220 音楽室――真夜中の演奏――
2025/08/30 文章一部修正
トイレの電気を神奈が付けると明るくなり、恵は眩しそうに手で光を遮る。
「ちょっ、ちょっと、なんなの?」
「……ピリピリしすぎ」
「え?」
速人が来てから恵の態度がいかにも機嫌悪いです状態になり、それを神奈は隣でひしひしと感じ取っていた。空気が悪くなると無関係な神奈も気まずくなる。速人に帰れと言っても帰らないので厄介な状況だ。
「あいつと何があったのか、さっきも言ったけど聞くつもりはない。でも頼むから普段通りの態度でいてくれ」
「そうは言われても……」
「白部君のことでも考えとけよ」
洋一の名前が出ると恵は頭の中で想像し始める。
表情がだらしなくなり、頬が赤く染まり、幸せそうな笑みを浮かべながら何度も洋一の名前を呟く。その変化を前に神奈は真顔で動かなかったが内心かなり引いていた。
「機嫌は直ったみたいでなにより。そうだ、いっそ今から何か仕掛けるか?」
「仕掛けるって、何を?」
頬が緩んだ顔を一旦元通りにした恵は問い返す。
「決まってるだろ。アピールだよアピール」
「アピール……?」
「ほら、前に言ったじゃん。私も恵の恋の応援するって。それだよ」
七不思議調査へ同行するために神奈が協力を申し出た恋の応援。
洋一が困っていて大変そうなのと、恵がこのまま攻めてもダメなので純粋に二人を助けたいのだ。当然七不思議調査も重要だが今は恋のサポートが最優先。恋を成就させるにせよ、失恋させるにせよ、決着を急がなければ洋一がストレスでハゲてしまう。恵に協力したい気持ちは本物なので出来れば成就させたい。
「でもアピールって言ったってどうする……はっ、子供! ここで肉体関係を――」
「バカなんだな!? そういう強引なの止めろって言ったろうが!」
危ないことを言いかけた恵の口を神奈が手で塞ぐ。
すぐに恵の口を解放してから神奈はわざとらしく咳払いをする。
「ふふふ、おあつらえ向きな七不思議調査での夜の学校。つまりこれ、お化け屋敷に来たみたいな反応で気を引くチャンスだと思うわけよ」
「それって、腕に抱きついて怖がるとか? 抱きつく……抱く……抱かれる……セック――」
「強制終了チョップ!」
正式名称はデンジャーワード強制終了チョップ。
十八禁のようなエロやグロ要素が含まれる言葉を発しようとした時、手加減したチョップで強制的に黙らせる技。つまりただのチョップである。
「ぶばっ!? 何言ってるの!?」
「こっちの台詞だよ! 思考回路ドピンクか色情魔が! お前種族サキュバスだろ!」
「何もおかしなこと言ってないでしょ!? あと私は人間だからね!?」
「もういいわ! とにかくこれから作戦開始だ。外に出たら、怖いとか言って白部君の腕に抱きつくんだ。別に嫌われてはないんだから好感度は下がらないはず」
廊下の洋一達に聞こえないよう声は最小限に抑えて入口を見る。
「分かったわ、抱きつけばいいのね」
結局トイレに用がない神奈達は話が終わったので戻った。
調査の続きで廊下を歩く前に神奈が速人に近寄り、速人以外には聞こえないような小声を出す。
「なあ悪いんだけど、恵と白部君を並んで歩かせてあげてくれないか?」
その発言になぜと言いたげな速人だが、頬を赤く染めて笑顔で洋一と話す恵を見て納得がいったらしい。つまらなそうに「ああ」と呟く。
「そういうことか。くだらんな、あんなことをしてどうにかなるとでも思っているのか……」
「そう言うなって……どうにかなる? 何が?」
「忘れろ。さっきも言ったが言いたくもないことだ」
何かがある。しかし言わなければ分かるはずもない。事情は気になるが、今は七不思議調査と恋愛サポートに集中すべきだと神奈は思う。
「二人共、行こう……」
話していた神奈達に声を掛ける洋一だが、その声はどこか苦しそうである。気になった神奈が目を向けると、そこには恵が背中に張り付いている状態で猫背になる洋一がいた。
「お、おいいいい! なんで背中から!? そこは腕からでしょ!?」
「えへへっ、洋一ぃ、洋一ぃ」
「だ、駄目だこいつ、早くなんとかしないと……」
怖がったフリをして抱きついた恵だったが、腕に抱きつくのを忘れて背中から思いっきり飛びついてしまっていた。もちろんそれを振り落とすなど車椅子に座る洋一には出来ず、重いから下りてくれと優しい彼が言えるはずもない。
車椅子に座っているのに飛びかかられて、頬ずりされ続けても怒らない洋一はもはや聖人である。
「僕なら大丈夫さ……行こう」
「お前はあれを見て恋が叶うとでも?」
「……無理かも」
自由すぎる恵がなぜ邪険にされないのか神奈も速人も不思議に思う。
もしも神奈が恵のようなタイプに付きまとわれたら、一日もかからず殴り飛ばしているだろう。恵より影野や晴嵐の方が遥かにマシだ。
「これは……!」
――恵に呆れていた神奈達は表情を強張らせる。
ピアノの音が聞こえたのだ。三階の音楽室にあるピアノの音が一階にいる神奈達にまで、僅かにだが届いた。
まるで音楽家が弾いているのように華麗な音楽。聞いたことのない音楽なので有名曲ではない。神奈達が知らないだけの曲かオリジナル曲の可能性が高い。
演奏が聞こえた神奈、速人、恵を後ろに乗せる洋一はなるべく急いで三階へと向かう。
階段を上がる時、洋一はムゲンの力で浮き上がりショートカットで真上へと上がっていく。
神奈と速人に関しては二十段ある階段全てを一回の跳躍で上がりきり、大幅に上がる時間を短縮していた。
洋一はほんの数秒で三階音楽室にまで辿り着き、速すぎて既に待っていた神奈達と目を合わせる。四人は頷いてから音楽室の扉をゆっくり開けていく。
音楽室内には黒く大きなグランドピアノが部屋の五分の一を占めていて、左側の壁には有名な作曲家などの顔写真が飾られている。大きな黒板には曲の音符がいくつも書かれていた。
ピアノを弾いていたのは一人の少女。
髪を三つ編みにして眼鏡を掛けている。服は伊世高校の制服だ。部屋に入った神奈達に目もくれず演奏に専念していた。
しかし神奈達が近付くと美しかったリズムが崩れ、お世辞でも上手と言えない演奏になってしまう。
「おいおい、急にどうした?」
「僕達が来たことで驚かせちゃったのかな?」
少女は驚き、ピアノの演奏を一旦止める。
神奈達のことを凝視して少女は信じられないように口を開く。
「うそ、私が見えてるの……?」
「うん。といっても……恵、彼女が見えているかい?」
洋一は背中の恵に確認するが、それに対する返答は不思議そうな声。
「えっと……ゴメン。何も見えないんだけど……って彼女!? もしかして女なの!? くっ、どうして私には見えないのよ! まさか意図的に私にだけ見えなくしてるんじゃないでしょうね!?」
「そ、そんなことは出来ませんよ。あ、でも……」
怒声に怯える少女が体に力を込めると淡い光を纏い青白く光る。その姿は恵にも、朧気に見えていた速人にもはっきり見えるようになっていた。
元から見えていた神奈と洋一はともかく、速人も意外と冷静でいられている。以前幽霊に会ったことがあるからだ。二度目以降となれば驚きは薄れるものである。
「すっごーい私にも見える! ねえアンタ幽霊ってやつなの!? 怖いから近付かないでよ!? 洋一、私を守って……」
「えっと……私は確かに幽霊ですけど、悪霊ではないので人を襲わないですよ。なのでそんなに怖がらないでくれると助かるんですけど」
そう言って洋一に引っ付き中の恵に近付くと、幽霊の少女は理不尽な怒りを向けられる。
「ちょっと、なに洋一に近付いてるのよ! アンタまさか洋一のことが好きなんじゃ!」
幽霊に対する恐怖よりも、好きな異性に近付く同性への怒りの方が上回ってしまった。幽霊少女は生身の人間に恐怖してしまう。
「ひうっ!? す、すみません! 近付きません!」
「分かればいいの。金輪際洋一に近付かないで」
「恵……」
怒りが収まらない恵の頭に洋一の手が置かれる。
「え? ど、どうしたの……」
「恵、君は少し反省した方がいいよ。そうやって相手に怒るだけじゃ伝わらないこともあるんだ。相手のことを認めて、それで話し合う。そうするだけで大きく違いが出るんだ。だから君も、もう僕のことで怒らないでくれ。君に怒りは似合わない」
「あっ……うん」
洋一は手を自分の膝に戻し、視線を幽霊少女に戻す。
離れていく手を名残惜しそうに見つめていた恵は頬を赤くしながら、洋一の背中から離れて自分の足で立ち上がった。そして洋一の隣に並んで頭を下げる。
「ごめんね、酷い言いがかりだったわ」
「え、いえ、別にそんなこと……」
「え? 好きなの!?」
「ち、違います! 好きじゃありません! はあっはあっ、つ、疲れちゃった」
少女に同情的な目線を送る神奈と速人は静かに状況を整理していた。
音楽室のピアノを弾いていたのは少女で間違いない。実際に見ているのでそこは疑いようがない。しかし、問題はどうして幽霊となってまでピアノを弾いているのかだ。
「なあ、幽霊ってことは未練があるんだよな? ピアノ関係か?」
「よく、分からないんです」
「分からない? 自分のことなのに?」
「申し訳ありません。私は生前伊世高校二年生の水無月綾乃です。いきなりクラスメイトに喧嘩を吹っ掛けられて殺されました。趣味はピアノで、幼少の頃からピアノ教室に通っていて、オリジナル曲も作曲するくらい好きなんです。でも……いくら弾いても楽しいという思いはあれど、成仏するような気配は一度もありませんでした」
幽霊で未練が分からないのは珍しい。強い願いがあるからこそ幽霊になったのだから、普通は本人が未練を把握している。難儀な幽霊だ。好きなことが出来るのは楽しくても、成仏したいのに出来ないのは辛いだろう。
「理不尽に殺されたことへの恨みは?」
あまりに酷い死に方で絶句していた洋一が口を開く。
「いえ、確かに憎い気持ちがありはします。それでも復讐までしたいとは思ってません。そもそも私はピアノから離れられないんです」
「離れられない? 地縛霊か……!」
地縛霊。一定の場所でしか活動出来ない特殊な幽霊。
神奈も地縛霊を見るのは初めてだ。未練はやはりピアノ関係だろう。ピアノから離れられないなら、復讐が未練だった場合不可能で成仏出来なくなってしまう。必然的に未練は音楽室内で出来ることに限定される。
「ならやっぱりピアノ関連か。知ってしまった以上成仏させてあげたい。三人共、今日はこの人を成仏させてあげてから家に帰ろう」
お人好しな洋一も神奈と同じ考えだった。
「うん、洋一が言うことに文句なんてないよ」
「放っておけないしな。このままにしておくと害があるかもしれないし」
二人は成仏に賛成。不満そうな表情は速人のみ。
何も言わない速人に神奈達が視線を集中させる。
「仕方がないな。それで、この女の未練はなんだ? ただ弾くだけでは成仏しないんだろう?」
「そうだね、ただ弾くだけじゃダメなんだ。水無月さんは何か心当たりありませんか?」
「うーん……私にはピアノを弾きたい気持ちしか残っていなくて」
水無月は首を傾げ、底なし沼のように深い記憶を探った。底があるはずなのに深すぎる。それでいて泥で汚れているようで、心に刻まれた願いの細部が思い出せない。
「とりあえずもう一度弾いてもらえば? 何かあったらその時考えればいいし」
恵の提案に全員が賛成する。ピアノに関係する未練なら、弾いている内に何か思い出せるかもしれない。神奈達は観客として立ったまま見物することにした。
――水無月が白黒の鍵盤に手を伸ばした時、異変が起きる。
真っ白な一枚の紙。中心に【滅】と書かれた縦長の紙が降ってきた。
ゆっくり落下してくるそれが水無月へとぶつかる前に、神奈が素早い動きで掴み接触を阻止する。どうして掴んだのか本人にも分からない。ただなんとなく、危ない気がして咄嗟にとった行動である。
洋一達が遅れて気付き近寄ろうとした時、紙を持つ神奈を突如雷光が襲った。




