘩しちゃってね。学校は物理的に破壊されたんだ。これでも私が悪くないって言える?」
噓には聞こえない。真実だとして、異常すぎる。
二人の男が一人の女をめぐって争うことはある。ただ、スラリンの話だと人数が多く、規模も大きくて現実味がない。アイドルやヒーローのファンだって学校が崩壊するまで争わないだろう。
「……分からなくなってきた」
「その話が本当ならスラリンさんが悪いかも」
「でも、こいつは、何もしていないだろ」
「何もしなかったからこそだよ。スラリンさんが原因の争いなら、スラリンさんが止める手段はあったと思うの。私も中学生の時に似た経験あるんだ。私を求め合った男子が喧嘩しちゃったけど、私が止めるよう言ったら止めてくれたよ」
「争いの規模が違うだろ」
「行動するのが大切って話!」
確かに天海の言う通り、スラリンが行動すれば止められたかもしれない。スラリンが大好きで争っているのだから、彼女から止めるよう言われれば止めた可能性はある。残念だが今となっては可能性の話しか出来ない。
「……大空さんの言う通りだね。私は何も出来なかった。学校が壊れていくのを見るだけだった。だから高校では過ちを犯さない。私の顔は隠すのが世のためだよ」
「結局隠す結論になるのか。なあ、話に聞くだけじゃイメージ固まらないからさ、スラリンの素顔を見せてくれよ。トイレなら誰にも見られないだろうからさ」
「私も見ていい?」
「話聞いてりゃ気になるよな。いいぞ」
神奈、天海、スラリンは女子トイレに行く。
少し狭いが三人で個室に入り、スラリンが便座に座る。
「私のこと、好きになったりしない?」
「今まで色々経験してきたからたぶん大丈夫」
「私が好きなのは自分だから、スラリンさんに恋なんてしないよっ」
「ナルシストかよ」
「ち、違うってば。スラリンさんを安心させるために言っただけで」
「……信じてみようかな。見せるよ、私の顔」
スラリンが被っている青い球体を持ち上げて、素顔を晒す。
彼女の素顔を一言で表すなら至高の芸術。海に線を引いたような長髪。大きな瞳。小さな鼻と口。まるで計算されたようにパーツの位置は完璧。テレビに出演したり雑誌に載るような美女モデルと比べても、彼女の方が美しいと断言出来る。同性である神奈と天海でさえみとれてしまう。
「……これは……凄い」
「確かに……可愛い、ね」
スラリンは何も言わない。神奈達の言葉を待っている。
「よし、ずっと被り物してよっか」
自然な笑顔で天海が告げた。
「おいなんでだよ。スラリンが窮屈な思いをするだろ」
ついでに神奈も授業に集中出来ない。
「じゃあ神谷さんは、学校崩壊してもいいの?」
「それは……まだそうなると決まったわけじゃないし」
「なってもおかしくないよ。前例があるんだから」
天海の言う通り中学校での前例がある。
もし実力者揃う伊世高校で激しい争いが起きたら、学校なんてすぐ崩壊してしまう。争いが続けば日本全土にまで破壊規模が広がるだろう。それが出来る強さを持つ生徒が多すぎる。
「ありがとう神谷さん。私のこと考えてくれて嬉しかった。でもごめん、やっぱり私は顔を隠すよ。そうした方が良いと思うから。過去を繰り返すのは、嫌だから」
「……お前の気持ちは分かった。でも、本当は顔出して他の奴と接したいんだろ? せめて私と大空しか周りに居ない時は素顔晒せよ。私達はもう知っているんだからさ」
「ありがとう。嬉しいよ」
スラリンが微笑むのを見て二人は惚れそうになった。
天海は天使とか自称していたが、顔で判断するならスラリンの方が天使である。天海を天使と言っていた米神明八も二人目の天使と言うだろう。同性すら魅了する様は女神と言ってもおかしくない。
「――ねえ神谷さん達居るんでしょ! もう授業始まるわよ!」
突如トイレ内に響いた声は神奈の友達、鷲本恵のものだ。
「恵!?」
「「鷲本さん!?」」
なぜここにと神奈達は思ったが、授業開始が近いなら呼びに来てもおかしくない。居場所の特定は容易だ。学校で休憩時間に行く場所といえばトイレが真っ先に思い当たる。
「え、三人で個室入ってるの? まさか三人はエロい関係……?」
「誤解だよ脳内ピンク!」
「そうよ鷲本さん! 私は男の人が好きだから!」
「なんですって! 洋一は渡さないわよ!」
「なんで白部君の名前が出て来るの!?」
「てか私はって何!? おい私も男が……好き?」
「なんで疑問形なの!?」
真剣に考えると神奈は恋愛的な意味で誰かを好きになったことがない。
異性に転生した人間の悩み所だ。自分が恋愛するのが想像出来ない。
「ど、どうしよう」
スラリンは未だに素顔を出したまま、予想外の事態に弱いのか慌てふためいている。
「早く被り物で顔隠して」
天海の小声での指示にスラリンは頷く。
トイレの個室なら外から中は見えない。恵が来たのは想定外だが、スラリンの素顔を見るのは不可能と言える。被り物を被って個室を出れば何も問題ない。
――本当に、それが最善の選択だろうか。
神奈はふと疑問に思ってしまった。美しすぎるがゆえに顔を隠し、誰にも見せない覚悟を決めて生きるのは最善なのかどうか。スラリンは先程、神奈が自分には顔を見せていいと言った時に『嬉しい』と笑った。本当は顔を隠さず誰かと過ごしたいはずなのだ。
「待て。信じてみないか、恵を」
「信じるって……まさか、顔を見せるの? ダメでしょそれは。同性でも惚れそうになる顔なんだよ? 素顔晒せる相手を増やしてあげたい気持ちは分かるけど、リスクが高すぎるよ」
「恵なら大丈夫だと思う。顔を見せるか見せないか決めるのはスラリン、お前だ。自分の本音に従え」
「……私の本音」
スラリンは深く考え込む。
「神谷さんは、大丈夫だと思う?」
「絶対とは言えない。どうするか決めるのはお前だ」
神奈と天海以外に見せられなければ、スラリンは決意をより一層固めてしまう。高校生活だけでなく卒業してからも、一生顔を隠し続けるのが正しいと思ってしまう。本人が隠すことを望むなら神奈も何も言わない。しかし、違う。スラリンは嫌なことを自分に強制している。
もし今、顔を恵に見せられたらスラリンの可能性が広がる。友達と顔を合わせながら話せる、楽しい高校生活という未来に行けるかもしれない。神奈はそのための手助けをしたいと思っている。
「うん、分かった。私は、私のことを真剣に考えてくれる神谷さんを信じたい。これも私の本音だから」
「そうか。……よし、開けるぞ」
神奈が個室の扉を開けると、恵が外で待ち構えていた。
「あ、やっと出て来たわね」
「待たせて悪かったな」
神奈と天海が個室から出る
恵の視線は一人残ったスラリンに向く。
「……可愛い子……誰?」
「私はスラリンだよ。鷲本さん」
「スラリン!? 顔可愛いのに隠すなんて勿体ない」
「私の顔を見ても、好きにならない?」
スラリンの声は震えていた。
過去を繰り返してしまうかもという恐怖は消えない。
「……なんで?」
それに対して恵は心底不思議そうに呟く。
「私の好きな人は洋一よ。洋一以外を好きになるつもりないから」
「な、スラリン。恵は大丈夫だったろ?」
「うん。信じて、よかった」
安堵の息を吐くスラリンは笑みを浮かべる。
スラリンの顔があまりに美形で神奈も少し不安だったが、恵なら大丈夫だと思える理由があった。恵の洋一へ対する想いは重く、執念すら感じる。重い愛を彼へ向ける恵なら彼以外を好きにならないのでは、と思ったのである。
「何なの?」
神奈達は恵に詳しい事情を説明した。
全て聞いた恵は納得して「へえ、なるほどねえ」と呟く。
「これからよろしくねみんな。他の人が居る時はスラリン呼びでいいけど、呼べる時は本名の青谷束茶って呼んでね」
「「え、スラリンって本名じゃないの!?」」
「今更気付いたの!?」
「因みに種族は人間」
「「スライムじゃなかったの!?」」
「分かるだろ普通!」
「ははっ、よろしくね」
神奈達は「よろしく」と言って笑い合い……次の授業に遅れた。
天海「……うーん、やっぱり隠してた方が」
神奈「なんだよ。不安でもあるのか?」
天海「私の天使ってポジションが取られちゃう」
神奈「安心しろ。お前は天使じゃない」




