214.34 真面目な勉強会
十一月上旬。秋の季節も終わりが近付く頃。
廃工場を改造しただけの南野家に今日は客人が居た。
耳にピアスを付けた金髪の少年、日野昌。他に同じDクラスの坂下勇気も居るが彼は居候の身なので客人ではない。南野葵、坂下、日野の三人が集まっている理由は……テスト勉強だ。
丸いテーブルを挟む三人はノートを開いてしっかり勉強している。
「なあ、言うべきか言わねえべきか迷ってたんだがよ」
ノートに漢字を書く手を止めて日野が呟く。
「何? 読めない漢字でもあったの?」
「ここさ、女子の家っていうか人間の家じゃなくね?」
「勉強に集中しなさい不良もどき」
「分かった分かった。でも次の勉強会はファミレスにしようぜ」
ファミリーレストランは騒がしいが勉強のために利用する学生は居る。日野にとって南野家よりレストランの方が勉強に適した環境だ。静けさはなくても目に馴染む光景というのが理由の一つだろう。廃工場を改造した南野家は雰囲気が落ち着かない。
再び日野が漢字を書こうとした時、横からの視線に気付く。
「……何見てんだよ坂下」
「あ、いや、ごめん。ただ、意外だなと思って」
「何が?」
「日野君が真面目に勉強していること」
「喧嘩売ってる……わけじゃねえのは分かる。ああそう言われても仕方ねえのは分かってるよ。今まで勉強なんざ真面目にやってこなかったし、メイジ学院入っても魔法関係の勉強しかやってねえ。国語やら英語やら真面目に勉強すんのは初めてだぜ」
メイジ学院にも国語など普通の教科は存在しているが、日野はサボったり寝たりしている。授業をしている教師は注意しても直らないのでとっくに諦めている。普通教科の授業を真面目に受けているのは葵、坂下、影野だけだ。
「じゃあなんで今日は真面目なの?」
「まあ、たまにはダチと一緒に勉強会ってのも良いと思ったんだよ。せっかくお前等が誘ってくれたしやってみようってな。ただ一つ分からねえ。なんで俺を誘った? 勉強教えてくれんのは助かるけどお前等にはメリットねえだろ」
坂下は「それは……」と言い淀む。
何か目的があって誘ったと態度で白状したようなものだ。
「ひ、日野君が留年しないように成績を上げようと――」
「坂下、俺の力を忘れたか? 嘘は通用しねえぞ」
「……え、えっと」
日野には相手が嘘を付いたか分かる固有魔法がある。
隠し事は無駄と悟ったのか葵が「はぁ」とため息を零す。
「正直に言うしかないわね」
坂下があわあわ落ち着かない態度だが葵は無視して話した。
「簡潔に言うわよ。私、政治家を目指すことにしたの」
「せ、政治家?」
「政治に携わるなら信用出来る味方が欲しい。坂下君と日野君には私の味方になってもらいたい。そのために学力向上は必須だから勉強会に誘ったの。どう、分かってくれた?」
「いや、いやいやいや! 急に政治家って何があったお前!」
葵が国の上層部に不満を持っているのは日野も知っている。恨みと不満から暴力で日本を変えようとしたし、手段の一つとして魔力の実なんて危険な物まで作っていた。神奈に敗北してからは大人しくしていた葵だが、まさか政治家になろうとしていたとは日野も驚きだ。……とはいえ、ありえるかと納得も出来る。国の法律や腐った連中を変えるには政治に関わるのが正攻法なのだから。
「……つーか、坂下だけでいいだろ。なんで俺もなんだよ」
「あなたが嘘発見器だからよ。傍に置いて損はない」
「う、嘘発見器って……事実だけど、言い方他にねえのかよ」
さらっと人間扱いしていないと判明して日野はショックを受ける。
「……本気なのか?」
「本気」
「分かった。俺も力貸すぜ」
「いいの? あなたには悪いことをしたと思っている。正直、頼んでも断られると思っていたわ」
葵が作った魔力の実のせいで日野の居場所は崩壊した。
居心地の良かったグループも今は集まれない。リーダーの三木は警察に捕まり、他二人は死亡。生き残った加藤とは連絡を取り合っているものの、過去のグループの姿はもうどこにもない。葵の所業が発覚した当時、日野は憎悪と殺意が湧き上がったものだ。その感情は未だに心の奥底に残っている。
「俺は今でもお前を許してねえよ。でもな、お前が少し変わったのは分かる。良い方向に変わったお前が何をするのか見届けたい。言っとくが、もしまた道を間違えたら今度は俺が止めるぜ」
「そう言ってもらえて嬉しいわ」
笑った葵が分厚い本を差し出す。
表紙には【六法全書】とだけ書かれている。
「……何だよこれ」
「六法全書。日本の法律集よ。これを中学卒業までに暗記しておいてね。政治家を目指すなら法律に詳しくなってもらわないと。あなたには弁護士登録もしてもらうから頑張って」
「俺、これを暗記すんの?」
優しい笑顔の葵は「そうよ」とノータイムで返す。
「やべえ、さっきの言葉を取り消したくなってきた」
「取り消すの?」
「……いいや。俺に二言はないぜ。やってやるさ」
日野には将来の夢がない。
葵の話を断る理由もない。
悩んで出した結論だ。
後悔しないよう全力で勉強しようと思う。
「そうと決まれば勉強に戻りましょう」
「おう」
三十分後。国語の勉強を終えて数学の勉強へと移行。
テスト範囲となる数学の問題集を開き、やる気に溢れる茶色の瞳を向けた日野は困惑した。内容は因数分解と書かれている。授業を聞いていない日野には理解不能だ。まず因数分解が何かも分からない。一番困惑させたのは数式にXが含まれていることである。
(……Xってなんだ?)
一瞬英語の問題集かと思ったがしっかり数学と書かれている。
「なあ、数学で分からねえ問題があるんたが」
「どれ? ああ、因数分解ね。分からないなら基礎から学び直しましょう。問題集だとこのページね」
見せられたページにXはなかった。
代わりにYがあった。
「……Yってなんだよ」
「日野君? どうしたの?」
「坂下、俺は今数学を勉強しているよな? なのになんでXだのYだのアルファベットが出てくるんだよ。おかしいだろ」
「はは、そのうちNも出てくるよ」
「Nまで!? い、意味が分からねえ」
さらに他のアルファベットも出ると分かれば発狂するかもしれない。
「勉強には苦労しそうね」
想像を下回る日野の学力を知って葵はため息を零す。
二週間後の期末テストまでに学力をどこまで伸ばせるか不安しかない。最低でも赤点を取ってほしくない葵は、自分の勉強を中断して全力で日野のサポートに入った。彼女の献身的なサポートは毎日行われることになる。
そして三週間後。期末テスト結果発表。
赤点をとった者の欄にDクラス生徒の名前はない。
日野は数学で過去最高の六十点をとり大喜びだった。クラス内で最下位かと思われた彼は下から三番目である。神奈も勉強したのに普通に負け、速人はテストすら受けなかった。
……しかし彼の勉強は終わらない。
大喜びする彼はこれから勉強漬けの日々を送ることになる。地獄の幕開けだ。
神奈「……え? 日野に、負けた?」
腕輪「いやあ、恥ですねえ」
神奈「い、いや、でも私より下は居る! なあ隼!」
速人「俺はテスト受けていないんだぞ。勝ちも負けもあるか」
神奈「てかなんでお前はテスト受けてないんだよ」
速人「仕事で忙しいんだ。暇なお前と違ってな」
神奈「私だって忙しかったんだよ! なんか、こう、その、世界の危機を救ってたから!」




