214.23 暑い日は海へ行こう
海は青く煌めく。日光が容赦なく照らす砂浜は熱を帯びている。
神奈は以前も来た、藤原家が所有するプライベートビーチに友達とやって来た。
学校に関しては、大規模停電のせいでどこも休校となっている。夏場なのにエアコンが使えない状態で授業を受ければ熱中症になるかもしれないので、地域がとった安全策だ。そういうわけで学生は少し早めの夏期休暇に突入して時間を持て余す。
停電範囲は時間経過と共に拡大していっている。現在は宝生町と周辺の町のみなので、違う町に住む親戚の家や宿泊施設に行く人間が増えた。町に残っている人間はどうにか涼もうと木陰に入ったり、団扇などを使ったりして何とか暮らしている。宗教ブームは収束していないが、日が経つごとに町の活気はなくなりつつあった。
そんな過去一番に危険な夏真っ只中、神奈は藤原才華から連絡を貰ったのだ。涼むためにみんなでプライベートビーチに行くと言われたので、まだ誘われていない友達を誘って海へ向かい、今に至る。
海に浮かぶ神奈達は全員が満足そうな顔をしていた。
「ああ、夏はやっぱり海だよねえ」
ぷかぷか大の字になって浮かぶ秋野笑里の言葉に才華が頷く。
「定番の場所よね。ふふ、またみんなで来られて嬉しいわ。しかも今年はメンバーが増えたしもっと賑やかになりそう。……一つ問題があるとすれば、お洒落じゃない水着を着ている人が居るくらいかしら。ね、神奈さん」
「何だよいいだろパーカーでも! 夏用の薄いやつなんだぞ!」
「パーカーで海に入って気持ち悪くならない? 肌に張り付く感じ、私嫌いなのよね」
「……私は、これでいいんだ」
神奈はあまり肌の露出が好きではない。男だった前世の記憶、ジロジロ性的な視線を向けられること、それらが水着の着用に抵抗感を抱かせる。布が肌に張り付くのも気にはなるが仕方ないと思い割り切っている。しかし、性的な視線を感じなかった小学生の頃まではワンピースくらい着ていられたので、今回はパーカーでも次回はちゃんとした水着に挑戦したいとも思う。
「水着っていえば、泉さんのが意外だな」
隣に浮かぶ神野神音を眺めながら神奈はそう呟く。
「どうして? 普通のビキニよ? 可愛いじゃない」
「そりゃ可愛いんだけど、その、それが意外だったんだよ。私にとってはさ」
神奈と神音には似ている部分がある。男性だった頃の記憶がある転生者だし、彼女にも異性からの性的な視線は当然向く。神奈と同じパーカーや露出少なめな水着を着ると思っていたがそんなことはなかった。
「ねーねー、葵ちゃんもこっちへ来なよ!」
砂浜にパイプ椅子とパラソルを用意して読書する南野葵を笑里が誘う。
寛いでいる葵は本のページを捲り、忌々しそうな顔で口を開く。
「……泳げないのよ」
「浮き輪使えば大丈夫だって!」
「そんな子供っぽい物なんて使いたくないわ。私には構わず楽しんで」
浮き輪を使って海上で寛ぐ才華は「子供っぽい……」と精神的ダメージを受けた。
「無理強いは良くないぞ笑里。人には人の楽しみ方がある。例えば……」
神奈が砂浜とは反対側に顔を向けて誰も居ない場所を指さす。
数秒後、海中から「獲ったぞおおおおお!」と叫びながら夢咲夜知留が飛び出た。ダイビングスーツを着ている彼女は銛を持っており、天に掲げた銛には大きな魚が貫かれて暴れている。彼女は漁具を全て霧雨に揃えてもらったらしく、一番早く海に入ったと思えば即ダイブだ。彼女だけ明らかに海の楽しみ方が違う。
「あんな風にな」
「おおすっごい夜知留ちゃん! 何獲ったの!?」
「マグロおおおお!」
「すっごーい! 後で食べようよ!」
「……相変わらずここの海の生態系はおかしい、ね」
藤原家別荘近くの海には数多くの海生生物が生息している。今捕獲されたマグロはもちろん、ウニや海老、下には珊瑚礁まで存在する。もっとおかしいところを言えば深海魚が浅い場所を泳いでいるし、図鑑にも載っていない未知の生物もたまに彷徨いている。実際に目にしなければありえないと笑い飛ばすだろう。
「んー、男共が遅いな。何かあったのか?」
「確かに遅いわね、着替えるだけなのに。そういえば王堂さんも来てないわ」
神奈達は女性だけで海に来たわけではない。ちゃんと男性も呼んでいる。
こういう場合、先に男性が着替え終わって待っているイメージだが今日は真逆。それどころか既に神奈達が海に入って十分は経つのに一向に現れない。平和なビーチなら何も起こらないはずなのに遅いと心配になってくる。
「あ、来た」
別荘から出て来た男達が慌てて道路を渡り、砂浜にやって来た。
メイジ学院で神奈と同級生である日野昌、坂下勇気、斎藤凪斗、さらに唯一学校繋がりではないレイが一緒に海へと走って近付く。
「ごめん遅くなって!」
「あれ、影野と霧雨は? あと王堂の奴見かけなかった?」
「ああ霧雨? 誰だっけ。俺も知ってる奴か?」
「霧雨和樹。小学校が僕や神谷さんと同じなんだ。ほら雪合戦やった時に機械で戦っていたの覚えてない? でもあの時確か日野君は早々にリタイアしていたっけ」
考え込む日野は「ああ、あいつか」と無事に思い出せたようだ。
「神谷さん、霧雨君は最初から今日居なかったよ」
斎藤からの説明に神奈は「え」と呟いて才華を見る。
メイジ学院の面子は神奈が誘ったが、宝生中学校側の面子は才華が誘ったはずだ。仕事があると断った隼速人以外はお馴染みのメンバーが揃うと勝手に考えていた。まさか霧雨だけ仲間はずれにされるとは思わず、あいつ何をやらかしたんだと神奈が妄想する。
「勘違いしないでね、彼も当然誘ったわ。だけど断られたの」
「理由は?」
「大規模停電の原因調査で忙しいみたい。藤原家が電気の専門家とか集めて調査班を結成したんだけど、彼にも加わってもらったの。彼の発想力、頭脳、色々な事件からの経験が役立つと思ったから」
「なるほど、知らない間に頑張ってるんだなあいつ」
「それと隼君には護衛を頼んだわ。今回の停電、少し奇妙だしね。もしかしたら人為的なものかもしれない。犯人がいると仮定して、絶対に捕まえるための人選よ。隼君の他にも数人に護衛をお願いしたからきっと大丈夫」
「あいつらに任せときゃ安心だな。問題解決もすぐだろ」
停電が人為的という発想は神奈になかった。停電なんか起こしても不便になるだけでメリットが一つもない。仮に人間が犯人なら愉快犯か、他人の不幸を喜ぶゲスで決まりだろう。人間でなくても怪しさ満点なのが笑里がペットにしたサンダバーンだが、犯人説は腕輪がしっかり否定している。しかし特殊な生物の仕業という点は否定しきれない。
「ん? で、霧雨が居ないのは分かったけど影野は居るだろ。王堂もどこ行ったんだ?」
海への同行者が多かったため、神奈達は女性と男性で乗る車を分けて別荘までやって来た。同じ車内ではないから霧雨が居ないことに気付けなかったが、王堂晴嵐は同じ車に乗っていた。そして影野に関しては神奈が誘ったので来ていることは分かっている。
「……それが、影野君と王堂さんは」
「あの二人に何かあったのか?」
「神谷さんと同じ液体に入るのは畏れ多いから、心の準備が終わるまで行かないって」
「大袈裟すぎるだろ。この瞬間海に入ってる人間が何人居ると思ってんだ」
さすが神奈のことを好きすぎて宗教を作るような男と、彼と同レベルな女は違う。予想を超えるアホらしさに神奈は心配したのをすぐ後悔した。あの二人を心配しても無駄なことが多いので、もう心配しないようにしようかなと思う程だ。
「純粋な疑問なんだけどあの二人にとって神奈さんって何なの?」
「女神らしい」
「自分で言ってて恥ずかしくない?」
「才華が言わせたんだろ! 私だって嫌だよ女神扱い恥ずかしいもん!」
自信家でもないのに神扱いされるのは羞恥が大きすぎる。ましてや神奈は神と呼べる存在を知っているので、相手に知られたら裁きでも下るのではと考えてしまう。それと影野達の狂信具合も合わさって恐怖が生まれる。
「……はぁ、もういい。お前等も海入れよ。一緒に遊ぼう」
「よっしゃ海だあああああ!」
日野が高く跳び上がり勢いよく海にダイブした。強い水飛沫が飛び散る。
自分側に来た水飛沫を全て叩き落とした笑里が強い口調で注意する。
「うわっ、ダメだよ昌君! 準備運動はしっかりしないと!」
「平気だって。体鍛えてるし」
「ていうか笑里もやってないだろ準備運動」
ちゃんと準備運動したのは夢咲と才華くらいなもので、他の女四人は全くやっていない。海に入らず砂浜で過ごしている葵はともかく、海に入った笑里は他人にとやかく言う資格がない。因みに神奈と神音は面倒という理由でやらなかった。
「よし、僕も入るよ」
レイも日野を参考にしたのか跳び……全員の視界に入らない程遠くに消えた。
「いや跳びすぎだろ! どこまで行くんだよ!」
勢いから推測すると数十キロ、もしかすると数百キロメートルは跳んでいる。
レイのことなので無事だろうし誰も捜索に動かない。日野と葵は彼の実力を知らないが、こういう驚異的な身体能力の持ち主は見慣れているので少ししか驚かなかった。
「……この流れ、僕には分かる。全員飛び込む流れだあ!」
先の二人が飛び込んだせいで、普通に入りづらくなっていた斎藤も海へジャンプする。
「空気を読むな! いや待て空気読んでるかこれ!?」
斎藤は海中に入ってから両足を動かし、海上へ出ようとした時に足を攣った。突然の痛みに目を見開き、出鱈目に手足を動かしながらもなんとか海上へ出る。
「足攣ったあ!」
「だから準備運動しろって言われただろ!」
ジタバタと暴れる斎藤を見かねた神音が泳いで彼に近付き、足を伸ばす手伝いをする。攣った場所にもよるが足なら足を伸ばし、足先を体側に引っ張れば治りが早くなる。女子の体と密着した彼はいきなり大人しくなり神音にされるがままだ。
「あれどうした? 坂下君も来いよ。飛び込まなくていいから」
既に日野、レイ、斎藤が海へ飛び込んだので砂浜に立つのは坂下のみ。
「う、うん。い、いやちょっと、緊張しちゃってね。海来るの初めてだからさ」
「いいじゃん初めての海体験。緊張する必要ないって」
「……怖いんだ。怖いんだよ海が! 鮫が居るかもしれない!」
「鮫居たら呑気に入ってないわ!」
さすがの神奈も鮫を見かければ海を出る。
殴って倒すことが出来ても、常識的に考えて鮫が泳ぐ場所でのんびりしていられない。それだけ鮫は人間にとって恐ろしい存在だ。鮫映画なんて、鮫の恐怖をメインとする映画も作られるくらいに恐ろしい。
「海には危険な生き物がいっぱい居るんだ。イタチザメ、クラゲ、ウツボ、アカエイ、オニヒトデ、モンハナシャコ、ミノカサゴ、スナイソギンチャク! どうしてこんなに怖い生き物がいっぱい居るんだ!? 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い」
「私はお前も怖いよ」
「詳しいのね。安心して、この付近には危険な生物なんて居ないから」
普通に遊べる海なら居る可能性は低いだろう。しかし、正直神奈はこの海なら何が居てもおかしくないと思っている。鮫が居ないとは言ったが、もしかすれば鮫のように危険な海生生物が見えない場所に居るかもしれない。もし見かけたら次来た時はもう海に入らない。
「うーん、待って才華ちゃん。アレ見てよ」
「アレって……アレね」
笑里が指した方向を才華が見ると、遥か遠くから魚を持ちながら泳いで来るレイが居た。遠いので坂下にはよく見えなかったが、近付いて来るとレイが片手で持つ魚の正体が分かる。……鮫だった。どこで出会ったのか、彼は鮫を片手で持ちながら泳いで帰り、砂浜に鮫を放り投げた。死んでいるのか鮫はぐったりしていて動かない。
「いやあ、急にこの魚に襲われたから驚いたよ。咄嗟に気絶させてしまった」
「さ、さささささ、鮫居るじゃないか! 嘘吐き! 安全なんて嘘だ。海は怖い所だ。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い」
「落ち着いて坂下君。レイ君は遠くの、鮫が泳いでる場所まで行ったから襲われたのよ」
未だに怯える坂下は体を震わせていて一歩も動けない。
そんな時、大きな鯛に刺さった銛を持った夢咲が海から上がって来る。
「おお鮫だ。誰が獲ったの? お昼にみんなで食べようよ」
「平然と鮫を食べようとしている!? 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い」
「落ち着こうよ勇気君。その人は夜知留ちゃんだよ」
さらに怯えて身を震わせる坂下はその場に屈み込む。しかし夢咲が「あ、蟹」と声を上げた瞬間、彼は「ふうぇあ!?」と悲鳴を上げて勢いよく飛び退く。確かに蟹は砂浜を歩いていたが小さな種類だ。ハサミで挟まれれば痛いし血も出るが、慌てて離れる必要がある程危険な蟹ではない。現に夢咲は自分から近付き銛で突き殺した。当然食べるためだ。
「……何にでもビビるな」
坂下が臆病な性格なのは神奈も分かっているが想像を超えている。
メイジ学院に通って色々と経験した結果、彼も成長したと思えばこの有様だ。葵が黒虎と融合した時も、魔導祭も、綴との一戦も、全て自分ではない誰かのためだから勇気を出せていた。つまり今のような日常では人一倍臆病な男子というわけである。
「坂下君、こっちへ来なさい。私が守ってあげるから」
「南野さん、ありがとう。僕、一生君の傍にうわヤドカリだあああ!?」
危うくヤドカリを踏みそうになった坂下は飛び跳ね、そのまま砂浜に倒れる。
少し笑いながら葵が「ちょっと大丈夫?」と近寄ると笑みが消えた。
「……嘘でしょ? 気絶してる」
「ヤドカリで気絶する奴なんて初めて見た」
「はぁ、魔導祭や家の問題で成長したと思ったのに。情けなさの極みね。心臓が紙屑なの?」
「覚悟を決めれば強いんだけどな」
「しょうがないわね。私、彼を家まで運ぶから、神谷さん達は遊んでて」
葵は真顔で坂下を背負い別荘に戻っていった。
去年の四月の彼女からは考えられない行動。最初は自分の目的のためなら他人がどうなっても構わない人間だったが、今では他人に心をかなり開いている。今なら実験で他人を苦しめる真似はしないだろう。学院での生活を通して彼女も心が変わっている。
葵と入れ替わるように影野と王堂が神奈を呼びながら砂浜へ走って来た。
二人は心の準備とやらが出来たらしく、海へ足を付けては引っ込めるのを繰り返すこと数分。勇気を出して海へ飛び込んだかと思えば、二人共泳げないらしくジタバタ暴れながら沈んでいく。溺れて気を失った二人の表情はなぜか幸せそうだった。結局二人は神奈と海で遊ぶことなく、別荘に運ばれて坂下と一緒で葵に介抱されることになった。
*
藤原家が所有するプライベートビーチで神奈達はたっぷりと遊んだ。
水泳大会を開いたり、全員でダイビングして魚や貝を捕獲したり、自分達で捕獲した食材で料理を作ったりなどだ。料理は今回同行してくれた藤原家の使用人も手伝ってくれたが、今日は神奈達が主役としてあくまでもサポートの範囲である。それでも昼食は魚や貝の塩焼き、ムニエル、寿司、海鮮丼、カルパッチョ、アクアパッツァなど豪華で美味しい料理が作れた。……主に神音、才華、夢咲、日野、葵のおかげで。
午後には影野、王堂、坂下が復活。坂下は怯えながらも神奈達と海へ潜り、影野と王堂は夕食作りの雑用を手伝った。夕食も昼食に勝るとも劣らない出来で全員が満足している。
そして入浴も夕食も済ませた現在、午後十時。
神奈達は一つの部屋に集まって雑談している。
「へえ、それが秋野先輩のペットっすか。珍しい蜥蜴っすね」
現在、笑里が旅行先にまで持って来ていたサンダバーンを見せびらかしていた。
今は虫籠に入れず、運ぶ時はリュックの中に入れているらしい。笑里にはかなり懐いているので仮に外へ出しても逃げないから安心出来る。
しかし、友達の前ならともかく、大勢の人間が居る前で外へ出すのは危ない。人間がではなく、サンダバーンがだ。魔界出身の生物なので当然地球人は知らない生物。新種の蜥蜴扱いされて捕獲される可能性がある。
「新種かな。藤原さんから見て、この蜥蜴っていくらになるの?」
この夢咲のように金に目が眩み誘拐する輩が現れるかもしれない。
「見たことがないし新種で間違いないわ。最低でも百万、人によっては億単位のお金を出すでしょうね」
「へ、へええ。ね、ねえ秋野さん、その百万円ちょっと触らせてくれない?」
「うんいいよ……って百万円じゃなくてエロちゃんね!」
「なるほどエロちゃん……エロ!? この子エロっていうの!?」
金に目が眩んでいた夢咲が名前の酷さで正気に戻る。
一応笑里から名前の由来がイエローと聞いて納得はしたが、単純なエロを想像してしまった者達はしばらく黙ってしまう。どれだけ自分の発想が穢れていたかを理解して何も言えなかったのだ。
黙ったまま神奈達はサンダバーンの幼体を観察し合い、一通り見終わった後で斎藤が口を開く。
「なんか、蜥蜴ってよりドラゴンに似てるよね。羽生えてるし」
「確かにな。でもドラゴンなんてファンタジーな生き物が実在するかあ?」
魔界出身なのでファンタジーそのものだ。ついでにこの世界もファンタジーだ。
才華の「魔法がある時点で今更」という呟きを神奈は聞き取る。メイジ学院組は魔法が当たり前になっているので感覚が麻痺しているが、魔法があるというだけで一般人からすればファンタジーである。
「ファンタジーでもドラゴンでもいいよ。エロちゃんとは出会って短いけど、私に懐いてて可愛いんだ。手を出すと手の上に乗ってくるんだよ? 可愛くない? 私一生エロちゃんを飼うよ」
「ペットねえ。俺、いまいちペットの良さが分からねえんだよなあ」
難しい顔をする日野に葵が反応する。
「へえ、不良もどきのあなたなら捨て猫でも拾ってるかと思ったわ」
「捨てられてるペットなんて見たことねえぜ? 漫画の中だけだろ」
運が良いのか悪いのか不明だが神奈は捨てられたペットを何度か見たことがある。
近付けば毎度怯えられるし、ペットが欲しいわけでもないので、見つけたら全て才華に相談して引取先を探してもらう。引取先がすぐ見つからない場合も多いので藤原家の一室はペット部屋と化している。
「ペットは可愛いと思うわ、従順で。家でもそんな存在が居るし気持ち分かるのよ。ね、坂下君」
「え、南野さんの家にペットなんて居ない……もしかして僕ペット扱い!?」
坂下がショックを受けている時、日野が悪い笑みを浮かべてサンダバーンを指でつつく。
「はっ、つーかさっき手を出せば上に乗るって言ってたがよ、懐いてるからじゃなくて誰の手にでも乗るんじゃねーの? そういう習性があるんなら勘違いになるよな」
「む、じゃあ試してみる? 私と昌君の手、どっちにエロちゃんが乗るか」
「いいぜ。どうせなら全員手を出してみろよ。最初に秋野の手に乗ったら認めるぜ」
日野の提案に乗った神奈達はサンダバーンを中心に置き、全員が手を伸ばす。
中心に居るサンダバーンはキョロキョロと周囲を見渡して、十人分の右手からどれか一つに行こうとする。悩みに悩んだ結果、サンダバーンが移動した先にあったのは日野の右手。そこにチョコンと可愛らしく乗る。
「はっはっはおいおい見たかおい! 俺の手に乗っちまったぜ!」
大笑いした日野の右手からサンダバーンは床に下りて、今度は笑里の右手へと飛び乗った。
「でもほら、私の手にも乗ったもん」
「二番目じゃねえか! こういうのは一番じゃねえと意味ねえって」
「……日野君、何か臭わない?」
「確かに、君、少し臭くないかい? 手からかな?」
影野とレイが日野から距離を取る。
日野は「手だあ?」と呟き、伸ばしたままの右手をよく見てみると、黄色い液体が手のひらに広がっていた。まさかと思い彼は液体を零さないよう、慎重に自分の右手の臭いを嗅ぐ。
「うわくっせえ! 小便か!? まさかそのエロ野郎が!?」
「へっへーん。昌君が私達をバカにしたから怒ったんだよエロちゃんは」
「マジかよくそっ、くっさ! 手洗ってくる!」
慌てて立ち上がった日野は、小便を床に零さないよう部屋から走り去る。
主食が電気でも小便はするし臭いらしい。手を洗ってから戻って来た日野曰くガソリンのような臭いらしく、小便をかけられた彼を葵や影野が揶揄っていた。
時間が経ちサンダバーンが眠った頃、午後の十一時。
高級腕時計で時間を気にしていた才華が口を開く。
「さて、時間ね。みんな、電気を消していい?」
「え、もう寝るのか? まあ十一時だし寝てもいいか」
「いいえ」
才華が部屋の明かりのスイッチをオフにしてから蝋燭に火を付ける。
暗闇の中で小さな火が周囲を弱々しく照らし、不気味な雰囲気を作り出す。
「即興怪談の時間よ」
「即興怪談!?」
そんな予定は誰も聞いておらず才華以外が戸惑う。いや、即興だから事前には言わないだろうが、そもそもなぜ怪談をするのかが分からない。夏になれば怪談のテレビ番組が放送されるとはいえ神奈達までやらなくていいだろう。
「今年の夏は暑いし、宝生町ではエアコンも扇風機も停電で使えず涼めないでしょう。こんな時こそ怪談で寒気を感じて涼むべき……っていう霧雨君からの発案よ。みんな今から怪談を考えてね」
「あいつ来ないくせに余計な提案するな」
「「ちょっと待った! 僕は断固反対する!」」
大きな声を上げたのは斎藤と坂下の二人。
「涼むも何もこの部屋冷房でかなり涼しいじゃないか! 停電していない場所なんだし、わ、わざわざ怪談なんてする必要ないよ! 体冷やしたら風邪引いちゃうってば!」
「ま、全くの同意見! 怪談なんて無意味! 話を考えるのも大変だし今日はもう寝よう!」
同意見だった二人は顔を見合わせて頷く。絶対に怪談を阻止しようと強い想いを秘めた目は、一瞬で互いを同士と見抜いた。二人の想像では固く握手して結束している。
「嫌なら仕方ないわね。じゃあ坂下君は男子部屋に戻っていいわよ」
「よしっ」
「よしじゃないよ! なんで坂下君だけ!? 僕も不参加でいいでしょ!?」
「あなたは参加させるよう霧雨君から言われているの。面白い反応するからって」
「本人来ないくせに余計なこと言うな!」
普段は坂下のように臆病ではない斎藤だが、実は幽霊関係の話が大の苦手である。未確認生物やら宇宙人やらは怖くなくても幽霊を過剰なまでに怖がる。それを霧雨は知っているから揶揄うための伝言だろう。
斎藤はどうか置いていかないでくれと願いながら坂下を見つめて助けを求める。
「そっか。じゃあ僕は先に部屋へ戻る。みんな楽しんでね」
「待てよ裏切り者おおおおおおおおおおおおおおおお!」
「そうそう、待てよ坂下。ノリが悪いんじゃねえかあ?」
悪そうに笑いながら日野が立ち上がり坂下の肩に手を回す。
「そうね待ちなさい。一人で男子部屋に戻っても暇でしょう?」
今度は葵が坂下の右手首を強く握って一見優しそうな笑みを浮かべる。
「い、いや、僕、怪談とか怖いから苦手だし」
「逃がさないよ。君だけが不参加でいいなんて不公平じゃないか」
さっきまで同士だったはずの斎藤まで坂下の肩に手を置いて押さえる。……といっても先に裏切ったのは坂下の方なので斎藤の怒りは正当なもの。さすがに何も言えず坂下は静かに腰を下ろす。
「じゃあまずは神奈さんからどうぞ」
「えっ私から!? いやちょっ、何も考えてないんですけど……えっと、あれは確か秋の出来事。朝起きたら家がお菓子になっていました。壁はウエハース、芝生はグミで――」
即興で怪談を作るのは難しい。神奈は過去の出来事を思い出しながら語る。
その日、斎藤と坂下以外が即興怪談を披露して、怪談が怖くて抱き合う二人の悲鳴が夜遅くまで周囲に響き渡った。プライベートビーチにある別荘なので周りに民家はなく、好きなだけ悲鳴を上げても近所迷惑にならないのは幸いだった。




