223 零――藤堂師弟――
2025/09/15 文章一部修正
綺羅々が取り出した〈強化〉の霊力符を手から離すと、勝手に動き始め、両手両足を覆うように貼りつく。
それを見た神奈は気を引き締める。十数枚でかなりのパワーアップだったので、さらに使用されたら力量が追い付かれるかもと思ったのだ。
「ぐっ……う」
しかし、苦しそうに呻き声を上げる綺羅々を見て、神奈の表情は険しいものから心配そうなものになる。
「おい、お前それ身体に負担が掛かるんじゃないのか? もう止めとけよ」
「勝敗も付けずに止める? それは、ありえない!」
苦しそうな表情で駆けだした綺羅々の身体能力は神奈に近付いている。
全身の筋肉が裂けそうな痛みが走っても、ただ勝つために耐えて攻撃を繰り返す。霊力符を使う余裕もない猛攻。単純に使うよりも殴った方が強いという結論に至ったのだ。
一瞬の油断も許さない猛攻に神奈は両腕のみで対応している。
細かなフェイントも織り交ぜた攻撃を、両者は受け流したり防御したりしてから反撃する。ただひたすら殴る、蹴る、防御するの繰り返し。息をする暇もあまりない。
「ぐうっ……!」
猛攻は綺羅々が硬直したことにより止まった。
硬直中の綺羅々の胸に神奈が拳を叩き込み、吹き飛ばす。
「大した執念だと思うよ。でもさ、まずは自分の体を大事にしよう」
「腕も足も動かない……でもまだ、戦える」
「……止めろつってんだろ」
両腕に力が入っておらず、両足も立つのが精一杯。
既に満身創痍とも言える状態なのに綺羅々は戦いを止めようとせず、制服の袖から霊力符を大量に出す。霊力遠隔操作があれば手足を動かさずとも戦えるのだ。操作された霊力符が神奈の周囲を飛び回ると、左肩と腹部に密着してきて、次々と重なっていく。
「神奈さん、これは重ねることで効力を……!」
「四十重……撃」
左肩と腹部に重なる四十枚の霊力符から凄まじい衝撃が放たれる。
衝撃波で神奈の周囲の砂が消し飛んだ。零距離だったので魔力障壁で防御出来ず、左肩は脱臼し、肋骨は二本折れた。かなり強い痛みに歯を食いしばって耐える。
「くあっ……! いったいなあっ!」
全力を出し切った綺羅々は立つ力すら失う。
神奈は彼女に駆け寄り、地面に倒れる前に彼女を右腕で支えた。
「降参か?」
「もう手持ちの霊力符であなたを倒すことは不可能。……悔しい。私じゃやっぱりあの人には届かない。あの人なら負けはしないのに。いつまでも追いつけない」
「あの人……?」
戦意喪失した綺羅々は遠い過去の話を語る。
努力して追い付きたい目標。そして倒すべき敵となってしまった一人の男の話。
* * *
とある雑木林の中心に和風の屋敷があった。
まだ昼間で明るく、自然溢れる環境の中、屋敷の縁側にいたのは六十代後半の年老いた男と一人の幼女。
――藤堂綺羅々。当時四歳。
ふわっとしたサイドポニーは変わらないが、現在の彼女と比べると無愛想ではなく純粋無垢な幼女であった。どこにでも居る好奇心旺盛な子供である。
「ねえねえ零おじさん! これでどう!?」
綺羅々は薄い緑色の霊力を体内で練り上げて、霊力弾として手から放つ。
大きさは極小なものだし、外に用意された的に当たると弾けて消えてしまう。
本人は出ただけで満足であり、満面の笑みを男に向ける。
「ダメだな。威力、速度、何もかもが足りない」
「えええ、出たのに……」
「ただ出るだけでは役に立たん。攻撃力を持って初めて意味を持つのだ。小娘にはどうやら霊力弾の才能がないらしいな」
厳しいことを口にする老人は綺羅々の師匠のような役割をしていた。
薄い緑色の着物を着る彼は現役でも活躍している霊能力者。白髪があってもよさそうな歳なのに、白髪があるのは年老いたのを感じて嫌だという理由で黒く染めている。
綺羅々の両親は有名な霊能力者である老人の親戚兼弟子だ。娘も霊能力者として育てたかったが、自分達では力不足と感じて師匠の老人に育成を頼み込んだ。一流の霊能力者を目指す修行を綺羅々は週四日、一日三時間受けている。
「霊力はイメージだ。イメージしてこそ真価を発揮し、時に進化する」
「えぇ? よく分からないよ」
「まあまだガキだからな。そうだ、これをやろう……この俺様が若い頃に使っていた物だ」
手渡されたのは縦長な一枚の紙。真っ白な紙の中心には、幼い綺羅々が読めない漢字が書かれている。それを見た綺羅々は頭にクエスチョンマークを浮かべて首を傾げる。
「うーん……あ!」
何かを思いついた綺羅々は貰った紙を折り始めた。
綺羅々の様子を怪訝そうにジロジロと見る老人は、何をしているのか察しがついたので頭を軽く小突いて強制的に止めさせる。
「折り紙にするな」
「えぇ? これって折り紙じゃないの?」
「あんな紙きれと同じにするな。それは霊力符……霊力を込めれば紙の中に封じられたエネルギーが放たれる武器だ。わりと応用が利くし慣れれば便利だ。これからはそれを使って攻撃の練習をしてみろ」
それからの修行は霊力符を扱う練習を積極的に行った。
発動自体は簡単ですぐに使えたが、霊力で作り上げたエネルギーを霊力符に封じ込めるのは難しく、何度やっても失敗ばかり。霊力を込めて書いた字がエネルギーを作り上げるようで、器用ではない綺羅々には厳しい鍛錬となる。
師匠の老人は毎日外出しており、修行に付き添う時間がどんどん減っていた。
何をしているのか気になる綺羅々だったが、他の弟子達の修行や仕事だと思ってひたすら修行を続ける。修行に付き添う時間が減っても、僅かに会えるだけで綺羅々は嬉しかった。
「ねえ零おじさん。最近私のところに来てくれないの、どうして?」
「貴様に関係あるか? この俺様がどこで何をしていようと勝手だろ」
「前から言おうと思ってたんだけど、その喋り方似合わないよ」
「黙れ」
ある日には失礼なことを言って頭を小突かれる。
「そんなことも出来んのか。このカスが」
「うぅ、ごめんなさい……ひっく……」
ある日には落胆されて、暴言を吐かれて泣かされる。
しかしそれでも楽しかった時間は多い。失敗しても成功例を見せてくれたり、冷たいが時には優しかったりする。もちろん成功すれば褒めてくれる。そんな一面もあるので嫌いではなかったのだ。
ずっとこんな日常を過ごしていたいと綺羅々は思っていた。
――あの日までは。
ある日。両親が忘れ物をしたため、綺羅々一人で稽古場に行った。
老人が修行に付き合ってくれる時間は一層少なくなっており、修行からは楽しさが消えていた。それでも『よくやった』と褒めてくれるのを期待して修行を続けている。失敗を何百と重ねて、今では霊力符を完全に扱えるようになれている。
「えっへっへ、褒めてくれるかなあ。久し振りに会えるの嬉しいなあ」
ご機嫌な綺羅々を否定するかのように大雨が降っていた。
綺羅々は雨が嫌いだ。雨は涙に見えて、今日は悲しい日になると言われているようだから。
「……あれ?」
霊能力者の稽古場に到着して、綺羅々は違和感を覚える。
あまりにも静かすぎるのだ。いつもなら修行している未熟な霊能力者の声がするのに、生命の気配すら感じない。世界に一人取り残されたような感覚に襲われる。
「お母さーん、お父さーん。うぅ、なんだか薄気味悪いよ」
静かな稽古場で自分の足音だけがよく聞こえた。
不気味な雰囲気な稽古場を歩いていると、忘れ物を届けずに引き返したいとまで思えてくる。それでも引き返さない。師匠の老人か両親が居るなら、会えば少しは雰囲気も変わるだろうと思い探索を続ける。
「ここ、なんだろう。なんだか……くさい」
とある一室。名の通る霊能力者の修行部屋。
閉じた部屋からは鉄のような臭いが溢れており、生臭さに綺羅々は眉を顰める。そして足下に赤い液体があることに気付く。赤い液体も臭い同様に部屋から溢れていた。
「あれ、なに、この赤いの……え? これって……」
赤い液体で思いつくものは一つ。
表情が強張った綺羅々は扉に手をかけ、深呼吸してから一気に開く。
「……あ」
部屋の中にあったのは廊下まで流れている赤い液体。
「……あ」
枯れ木のように痩せこけた数十人の人間。
「……あ」
面影が少し残るミイラになった両親の姿。
「ああああああああ!?」
ひたすらに叫んだ。
みっともなく、惨めに、冷静になるまで何度でも叫んだ。
叫ぶことで恐怖を追い出したくて仕方がなかった。
「はあっ、はあっ、なんで……お父さん、お母さん」
息を切らした綺羅々は両親の遺体に近付いて座り込む。
誰がこんなことをしたのか。どうしてこんな酷いことをする必要があったのか。全て知らなければ気持ち悪くなる。犯人を捜そうと綺羅々が立ち上がった時、部屋に新たな人間が入って来た。
「……綺羅々か」
「零おじさん! 生きてたんだって血! 血がいっぱい出てる! 早く病院に行かないと!」
会いたかった老人の服と顔は真っ赤に染まっている。
手を引いて病院に向かおうとする綺羅々の手は払われた。
「必要ない」
「なんで!? 早くしないと死んじゃうよ!」
「そうだな。だが死ぬのはもう少し後だ。もう少し霊力が欲しいのでな」
「どういう……こと?」
なんとなく想像はついたが認めたくない。間違いであってほしい。綺羅々は切に思うが現実は非情で残酷だ。両親含め多くの人間を殺した犯人が誰かすぐに思い知らされる。
「相変わらず勘の悪いガキだ。貴様の両親もここにいた弟子達も殺したのは俺様なんだよ。こんなに血が出ていたら俺様が生きてるわけないだろうが」
「どうして……どうしてなのっ!?」
「ただ嫌だったのだ、老いていくということが。だがそれも終わりだ。俺様は若返る道具を手に入れた。これから死に、幽霊となり、老いという生命のシステムから逃れるのだ! まだガキの貴様に俺様の恐怖は分かるまい!」
老いたくない。幼い綺羅々には理解出来ない理由だ。
そんな理由で両親も、他の弟子だった人間も死んだのかと思うと、心は悲しさでいっぱいになる。
「私、霊力符が使えるようになったの。霊力込めるのとか全部出来るようになったよ……」
綺羅々は持って来ていた一枚の霊力符を血塗れの老人に見せる。
「そうか、遅かったな。やはり貴様に才能はない」
最初に成功した一枚。老人はそれを冷たく見下ろして吐き捨てる。
欲しかった言葉も貰えなかった。両親も殺された。
もはや綺羅々に老人に対する未練はない。
「うあああああ! 滅!」
霊力符から放たれた弱い電気は、老人が素手で受け止めて霧散する。
やっとの思いで成功したものが呆気なく消されて綺羅々は放心してしまう。
「ふん、この程度か。だが才能がなくてよかったな、貴様は殺さないでおいてやる。幽霊になった俺様の憑依先としてな。まあ、それも他にいい憑依先がいなければの話だ。霊力を持たず、純粋無垢、そして俺様と波長が合う者がベストか」
老人は綺羅々を殴り飛ばして、くるりと後ろを向く。
軽く頭を小突かれただけだった。その威力は以前の子供を叱るようなものではなく、破壊的な威力を持っていた。無力な綺羅々は何も出来ず意識を失ってしまう。
結局、それから老人は綺羅々の前に現れなかった。
宣言通り幽霊になり、誰かに憑依したのだろう。完全に敵となった老人といつ遭遇してもいいように、綺羅々は霊能力者としての実力を今も高めている。実戦経験も幽霊の強制除霊で積んできた。才能ある者を努力で追い越して、綺羅々は強さを持つ霊能力者になったのだ。
* * *
夜に伊世高校の校庭で仰向けに寝る綺羅々から話を聞いた神奈は、汗をだらだら流している。綺羅々の過去が悲惨だからではなく、語られた老人の霊能力者に心当たりがあるからだ。元々藤堂という名字な時点で嫌な予感はしていた。
重い話をされたせいで神奈は真実を話すか迷う。
「というわけ。だから私は幽霊と戦い続け除霊する」
「……う、うん。そうですよね」
「今も藤堂零は霊力を高め、憑依を繰り返しているはず。私は必ずあの人を除霊する。それだけを目標にしてきた。いくら才能がなくても努力して……藤堂零を除霊するその日まで、私は目標を諦めない」
「……ううんと、まあ、はい」
居心地が悪い神奈は静かに立ち上がり、現実逃避で夜空を見上げる。
「ちょっと神奈さん、これ言った方がいいですって……」
「ええと、やっぱり? 腕輪さんでもそう思っちゃいます?」
神奈は決心を固めてわざとらしく咳払いする。
立つ力も残っていない綺羅々は怪訝そうに神奈を見る。
「その、藤堂零なんだけど……」
「何? 知りたいことでもあるの?」
「――いや、私が除霊しちゃったんだよなあ」
神奈は夜空を見上げたまま、綺羅々にとっては衝撃の事実を告げた。




