214.15 家なき子
四月九日。メイジ学院入学式翌日。
昨夜の出来事をDクラス教室で思い返しながら坂下はため息を吐く。
結局、目が覚めたら夢なんて都合のいい現実にはならず、模擬戦後に坂下が居た場所は自宅の門の外だった。隣に優悟も寝ていたことから本当に追放されてしまったと理解した。
不幸中の幸いというべきか、荷物も全て家から出されていたので金やスマホは手元にある。もっとも財布には金などほぼ入っておらずホテルやネットカフェにすら泊まれない。昨夜は公園のベンチで寝て夜を明かし、朝食を食べることも出来ず、自動販売機で天然水のペットボトル一本を買ったら全財産は残り二十六円。ホームレスになってしまった坂下の人生は暗い。
「どうしたんだよ坂下、暗い顔して」
耳にピアスを付けた金髪の男子、日野昌が坂下に声を掛ける。
少し悩んだが坂下は事情を全て話すことにした。
事情を隠しても、お人好しなクラスメイトは勝手に首を突っ込んでくる。
調べれば追放の一件はすぐに分かることなので正直に話した方がいい。
「……はあ!? おまっ、マジかよそれ!?」
日野が驚愕していると教室の扉が開く。
「うるさいっての日野。廊下にまで声が聞こえてきたぞ」
「朝から賑やかっすねえ」
教室に入って来たのは神奈、影野、晴嵐の三人。
同学年かと勘違いしそうなくらい自然に一年生が交じっている。
「うるさくもなるっての! 坂下が実家を追い出されてホームレスになったんだぞ!」
「……そりゃうるさくなるな。詳しく説明してくれ」
今度も坂下の口から現状が説明された。
追放理由の詳細、実家が政府に協力していることや、才と力に優れた実力者のことまで神奈達は知った。政府に協力していた話が出た時は神奈だけ表情が暗くなったがすぐ戻る。坂下の両親は分からないが、少なくとも坂下は実験に何の関わりもないだろう。
「……大変なことになったな。これからどうするんだ? 住む家ないんだろ?」
「兄さんを捜しながら公園で寝泊まり、かな。飲み水は大丈夫。食べ物は……どうしよう」
「捜すって、一緒に居ないのか? 追い出された時は一緒だったんだろ?」
「実は『俺に構うな』って走ってどこか行っちゃってさ。追ったけど、僕、追いつけなかったんだよ」
神奈にとって坂下の兄に良い思い出はない。坂下にだってそんなものはないはずだ。
弟を見下し、虐めて、強者気取りのクズなんて見ただけでも苛つく。
しかし弟である坂下は兄が嫌いでも心配している。彼のために早く見つかってほしいとは神奈も思う。
兄の方も問題だが一番の問題は兄弟揃っての家なき子状態だ。
神奈にはホームレスの知り合いが居るので、ホームレスが集まって住んでいる場所を紹介出来るがそれは最終手段。せっかく頼れるクラスメイトが傍に居るのだから彼には是非遠慮せず頼ってほしい。
「なあ、家がないなら私の家に来なよ」
「あ、ありがたいけど迷惑なんじゃ……」
「問題ないって。居候には慣れているんだよね私」
一応神奈にはゼータやマヤなど事情があって家に住まわせた時期がある。
今までの居候は同性だが今回は異性。思春期の男女が一つ屋根の下に住むのは問題がありそうな気もするが、性的な意味で襲われても楽に無力化出来るので問題ない。一度までは気の迷いとして許す。さすがに二度目となると追い出さなければならないが、そんなことはしないと神奈は坂下を信用している。
「じゃあお願い――」
提案を受け入れかけた坂下を影野と晴嵐が睨んでいた。
親の仇を見るかのように憎悪や怒りが込められており、ブツブツと呪詛を坂下に向かって呟き続けている。恐怖を感じた坂下の選択肢からは、神奈の家に居候する選択が完全に消え去った。
「いややっぱりいいよ女子の家は緊張するし! 思春期の男女が同棲したらどうなるか想像付くでしょ!?」
「緊張とか言ってる場合かよ。家がないんだぞ」
「神谷さんの家に行くと命を落としちゃうかもしれないんだよ! 緊張で!」
「……人間って緊張で死ぬのか」
必死に拒絶されたらさすがの神奈も居候の提案を止める。確かに思春期の男女で同じ家に住むなんて坂下は心が落ち着かないだろう。同性以上に気を遣うのは間違いない。
命の危険があるというのもあながち間違っていない。
神奈は普段から面倒事に巻き込まれるので、いきなり家が爆破されたり襲撃されるのが何度かあった。異空間から家の中に虫型の怪物が現れたことも、精霊が騒動を起こしたことも、宇宙人が侵略しに来たこともある。坂下程度の戦闘能力では巻き込まれて死ぬ可能性が高い。
「俺の家に来なよ」
意外にもそう言ったのは影野だ。
「一人暮らしだから部屋余ってるし、男同士だからあまり気も遣わないんじゃないかな」
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えようかな。今日は影野君の家に行かせてもらうよ」
坂下だって居候させてもらえるのは本当にありがたく思う。
先程の鋭い視線や呪詛を思い出すと不安になるが影野も坂下の友達の一人。少し怖いところがあっても気にかけてくれるし、本気で心配してくれている自慢の友達。提案を受け入れた坂下は放課後に影野家へと向かう。
坂下の実家は広くて大きな家だったが影野家は一般的な二階建ての家。
家に入って最初に抱いた感想は……ゴミ屋敷。カップ麺や弁当の空容器、菓子が入っていた袋、ティッシュの空箱、血塗られた刃物、引き裂かれた人物写真、釘と藁人形、植木鉢など様々な物が散乱している。
「……え?」
「悪いね、散らかっていて。散らかるのは一人暮らしが気楽だからかなー」
「い、いや、気にしなくていいよ。うん」
散らかっている状態は坂下も気にしないようにする。しかし、床に散乱している物の中には危険な物も交ざっている。誰か分からない男性の写真が破られていたり、誰かの髪の毛が藁人形からはみ出していたり、血が乾いたナイフが落ちているのは特に怖い。友達の家に来たはずなのに坂下の恐怖心がかき立てられる。
「使っていない部屋は二階にあるんだ。案内するよ」
階段を上がった二階には扉が四つあった。
影野の解説によれば影野の部屋が二つ、トイレが一つ、未使用の部屋が一つ。
階段から一番近い未使用の部屋に入ると、屋内の状態から推測は出来るが埃だらけだった。家具が何も置かれていない殺風景な部屋だが掃除すれば快適に過ごせるだろう。
「飲み物用意するから寛いで待っていてくれ」
「うん、ありがとう」
影野が部屋から出て行った後、坂下は頭を抱えて座り込む。
「怖いいいいいいい! 何だあれ何だあれ、血の付いたナイフ、釘と藁人形、破られた写真、ただのゴミ屋敷には落ちてないでしょあんな物おおおお! 呪術師の家かと思ったあ! 僕これからこの家で過ごすんだよね、殺されたりしないよね!? ううう急に寒気が……トイレ行こう」
部屋を出た坂下は廊下奥にあるトイレに向かう途中、影野が使っている二つ目の部屋の扉が僅かに開いているのに気付いた。普段なら気にしないのに、恐怖のせいであらゆることへ過敏に反応してしまう。
見てはいけない何かがその部屋にある気がした。
黙って通り過ぎるのが正解のはずなのに坂下の手は扉の取っ手に伸びていく。
恐る恐る扉を開けた坂下の目に飛び込んできた光景は常軌を逸していた。
神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。神奈。
神奈の写真、木彫り、小型や等身大の人形などで部屋は埋め尽くされていた。
「――何をしているのかな?」
背後から知っている声が聞こえた坂下は目を見開き、硬直する。
「あ、ああ……」
「ダメじゃないか俺の聖域に勝手に入ったら。さあ、自分の部屋に戻ってくれ」
強すぎる恐怖で体が動かない。脳の働きも鈍っている。
「戻れ」
動かない体は影野に引き摺られて元の部屋に戻された。
少しパンツが濡れてしまったのも気にならない程の恐怖体験だった。
影野家での一日が終わり、再びメイジ学院への登校。
眠ろうと思っても眠れず寝不足な坂下は一人で恐怖を抱えている。
見てしまったものを誰かに話そうとすればどうなるのか、死ぬよりも恐ろしい拷問のような時間が待っているに違いない。具体的なことは考えたくもない。
「お、どうだった坂下君、あいつの家。変なことされなかったか?」
呑気に神奈が声を掛けてきたので坂下は取り繕った笑みを浮かべる。
「大丈夫。何もおかしなことはなかったよ」
「そっか、じゃあこれから影野の家に居候して――」
「待ってそれだけは無理。贅沢かもしれないけど他の人の家がいい」
食い気味に拒否した坂下は高速で首を横に振った。
何かあったと察した神奈が影野を問い詰めに彼の席へ向かう。
「……どうしようかな、住む場所」
可能なら同性がベスト。影野の家にはもう行きたくないとして残るは日野、速人、斑。
教師である斑なら快く部屋を貸してくれそうだが、以前聞いたところによると四畳半のアパート暮らしなので部屋が狭い。二人で暮らすことになれば斑にはかなり迷惑が掛かってしまう。
「隼君の家に行かせてもらえないかな」
「死んでも自己責任だぞ」
「ごめん忘れて」
いったいどんな家なのか気になるが影野家とは別ベクトルで危険だと理解した。
坂下は知らないままだが隼家は一番危険である。神奈の家のように超常の存在が来ないとはいえ、ある意味それより厄介な殺意に満ちた殺し屋が襲撃してくる。裏社会の人間は基本的に容赦がないため坂下などあっという間に死んでしまう。
「日野君、日野君の家って僕が行っても死なないかな」
耳にピアスを付けた金髪の少年が「俺の家?」と振り返る。
「普通は死なねえだろ。でも家はなあ、俺って一人暮らしじゃねえけどそれでもいいのか?」
「行ってみたいけど、家族が居るなら僕、邪魔になっちゃうよね」
「お前がいいなら来ていいぜ。クソ親父は文句言わねえと思うし」
そんなやり取りがあって坂下は日野家に泊まらせてもらうことになった。
影野と違って日野には地雷がない、と坂下は思っている。不良生徒のような外見なだけで根は優しいと知っているからだ。彼が隠れ神奈ファンだとかでなければ、異常な部屋を作っていなければ気を付ける点は常識の範囲のみ。影野家に行く時よりは緊張しない。
実際に家に上がらせてもらっても印象は変わらない。
主に父親が過ごしているリビングはゴミが散乱して汚いが、もっと酷い影野家を見た後なので驚かなかった。日野の父親に挨拶でもしようと思ったが相手は寝ていたし、話し掛けない方がいいと日野から忠告されたので止める。夕方から空の酒瓶を抱えて寝る姿を見て彼の忠告は正しいかもと思う。
何事もなく夜になり就寝時間。
トイレに行きたかった坂下が階段を下りた時、唐突に酒瓶が鼻先を掠めて飛んでいった。壁に勢いよく激突した酒瓶は当然割れてガラス片が飛び散る。突然の出来事だったので息が止まり、驚きの声が出せなかったのは不幸中の幸いだ。
咄嗟に階段の壁に隠れた坂下は明るいリビングの様子を窺う。
リビングでは日野と、酒瓶を投げた日野の父が激しく言い争っていた。
「おい昌あああ! 酒が切れたぞ買ってこおおおおい!」
「あんだとクソ親父いい! 自分で買いに行けやああ!」
親子の言い争いは殴り合いに発展して、リビングはあっという間に暴力の世界。
巻き込まれたくない坂下は壁際で座り込み、膝を抱えてブルブルと震える。そして緊張のせいか朝まで気を失う。当然体が休まるはずなく眠気と恐怖は一日中消えずに留まった。
時々瞼が閉じそうになる坂下はフラフラ歩いてメイジ学院に向かう。
今まで健康的な暮らしをしてきた坂下にとって二日間の寝不足は厳しい。朝から帰りのホームルームまでずっと心ここにあらずといった様子であり、授業中何度も寝そうになっていた。強烈な眠気に負けた時もあったが、すぐ起きてしまえたのは真面目な性格のおかげだろう。
「お前等さ、弱ってる人間をもっと弱らせてどうすんだよ」
教室の隅では神奈が影野と日野を正座させている。
「申し訳ありません。俺の力不足です」
「原因は分かんねえけど結果があれだ、すまねえ」
「どうすんだよ。やっぱり私の家で預かった方がいいんじゃないかなあ」
一つ屋根の下で年頃の男女がとか言っている場合ではない。このままでは坂下の精神が危ない。
坂下の様子を見兼ねた晴嵐が軽く手を挙げる。
「あの、オレの家で預かりましょうか?」
「ダメだろ。お前の家の中は知らんけどダメな予感がする」
「――私の家に来る?」
瞼が閉じかけている坂下の前に葵が立ち、手を差し伸べていた。
坂下にとって異性の彼女の家に泊まるのは気が引ける。しかし今はそんな綺麗事を言える精神状態ではない。精神的に追い詰められた坂下からすれば、手を伸ばす彼女は正に救世主。絶望した人間を救う女神。
涙を流し、全身を小刻みに震わせる坂下は「うん」と彼女の手を取った。
*
住宅街から離れた人気のない林付近に南野葵の家はある。
元々小さな廃工場だったのを彼女が掃除と改造をして住処にしたのだ。彼女が廃工場に手を加えた時から付近の場所は林と土以外に何もなかった。今では彼女が自主的に作り上げた畑が林の中に存在している。野菜はもちろん、中には薬物の実験で使う植物もそこで育てている。
廃工場を改造した葵の自宅の部屋数は意外と少ない。
「ここが資料室」
大量の本と様々な資料が入った本棚が並び、机の上にはパソコンが置かれている。
「ここがリビングのような場所」
家具とキッチンを後付けで用意した寛ぎ空間。ベッドもあるので基本は一日をそこで過ごす。
「ここが浴室」
元々廃工場にあった風呂とシャワー付きの小さな浴室。
「あっちが実験室。入っちゃダメよ」
そして一番広い実験室。数百種類の薬品、フラスコなどの器具が広い棚に保管されている。今ではあまり使用していないが、かつては魔力の実の実験で長期間使用していた。
「こんなところね。質問は?」
鉄板で仕切られている四部屋を案内された坂下は「いや、特に」と返す。
彼の胸中ではたったの一言が何度も繰り返されていた。……想像と違う。
初めて訪れた女性の家が廃工場。家具には可愛い物がなく実用性重視。
女性らしいと言うのは今の時代批難されるかもしれないが、壁の色がピンクだったり、可愛い人形がベッドに置かれていたり、化粧品や香水が並んでいたり、そういうことを想像していた彼は衝撃を受けすぎている。
放心しかけた彼がリビングに戻って来た時、一つの写真立てを見つけた。
箪笥の上に置かれた写真立てには、幼い青髪の男女と夫婦らしき男女が笑っている写真が入っていた。案内された場所を見た限り写真はそれ一枚しか存在していない。
「ねえ、これって……」
「家族よ。私が六歳の時のね」
「やっぱり。じゃあ隣の子は」
「南野青、弟よ。今どこで何をしているのか分からないけどね」
葵の弟、青は五歳の頃に交通事故に遭い入院することになった。治療費を払うために借金をしていた両親は蒸発し、回復した青と葵は別々の人間に引き取られている。しかし葵を引き取った者達は、交通事故を起こした人間が雇った殺し屋に殺された。幼い頃から魔力の才能を開花させていた葵は殺し屋を返り討ちにして生き延びた。自分が襲撃されたなら青もと思ったが、葵が調べた限りでは青の死体だけ発見されていない。淡い希望を抱く葵は今も青を捜し続けている。
魔力の実事件の時に大まかな事情を知った坂下は葵の家族写真を見つめる。
「……坂下君。あなたの家が政府の協力者だって話、本当なの?」
「それは、うん、本当だよ。具体的に何をしているのかは知らないんだけど」
「じゃあ、弟を車で轢いたクズとあなたは同じ立場だったのね」
坂下は思わず「え」と声を漏らし、顔を葵の方へと向けた。
「弟を車で轢いた男も政府の関係者だった。あなたの家族と同じでしょ」
違うと言いたくても坂下には言えない。葵の言うことは間違っていない。
彼女の弟と事故を起こした男は財力と権力があって警察組織にも干渉出来る。それを聞いた坂下が真っ先に思い浮かべたのは自分の家族。さすがに自分の親が彼女の弟と事故を起こしたとは思わなかったが、政府への協力者なら警察組織にも融通が利くと知っている。犯人が政府関係者という可能性は十分にある。
「私は私を止めてくれたクラスメイト、特に神谷さんとあなたに感謝してる。だからあなたの家系が政府の関係者と知って裏切られた気分なの。あなたが政府主導の実験に関わっていないのも、権力で好き勝手しないのも分かってる。でも、あの日、私を止めてくれたのは、私のためじゃなくて家族が困るからだったのかと思ってしまう。ねえ、教えて。私を止めたのは私のため? それとも家族が関わる政府を守るため?」
誤魔化せないと坂下は悟る。
日野のように固有魔法頼りでなくても嘘を見抜ける人間は居る。坂下は嘘が得意な人間でもないので、誤魔化せばバレるし失望されるだろう。明日から無視されても不思議ではない。全てを正直に話さなければならないと考え、覚悟を決める。
「……両方だよ。僕にとってクラスメイトも家族も大事だから。でもあの時、僕が一番考えていたのは南野さんのことだった。南野さんを止めて、クラスメイトのままで居たいって思ったから学院まで行ったんだよ。自分の家系のことを隠していたのはごめん、謝る。弟さんを轢いた犯人が政府関係者だったらと思うと口が開かなかったんだ」
「そう……まあ、いいわ。あなたが政府に協力したわけじゃないし、あなたの大事な家族には何もしないでおく。でも、そのお大事な家族とやらには追い出されたわけだけど、今でも大事なの?」
「うん。大事だよ」
両親の期待に応えられなかった坂下に対して、家族からの態度は酷いものだった。
兄からは暴行や罵倒が当たり前で本を燃やされたこともある。両親は兄程ではないが口を開けば罵倒の数々。しかしそれも仕方ないと思っている。幼い頃は両親に認めてほしくて努力していたが、次第に強くなるのを諦めて現状を受け入れてしまったのだ。坂下家の役目も果たせないので勘当されても文句が思い浮かばない。こんな状況になってしまったのは自分の弱さのせいだと理解しているからである。
はっきり言って坂下は家族が嫌いだ。
……嫌いでも、大事な存在だ。
朧気な記憶が多い幼少期、初めて魔力弾を撃てた時に両親と兄は『凄い』と笑顔で褒めてくれた。夕飯は大好きなハンバーグにしてくれたし、兄も好きなはずなのにハンバーグを半分も分けてくれた。今でもその記憶だけは色褪せずにはっきりと思い出せる。
今は嫌いだが、家族には幸せになってほしい。昔の良い思い出がそう思わせる。
「あなたは将来、親の仕事を継ぐつもりだった?」
「何をしているのか知らないけどね。引き継ぐのを両親が望んでいたから継ぎたかったよ」
「本当に家族が好きなのね。良い扱いされなかったでしょうに」
「嫌いだよ。上手く説明出来ないけどさ、嫌いでも大事なんだよ」
家を追放された復讐でざまあ展開に持ち込まないのも大事だからだ。
「言っておくけど、そんなに大事な家族の協力先は腐ってるわよ。偉い人間はどうやって今より上の立場になれるかとか、自分に都合のいい世の中にしたいとしか考えていない。あなたはそんな場所と知っても協力したいの?」
「僕に出来ることがあるならやってみたいんだ。腐ってるなら腐食を止めるか、新品に取り替えたい。家族のためにも、南野さんのためにも、僕だって役立ちたいんだ」
「そう思うなら私を手伝って」
「手伝うって、何を?」
葵が過去にやろうとしたのは圧倒的な力による恐怖で政府を支配して、所属する人間が悪事を働かないようにすること。計画のために魔力の実を作った彼女はクラスメイトに敗れている。しかし、未だに彼女は政府の人間の心の変化や支配を諦めておらず、怪しげな実験を学院でも繰り返している。彼女の一番の障害は神谷神奈。まさか神奈を倒すために協力しろとでも言うのかと坂下は警戒した。
「――私、将来は政治家になるって決めたの」
予想が外れた坂下は驚きで目を見開く。
「政治家!? もしかして内部から革命を起こすってこと?」
葵はこくりと頷く。
「暴力を使うのが一番早いんだけど神谷さんが止めてくるしさ。どうやって神谷さんを倒すか考えるより、正攻法で突き進んだ方が近道になると思ったの。で、政界に行くなら信用出来る人間が傍に欲しい。だから手伝って」
「僕なんかが、南野さんの手伝いを」
「出来ることをやりたいんでしょ? 役に立ちたいんでしょ? だったら私に協力して。目的は同じよ」
腐った部分を変える目的も手段も同じかもしれない。
ただの政府の協力者よりも政治家になり、政府の深い部分にまで潜り込めたら内部からの革命もやりやすくなる。改めて将来のことを考えた坂下は自分にそんなこと出来ないと思いつつ、方向性が変化した葵の計画を手伝いたい気持ちも抱く。下心なく、ただ彼女のサポートをしてあげたかった。
政府から腐った部分を取り除けば、両親が危険な目に遭う心配もしなくていい。認められたいわけでも、また同じ家で暮らす許可が欲しいわけでもなく、危ない場所に居てほしくないのが素直な気持ちだ。政府への協力を止めろと言われて両親が止めるわけないので、葵の計画を手伝って政府組織を綺麗に整えるのが坂下にとっての最善な行動だろう。
「……分かった。僕でいいなら、南野さんを目的へ辿り着かせる橋になりたい」
「バカね。一緒に橋を渡る付き人でしょあなたは。あなたが橋になったら一歩目で崩れちゃうわ」
確かに、と坂下は思う。誰かをしっかりと支えられる自信がない。
くすりと笑った葵は坂下に背を向けてリビングを出ようと歩く。
「今は忙しいから出来ないけど、やるべきことを終えたら勉強始めるわよ。心の準備はしておくことね」
「それも、手伝おうか?」
「私がやるべきことなの。大丈夫、手伝いなら既に足りてるから」
リビングから出て行く葵を見送った坂下はスマホを取り出す。
政治家とはどういうものか、どうすればなれるのかをインターネットで検索して、葵の手伝いのために張り切る。資格が必要なくても政治家になる条件は難しく、今のまま何となく日々を過ごすだけでは絶対になれない。条件を達成するため地道に頑張ろうと決めた。




