212 上谷――かみや――
2024/07/13 文章一部修正+加筆
とある一軒家のリビング。静かに一人でテレビを見ている少年がいた。
上谷翔。八歳の小学三年生。特に何かが得意だとか、何かが下手だとかはなく運動神経も平均的なごく普通の少年。
しかし家庭環境は普通ではなかった。
両親は買い物中にスーパーマーケットに突っ込んで来たトラックに轢かれて死亡。一人になってしまった翔だが、誰一人引き取ろうとしてくれる親戚はおらず孤独な日々を過ごしている。
『ミラクルクルクルキッラキラ! 唸れ私の拳! ミラクルフィンガー!』
『ぐわあああ!? バカな……この、私があああ!?』
翔が見ているテレビではとあるアニメが放送されていた。
魔法少女ミラクルン。ある日、小学三年生の少女が謎の喋る腕輪により魔法少女に任命されて、魔法のステッキを手に入れてからというもの、世界中の悪と戦うという内容だ。
魔法少女なのに拳や蹴りなどで戦う斬新な設定や、誰でも笑えるようなギャグが話題を呼び、幅広い年代に視聴されている。敵側で普通のファンタジー魔法を使う者もいるが主人公は一切使わない。
そのファンタジー魔法を使う敵の中で、現在視聴中の第七十話にて死者を復活させる魔法が出てきていた。
翔はそれにかなりの興味を持ち、サンタクロースも存在すると思う純粋な翔はすぐに魔法のステッキを買った。全ては両親を生き返らせるため、その魔法を行使するためだ。
「これで父さんと母さんが戻ってくる……その筈だ」
純粋な少年は気付かない。魔法は空想であり、他者の妄想である。
少なくともこの世界に、現実にはないという残酷な真実を今は知ることがない。
何日も魔法の練習をした。あると疑っていないので練習をひたすら続けた。暇さえあれば詠唱を変えてみたり、体内に特殊なエネルギーがないか探ってみたりもした。……それでも魔法は使えない。
翔は諦めないが、そんな日々を過ごすごとに心に小さな棘が刺さったような痛みが発生している。
本当にこれでいいのかと何度も自分へ問い返す。
「昨日もダメだったな……」
朝、気持ちよく早起きして太陽光を浴びながら瞑想や走り込み。
学校では何もせず、夜は筋トレやイメージトレーニング。
毎日魔法を使うために努力しているが成果はまだない。
トレーニングも出来ない学校へ元気なく歩いて行き、教室に入るとランドセルから玩具のステッキを出して見つめる。どうして魔法が使えないのか、理由がどこかにあると信じてステッキと向き合う。
「なあ、それなんつったかな……ミラク……なんちゃらの武器だっけ」
自分の席についてステッキを見ていた翔に、声を掛けてきたのは話したことのない男子生徒だった。
ツンツンと後ろ髪が逆立っている少年は自己紹介する。
「ああわりいわりい、俺は咬座真人。ちょっとお前に興味があってな、ほら、お前なんか朝トレーニングしてんだろ? 俺の家の前走ってるからたまに見かけるんだよ」
「そうなんだ。これは魔法少女ミラクルンのステッキだよ、見たことないの?」
「あるけどさ、俺にはあんなアニメ合わないんだよ。もっとこう激しい戦闘が見てえっていうか……」
「まあ人それぞれだよね。俺は上谷翔、よろしく」
相手にだけ自己紹介させるのは悪いので翔も礼儀として名乗る。
「それで? なんでそんなもん見てたんだ?」
近くの空席に座って真人は翔に積極的に話しかける。
「俺は魔法が使えるように訓練してるんだ。でもなかなか使えるようにならなくて。だから何かヒントがないかと、ステッキを見ながらミラクルンの話を思い出してたんだ」
「へ、へえ? あ、そ、そうか……」
単純に好きだから見ていたのだろうと予想していた真人は、予想外な答えが返って来て反応に困ってしまう。
魔法なんてものは存在しない。まだ小学生とはいえそんな常識は真人でさえ分かるが、純粋な瞳をキラキラと輝かせる翔に真実を教えるのは気が引けた。
しかしただ一つ。気になることがあったので問いかける。
「お前は何で魔法を使いたいんだ? 強くなりたいってんなら俺と近くの道場に――」
「強くなりたいわけじゃないんだ。俺の父さんと母さんはトラックに轢かれて死んじゃって……そんな時、ミラクルンを見てて思ったんだ。魔法の力なら生き返らせることが出来るんじゃないかって……」
俯いて理由を話す翔に対して、真人は言葉を発することが出来ない。
(おいおいマジかよ、重えよ。何だ両親を生き返らせたいって、コイツ俺と同い年で一人ぼっちなのかよ)
「だから俺は修行してるんだ。あのミラクルンを魔法少女にした腕輪がなくても、自力で魔法を習得してみせる。……聞いてる?」
相槌もないので聞いているのか判断出来なかった翔は直接訊いてみる。
心の中で理由を聞いたことを後悔する真人は慌てた声を出す。
「あっ、ああ聞いてる聞いてる! 偉いよお前は。……魔法か、きっと使えるようになるさ。お前の努力ってやつを神様が見てるからな」
「あはは、ありがとう。今までそんなこと言ってくれた人いなかったから嬉しいよ」
「ああまあ頑張れよ、俺ちょっとトイレ行ってくるから」
翔にとって初めて掛けられた言葉だった。
使えるようになると誰かに言われるだけで気の持ちようが全く違くなる。
自分のやっていることは無駄じゃない、そう信じられた。
「なあそれってもしかして魔法少女ミラクルンのステッキ?」
真人が教室から出ていってからもステッキを見ていた翔に、またも男子生徒が声を掛ける。
声を掛けてきたのは狩屋明人。クラスの人気者の男子だ。
変な挨拶を彼がしても誰でも返すような人気者。人望は他クラスや教師にもあって信頼されている。
「そうだけど……もしかして狩屋君も」
「だっさ」
真人同様、少し趣味の話が出来るのではと期待していたが、期待はすぐに砕かれた。
息をするように、それが自然であるかのように狩屋は翔を罵倒する。
「男の癖にそんなもん買って、大事そうに見てるとか気持ち悪すぎだろお前……あ? なんだその目?」
誰だって基本的に罵倒されれば気分を害する。
翔は睨むような目を狩屋に向けていた。
「……気持ち悪くても、ださくてもいいんだ。俺はただ魔法が使いたいだけなんだから」
狩屋は固まっていたが、次第に動き出して堪えきれずに笑いだす。
「ぷはっ、ははははは! 魔法!? あるわけねえだろそんなもん! お前アニメの見すぎだって! ははははは……ああ、笑った笑った……で?」
「え?」
「だからあ、どう使うのかなって……ま・ほ・う。使ってみせろよ、あるって思ってるならここで使えよ」
使えと言われても使えない。翔も狩屋もそれは分かっている。
もっとも狩屋は現実を見ていて、翔は見ていない。それだけが違う。
狩屋は使えないと理解している。真人は使えないと分かっていてもその真実を伏せた。しかし同年代である翔はいつか魔法が使えると疑っていない。
「おいみんな! コイツ魔法があるって、使えるって言ったぞ! みんなで見ようぜ。コイツが魔法を使うところをさあ!」
狩屋は嗤いながらクラスの生徒全員に聞こえるような大声を出す。
「ち、違う……使えるなんて言ってないじゃないか!」
無茶なことを言う狩屋に掴みかかるために立つが、翔の手はあっさりと払われる。
教室にいた生徒の関心は全て翔に集まっていく。そして全員が冷笑を浮かべる。
クラスの人気者である狩屋が嗤うなら自分も嗤わなければいけないと、同級生達は空気を読んだのだ。たとえ不本意なことでも、周りに合わせるのが賢い選択だと幼いながらに分かっているのだ。
「くっ、くそっ……」
周囲の者全員に嗤われて、裁判中に追い詰められた無実の容疑者のような気持ちになった翔は涙を流す。
理不尽すぎる。ここにいる生徒達は、この世界は理不尽すぎる。
意見など聞いてくれない。反抗などさせてくれない。
翔はただ泣いてジッと立っていることしか出来なかった。
涙を流す翔を見て狩屋は悪意を持ってさらに笑う。
「ぷはっ! おい、使ってみろよ! ミラクルクルクルキッラキラって魔法少女ミラクルンみたいに言ってみろよ! 魔法があるんだろ!?」
「おいっ、お前ら止めろよ! 可哀想だろ!」
涙を流してジッと耐える翔を目にした一人の少年が声を荒げる。
当然のように注目は声を荒げた少年に移る。
その少年はついさっきトイレから戻ってきた真人だった。
トイレから戻ってみれば教室が騒がしく、何があったのかと思えば翔が嗤われている。
明らかな虐めの現場を見て、正義感が強い真人は迷いなく首を突っ込む。
狩屋は「はぁ?」と声を上げて困った表情になった後、口を三日月のように歪ませる。
「おいおい、みんな! こいつアレのこと庇うみたいだぞ! てことはあ、お前も魔法なんてものがあると思ってんのかなあ?」
「……あってもいいだろ」
「は? なんだって?」
「あってもいいだろって言ってんだよ! 他人の趣味にいちいちケチつけてんじゃねえよ!」
翔の事情を知ってしまった以上、こんな虐めは特に見逃せない。
魔法なんてない。翔の両親が生き返ることもない。狩屋や彼に同調するクラスメイトはただ、非常識な馬鹿を嗤っているにすぎない。嗤われるのは翔の自業自得だ。それでも今ここで助けなければと真人は思い、一人で翔の前に出て庇うように立つ。
「うるせえなあ、生意気だよお前。おいみんな囲め! こいつウザいからボコボコにしようぜ!」
狩屋の言葉を皮切りに、真人は周囲の生徒により翔の傍から離されて暴力を受けた。
殴られ、蹴られ、椅子で叩かれることもあった。それでも、そこまでしても、何かが足りないと思う狩屋は、妙案を思いついたとばかりに手をポンと叩く。
「なあ、お前も殴れよ」
狩屋がそう声を掛けた相手は翔だった。
「な、なんでそんなことっ!」
当然翔は拒否していたが、笑みを浮かべる狩屋が翔に近付き耳元で囁く。
「……やらなきゃお前もああなるぞ」
誰にも聞かれないように囁かれたそれに、翔は息を呑んでゆっくりと拳を握る。
残念なことに翔が真人を助けるには勇気がなかった。
正しいことをしても暴力を受ける理不尽な現実に立ち向かう勇気がなかった。
せっかく自分を犠牲にしてまで翔を助けてくれた相手に対して、恐怖で体を震わせながら近付く。真人の目の前に翔が行った時、誰もがまさかと思い見守る。
「お前、まさ、か……!」
「……ごめん」
翔の拳が真人の腹にめり込む。
鳩尾に入ったことで強い痛みに襲われた真人はその場で嘔吐してしまう。
「うっ、うぼっ、おえええっ……!」
「うわ吐いた、ゲロ吐いたあ! 今日からこいつのあだ名ゲロゲロにしようぜ!」
それからどうでもいいあだ名の論争があったが、そんなものは真人の耳に入らない。
ただこの状況を信じられなかった。悪夢かと疑った。
自分が庇ったはずなのに、守ろうとしたのにその相手が裏切った。
友達になろうとしていたのに、楽しく過ごせると思っていたのに裏切られた。
苦しそうな表情を浮かべつつ、憎しみの籠もった視線を全ての人間に向ける。
(上谷……お前はクソ野郎だが、安心しろ……この場にいる全員がクズだ。見ていろ、平穏に過ごしていろ……俺が強くなって、クズ共をぶっ飛ばしてやる……! こんな理不尽な虐めが起こらないように教育してやる……! そして全てが終わったら……! その時は……!)
一方。翔は自分をバカにせず頑張れと言ってくれた真人を、唯一の友となれたかもしれない彼を、脅しに屈して殴ってしまったのを後悔していた。
(どうしてこうなっちゃったんだろう……魔法が使えたら、こうはならなかったのかな。たとえ許されなくても謝りたい、咬座君は良い人なんだ。殴っちゃったことだけは謝りたい。……でも許してくれる? 許して……くれないだろうな)
それから真人は翔の身代わりとなる形で虐めを受け、何年経っても止まることはなく過激になっていく。
暴力、机への落書き、所持品を隠されるなんてことはまだマシだった。トイレで用を足す最中に水を掛けられたり、給食を真人の分だけ廃棄するなどもまだ我慢できた。
色んな虐めを我慢してきた真人だったが我慢の限界は来る。
ついに虐めは真人だけでなく、家族にも行われるようになってしまったのだ。
我慢の限界を超えた真人は主犯格の狩屋に殴りかかり、一分も経たず骨折を含む重い怪我を負わせた。生徒を守る立場なはずの教師はあろうことか、今までの被害者である真人を非難して一か月の停学を言い渡す。
教師達も当然虐めのことは知っていた。公にすれば問題が起きると考えた教師達は、一度生徒の一人が報告しても動かなかった。そんな保身ばかりの教師達を真人は最初から当てにしていない。
問題を解決出来るのは自分だけ。強くなった自分だけ。そう考えた。
虐め発生から四年が経ち、真人は中学生になる。
中学生になったことで虐めのバリエーションも増えて酷くなる一方だった。
反抗して怪我を負わせた分、憎しみから狩屋が虐めを余計に酷くしたのだ。
当たり前に殴られて地面に転がる真人の体は、もはや痛々しい傷痕が多すぎて無事な部位を探す方が難しい。顔や体には殆どの箇所に痣があり、刃物で切られた傷もある。
時が経ち、中学二年生に進級する。
虐めを受け始めて以来、真人はあらゆる格闘技を独学で学んでいたが、五年の月日を経てようやく実を結んだ。理想とする強さには程遠いが、大人にも楽に勝てる程度の実力を手に入れた。
また殴られて地面に倒れていた真人は立ち上がり、嗤いながら去ろうとする狩屋と数人の仲間を一撃で昏倒させる。さらに周囲で見ていたのに何もしなかった生徒、果てには教師へも牙が届く。その日は五百を超える怪我人が病院に運ばれた。
真人の行いは、人類史上最大の暴力事件と後に呼ばれることになる。
「……ようやくだ。ようやく再会の時間だぞ」
痣だらけの顔を嬉しそうに歪めた真人はとある山へと向かう。
山奥にある滝では全裸で立ったまま滝に打たれていた少年がいた。
「よお、相変わらず元気そうだな。無茶苦茶な修行をしてやがる」
「君は……まさか……」
滝の音がうるさくてお互いの声は聞こえていない。
少年は滝から出て、高速回転で体の水滴を飛ばしてから真人の前に立つ。
「久し振りだね。もう随分会っていなかった」
「まあ仕方ねえさ、テメエは学校を休む不登校児だからな。それよりもだ上谷翔、今日は良い知らせがあってここに来たんだ」
「知らせ? この俺に? もう君に会う資格すらないと思っていた俺に? その顔、酷い傷だ。その原因の一端は紛れもなく俺にあるのに」
「ああ、そうだが……とりあえず服を着ろよ。いつまでも汚いもん見せんな」
シリアスな場面なのに全裸な翔に対して、呆れ気味に真人は服が畳んで置いてある場所を指す。翔は滝から離れた岩の上に置いてある服に着替えてから、もう一度真人の前に立つ。
「それで、知らせっていうのは?」
「俺を虐めていた連中と傍観していた連中、ほぼ全てを病院送りにした」
「ほぼ全てを……だって!?」
何でもない世間話のように言われたのは信じ難い事実。
少なくとも当時同じ小学校だった人間全員が当て嵌まる。それに加えて中学校で加わったのが何人か翔は知らないが、一人で大勢を病院送りにした凄まじさは理解出来る。同時に、殆どという枠に入らない人間が誰かを翔は悟る。
「わざわざ知らせてくれてありがとう。それでやっぱり残ったのは……」
「ああ、当然……学校にいなかったテメエだ」
「俺も病院送りにするってことか。まあ恨まれても文句は言えないことを俺はした。君を見捨てたのは愚かすぎる選択だったと後悔していたよ」
「選択した後にいつも人は後悔する。だがそれでは遅い、もう選択されてしまったのだから遅いんだよ。テメエもどう後悔しようがおせえんだよ。俺もテメエも、もう手遅れだ」
二人は口を閉じて、ゆっくりと大きく円を描くように歩き出す。
少ししてから急速に攻撃へと移り、激しい攻防を繰り広げる。
格闘技を齧っている真人は翔の拳を受け流し、掴んで投げる。それに対応して翔も受け身を取って立ち上がり、蹴りを腹部にめり込ませる。しかし真人はその足を掴んで逃げられないようにしてから、翔の顎に掌打を打ち込む。後ろに跳ぼうとするも逃げられないので翔は攻撃するしかない。
両者退くことなく攻撃を続ける。そしてダメージを受けすぎた両者は後ろ向きに倒れる。
「なあ、俺を見捨ててまで、使いたかった魔法は、使えたのか?」
「それは……まだだよ」
傷は痛むが二人は痛みを無視して口を開く。
「当たり前だろ。あの時はあるなんて、言ったけどよ。……魔法なんて、この世界には……」
「分かってる……それが常識だって、そんなことは、分かってる。……でも、それでも……俺は、諦めたくない」
二人はフラフラの状態で立ち上がり、お互いを見つめる。
「魔法がある……俺は、そのことを……いつか君に証明してみせる」
「魔法はない……俺は、これからいつまでも……テメエを否定し続ける」
それ以降、二人が会うことはなかった。




