182 制御不可能――崩壊の始まり――
2024/04/07 文章一部修正
超生物。怪物。そう呼んでもいいくらいマージ・クロウリーは人間を超えた。
溢れ出る黒い魔力は触手のように伸びてユラユラと揺れている。
――パキッ!
何かが割れる音がする。マージの頬にヒビが入っていた。
神音の推測通り、強大すぎる魔力に耐えきれず肉体が崩壊し始めたのである。
「あれが、肉体の崩壊……。神様、このままあいつを消耗させていけば自滅します。それまで二人で戦いましょう」
「肉体の崩壊……? なるほど、そういうわけか。そういうことならばお主では力不足じゃな。……仕方ない、手持ちの加護をくれてやろう」
マージがまだ溢れ出る魔力の制御に手間取っている内に、管理者は神奈の頭に手を置いて念じる。
困惑していた神奈だったが、体が発光し始めて力が溢れてくることにさらに戸惑う。
「手持ちの加護を全てくれてやったわ。といっても二つだけじゃがな」
「加護を……? いったい何の加護をくれたんですか、力が沸いてくるんですけど」
「気にするでない、ゴミのような効果しか持たん加護じゃ。しかし加護というものはどんな種類にせよ所持者の力を底上げしてくれる。現に今のお主の力は三倍弱といったところじゃ」
話しているうちに、マージの暴走は鎮まることなくどんどん激しさを増していく。
黒く変質している魔力がマージの肉体を包み込み柱のように昇っていく。
「あの者はもうダメじゃな、力をコントロール出来ておらん」
「でもあの魔力はヤバいんじゃ……」
「そうじゃな、よいか? しっかりと距離を保て、直接攻撃は避けるのじゃ。今のお主がアレと殴り合いすれば確実に死ぬ」
肉体を崩壊させている原因である魔力をマージは肉体の維持に使い、なんとか持ち堪えている。
黒い魔力の柱に亀裂が走り、ボロボロと崩れていく。その中からは全てが黒く染まって、星々の輝きのようなものが見える肉体になったマージがいた。
「さて、来るぞ……!」
管理者がそう呟いた瞬間、宇宙のような見た目である肉体のマージが動く。
あまりの速さに神奈は横を通ったことにも気付くことが出来ない。数瞬遅れてから通ったと分かり目で追うと、既に管理者とマージが殴り合いをしていた。
苛烈な殴り合いはとても神奈が割って入れるレベルではなく、大人しく遠距離攻撃に専念する。
神奈の魔力弾によるサポートを受けて、管理者は理性すら失いかけているマージに拳を叩き込む。
管理者は殴り飛ばすつもりで殴ったがマージはほんの少し仰け反っただけで、すぐに態勢を戻すと共に管理者の顎へと膝蹴りを入れる。
「うぐっ!? この小僧があっ!」
痛みに耐えつつ両腕を広げた管理者の背後から、光輝く槍がいくつも飛び出る。自在に伸びていくその槍を、マージは宇宙を映しだすような巨大な魔力弾一つで全て消し去った。
「ぐっ、ぬおおおおおっ!?」
宇宙色の魔力弾を管理者は両手で受け止めようとするも、勢いに押されて呑み込まれた。
管理者を呑み込んだ魔力弾は大爆発を起こし、それ相応の傷を管理者に与える。
服は焼け焦げ、顎鬚は半分ほどの長さに焼き切れて、肉体には抉られたような傷がいつくも存在している。
「おいおい、マジか……? あんなの喰らったら私の体消し飛ぶんじゃないか?」
人智を超えた戦闘に驚きを隠せない神奈は、二人の距離がほんの少し離れた時に魔力弾を放つことを忘れない。しかしそれらがマージに傷を与えることはない。
ロールプレイングゲームで膨大なヒットポイントを持つボスキャラに、一ダメージしか与えられない連続技をやり続けているようなものである。倒せるにはどれほどの時間がかかるのか、そもそも倒す前に神奈の方が魔力切れになってしまうだろう。
当然、全くの無意味なら神奈もこんなことをしない。
魔力弾が当たれば僅かに敵の体勢を崩し、絶好の攻撃チャンスを生み出せるのだ。
「けkstとbえ」
理性を失ったマージの口から意味不明な言葉が漏れ出る。
周囲の生命を滅ぼそうとしている彼はもう一度同じ魔力弾を放つ。
さすがに二度目はマズいと思い管理者は真上に飛翔するが、それを読んでいたかのようにマージが正面に現れる。
再び音も光も置き去りにする殴り合いが始まり、少ししてから管理者の拳から眩い極太の光線が放出される。
「どんな物質も消滅させる光じゃ! 人間如きが耐えられると思うなっ!」
管理者が傷だらけの両腕で放つ光線がまともに直撃したのを神奈は視認した。しかし下から見ているからこそ、戦慄するしかない。
管理者の必死の攻撃が直撃しているにもかかわらず、光の中にはまだ宇宙のような暗闇が微かに存在している。マージは未だに健在だ。
光の放出を続ける管理者の両腕を、マージの黒い腕が掴んで骨や筋肉を握り潰す。
顔を歪めずにはいられない痛みに管理者は思わず「うぐっ!?」と悲鳴を上げる。
マージは腕を振るい、光線を出せなくなった管理者を神奈の方に投げ飛ばす。
「管理者を舐めるなあああ!」
投げ飛ばされてすぐ、管理者の叫びと同時、マージの周辺に光り輝く輪が約二十個出現して締め付ける。空中で身動きを封じられたマージは抜け出そうともがくが、二十個の拘束からは容易く抜け出せない。
神奈のすぐ横に管理者が落下して転がると、さらに光り輝く輪を二十追加して拘束を強める。
「はあっ……! ぐうっ……! このままでは、儂ら二人では倒せん……!」
「……向こうもノーダメージってわけじゃ、ないみたいですけどね」
空中で拘束されているマージの真下には、体のどこかからか薄い肉体の欠片が落ちていた。いくつも落ちているそれは大なり小なりマージに傷を負わせている証拠になる。
「確かに魔力が少しずつ減少して動きも僅かじゃが鈍ってはいる。しかしそれでも儂とお主を圧倒するくらいの力がある。こうなれば、使いたくはなかったが他に戦える者をこの空間に招くしかあるまい」
「そんなことが出来るんですか? ならどうしてやらなかったんですか?」
「強制的に連れてくるのは力を多く消費してしまう。それに本来この場所には死者の魂以外立ち入ることは許されないのだ。しかしこんな状況ならば仕方あるまい。すまんが顎鬚から長方形の板を出してくれんか」
乱れた息が整ってきた管理者に言われたことの意味が分からず、神奈は石のように固まってしまう。
「どうした、早く顎鬚の中から取り出せい! 儂の腕は潰れて使い物にならん!」
「いや顎鬚から取り出すってなんだよ!?」
思わず敬語を忘れて神奈はつっこんでしまう。
「言葉の通りじゃ、儂の顎髭は異空間になっておって色々な道具が出し入れできるんじゃ」
「どこの猫型ロボットだ! ああもう今かつてないほどシリアスなのに!」
「しょうがないですよ神奈さん。シリアスなんて幻想は殺される運命なんですから」
「安全な時を見計らって話し出すなこの腕輪!」
急に会話に入って来た腕輪に文句を言いながら、神奈は管理者の顎鬚の中に嫌そうに手を突っ込む。手をわしゃわしゃ動かしていると、硬い板の感触があったので引っ張り出す。
「おお、それじゃそれじゃ。横にある起動ボタンを押して連絡先リストを開いてくれ。一番上にある名前が助っ人じゃ」
目当ての物だったらしいのは神奈が見慣れた黒い通信端末。
「スマホじゃんこれ! 神様でもこういうの持つの!?」
「今はグローバルな時代じゃからな。それとそれはスマホじゃないぞ? 管理者専用通信端末、略して管末じゃ」
「知らねえよ!」
世界中の多くの人間が使用している通信端末と操作方法は一緒だったので、神奈は連絡先リストを慣れた手つきで開く。
「神代由治……? いやそれよりも連絡先が一件しかない! 何か悲しくなる!」
「仕方ないじゃろ、知り合いなんてほとんどおらんし。他の管理者は儂をブロックしおったし。さあ、あやつが来れば確実に倒せる。通話ボタンを押すのじゃ!」
登録件数一件という寂しい表示を見ながら、神奈は通話ボタンを押す。
プルルルという音が鳴って三回も繰り返した後、機械的な女性の声が出る。
『おかけになった番号に繋がりませんでした。ピーという音の後に録音モードになるので、ご用件がある人は――』
「お留守番サービスじゃねえか! 繋がらねえよ、どうすんだ神様!?」
「……仕方ないの、ああ仕方ない。こうなれば英雄クラスの生命体を連れてくるしかあるまい! もっとも誰を連れて来られるのか儂にも分からんがな!」
「当てにならねえ! けどお願いします!」
「来てくれ、あの怪物と戦える生命よ!」
管理者の縋るような声とともに、空中に現れた縦向きの青い魔法陣。
そこからゆっくりと出てきたのは一人の少年。
茶色の髪と目で、眼鏡を掛け、車椅子に乗っている平凡そうな少年だ。その膝には分厚い桃色の魔導書が置いてある。
「なんか普通のやつ来たああああ! 神様これ大丈夫なんだよな!? あの化け物と戦えるんだよな!?」
「……無理かもしれん」
「おいいいいい!?」
魔法陣から出てきた少年はパチパチと瞬きして、状況に困惑する。
ボロボロになった知らない学校の制服を着ている少女。その少女に神様と呼ばれる両手首が潰れている老人。そして天使の輪のようなものが何重にもなって拘束されている青年。こんなカオスな現場を見て困惑するなという方が無理である。
「えっと、あの……ここはどこでしょうか?」
「ああえっと……ここは転生の間って言って、ああっと説明は難しいから省く! 私は神谷神奈、んでこっちが神様。私達は今とある敵と戦ってるんだけど敵が強すぎて、助っ人を呼んだらお前が出てきたって訳なんだけど……分かった?」
分かったかと訊かれても少年は理解が追い付かない。しかし神奈の言葉に思うところがあり、少年は非現実的な状況を把握しようとする。
「その敵というのは空中に捕らえられている男性でいいんですよね? あの人は何をしようとしているんですか?」
「一言で言うなら世界壊そうとしてる」
確実なことではない。しかしこのままではいずれ、神音が言った通り世界が壊されると神奈は予想している。
管理者が何か言うことはなく、神奈の目に嘘の気配がないと感じた少年は頷く。
「正直なところすぐには信じられない。……でも、あんな魔力が暴走しているんじゃ世界が危ないかもしれない。遅くなったけど僕の名前は白部洋一です。助っ人として呼んだんですよね、いいですよ。僕も微力ながら力を貸します……!」
少年は神奈に向けて握手しようと手を伸ばす。それに神奈も応じて握手する。
「白部君か。オッケー、助かるけど戦えるのか?」
「あれ程の人に通じるか分からないけど……やれます」
「そっか、そういうわけだ神様。こっから三人で――」
神奈と洋一の目が同時に見開かれる。
少しの間言葉を失うほど、その目に映る光景は衝撃的だった。
「がふっ……! ば、かな……」
いつの間にか拘束を破壊していたマージから、黒い魔力が八本もの触手のように出てうねり動いている。
そしてそこから放たれた黒い閃光が――管理者の胸の中心部を貫いていた。
「か、神様ああああ!」
貫いた魔力が消えると同時、管理者は力なく仰向けに倒れてしまう。
体からは人間と同じ赤い血が流れ出ていた。




