163 習得――僕が出来ること――
2024/03/29 文章一部修正
呆然としていた審判はハッと正気に戻ってから、手にしていた楽器でバーンと大きな音を鳴らす。大音量が鳴り響いて試合の終了を会場にいる者達に知らせる。それと同時に生徒も正気に戻り騒めきだす。
「マジかよ、Dクラスだよな?」
「あいつ、俺より強くね?」
「私、幻覚でも見てるのかな?」
速人は倒れた日野の首根っこを持ち、試合場所から離れていく。
神奈達Dクラスの面々は観客席から迎えに行き、ドーム入口の広間で集合する。
先程の試合を見て興奮気味な坂下は「凄かったよ日野君!」と言い、影野は「強くなったじゃないか」と勝利を喜んでいるが、神奈と葵はおかしいことに気付いているので喜びは控えめだ。
「隼、お前、日野に何した? 短期間で強くなりすぎてないか?」
明らかに日野の強さが別人レベルへと昇華していた。
魔導祭が始まるまで特訓はしただろうが、短期間で以前の十倍以上も強くなったのはおかしい。
「何をしたと言われても、隼家で行われる特訓をやらせただけだ」
速人は語る。短期間で実施した恐ろしき計画、日野魔改造計画の全貌を。
彼からすれば日野は弱すぎた。ならば自分の手で強くしてしまえばいいと考えた彼に日野は徹底的に鍛え上げられた。
何十キロメートルものランニングは当たり前。過酷な筋トレに加え、組手や格闘術など色々試した結果驚くほど強くなったのである。小学生時代の速人には及ばないが、大会を勝ち抜くには十分すぎる強さだ。
事情を聞いた神奈達Dクラスはゲンナリとした顔をする。
「どうした?」
「可哀想だなと思っただけだよ」
Dクラスの面々は日野に同情的な視線を向けた。
隼家は裏社会のエリート一家。日々のトレーニングも過酷であり、常人なら初日で生と死の境を彷徨う。そんな特訓を自分が強制させられたらと思うと神奈達はゾッとする。
「どうでもいいが、もう次の試合が始まる頃だろう。見なくていいのか? 戦う相手の情報収集は基本だろう」
神奈は虚空を見据えながら「見る必要なんかないよ」と答える。
「お前の次の試合……」
理由を答えようとした時、ゴオオオオンと大きな音と共にドーム全体が揺れた。そしてそれに神奈は遠い目をしながら続きを告げる。
「斎藤君と泉さんだから」
「……それを聞いて納得させられたな」
「まあまだ私や南野さんの試合は先だから観客席行くけど、どうする?」
「暇だから行ってやってもいいぞ」
トーナメント参加人数は三十二人。一回戦は第八試合まであり、神奈と影野は第八試合、葵と坂下は第五試合。今は第二試合が終わった頃なのでまだ出番は先だ。
観客席に戻って少し経つと第三試合が始まる時間になる。
特に関わりのない生徒同士の試合なら集中して見る必要はないが、奇遇なことに第三試合で戦うのは神奈の知り合い同士。坂下の兄と、自動販売機前で会った東條猪去だ。どちらも関わりは少ないし碌な印象がない。
登場ゲートから二年Bクラスの二人、一年Cクラスの二人が出て来た。
浮かない顔をする坂下が「……兄さん」と呟く。
坂下兄ペアと東條ペア、どちらが勝っても決勝へ行くには神音を倒さなければいけない。つまりどちらも決勝へは行けないわけだが、それでも多少の興味はあるので神奈は試合を見ることにした。
「神谷さん、あの女……」
「さっき会った東條猪去。Cクラスでも出場するってことは余程自信があるのかね」
「ね、ねえ、兄さんともう一人、様子がおかしくない?」
坂下に言われて坂下兄を注視した神奈も異変に気付く。
坂下兄とそのペアである酒井の顔色が悪い。汗を大量に垂れ流し、腹を押さえている。明らかに体調不良の二人は「棄権する!」と叫び、トイレのある方向へと走って行った。
「……信じられない、兄さんが棄権するなんて。あの強欲で傲慢で怠惰で嫉妬深くて短気で女の子大好きでプライドの塊の兄さんが棄権するなんて」
「確かに信じられないな。今のとんでもない罵倒の数々が」
「坂下君、君よっぽどお兄さんが嫌いなんだね。ま、気持ちは分かるよ。試合が始まるって時に腹痛で棄権するような情けない男なんだ。あれなら君の方がマシだね」
こうして第三試合は戦わずして一年Cクラス、東條猪去&二階堂清司の勝利。
東條の実力は見られなかったが、一応知りたいので神奈は〈ルカハ〉を唱えた。
数値としては期待外れの308。相手によってはBクラスに勝利出来るかといった程度。固有魔法を使えるか否かで評価は変わるが、わざわざ魔闘儀に出場したにしては数値が低い。
「集まってるね」
「Dクラ、ス」
第三試合終わりの休憩時間で斎藤&神音のペアがやって来た。
「お前らも来たのか」
「Aクラス……!」
「さすがだな、無傷での勝利か」
知らない者同士で自己紹介して話をしていると第四試合が始まる。
すっかり打ち解けたメンバーで共にのんびりと観戦中、神奈達のもとに新しい客が来た。
「そこにいるのは泉さんと斎藤君じゃないか、なあ弟者」
「そうだね兄者、間違いないよ」
赤みがかった茶髪の少年二人は顔がほとんど一緒なことから双子だと推測される。第一種目で素晴らしい結果を残した五木兄弟だ。神奈達は知り合いなのか斎藤に訊こうとしたが、斎藤の顔が強張っているのを見てあまりいい関係ではないのを理解する。
「何の用かな、五木兄弟」
「彼等は五木兄弟、よ。私達Aクラスの最強ペアな、の」
知らない神奈達のために神音が説明する。
五木兄弟は神奈達を一瞥してバカにしたように小さく鼻で笑う。
「斎藤君、泉さん、まさかDクラスの連中なんかとつるんでいるのか? おいおい、まあバカにする気はないけど落ちこぼれと一緒にいたら実力が下がってしまうのではないかな? なあ弟者」
「そうだね兄者、バカにはしないけど君達の実力が下がったら残念だな。本気の君達を見る前に弱くなっちゃったなんてことになったらね」
「いやお前ら思いっきりバカにしてんだろ。つーかさっき私に負けたろ」
確実にバカにしていると悟った神奈は五木兄弟につっこむ。
それに対して弟は無視、兄は「実戦なら負けんさ」と自信を持って返す。
「最強ペアだなんて紹介していたけど泉さん……君が力を隠しているのは分かるんだよ? それに斎藤君、君も何かを隠しているよね?」
「まさか、買い被りだよ……ねえ泉さん」
疑うような視線を向ける五木兄弟の追求など気にせず、神音は「う、ん」と斎藤へ頷く。
ため息を軽く吐くと五木兄弟は諦めたようにやれやれというポーズをとる。
「まあいいよ、今はな。いずれ明らかになる問題だ。行くぞ弟者」
「そうだね兄者。じゃあまた後で会えたら会おうよ」
「行っちゃった。なんだったんだあいつら」
五木兄弟の背中を見送った神奈は不満そうな表情で呟く。だがそんなことをしている間に時間も進んで行き第五試合、葵と坂下ペアの試合時間となっていた。
「それじゃあみんな、行ってくるよ」
「はぁ、じゃあ私も」
「頑張ってこいよー」
葵と坂下は気合を入れた真剣な表情で観客席を離れていく。
*
魔闘儀一回戦第五試合開始前。
ドーム中央入口にまで来た時、葵はすぐ後ろを歩いている坂下に話しかけた。
「大丈夫なの?」
「……大丈夫だよ」
「足、震えているけど」
葵が言った通り、坂下の足は小鹿のように震えていた。それを分かっているので恥ずかしがる彼は大きく深呼吸して再び「大丈夫」と言う。
「神谷さんが付けているあの腕輪に何か教えてもらったみたいだけど、何を教えてもらったの?」
「それは……秘密だよ。でもきっと役に立てると思う」
「そう……期待、してるから」
坂下はグッと拳を握りそれを見つめていた。
足はもう震えておらず、葵はそれを見て微笑む。
恐怖は感じているだろうが、緊張の糸がきれた坂下は葵の前を歩き出した。葵もそれに続いて試合場所に入場する。
「Dクラスのお二人さん、少し遅かったんじゃない?」
「静香さんを待たせるとはいい度胸ですね」
「あなた達が対戦相手……!」
広い緑の中で待っていたのは水色の髪を腰まで下げている少女、天寺静香。
彼女に付き従う深緑髪の少年、日戸操真。
なぜ天寺達が出場しているのかというとBクラス内の出来事が関係していた。
Bクラス担任はなるべく多くの生徒を大会に出場させるよう学院長に言われていた。そのプレッシャーから担任の女性は仕方ないかと餌を出すことにした。
餌として「一回でも勝ったならば豪華な食事を奢る」と告げられた生徒達はやる気を出し、大会へ出場を決めたのだ。天寺と日戸も担任の女に乗せられた……わけではない。単純にAクラスを倒して絶望させたいという思惑があったからである。
「一対一に持っていくのが一番なんでしょうけど、坂下君……任せてもいいの?」
「……僕は緑髪の男子の方をやる」
「そう、なら私はあの女子の方ね」
時間となったので審判が開始の合図の音を鳴らすと同時、飛び出そうとした葵の目前にいきなり天寺が現れた。
瞬間移動。天寺の得意としている固有魔法であり、線ではなく点と点で移動しているそれに対して警戒は無意味。葵の警戒も無駄となり、反応出来ずに顔面を鷲掴みにされる。
「警戒していたみたいだけど無駄よ、私の瞬間移動の前ではね」
「南野さ――!」
天寺は鷲掴みにした状態で、つまりゼロ距離で魔力弾を葵にぶつけた。
爆発すると同時に上空へと投げ出される葵を、焦った坂下が受け止めようと走る。しかし彼の前にも敵が現れる。
「え、まさかこの人も瞬間移動!? ど、どいてください!」
坂下の目前には日戸が立ちはだかって道を塞ぐ。
焦りながら坂下は拳を振るうも、その一撃は構えも何もかも素人以下の一撃。避けようと思えば回避は容易……なのに日戸は避けなかった。
「ぐわああああ!?」
悲鳴は殴られた日戸ではなく殴った坂下から出されたものである。
坂下に殴られた日戸は突然爆発したのだ。殴られたのは日戸本体ではなく、操っていた人形だった。強い衝撃で爆発するように仕組まれていた人形に坂下は為すすべなく吹き飛ばされる。
坂下の制服は爆発でボロボロの布切れになり、体には決して軽くない火傷を負う。
「坂下君……!」
「余所見厳禁ってね」
葵は坂下の助けがなくても地面に着地出来たが、着地と同時に天寺に蹴られて地面に倒れる。
地面を転がって離れてから態勢を立て直した葵は周囲を見渡す。
天寺の姿はどこにもない。目を閉じ、周囲を警戒して音で判断しようとした葵は、背後から聞こえた近寄る音に反応して裏拳を繰り出すと――男子生徒の姿。
「この感触っ、人じゃない!?」
ぐにゃっと葵の強い力で粘土のように潰れた日戸の頭。
感触から葵は坂下がやられた人形だと理解した――瞬間、小規模な爆発が襲うがそれほどダメージはない。制服すら破けなかった。その理由は魔力量の多さだ。体を覆う魔力が多ければ多い程、分厚い壁となって防御力が増す。
(くっ……! やっぱり坂下君には荷が重かったのかしら)
葵は坂下の方を確認しようとするが邪魔するように天寺が現れる。
「言ったでしょ? 余所見厳禁だって」
邪魔な天寺に対して「ちっ!」と舌打ちし、顔に蹴りを入れようとするが瞬間移動のせいで空振りに終わる。
「あら怖い怖い」
躱されただけにとどまらず、逆に葵が後頭部を蹴られてしまう。
「それにしても……あなたのペア、弱いわねえ」
「……っ!? 坂下君っ!」
「行かせるわけないでしょう?」
葵が目にした光景は、坂下が火傷を負いつつも必死に人形たちの足止めをしているところだった。
坂下の魔力量は酷く低いもので、規模が小さい爆発でも大怪我をする可能性がある。それを本人も理解しているが、理解していても逃げる選択肢などない。
「君……そろそろ限界なんじゃない?」
「……ゲホッ! 確かにちょっとキツイかな……焼けるように痛いしね」
「もう何体の爆発を喰らったと思ってるのさ? これくらいにしときなよ、じゃないと冗談抜きで……死ぬよ」
日戸の宣告は間違っていない。あと数発の人形爆弾を喰らえば坂下は重傷で立つことも出来なくなる。しかしそれでも諦めるという選択肢は彼の中に存在していない。
「大丈夫っ……そう言ったんだ、僕は……! 君を倒す!」
「もういいよ、本当に重傷にしないと分からないみたいだ……だから、僕は君を無視する!」
日戸は坂下のことを脅威ではないと判断し、人形複数体を葵の元に向かわせた。
無視される程度の存在と示されているようで坂下は「なっ!」とショックを受けるが、意地でも食らいつくために日戸本体を攻撃する。しかしどんなに拳を振るっても蹴りを放っても掠りもしない。坂下と日戸では実力が違いすぎる。
人形を魔力弾で爆破した葵は坂下と相手の実力差を把握した。
破壊に至る攻撃力から推察するに込められた魔力量は数値にして300程度。対して坂下の魔力量は100にも届かない。彼には無理だと葵は叫びたかったが、まだ諦めていない彼を見て何も口に出せなかった。言いたいことが言えない歯痒さに歯を食いしばる。
「無様ね、弱すぎる……あれが本当のDクラスということね」
「黙りなさい、その侮辱する口を二度と喋れなくしてあげる!」
「無理ね、あなたの実力では私に勝てないわ」
葵は坂下を侮辱された怒りを込めて拳を振るう。それらは決して天寺に当たることがない。
「彼は弱くても、勇気ある人よ……」
「はっ! 勇気、そんなものが何の役に立つっていうの?」
「誰かを守る時に最大限の力を発揮する、それは大きいわ。私も不本意だけど守りたいと思われたことがあるしね」
天寺は坂下を嗤いながら瞬間移動を利用して葵を甚振るように暴行する。そんな風に遊んでいた時、背後から刺すような視線があるのを感じ取って動きが止まる。
振り向かずとも天寺はこの圧力を、心臓を貫くような視線を経験したことがある。無言で睨むような目を向けてくる少女のことを天寺は理解していた。
(全く……外からの援護はルール違反だっていうのに! あれってアウトじゃないの!?)
背筋が凍るような恐怖から天寺は動きを止めて葵から距離を取る。
天寺が離れたからといって葵は安心出来ない。葵に迫る攻撃は彼女からのものだけではない。少し離れた場所から爆破人形を放ってくる日戸も厄介な存在だ。
「あれ……? 坂下君は?」
「そいうえば……彼はどこに?」
人形の接近を確認した葵と、人形を放った張本人である日戸はふと坂下がいないことに気が付いた。あれほど食らいついていたのに逃げるなどありえない。いったいどこに行ったのか。
消えた姿を捜していると、日戸の背後から坂下の手が伸びた。
予想外の場所から手が出てきて日戸は「んなっ!?」と驚く。
「捕まえたよ……!」
坂下は日戸の背後から両脇に腕を通して持ち上げて羽交い絞めにする。敵意が全くない行動だったので日戸は接近に気付くことが出来なかったのだ。
「バカなっ、こんなことをして何の意味があるんだ! 僕より遥かに弱い君なんて害にならない。このままの状態だとしても人形は操作出来る!」
「分かってるよ、僕が弱いことなんて……! でもね、そんな僕にも意地がある。僕が習得した唯一の魔法で君を倒す!」
叫びを聞いた誰もがいったいどんな魔法がくるのかと息を呑む。
天寺と葵は激しい攻防を繰り広げているのでジッと見る余裕はないが、チラチラと気にはしていた。
「〈囮〉!」




