173.5 東條猪去――剥がれた表面――
ドーム内、緑溢れるの芝生の戦闘場所。
二日目同様、魔闘儀による損傷は既に修復されていた。
魔導祭最終日。メイジ学院の生徒達は戦闘場所に整列している。
「――諸君、おはよう」
魔導祭最終日開始時間。
空中で学院長が挨拶する。彼は白く長い顎髭を弄り話を続けた。
「これより魔導祭三日目を開催する。今日で最終日だ。全力で取り組むように」
空中にホログラムの巨大板が現れる。
薄いホログラム板には最終日の予定と第三種目の説明が表示されている。
八時三十分……第三種目、ストーン収集。参加人数全員。
十二時……昼休憩。
十三時……魔闘儀準決勝、決勝。
第三種目について詳細は書かれているが、学院長が口頭でも説明する。
名前はストーン収集。一回のみ行われ、参加人数は全学年の全員。
全学年の生徒は最初に他者と百メートル以上離れて戦闘場所で待機。戦闘場所に実体を持つ幻を出現させ、作り上げた偽りの町が舞台となる。
偽りの町でマジックストーンと呼ばれる石を一つ入手するごとに五百点。
生徒に魔力攻撃を与えると、受けた生徒のクラスにマイナス百点。
味方に攻撃を与えるとマイナス千点。
参加者は魔道具の腕輪を付けなければならず、魔力攻撃を受けた者は腕輪の効力により観客席へと転移する。退場者は腕輪を外して必ず返却すること。
ルールで禁止されているのは以下の三つ。
魔法による飛行。
戦闘場所エリア外への移動。
参加資格である魔道具の腕輪を参加中に外す。
「それでは各クラス、担任から魔道具を拝借するように」
「担任? あれ、何か忘れているような……」
神奈が首を傾げていると担任教師である斑が歩いてきた。
彼を見て神奈は「あ」と声を上げ、昨日のことを思い出す。
(斑のこと忘れてたああああああ! 昨日放置したまま帰ったじゃん! だ、大丈夫だよな、気絶していたから放置されたとか分かんないよな? 薄情な生徒とか思われないよな?)
斑が「おはよう」と話し掛けてきたので一応神奈は探りを入れてみる。
昨日何をしていたのかと訊くと、彼は頭を押さえながらあまり憶えていないと答えた。五木兄弟からの攻撃で記憶が吹き飛んだらしい。不幸中の幸いと言うべきだ。学院の裏を憶えていたら再び暴行を受けたかもしれない。
「……無事な生徒は君達だけか」
「坂下と南野の分まで俺達が頑張ってやるよ」
「日野、お前は大人しくしておけ。敵に攻撃されてポイントがマイナスになる」
「……ひ、否定出来ねえ。特訓のおかげで強くなったとはいえ、五木兄弟とかに勝てる気しねえし」
確かに日野は五木兄弟レベルに瞬殺されるだろうが、それは大抵の生徒に言えること。ストーン収集という種目は、今までの種目で一番生徒同士の実力差が浮き彫りになる。対人戦も含まれるとなれば五木兄弟や神音など一部の強者が有利になるのだ。
「この種目、強い奴が好き放題出来るルールのようだ。神谷神奈、五木兄弟とやらは俺が足止めしてやる。お前と影野でポイントを稼げ」
「ま、妥当な判断だな。厄介なのはあいつらだけだ。神音はたぶん実力を隠すだろうし」
影野が「神音って誰ですか?」と訊いたので神奈は慌てて「渾名だよ渾名! 泉さんの!」と嘘を吐く。もう渾名として堂々と呼んだ方が余計な詮索をされないかもしれない。
神音が実力を隠す理由は泉沙羅を演じているからだ。隠しきれているかは疑問だが一応抑えてくれている。しかし、もし神奈との戦いになったら全力を出す可能性がある。
「じゃあみんな、魔道具を配る。腕に付けてくれ」
参加資格の魔道具を斑がDクラス生徒四人に配る。
魔道具の腕輪はDは赤、Cは黄、Bは青、Aは緑と色が違う。
誰がどこのクラスなのか把握しきれない生徒にとっては非常にありがたい。
「神奈さん、ちょっと待ってください」
いざ赤腕輪を付けようとした際、待ったを掛けたのは白黒腕輪。
「まさか、私以外の腕輪を身につけるんですか!? 浮気ですよこんなの!?」
「ルールだからしょうがないだろ。てか腕輪二つだとややこしいな、お前外すか」
神奈は白黒腕輪を外そうとするが全く動かない。
白黒腕輪は「嫌だ! 嫌だああ!」と抵抗してしがみついている。
「神谷さん」
力尽くで白黒腕輪を外そうとする神奈へと歩いて来た少女が一人。
枯れた木の枝のような髪。顔色は悪く、目に隈がある。
「……東條猪去」
「お互いに頑張りましょうね。これ、私なりの応援だから受け取って」
東條が缶ジュースを差し出すので神奈は受け取った。
彼女の顔を見て思い出したが、彼女には神奈と影野に毒を盛った疑いがある。現状怪しいのは彼女しかいない。
本当なら昨日の時点で問い質したかった。しかし、昨日は学院長の過去やら人造人間やらと色々重要情報を知ったため、衝撃を受けすぎて彼女のことを忘れていたのだ。
「……ああそうだ。お前に会ったら訊きたいことがあった。影野に毒を盛ったのはお前か?」
「毒? いやね、何を言っているの。毒なんて知らないわよ」
東條の言葉を信じてやるほど神奈は彼女を信用していない。
短く「そうか」と告げ、神奈は缶ジュースを開けて白黒の腕輪にぶっ掛けた。
突然の奇行に全員が驚く。
「腕輪、何か入っていたなら教えろ」
「いきなり何するんですか神奈さん冷たいじゃないですか! しかも何ですかこの飲み物、下剤入りじゃないですか!? 私が腕輪じゃなかったら大変なことになっていましたよ!」
「……だそうだ。まだ言い訳するか?」
もう神奈は東條を完全に犯人として見ている。
下剤をうっかり飲み物に入れるなんてありえない。明らかに故意だ。
言い逃れ出来ない状況に追い詰められた東條は小さく笑う。
「……ふ、ふふ、バレちゃったならしょうがない。ええそうよ、私、色んな出場者に毒とか下剤とか使ってCクラスを有利にしたの。あなた達DにCが劣るなんてあってはならない。もし劣っていたら、Cクラスまで見下されちゃうでしょ」
「そうか、見下されたくないのか。気持ちは分かるけど……卑怯な手は嫌いだな」
「何とでも言いなさい。あなた達は最下位のまま退学よ」
東條はそう言ってCクラスが集まる場所へと戻っていく。
典型的な差別意識の生徒と彼女は違う。
Dクラスを見下していない。寧ろ実力を認めている。
正確な実力は理解していないが少なくとも自分より上だと理解している。もしCクラスより劣る落ちこぼれだと思っているなら、わざわざ毒や下剤を使う必要がない。
東條の心情は至ってシンプル。誰もが思うこと。
差別されるのは嫌なのだ。最弱に敗北した真の最弱として見られるのが嫌なのだ。
他のクラスにも卑怯な手を使うことから、彼女はDクラスに負けない以前にBクラスAクラスに勝つつもりでいる。
Cクラスの地位向上。それこそが東條猪去の真の目的。
「そんな方法じゃ私達には勝てないぜ。卑怯な手を使った罰だ。まずはお前等に退場してもらう」
「ということは神谷さん、狙いはCクラスですか」
「Cを潰すのは私だけでいい。影野はBを狙え。隼はAの足止めを頼む」
日野の「俺は?」という問いに神奈は「隠れつつA以外に攻撃」と簡潔に答える。
作戦を決めた神奈達はルール通り、他の生徒と百メートル離れて心の準備を整える。
「魔導祭第三種目、ストーン収集。開始」
学院長の声と共に幻覚魔法が発動された。
ドームの戦闘場所に中世ヨーロッパのような街並みが構築されていく。
ブロックが積み上げられるように家や橋、川、時計塔などが出来上がった。
完成した街にいると本当に海外の国にいるかのような気持ちになる。
「さて、覚悟してもらおうか。Cクラス」
中世ヨーロッパのような街を神奈は高速移動する。
走っている最中に菱形のカラフルな石が浮いているのを何度も見たが無視。おそらく説明にあったマジックストーンだろうし、集めれば得点出来るとしても無視。
最優先はこの第三種目からCクラスの排除だ。
走り、走り、光速手前で走って早速Cクラスの男子生徒を見つけた。
顔見知りではない。神奈はCクラスの生徒など東條と二階堂しか知らない。それでも目に入った男子生徒をCクラスと判別出来たのは、参加資格である腕輪のおかげだ。黄色の腕輪を付けている生徒は全員排除対象である。
魔力攻撃を当てれば失格に出来るので神奈は小さい魔力弾を放つ。
威力は極限まで弱く、当たっても虫が止まった程度の感触。しかし速度はほぼ光速。
大抵の生物は視認すら出来ずに直撃する超速の一撃。
名も知らぬ男子生徒は当然対応出来ず、何が起きたかも分からず、付けていた腕輪の効果で観客席に飛ばされた。
開始二秒、早くも生徒が一人脱落した。
それから時間が過ぎると一人、また一人と次々脱落していく。
学年こそ違うが全員Cクラスであり誰も自分の脱落理由が分からず戸惑っている。
観客席で観戦している教師陣ですら状況を把握出来ているのはごく一部。付けさせた魔道具の故障かと疑問を抱く者さえいる。
開始から二分。ついにCクラスの残り人数は二人となった。
残っているのは今回色々と頑張っていた東條猪去と二階堂清司のみ。
そして今、東條の前に絶対Cクラス排除するウーマンが現れた。
「――よう、宣言通り潰しに来たぞ」
「か、神谷神奈……」
何が起きているのか東條猪去は考えている。
ストーン収集では現在参加中の人数が分かるよう、空に大きくホログラムで数字が表示されている。各クラスごとの人数はそれで把握出来る。そしてCクラスの表示が今は二人。こんな時に現れた神奈。自分のクラスを壊滅一歩手前まで追い込んだのは紛れもなく、目前の得体の知れない少女なのだと理解した。
「そう、入学時の魔力測定。あなたは手を抜いたのね」
「……だったら?」
「あなたみたいに実力を隠す人には分からないんだろうね。私は誰かに見下されたくない、私が上でありたい。望んで下に行く奴の気持ちが分からない。周りに褒められ、尊敬された方が良いでしょ? 私はどんな手段を使っても上に行きたいの」
「だから?」
「あなたを倒して上に行く!」
「無理だよ。卑怯なお前にはな」
東條の気持ちは神奈も理解出来る。
周囲から評価された方が気持ちいいと思うのは、褒め言葉が嬉しいのは人間の共通認識に近い。誰だって褒められれば嬉しいし罵倒されたら悲しい。個人差はあるが人間はそう思う生き物だと神奈は思っている。
ただ、どんな手段でも使っていいとは思えない。
上に行くために卑怯な方法を取ったとして、周囲が褒めて尊敬してくれるだろうか。向上心があるのは良いが、それに支配されれば人は愚かな選択をしてしまう。
東條猪去は向上心の怪物だ。手段を選ばず成り上がろうとしている。
心が歪んだ卑怯な人間に神奈は負けるつもりがない。
東條が魔力弾を放とうとした瞬間、神奈は怪物染みた身体能力をフルで発揮する。
一瞬で東條の前から離脱し、事前に居場所を確かめておいた二階堂のもとに直行。彼が反応する前に首を掴んでから元の場所へと戻り、東條が放っていた魔力弾を彼の体で防御した。
並外れた動体視力がなければ神奈が彼を瞬間移動させたように見えるだろう。……ある意味それで正解なのだが。
「グヴォア!? は? な、何が起きて」
魔力弾に当たった彼は味方の攻撃で失格にされてしまった。
黄色の腕輪の効力で彼が観客席に転移したのを見て東條は状況を理解する。
「ありえない。それだけの力があって、どうしてDクラスに甘んじているの? その気になれば世界を手にすることも可能なのに……どうして」
「私の望みに出世は必要ないんだよ。ま、一つアドバイスしてやる。上に行きたいってんならもっと手段を選べ。あと、私みたいな奴に突っかからないことだ」
神奈の放つ超高速魔力弾が東條の額に直撃する。
黄色の腕輪の効力で東條は観客席に転移。Cクラスは全滅。
転移する直前の彼女の顔は屈辱に塗れていた。




