152 逃走者――まさかの人物――
神奈は腕輪から逃げ切った日、夜の十時という時間へ外に出ていた。
眠れない……というよりしっくりこないというのが正しい。本人は腕輪がいないことに「寂しいとかそんなんじゃないぞ」と言い訳染みたことを繰り返している。
とにかく妙に眠れないのでコンビニに行って何か買うことにした。
夜中にコンビニ。中学生が出かけるには遅い時間だし、なんだかいけないことをしている気分になる。警察官がいれば補導されていることだろう。
車一台通るのがやっとくらいの細さの道を神奈は歩く。
数少ないとはいえ街灯が夜道を照らしてくれるので歩きやすい。街灯の周辺には虫が大量に集まっていたので気分は悪くなったが。
「はっ……! はっ……! はっ……! そこの人、早く逃げて!」
後ろから聞こえた透き通るような声に振り向くと女性が走ってきていた。黒いパーカーを着ていて、フードを深く被り顔を隠している。
女性の綺麗な声をどこかで聞いたことがあるような気がして神奈は思索する。最近、いやもっと前からたまに聞いているような気がしていた。
「いきなりのっ! ことでっ、でもっハアッ……! 逃げてっ!」
状況をよく観察してみれば、その女性の背後から上下真っ黒な服装をした男性が走ってきていた。明らかに変質者である。
「逃げっ……ハアッ……! にっ……! 聞いてよ!」
「え、あ、すいません」
状況把握に努めていたせいで立ち止まっていた神奈に、既に目前に立っていた女性が息を切らしながら怒るように叫ぶ。
「もう逃げられねえぞっ、テメエ等!」
「……っ! あ、あなただけでも……!」
(いや行き止まりとかじゃないし逃げられるよね? あとなんで私も標的みたいになってんの?)
女性が無関係な神奈を庇おうとしてくれたのか両手を広げて立つ。
「ハアッ……! この人はっ! 関係ないでしょっ!」
「関係? 殺す現場見られたら関係大アリだろうがっ! その女も殺すに決まってんだろ!」
「お願いっ、今のうちに逃げて……!」
なんというかドラマみたいな現場に立ち会ってしまった。すぐにこういう事件に巻き込まれるのは運命なんだろうかとさえ神奈は思う。
深くため息を吐いた神奈は女性の前に出て、黒づくめの男性に歩いて近付く。
「ハッ、自分から殺されにくるとは殊勝な心掛けじゃねえか! おらあああ!」
男性は持っていた大きめのナイフを神奈の胸辺りに突き刺そうとする。
「いやああああ!」
「ハハハ、バカな奴……め……あれぇ!?」
そして神奈の心臓部分にナイフが突き刺さ――らずに刃先が皮膚に止められている。
魔力で強化されているおかげで普通の刃物など通らない。……というか強化していなくても通らない。服には通ってしまうが仕方ないことである。
「どうなってっ……特注のナイフだぞ! 切れ味抜群のはず!」
「え……? 大丈夫、なんですか?」
悲鳴を上げていた女性がゆっくりと状況を確認し始める。
「あー……大丈夫大丈夫。こう見えて私頑丈なんですよ」
「頑丈ってレベルじゃねえだろふざけんな! ナイフ刺さらない人間がいるか!?」
「目の前にいるだろ」
ナイフをなんとか突き刺そうとする男性だが、貫くのは服だけであり全くの無駄だ。しかし神奈は気付く。
(待て、どんどん刺してくるからこの服もう胸の部分だけ穴だらけじゃん! 胸の部分に肌五割は出てるし……大事な部分は隠れるとはいえ露出多すぎだしこれ外歩けないじゃん!)
歩いたら痴女認定される服になっていることにようやく気付いた。
「このクズがああ!」
怒りと羞恥のままに神奈は犯人をぶん殴った。拳で硬い何かを砕くような感触があり、男性は綺麗に弧を描いて飛んで道路に倒れる。
現実だと認識できないのか、女性は困惑しながら「あ、あの……」と口を開く。
さすがにこんな状況に陥った人を神奈は見逃せないので、お礼を言われる前に被せるように声を発する。
「とりあえず家に来てください」
いきなりの言葉に「あ、え?」と戸惑っている女性の手を引っ張って神奈は走る。
道中さっきの襲撃者のような者には会わなかったので安全に家まで着くことが出来た。もちろん困りながらも女性は付いてこざるをえない。
家に到着してから女性をリビングに案内し、ソファーに座って待つように告げる。神奈は一旦穴が空きまくった服を着替えるために自分の部屋へ向かう。そして待たせないようにすぐに着替えてリビングに戻る。
多少待たせた女性はソファーに腰かけて深刻そうな雰囲気を漂わせていた。
神奈は隣に座ると同時に事情を聞こうと口を開く。
「それで……いやまず自己紹介からかな? 私は神谷神奈、ただの中学生です」
腕輪が聞いたら「嘘吐け!」とか大声で叫ばれたんだろう紹介。
女性は神奈の名前を聞いた後、覚悟を決めたように顔を隠していたフードをとった。露わになった顔は神奈がよく知っている顔だった。いや、神奈だけではない……おそらく日本中の人間ほとんどが知っているだろう顔だ。
「私は……マヤです。十六夜マヤ。さっきは助けてくれてありがとうございます」
「うっそおおおおおお!?」
その女性は、歌姫とまで呼ばれている中学生歌手――十六夜マヤだった。
あまりの驚きに神奈は叫び声を上げてしまう。でもそんな反応をしてしまうくらいの有名人であり、神奈でなくても同じように叫ぶだろう。
高速でペンを持ってきて神奈は目を輝かせる。
「サインください!」
「いいよ、サインくらい命に比べれば安いものだし……それよりも」
マヤは渡されたサイン色紙にサインを書き終わって神奈に返すと、席を立ちあがる。
「今日のことは一刻も早く忘れた方がいいわ。その、危ないしはやくね」
「それはダメでしょ……殺されそうになってた人を放っておくわけにはいかないです。せめてどういう状況なのか教えてください」
「……お人好しね。分かったわ、事情を知っている限り話します」
時刻は午前零時になろうとしていたのを時計を見て知る。もうこんなに夜が深いため話は手短に終わらせたいと神奈は思う。
「といっても、私もよく分からないの……ただ、急に殺されそうになったってくらいしか。誰にとか、どうしてとか、そういうことは一切何も知らないの」
――そして手短に終わった。
「まあいいか、それって今日からですか?」
「えっと、一週間くらい前から。……なんとか逃げ延びてきたんだけど自宅を張られてたの、それがさっきの男。……今まで何度も襲われているから誰かに雇われてるのかもしれないと思ってる」
「自宅もねえ。……あれ、どうして自宅に? 忙しくて日本中飛び回ってますよね?」
十六夜マヤといえば有名人だ。名声の分だけ仕事も多いはず。この町に偶然帰って来ていたというのは考えづらい。
「もうすぐ通っている学校の文化祭なの。私そこでライブをしようと思ってて、それで帰ってきたんだ。でもその情報もブログに載せていたから先回りされていたんだと思う」
聞いて即座に神奈が携帯電話で調べてみれば確かにそういったサイトで発言していた。……というか細かく見れば行き先などが全部書いてある。
(犯人確実にこれ見てるだろ。それにしても、こんな有名人がライブしてくれるとか最高だなその学校。まあ学校自体にはほとんど顔を出していないんだろうけど)
しかしライブをするといってもこの状況では危険すぎる。いつ殺されるか分かったものではないため、神奈は真剣な瞳を向けて忠告する。
「止めた方がいいと思うんですけど」
「うん、分かってる。でも一応通っている場所だからね、何か卒業までにしたかったんだ。特に全員が参加する行事……文化祭とかでさ」
「それは絶対成功させたいし私も見たい。でも命を狙われているから危険。そういうことですよね?」
「ええ、今日のようなことがこれからもあると思うと……やっぱり中止にした方がいいのかなって。学校にまで迷惑かけるわけにはいかないし」
学校でライブを行うとなれば、襲撃者が当然学校まで来る可能性がある。そうなれば危険人物が侵入してしまうため文化祭に来る人間全員が危険に晒される。とはいえ、標的が定まっている以上それ以外の人間に手出しはしないだろう。
「中止の必要はないです。その文化祭が終わるまで、いやそいつらが現れないようになるまで私が守りますから。しばらくこの家にいてくださいよ。どの道自宅には帰れないでしょ?」
「ちょっ、ちょっと待って! そんなの悪いわ……それに危険よ」
「危険? 十六夜さん、さっき私が危なそうに見えました?」
「それは……見えなかったけど、でも……」
神奈は我慢できないと言わんばかりに立ち上がり、マヤの顔から目を離さずに大声で叫ぶ。
「ああ、じれったい! お人好しらしい私はそっちの心配とか関係なく助けるぞ! 知った以上知らんぷりなんて出来ないんだよ! いいからここに居ろ、私が意地でも守るから!」
マヤは顔を俯かせて「強引ね……」と呟いた。そして私顔を上げ、神奈の方をジッと見つめて手を差し出す。
「分かった、私を守ってね王子様……王女様?」
「……できれば名前で」
「そうよね。じゃあ神奈、敬語とかいらないし私のことはマヤって呼んで?」
「あ、はは……分かったよ。マヤ、お前は必ず私が守る」
そう言いながら神奈はマヤが出していた手を取って握る。
「頼りにしてるわ、神奈」
こうして神奈は期間限定でマヤのボディーガードになった。




