154 歌手――キッカケ――
神奈、影野、マヤの三人はメイジ学院に赴いていた。
三人が学院の入口で学院長室はどこだと頭を抱えていると、前方から足音が聞こえてくる。
「神谷さんと影野君、それに……? 何をしているの?」
「南野さん、どうしてここに」
「……そりゃ私ってここの生徒だからね。いるの当たり前でしょ」
今から帰るところだろう南野葵であった。メイジ学院の生徒であるのだからいるのは当然だ。むしろ休日でもないのに登校していない神奈達がおかしい。
「あ、私はマアヤと申します」
「マアヤ……さん?」
マヤは有名人だからバレれば大騒ぎになる。そのためサングラスをかけて、最初に会ったときのようにパーカーでフードを被ってもらっている。逆に怪しい人物になってしまったが、偽名を使えばそうそうバレない。
「そうだ南野さん、私達学院長に用があるんだけど場所が分からなくてさ。もし知ってるなら教えてくれない?」
「……まあいいか、案内するわ」
少し悩んでから葵はそう言った。地図にすら載っていなかった学院長室をどうして知っているのかは謎であるが。
一同は葵の案内の元、学院長室へと向かう。
「それで学院長室ってどこにあるんだ?」
「一階の奥の方よ」
「どうして南野さんが知っているんだい? 地図も何もない以上、相当歩き回らないと知らないはずなんだけど」
影野の問いに葵が答えることはなかった。
無言のままスタスタと歩いていき、目的地である学院長室に辿り着く。
人間が七人は通れそうなくらい大きな扉を神奈は礼儀正しくノックする。
扉の奥から「誰じゃ」と低い声が聞こえてきたので、神奈達が誰か分からせるために名前を告げる。
「一年Dクラスの神谷神奈です」
「同じく影野統真です」
「大事な用件がありまして、入っても大丈夫ですか?」
「……少し待て」
また低い、厳しそうな声が扉の奥から発された。
神奈達が待っていると突然、金で作られた鮮やかな彫刻が施された取っ手が動いた。漆黒の門が開かれ、中からは白を基調とした制服を着た二人の男が出てくる。
「それじゃあ学院長、俺達はこれで。……行くぞ弟者」
「そうだね兄者、はやく行こう」
中から出てきたのは赤みがかった茶髪で美形の男達。その二人は神奈達を一瞥した後すぐに廊下を歩いて行ってしまう。
それから少しして「入ってよいぞ」という低い声を合図に神奈達は入っていこうとするが、影野とマヤが入った後に神奈の肩を葵が掴んだ。
どうしたのかと足を止めて振り向くと、葵は難しい顔をしている。
「どうしたんだ? 悪いけど用がないなら……」
「学院長には気を付けなさい」
「どういう意味だ?」
唐突な忠告に神奈は戸惑う。
「そのままの意味よ。私が魔力の実を実験していたことを学院長は黙認していたの。この意味が……分かるわね?」
「まさか、実験に協力してたってのか? 学院長が?」
「協力してくれたわけじゃないけど、知っていたのに何も言わなかったわ。あの年寄りは何を考えているのか分からない危うさがある」
事前に想像していた像が反転し、警戒するべき対象として神奈は忠告を頭に留めておく。いざとなれば、影野とマヤを連れて逃げなければいけなくなるかもしれない。
「情報ありがとう。でもどうしてそれを私に?」
「……別に、なんとなくよ」
「心配してくれてるんだろ? ありがとな」
「なっ!? くっ、あなたには借りがあったからそれだけよ!」
葵は勢いよく走り去ってしまった。。
受けた忠告を神奈は胸にしまい漆黒の扉を再び開ける。中にはまるで書斎のような本の山、そして奥に大きな窓。その少し前に大きな机があった。
学院長と思われる男は白髪の老人であり、その白い顎髭は異常に長い。
黒いゆったりとしたローブを着ており、長い椅子に腰かけている学院長は遅れた神奈を睨みつけている。
「神谷さん、南野さんと何か?」
「いや悪いな、なんでもない」
影野とマヤが心配そうな表情で神奈を見るので心配ないと視線で伝える。そちらを気にしていると学院長が顎髭を撫でながら問いかけてきた。
「それで、何用かね。……いやそれよりもそこの女子はうちの生徒ではないな。話に関係しているのかね」
「あ、私は……」
さすがにこれから交渉する相手を前にして不審人物のままにしておくのはダメだろう。マヤはフードを取り、サングラスを外す。
「初めまして、現在歌手をしています十六夜マヤと申します」
「……確かテレビに出ていたの。それで何用かね、こちらも魔導祭の準備で忙しいので手短に頼むぞ」
魔導祭――模擬戦闘が行われる対抗戦はそもそも体育祭のようなもの、つまり祭りなのだ。外から人は呼び込まないといっても準備が大変なのは理解できる。
「私は約一週間後にライブを学校でやるつもりなのですが、そこで椅子不足になっていまして……本校の椅子をお借り出来ないかと」
「椅子? そんなもののためにわざわざ来たのかね」
「……はい」
「よい、そんなものならくれてやろう……使っていない教室から好きなだけ取るといい。だから早くここから立ち去れ」
学院長は呆れたような視線を向けどうでもいいように言い放つ。
「あ、ありがとうございます」
その態度に神奈は苛立ちを覚えるも、結果はいいのだから我慢して部屋を出た。
扉が閉まると同時に三人は大きくため息を吐く。
「あー息が詰まるかと思ったあ」
「そうですね、謎の圧迫感がありましたよ」
「でもこれで椅子は大丈夫になったね」
学院長の言う通り空き教室に向かうと大量の椅子が存在していた。山のように積み上がっている椅子を見て、神奈達は笑みを浮かべながらハイタッチする。
「これで椅子は揃ったな」
「ええ、後は当日を待つだけです」
誰の妨害もなければ順調に準備を進められる。本番への不安はあれど、神奈達はとりあえず必要な物が揃ったことの嬉しさを味わうのだった。
* * *
メイジ学院を後にして、神奈と影野は魔導祭に向けての連携特訓をすることにした。特訓にはマヤが付き合ってくれている。もちろん付き合ってくれても何もないのだが、一人にしたら危ないから仕方がない。
場所は紅葉が綺麗な山だ。舞い落ちる紅葉が風に吹かれて飛んでいく中、神奈と影野は組手をしてお互いの弱点を探り合っていた。
本当なら魔法も確かめたい気持ちがあるのだが二人とも碌な魔法を使えない。魔法を勉強することで相手への戦略も増えるとはいえ、二人は全て拳で粉砕する戦い方しか出来ない。
汗を流しながら攻撃する影野だが、その拳は明らかに手加減されているのが伝わる。余裕で防御した神奈はジト目を向けて口を開く。
「……もっと全力で来てくれよ」
「ぐっ、そ、それは無理です! 神谷さんに攻撃なんて本当はすること自体したくないのに!」
「これじゃあなあ、全力で動いてくれなきゃ何も見えてこないだろ……」
「……す、すいません」
特訓の意味がこのままではなくなる。こうしている間にも誰もが強くなっているだろうに、神奈達だけが何も変化していない。
停滞している神奈達の耳に「あの」と透き通るような声が聞こえる。
「速すぎて全く見えなかったんだけど。二人はお互いのリズムを把握しきれていない気がするの」
「お互いの……リズム?」
「うん、お互いがお互いのことを意識しあって初めてコンビネーションが生まれると思うの。例えると神奈が一拍子だとすると、影野君が三拍子って感じがする、かな。……ごめんね、素人の私がこんな風に口出していいのか分からなかったんだけど、それでも少しでも役に立ちたくて……」
最後の方はほとんど聞き取れないほどか細い声だった。
闇雲にやっているよりは誰かのアドバイスを受けてやった方がいい。神奈はマヤに感謝して笑いかける。
「いや、ありがとう。参考にしてみるよ」
「リズムか……神谷さんのリズム」
つまり速度だ。影野の速度が足りないならば神奈が合わせればいい。
そこから神奈達は息を合わせる特訓をし続けるがなかなかうまくいかない。お互いのリズム、呼吸を合わせることは相応に難しい技術なのだ。
「あの、私の歌に合わせてみるのはどうですか?」
再び唐突なアドバイスが入る。
「マヤの歌に? でもできるかなあ」
「たぶん大丈夫、なるべく合わせやすい歌にするから。……そうだね、テンポが分かりやすいのは〈BELIEVE〉かな」
このままでは成果も出なさそうなので神奈達は試してみることにした。
まずマヤが歌いだす。清らかな声が山に響く。
歌に合わせて神奈と影野、二人が組手を開始する。歌のリズムに合わせて動くことで先程よりも息の合った動きになっている。
四分経過して歌が終わると、二人の組手が自然と止まった。歌に合わせていたので音が止まればストップしてしまったのだ。
組手を終わらせた二人は互いの顔を見て目を輝かせている。
「今の、今の良い感じだったな。まるであらかじめ配られた台本通りにやってるみたいに合わせやすかったぞ」
「俺も分かりました。合わせてもらったとはいえ、神谷さんと一心同体になれたかのような素晴らしい時間。まさかここまで二人の世界を作り上げられるとは歌というのは予想以上にいいものですね」
「それはよかった、二人の役に立てて嬉しいよ」
確かな成果を手にして、神奈達は日が暮れそうなので帰ることにした。
多少の疲労感で重くなった体を休めるため、神奈とマヤは家に帰ってすぐに入浴する。ここでも一人にさせないため二人は一緒に風呂に沈む。
風呂から出た後も、多少恥ずかしがりながら何気ない話をして過ごす。夕飯は神奈のコンビニ弁当やインスタント食品ばかりの食生活を心配して、マヤが手作り料理を振る舞った。
可もなく不可もない手料理を食べながら二人はテレビを視聴する。
椅子に座りバラエティー番組を見ていたのだが、そこにはロックロッカーのメンバーが出演していた。
「ロックロッカー……」
「……マヤ、大丈夫だ。何があっても守るって」
第一容疑者としてロックロッカーがあがる。宝生中学校でのライブの件が偶然とは思えず、明らかに敵視するかのような妨害を行う相手として神奈達は認識している。
襲撃者の正体はロックロッカーから雇われた人間か、それとも本人達の誰かか。可能性として考えてしまうと疑心は肥大化していくばかりだ。
「うん、それは信頼してる。でも、彼等を初めて見たときに抱いた感想は熱血の努力家って感じだった。彼等が私の妨害をするなんて信じられないの。……もしそうだとしたら、どこで歪んでしまったのかな」
「ロックロッカーとはやっぱりテレビ番組とかで会ったの?」
「ううん、私が初めて見たのは二年前。彼等が道端で歌ってた頃だったわ」
二年前となるとロックロッカーもマヤも人気が出る前だ。路上ライブをしていたという事実を神奈は知らなかった。
「二年前、音楽は好きだったけど歌手になるなんて勇気がなかったの。既に事務所からスカウトはされてたんだけど、数千を超える大勢の前で歌うとなると……少し、ね」
「でも今じゃ数千どころじゃなく数万が当たり前だよな? どうして歌手になろうって思ったんだ?」
「キッカケは初めて見かけたロックロッカーのライブだった……」
それは夜、街灯の下でロックロッカーの路上ライブが行われていたときのこと。
勇気がなくて一人町を歩いていたマヤは偶然そのライブを見かけて、思わず立ち止まって聴いていた。
とても上手とは言えないが熱意だけは伝わる。マヤにとっては路上ライブなんてやるだけでも凄いことで、ロックロッカーがとても勇気ある人に見えた。
「私は彼等のライブが終わった後に訊いたの。人前で歌う勇気がない私でも歌手になれますかって」
「……それでなんて答えたんだ? あのバンドは」
「リーダーの西大路さんが言ってくれたよ。私に『好きだっていう気持ちさえあればなれる』ってさ。……私はその言葉で好きな音楽の仕事をしたいから歌手になったの」
ロックロッカーは十六夜マヤの恩人という立ち位置だと神奈は気付く。
語っているときのマヤは、とても妨害した連中への態度とは思えないくらい嬉しそうであった。
「だから私は信じたくないなあ」
テレビに映るロックロッカーから目を離すことなくマヤは呟いた。




