158 歌姫――BELIEVE――
ロックロッカーが洗脳に近い力を持ってるとしてそれをどう解くかが問題だ。少なくとも神奈は対処法が思い当たらない。
「……で、洗脳状態を解くには?」
「解くというよりは防ぐですかね。魔力です、神奈さんくらい強い魔力を観客の耳に纏わせる。そうすれば相手の魔力を通せんぼするバリケードのようになってくれます。……たぶん」
「よっしゃ、いつもの力押しだ……お前最後なんて言った?」
「なんでもありません」
神奈は〈フライ〉を使用して浮かび上がり、ライブに熱中している者達の上を通って体育館内へと侵入する。そして腕輪から聞かされた対処法を試そうとして、どうやって魔力を他者の耳に纏わせればいいのか悩む。
魔力というのは基本的に感知や加速などの補助か、魔力弾や魔法で敵への攻撃にしか使えない。誰かに魔力を渡すなど神奈はこれまでやったことがない。しかし記憶を掘り起こしてみれば魔力を渡す方法を知っていた。
――〈魔力贈与〉。自身の魔力を生物非生物問わず譲渡する魔力応用技術。
魔力の実の一件で影野が使用したところを一度見ている。神奈は自分にも出来るか不安になるも、状況が状況なのでやるしかないと思い両手を観客達に向ける。
「〈魔力贈与〉……!」
体育館天井付近にまで上がっている神奈から一斉に魔力が譲渡される。紫に淡く光る煙のようなエネルギーが総勢千人超えの観客達を包み込み、両耳をコーティングしていく。
洗脳の力を乗せた歌声から魔力だけを防げば、観客達に届くのはただの騒音のみ。正気に戻った影響で先程までと違う様子で騒めきだす。
「……どうしてこんなところに」
「あれロックロッカーだよな、なんか下手じゃね?」
「うわぁ、なんか聞くに堪えないなあ」
「幻滅したよねぇ……」
ロックロッカーも異変に気がついた。リーダーである西大路は慌てた様子で周囲を見渡す。演奏を止めないあたりプロ根性があるのだろうが、今の観客達にその音はむしろ逆効果だ。
黒板を爪で引っ掻いたような音を大音量で奏でるバンドに、観客達はどんどん幻滅していっていく。
ようやくロックロッカーが人気なわけが神奈は理解できた。彼等は洗脳魔法で民衆を操作してただけなのだ。少しずつ、自分達が奏でる音が好きになるように。
「ぐっ、待ってくれベイベー! なんで急に!」
「おいおいどうなってんだよリーダー!」
「わ、分からない!」
メンバーも困惑しているようだが、もう遅い。
(客は全員お前達の実力を知った、つまり全員マヤの方に流れる!)
もう観客達はペットボトルの底から溢れる水のように体育館から出て行っている。
人が一人もいなくなった会場でロックロッカーは何を思うのか。少しは反省してくれることを神奈は願う。
「神奈さん、客が全員校庭に向かっているようです」
「そうか、これからが本当のライブだな」
バカな集団は放っておいて神奈はマヤの方へと向かう。
帰れば影野とマヤの二人が笑顔で迎えてくれる。もう客達が流れてきた後なので神奈が何かしてくれたおかげだと分かっているのだ。
「神奈……信じてた」
「ああ、さあこれからが本番だ。ライブ成功させような」
「任せて!」
マヤは神奈とハイタッチして流れるようにステージに上る。
千ある観客席は満員。それどころか客が多すぎて座りきれておらず、神奈達も座るところがない。だがそれだけの人数が揃っている景色は壮観なものだ。出てきたマヤに対する声援も相応に大きい。
「すごい人気ですね彼女」
「ああ、なんたって日本が誇る歌姫だからな。私達はここで、裏で聴いてよう」
観客席には人が座って満席状態、広いがよく見れば今日神奈が会った面子もちらほらいる。猫耳メイドなどのメイド喫茶一同。罰金ばかりの巨大すごろく製作者一同。そしてそれら含めた宝生中学校の生徒達。この文化祭に来てくれた天寺などの外からの者達。誰もが楽しみにしている様子だ。
(獅子神はいないな、音楽には興味ないからか? もったいないな、これから始まるのは日本でトップレベルの歌手のライブだってのに)
そんなことを神奈が思っていると、マヤがマイクを持って口を開く。
「みんな、今日は来てくれてありがとう! ちょっとしたハプニングもあったけど、友達のおかげで乗り越えることが出来ました! その友達のためにも、集まってくれたあなた達のためにも、今日この時間は最高のものにすると約束します!」
そう言ったマヤは神奈がいるステージ裏側をチラッと一瞥した後に、曲名を告げて歌い始める。
信じるという意味の「BELIEVE」という曲。今日という日に一番合っているのだろう。マヤは神奈を信じ続けてくれていた。……諦めかけていたとも知らず純粋に信じ続けたのだから。
「――AH……ひっそりと膨らんだ、この想い」
透き通る声が爽やかな風に吹かれているかのように神奈達に届いた。
スピーカーで音は大きくなっているはずなのにそれを感じさせない。
耳に聞こえてきた瞬間、優しく体を抱かれている幻覚を見る。
声だけなのにまるですぐ傍にいるかのように感じられた。
太陽のように温かい声で安らかな気分になっていく。
既に涙を流し始めた者もいて会場は穏やかな雰囲気に包まれている。
「――伝えたいけれど、伝えられない」
身体に異常が出ているが、神奈の加護で防げないということは害ではない。異能やらでもない純粋に他者にいい影響を与える技能。歌というのは不思議なもので、ただの言葉の集まりのはずなのに高揚感、切なさ、様々な感情を引き出してくれる。
「――気付いてと、言いたい……何も言わず察してほしい」
異能がなくてもこんな歌声を出せるマヤは才能があるなんて言葉では済ませられない。ロックロッカーがいかに滑稽だったかが、今ならこれまでよりはっきりと神奈は理解できる。
「――」
歌が続いていくなか、神奈は校舎裏の方に目を向けた。
「影野、私達の出番だ」
「……最後まで静かに聞いていたかったですね」
多く語らずとも二人はお互いの言おうとしていることを理解できていた。
校舎裏の方から敵意を感じたのだ。この状況でそんなものを向けてくる者など決まっている。
二人は校舎裏の方に無言で歩いて行く。
天使が歌っていたようなふんわりとしたマヤの声は徐々に遠くなっていく。
校舎裏にはロックロッカーのメンバー二人がいた。リーダーでギター兼ボーカル、長い金髪で片目を覆い隠している西大路。ベース担当、真っ赤な髪をモヒカンにしている増田。そのどちらも目に殺意を宿している。
「十六夜マヤ……! 俺らと同じようにぶっ壊してやるぜ、テメエのライブ……!」
「こんなにいい歌を止めさせるかっての」
「誰だ!?」
ドラム担当の太った男と、キーボード担当の痩せ気味の男がいなかった。仲間割れを起こそうが神奈達にはどうでもいいので気にかけない。
「マヤの友達」
「そうかよ、邪魔するんじゃねえよ……!」
「そっちこそ神谷さんに盾突くんじゃない! 大人しくしてくれ!」
「はっ、黙れ黙れ! 俺達は絶対に十六夜マヤのライブを台無しにしてやるんだよ! 絶対にだ!」
叫ぶように言い放った西大路はギターを、その隣では増田がベースを一音だけ弾いた。調和されていない音はただうるさいだけで不快になる。何がしたいのか分からないが、神奈はとりあえず二人を殴って気絶させようと駆ける。
「隣の女を殴れっ!」
「なにっ!?」
神奈が攻撃に移ろうとした瞬間、影野がいきなり殴ってきた。
咄嗟に腕で防御したが彼の拳は腕が痺れるほどの威力だった。予想外の展開に神奈は驚愕する。
「影野!」
「無駄無駄、その男は俺の〈催眠〉で操っている! どんなに呼びかけようと能力が遮断されない限りは俺の命令に従うのさ!」
(腕輪の言っていた魔力の正体はそれか。だけど……)
「ついでにベースの音を聞いてしまえば俺の力も発動する。〈強化〉、身体能力を何倍にも上昇させてしまうのさ!」
強化とやらのせいでやたらと影野が強いと神奈は感じていた。今の影野の実力は神奈よりは下ではあるがそれなりに近い。
「さあ! その女を倒せ!」




