159 嫉妬――才能の差――
影野は動かない。ジッと敵を見据えている。
「なぜだ……なんで攻撃しない! 俺の催眠が効いていないのか!?」
紫に淡く光る煙のようなエネルギーが影野の両耳を覆っている。神奈が先程行った西大路の力の対処法だ。
「悪いけど対策済みなんだよ。私達にお前の力は通用しない」
「……そうか、さっきライブ中に俺の力が切れたのはお前の仕業か。お前のおおおお! お前の仕業だったのかああああ!」
怒りで我を忘れたように西大路が神奈に向かって駆ける。
鬼のような形相で向かってくるのでさすがに神奈も肩をびくつかせた。だが数々の強敵との戦闘経験があるため、多少魔力を扱える程度の人間に後れは取らない。
「神谷さんを襲うなこのうつけ者がああああ!」
――とはいえ、影野が割って入り西大路を殴り飛ばしたので出番はなかった。拳を構えていたのも無駄に終わる。
「全力は出してないよな?」
「ええ、出したいところですけど我慢しています。神谷さんに攻撃しようとした時点で極刑ですが……それはあなたが望まないと思ったので」
影野が全力で殴れば西大路は爆発四散していただろう。そうならなかったのは神奈が殺すことを望んでいなかったからに他ならない。
「リーダー! くそっ、こうなりゃ俺だけでも!」
増田がベースを一音鳴らす。
身体強化する魔法により増田の筋肉が肥大化していく。見た目だけならプロレスラーを名乗ってもバレないだろう体格は常人には脅威だ。
「ぶっ殺しびゃげらあ!?」
――ただ、神奈は常人ではないので脅威ではない。
咄嗟に平手打ちを喰らわせると増田が数回転して宙を飛び、地面に顔面を打って倒れた。それでも死なないように手加減している状態だ。全力を出したら余波で校舎ごと消し飛んでいる。
十数秒で西大路と増田は目を覚ます。
痛みに耐えつつ絶望的な状況を把握した二人はまだ抗おうとしていた。
「まだ抵抗するなら骨とか折るぞ。しばらくバンド活動はできない体になってもいいなら抗えよ。どうせ魔法なしじゃ満足に演奏もできないクソバンドなんだから気にしなくていいよな?」
抵抗しようとしていた二人の手足が力を失ったように止まった。
抗ったとしても、神奈達を倒せる手段を持ち合わせていない二人は諦めたのだ。鬼のような形相はそのままだが全身の力を抜き、地面に仰向けで転がる。
「はぁ、お前らなんでマヤを狙ったんだよ……」
神奈は想像がついている答えを求めた。
西大路と増田は地面に寝っ転がったまま、憎しみの感情を昂らせるような顔をして口を開く。
「……俺達はもうバンドを始めて八年経つ。今年で俺は三十だったか。……自分に不思議な力があるのは気付いてたけど、使わないようにしていた」
ロックロッカーはここ一年で有名になっていたので、そんなに前から活動していることを神奈は知らなかった。少なくともマヤが二年前に会っているので二年以上活動しているのは分かっている。その時までは力を悪用するような人間でなかったことも理解している。
「でも使ったんだろ」
「……俺は憎かった……十六夜マヤが憎かった。俺達が七年も頑張って雀の涙ほどの知名度しかないのに、あの女は急速に有名になっていった。才能なんてなくても努力でどうにか出来るって思ってたのに……あの女は、現実を教えるかのように俺達を簡単に超えた。それに俺達は嫉妬したんだ……ずっと使わないと決めていた力まで使うくらいにな」
努力をして天才に追いつけると思い込む凡人は多い。だが多いからこそ、努力することに疲れて挫折する者も多い。挫折することで精神が捻じれてしまう者は少なくない。超えられない壁を上ろうとして落ちてしまったのだ。
「どうして、どうしてあんな小娘が俺等より上なんだ! 才能だけの人間がどうして!」
「……違うよ、彼女は別に才能だけってわけじゃない」
黙って聞いていた影野が口を開く。
「確かに彼女の才能は凄まじいよね。でも彼女はそれに頼りきって努力していないってわけじゃないと思う」
「そういうことだな、マヤはそんな傲慢な奴じゃない。むしろその対極に位置してるだろ」
「……そんなこと、信じられるか。だいたいそうだとしても俺達の方が努力してきたはずなんだ。なのにこの差はいったいなんなんだよ」
「努力の効率というやつですね。才能というのはゼロから何かが出来るわけではありません。みなさんが才能の差と呼ぶのは、いかに努力して効率のいい結果を得られるかの差です」
珍しく腕輪も話に加わった。
そして神奈は勝手であるが語ることにした。
「なあ、知ってたか? マヤがお前らのライブに行ったことがあること」
「……は? 十六夜マヤが俺達のライブに?」
これは事実だ。マヤが話してくれた歌手になるキッカケ、ロックロッカーのライブを聴いたことが始まりである。リーダー西大路の言葉を受け、勇気を出して好きなことをしようと思ったと神奈はマヤから聞いている。
「二年前、マヤは歌手になろうか迷っていた。そんなマヤが偶然聴いたのがお前らの路上ライブだよ。ライブが終わった後に西大路、お前に訊いたらしいぞ。『人前で歌う勇気がない私でも歌手になれますか?』って、憶えてないのか?」
真実を聞いて西大路は目を見開く。
「……まさかっ……あの時のっ」
「マヤが歌手になるキッカケを作ったのはお前らなんだよ、恩人なんだよお前らは。……それでもまだライブを滅茶苦茶にするか? 才能だけの傲慢なやつだと思うのか?」
歌手になるキッカケを作った西大路はマヤの恩人だ。マヤも今回の件がロックロッカーが起こした事件だとは信じたくないと言っていたし、ここで諦めてもらえれば神奈も嬉しい。
「……はぁ、そうか、あの時の少女が十六夜マヤだったのか。……印象が違いすぎて気付かなかった」
「こう言っちゃなんだけどお前よく憶えてるな、二年前だぞ? 普通憶えてないよな?」
「普通の客だったら、いや、そもそも他の客がいたらの話だろ。恥ずかしいことに、力を使うまで俺達の路上ライブに客なんていなかった。立ち止まって聴いてくれる人なんていなかったんだよ。……でもたった一人だけ、一度だけ内気そうな少女が聴いてくれたのを憶えている」
「それがマヤだったと」
「好きだっていう気持ちさえあればなれる……そう言ったことも覚えてるよ。実際そうだと思ってたしな」
西大路の言葉を受けてすぐに歌手デビューを果たしたマヤは、トップクラスの歌唱力ですぐに歌姫の称号を手に入れていた。憎む程に人気ある歌姫を歌姫にしたのは紛れもなく西大路本人だったのだ。
「なんか……ハートが冷めちまったぜ。悪い、なんて謝っても許されねえよな」
「さあな。それは本人次第……そうだろ?」
西大路と増田からは敵意が完全に消え去る。しっかりと謝罪する意思もあるのでマヤに後で会わせようと神奈は思う。
微かに聞こえていた柔らかい歌声が聞こえなくなった。マヤの文化祭でのライブが終了したことを、千人以上の拍手が重なり合った大きな音が知らせてくれた。




