27.2 祝福――トラックに轢かれると異世界転生するのがテンプレだけど、それは神に仕組まれていると思う――
宇宙人と戦っていたり、入院したり、神奈はあまり夏休みっぽくない夏休みを過ごしている。
惑星トルバ序列第一位の男。そんな怪物が地球に来るというので、心構えだけはしておかなければならない。しかし最強の侵略者が来る前に、夏休みという長期休暇の中でやらなければいけないことがある。
宿題……それは違う。そんなものはいつでもできるし、神奈の真にやりたいことではない。
(私がすべきは宿題よりも、もっと大事なイベントに行くこと)
「いや宿題やりましょうよ。もう夏休みも半分ないんですから」
半分もないからこそ、そんな時期だからこそ、神奈は行かなければいけない場所がある。
友達と一緒に遊び回れるあの場所に、あの夏定番のイベントに神奈は行くのだ。
(花火、リンゴ飴、たこ焼き、とにかくたくさんの楽しいことが待っている。あのイベントにだけは行っておきたい)
「夏祭りですね、分かります。でも宿題がほとんど終わってませんよ?」
そう、腕輪の言う通り夏祭りである。しかし一人では祭りにも行きづらい。コミュニケーション能力の高い笑里をあてにして、神奈は自分も誘われるだろうと連絡を待つ。
笑里が夏祭りに行かないなんてことはない。ただの希望的観測だが行くはずだと神奈は信じている。
(あの年頃の女の子なら祭りに行くだろう。絶対に行くはずだ、私は信じてる)
「まあ行くと思いますよ? だからその前に神奈さんも宿題をやりましょうよ」
「さっきからなんで当たり前のように心の声読んでるんだよ! 宿題は後半に一気にやるからいいんだよ!」
「いやもう今が後半ですよ! やらなきゃ怒られるんですからやりましょうよ。だいたい約束もしてないのに誘う連絡が今日来るとは限りません! 来るか分からないものを待たないで宿題やらなきゃダメですって!」
「連絡待ちなのは確かだけどな。笑里の件もだけど、グラヴィーの方からも連絡待ちだから。安心してくれ、もしも今日これから来たとしたら、私はどんなことしてようと侵略者の方を優先するから。……あ、でもトイレのときは勘弁してほしいな」
何事にも優先度というものがある。
トイレか地球の危機。どちらかを選べといわれたら、神奈はまずトイレに行くだろう。地球を救うため宇宙人と戦っているときに、漏らすなどということがあれば最悪すぎる。戦いの最中に漏らすヒーローもヒロインも誰にも求められない。
「まあ……漏らすのは嫌ですよね。それは分かったので宿題しましょうよ」
「いや待て落ち着け……あ、笑里から連絡来てる!」
思わず顔が緩くなってしまうのが、神奈には自分の顔を鏡で見なくても分かる。
神奈は笑里から送られてきた文章を口に出して読んでいく。
「神奈ちゃん。海も山も行ったし夏祭りに行こうよ」
海と山に行って、その次がどうして夏祭りなのかは分からないが、誘われる第一段階はクリアした。体調を崩さなかったり、突然侵略者が来ない限り神奈は夏祭りに行ける。
嬉しさのあまり忘れていたが、送られてきた内容にはきちんと返信しなければならない。それが常識的な人間の行動である。
携帯電話で「もちろん行くよ」と返信すると、誘ってきたのは笑里なので当たり前だが断られることはなかった。これで断られたら新手のいじめだ。
「うおっ、もう返信きた。まだ送って二十秒くらいしか経ってないのに」
「笑里さんの打つ速度に耐えられる携帯も凄いですね」
想像してみると神奈は少し吹き出しそうになる。残像すら見える速度で指を動かしているに違いない。そうでなければこんなにも早く返信がくるはずがない。
返信内容によれば、今日の午後六時から夏祭り開催場所の神社に集合とのことだった。
この宝生町では毎年神社で夏祭りが開かれる。一応人気なので大勢の人で賑わう。出店も射的や金魚すくいなど様々なものがあって楽しめるイベントだ。
「はぁ、まあいいですけど。どうなっても知りませんよ? 宿題が終わらなくて先生に怒られても私は知りませんよ?」
「うるさいなあ、平気平気……だって私には前世の知識があるんだぞ? 小学校の宿題なんか一日もあれば終わるって」
所詮は小学生に出される宿題。前世で高校の勉強を終わらせた神奈にとって、楽勝以外のなにものでもない。
算数ドリルなどすぐに終わるし、読書感想文も適当に文字で埋めておけば問題ないだろう。工作に関しては悩みどころだが、レイに宇宙のどこかから、珍しい物でも採ってきてもらおうと神奈は考えている。
「一日でやるなど無理……と言いたいですが神奈さんの身体能力なら出来そうですね」
「だろ? なら時間あるし暇つぶしに散歩でも、いや浴衣でも見に行くか」
「……その時間を宿題に当てればいいのに」
人間嫌なことは後回しにしたいものだ。現実逃避に似ているそれを神奈が恥じることなどない。なぜなら大抵の人間が一度は現実逃避するのだから。
まだ午後三時直前なので、集合まであと三時間もある。
神奈は家を出て、町をぶらぶらと散歩して時間は潰そうと考える。宿題は最終日に終わらせるから今やらなくても問題ない。
商店街にまで歩いてみれば、夏祭り直前ということで町に活気が出ていた。
町のあちこちで慌ただしく動く人間がいる。彼らは祭りの関係者で、出店など自分達の準備をしている。主に忙しそうなのは商店街の人達なので、彼らも祭りに赴き、儲けようという算段である。
普段よりひと気が多く、誰もかれもが慌ただしく動く商店街を神奈が歩いていると、一人だけ異質な雰囲気を放つ者がいた。
小さな机に紫色のカバーをかけて、机上には透き通るように透明な水晶玉が置かれている。その机を挟むように小さなパイプ椅子が置かれており、片方には紫色の不気味なヴェールを被り、これまた紫色のゆったりとしたローブのようなものを着用している女性が座っている。
怪しげな服装とセットを見て神奈はピンときた。この女性は占い師だろうと確信できた。
「お嬢さあん、暇なら占ってあげましょうかあ?」
不気味な笑みを浮かべて誘ってくる占い師だが、怪しすぎて客とか来ないのではと神奈は心配になってしまう。
暇であるのは事実だし時間もある。占いくらいならいいかと、神奈は小さなパイプ椅子に腰を下ろす。
「じゃあお願いします。一回何円ですか?」
「無料ですよお、お金入りませえん」
慈善事業か何かだろうか。占いでボランティア活動なんて神奈は初めて聞くし、人のためになるかは微妙なところだ。
頭を覆うヴェールの下から、金色のわたあめのような長髪が出ている。声も高いことから占い師は女性。そしておそらく若いということも神奈には分かる。若いうちからこんなことして苦労してそうだと、失礼にも思ってしまう。
無料だというのならお金を払う必要などない。その言葉に甘えて神奈は自分をタダで占ってもらうことにした。
「それでは占いまあす」
占い師の女性は両手を静かに水晶玉にかざし、少しして水晶玉に――何も映し出されることはない。
「はい終わりでえす」
「え? 終わったん……ですか?」
これで終わりということに神奈は困惑する。
ただ水晶玉に両手をかざしていただけで、しかも水晶玉に新しく何かが映ることもない。映っているのは元から映っている神奈と女性、そして周囲の景色だけだ。
困惑しながら質問すると、またしても女性は「終わりでえす」と断言する。
(なんだろうこれは、無料だから詐欺とは違うのだろうけど何かがおかしい気がする。まあ暇だと言ったのも占ってほしいと言ったのも私だし、どんな結果だろうと受け入れてやるか)
占いといっても恋愛や金運、今年一年の運命など様々なものがある。中には異性との相性など占う者もいる。
もちろん占いが絶対というわけではない。信じすぎず、話半分に聞いて今後の参考にするというのが一番いいだろう。
「そ、それでどうだったんですか。いやそもそも何を占ってくれたんです?」
「神奈ちゃんの未来をちょっとだけ見たのお。……とっても苦労する運命ねえ」
「私の未来? えっと、それで結果は?」
「教えなあい」
「教えてくれないの!? 占いの意味はなんだったんだよ! 占ったんなら結果くらい教えてくれてもよくない!?」
結果を教えない以外で一つおかしな点がある。
神奈はこの女性に名前も年齢も何も教えていない。なのになぜか女性は神奈のことを名前で呼んだのだ。どう考えても見た目通り怪しすぎる。
「未来を教えたらあ、変わっちゃうかもしれないでしょお? そ、れ、にい、なんでもかんでも占いに頼ってたらいけないんだぞー」
「占い師がそんなこと言うのかよ! あんた占い師向いてないよ!」
「むむむう、失礼だねえ」
(もうダメだ、この女に関わっていたら時間が無駄になる)
時間は有限だ、有効に使わないと意味がない。いくら暇だといっても、この女性と時間を潰していたら人生でなんの意味もない時間を消費することになる。
どんな結果でも文句は言わないと神奈は思っていたが、結果すら分からないのでは文句が言えるはずもない。むしろ結果を教えてくれないことに文句を言いたいくらいである。
神奈は深いため息を吐く。席を立ちあがり、散歩に戻ろうと足を動かし始める。
「ねえ神奈ちゃあん……私ねえ、前からあなたに興味があったのよお。転生してこんなに結果になったのって多分だけど神奈ちゃんが初めてだと思うのよねえ」
神奈の足は止まった。止めざるを得なかった。
「どうして私が転生者だって……」
驚愕するに値する言葉を出した占い師の方へ神奈は振り向く。
神奈が転生してからの姿だということは、腕輪以外知りえない情報。未来予知ができる夢咲でも、まだまだ未知の宇宙人でも、悪霊だろうと魔法使いだろうと神奈の正体を知ることができる者などいない……そのはずだった。
「自己紹介しましょうかあ」
占い師である謎の女性は、紫のヴェールを掴むと空中に放り投げる。不思議なことにそれは瞬時に金色の粒となり消え去る。
その現象だけでおかしいが、鈍い神奈でも感じ取れる魔力の大きさが何よりも異常だ。
紫のヴェールを捨てたことで露わになった素顔は、人形として作られたかのようにきれいで汚れ一つない。ふわふわしている金髪は触れると心地よさそうだが、触れようとすればその生物は消し飛ばされてしまうだろう。
温厚な性格なら髪に触れただけで攻撃されるかは分からないが、されれば確実に神奈ですら消滅する。
「私は祝福の管理者でえす。もう魂の管理者とは会っていると思いますがあ、他の管理者に会うのは初めてでしょう?」
(祝福? 魂? 意味が分からん。管理者とかなんの話だ)
「あれえ、その顔もしかして管理者のことを知らないんですかあ? あんのジジイは説明する気ないのかなあ」
「……管理者って、なんだ」
警戒度が最大に引き上げられる。
まだ敵と決まったわけではないが、襲ってこられれば神奈では対処できない。
一瞬、ルカハで強さを測ってみようかと考えたが止めた。使わなくても強いことを、その濃い存在感が教えてくれるのだから。何もしてこなくても次元が違うと思い知らされる。
「管理者とはあ、どんな世界にでも干渉でき、それぞれに与えられた使命を全うし、神を敬う生命の上位に君臨する者達ですう。私の使命である祝福はあ、全世界の生命にこれまでの行いに比例する祝福を与えるというものですねえ」
「神を敬う? じゃああの神様を……」
「あれは違う……まあいいですかねえ、そういうことにしておいて構いませえん」
管理者とは神奈の想像以上にぶっ飛んだ存在。説明を聞いても神奈はほとんど理解することができなかった。唯一理解できたのは、管理者というの者達が神の手下的な何かだということ。
悪人ではないことだけ分かれば心も楽になる。
「……それで、そんな偉そうな人がいったい何してるんですか」
「さっきも言ったでしょおう、あなたに興味があったんですよお。転生した時の影響か、それとも母親の影響か、あの悪の血を引く子供とは思えないですからあ」
「私の親が悪?」
しれっと親が悪人認定されたことに神奈は戸惑う。
誰かと勘違いしてるのではと思ってしまうほど心当たりがない。母親は知らないが、父親は少なくとも悪と呼ばれるような人ではないのだ。
「そうですよ? まあ今となっては知ることなどできませんよねえ」
「今となっては?」
「はいぃ、今となってはですよお」
言い方がいちいち引っかかる。祝福の管理者は肝心なことは話す気がないのだ。
気にさせるようなことを言っておいて、後は自分で考えろなど質が悪い。それなら最初から教えなくてよかったのにと、神奈は心にモヤを作らされて気分が悪くなる。
「話す気はないんですよね? ならどうしてその話題にするんですか」
「話す気はないですがあ、一応謝っておかなければいけないかなあと思っちゃいましてねえ。……あなたは本来なら死ぬはずじゃなかったんですよお」
「死ぬはずじゃ……なかった?」
それはまるで、別の誰かが死ぬことが正しいと言っているようなものだ。
生者の命がすでに運命として定まっているというのなら、なんとふざけた話だろうか。あらかじめ誰が生まれ、どんなふうに生き、そしてどのように死ぬかが決まっているとしたら……そんなシステムを作った神に誰もいい印象は抱けない。
「トラックに轢かれたことで死んだのは覚えていますよねえ? 実はあのトラック、普通のトラックじゃないんですよお。私達管理者のうちい、運命と私と加護の三人で作ったトラックでぇ、轢かれたら強制的に異世界に転生させるトラック――強制異世界転生トラックなんですう」
「はい? 転生させるトラック? いやちょっと待ってください、ほんとに待って。え、なに、トラックって単語が耳に入りすぎて混乱してるんですけど」
「簡単に言うとお、ものすごおく強い未練というか願いというかあ、そういったものを持つ生物を轢くためだけに走らせているトラックですう。例外はありますが、轢かれた者は特殊能力やダメージ関係なしに死亡してえ、異世界に転生する資格を与える力が宿っていますねえ。いやあ、最近は異世界に行けなかったのが未練だとかあ、ハーレム作れなかったのが未練だとかあ、ふざけているのかって怒鳴りたくなるような未練が多くて作っちゃいましたあ」
トラックが随分と物騒なものになっている。轢かれただけでいくら強くても死亡とか酷すぎる。例外に神奈の加護が含まれるのかは分からないが、たとえ神奈でも轢かれたらただではすまないだろう。
(話を整理すると、前世で私が死んでしまった原因である交通事故は仕組まれていたもので、その死亡させるはずの人間は私ではなかった。そういうこと、なのか)
もしかすれば神奈が助けた女子小学生が轢かれる予定の人間だったのか……今となってはそれも分からない。知っているとすれば管理者くらいなものだ。
「落ち込んでいますかあ?」
無意識に神奈は下を向いていた。
神奈が顔を上げると、祝福の管理者が心配そうな表情を浮かべているのに気がつく。
「いえ落ち込んでなんていません。私は自分の死は後悔しても、この世界に転生したことには後悔なんてしてないですから」
後悔なんてしているはずがない。前世のことを悔しく思うよりも、今世での出会いが素晴らしいものだったからだ。
(もしもここがゾンビ溢れるバイオでハザード的な世界だったとしたら死んだことを後悔するかもしれない。しかし笑里、才華、はやぶ――夢咲さん、はや――レイ、は――リンナなどの良いやつらが友達になってくれた。それだけで私は友達がいなかった前世よりも今世を選ぶ)
それにこの世界には神奈の念願であった魔法がある。
どんなにくだらない魔法だとしても、前世の夢だ。いつも一緒にいることのできる話し相手もいる。魔法、友達……世界でこれ以上欲しかったものなど神奈には存在しない。
「それはよかったですう。用件はそれだけなのですがあ、最後に一つだけ」
祝福の管理者が神奈の視界から一瞬で消え失せる。
もういなくなったのかと思えば、神奈は背後から何者かに抱きつかれた。背中越しに伝わる大きく柔らかい感触は間違いない、祝福の管理者である。
抱きつかれて甘い匂いがするとか、気持ちいいとか、そういった心地よさが異常だ。麻薬を使い続けていると薬物中毒になるというが、この抱擁は一度されれば中毒になりそうな心地よさがある。
全身が魔法なしで空を飛びそうな気持よさが終わる。
離れてしまった祝福の管理者に、神奈は何か言おうと振り向くとそこにはもう誰もいなかった。
「迷惑をかけたお詫びです、神奈ちゃんに祝福を授けましたあ。命の危機から一度は助けてくれると思いますよお」
神奈が周囲を見渡しても商店街の人しかおらず、気がつけば占いセットも消えていて、まるで初めから夢だったかのように祝福の管理者に関わる全てが消えてしまっていた。
しかし声だけは聞こえた。ついさっきの出会いが夢というわけではない。
「なんだかお母さんみたいだったな……」
「まあ神奈さんの母親なんて名乗られたら、髪色とか、顔とか、骨格とか、そういったものを気にしなければ信じられますね。戦闘能力の数値も異常でしたし。……あれが他の管理者ですか」
「それもう他人だな……あってるけど。ちなみにあの人の戦闘力は?」
腕輪は祝福の管理者の強さを数値化できたようで、その数値を震えている声で呟く。神奈はその数値を聞いて数秒硬直する。
神奈は何も聞かなかったことにして浴衣屋に歩いて行った。
祝福の管理者
身体能力 ???????
魔 力 ???????
総 合 ???????




