19.2 巨大蟻――ジャイアントアント――
2023/11/03 文章一部修正
穴は予想以上に深く、神奈達は数十秒に渡り転がり続けた。
転がっていく途中、四人の体が絡みあい上手く身動きがとれなくなる。そんな状態では神奈でもどうしようもない。無理に動けば誰かに怪我を負わせる可能性がある。
四人が絡まって球体のようになり、悲鳴を上げながら転がっていたが、斜面から平地になったことでしばらくして転がるのが止まった。
穴の中は暗い。真っ暗闇だ。太陽光など現在地ほどの奥までは届いていない。
神奈には加護のおかげではっきり見えている。暗闇も環境の一つなので加護が影響してくれる。
「三人とも無事か?」
とりあえず全員の無事を確かめるべく神奈は口を開く。
かなりの勢いで転がったので、もしかすれば怪我をしているかもしれない。体は土塗れになっていること間違いなしだ。
「おぅ、大丈夫だ。怪我とかはな」
「問題ありません。怪我などは」
「僕も平気かな。怪我はしてないよ」
怪我はしていない。だが神奈達の問題は一つある。
どうやって上へ帰るか。それは転がってきた道を戻れば問題ない。
問題なのは絡みあっているせいで身動きが取れず、すぐ脱出出来ないことだ。暗闇でも真昼と同じように見える神奈だが、現在は人間同士絡まっていることで視界が塞がれている。
「とにかくこの状態をなんとかしよう。僕が一番絡まってないし最初に抜け出すよ」
誰かの体同士で圧迫されている右腕をレイが引き抜こうとして、暗闇のなか「ひゃい!」という可愛らしい悲鳴が響く。二つの声が重なって聞こえたが、声質が同じということはアルファとベータだと分かる。
「おいテメエどこ触ってんだぶっ殺すぞ!」
「よほど地獄を見たいようですね……!」
「え? いや僕はただ挟まっている右腕を引き抜こうとしただけで……」
「はぁ!? アタシの尻に触ってんのテメエかよ! 今すぐ離れやがれ!」
「暗いのをいいことに、私の胸まで触るとは……この変態男……!」」
「えぇ!? あ、ちょっと柔らかいけど……ご、ごめん! 今すぐ引き抜くから待ってて!」
女性には特有の柔らかさがあるとはいえ、まだ幼い彼女達はほとんど男子と変わらない。年齢的に十歳を超えているので成長はしているものの乏しい変化だ。そんな彼女達の胸部と臀部に挟まれていると分かれば、男であるレイも羞恥に襲われる。
「おいテメエなに右手動かしてんだぶっ殺すぞ!」
「理不尽だね! か、神奈、どうにかしてよ」
「どうにかって言われても……。まず私達、今どうなってんの?」
状態が分からなければどうしようもない。
神奈達は自分達が分かる範囲で体の位置を説明していく。
「僕は右腕が挟まれていて、右脚も何かに引っ掛かってるよ」
「アルファです。位置関係的におそらくですが、顔にベータの太ももが押しつけられていて、左腕もおそらくベータの両脚に挟まれています。左脚には何かが引っ掛かっています。さらに右腕は誰かの腕と絡まっています。動かすので誰なのか声で答えてください」
「あ、私だ。えっとじゃあ、私の右腕がアルファと絡まってて、左脚が引っ掛かってるのは……たぶんレイの足かな。ていうか右脚が妙に生温かい何かに入ってんだけど何これ」
「きっとそれはレイさん、でしたか? 彼が右脚を飲み込んでいるんでしょう。変態ですし」
「僕のことモンスターか何かだと思ってない!? 人間の足を飲めるほど口は大きくないよ! それと変態でもないし!」
人間の口は大きく開けば足も入れられるだろう。顎が外れる可能性もあるが不可能ではない。ただその場合はレイが喋ることはできないはずなので、絶対に違うと神奈は確信する。だが飲まれているという表現が正しい気がするのは絶対にマズい事態である。
「次はアタシか。変態の右腕が尻にあるぜ。あとはよく分かんねえ」
「さりげなく変態を定着させるの止めてくれないかな!?」
「まああれだ、とりあえず解けそうな場所から解いていこうよ。動かすときには相手の同意も得てな。変た……レイもそれでいいよな?」
「今何か言いかけて……いや、もういいよ。今は自由になることが最優先だよね」
色々複雑な気持ちをレイは押し殺す。
神奈達は自由になるために協力し、一か所ずつ腕や脚などを解放していく。その間、神奈は右脚が飲まれ続けているのに嫌な顔をしていた。正体を見たいのに、視界は誰かの太ももで塞がれているせいで確認もできない。
なんとか神奈達は完全に自由になり、神奈を除いた三人が関節の痛みに耐えながら立ち上がる。ようやく自由になったことで神奈は視線を右脚に向け――固まった。
「〈灯火〉」
ふいに出現した小さな炎の塊により暗闇が明るく照らされる。
アルファが右手のすぐ近くに出現させた炎――下級の炎魔法だ。暗闇では松明の代わりになる。魔法を初めて見たレイは僅かに驚いたが、すぐに適応して炎のことを褒めだす。
「便利だねそれ」
「ええ、ですが精々一時間が限度です。それ以上は持ちません」
「問題ねえだろ、それまでには出れるって」
ただ転がって落ちてきただけなので、上がっていけばいずれ地上に出れるはずである。気楽にいられるのはそう思っているからだ。急な斜面など身体能力で強引に登れる。
「神奈、早いとここの穴から……」
振り向いたレイの表情が強張る。
声が途切れたのでどうしたのかと思い、アルファとベータも振り向いて硬直する。
「な、なんだこの生物は!」
――神奈の右脚が、巨大な蟻に太もも辺りまで飲まれていた。
痛みはないとはいえ危機的状況に変わりない。神奈は右拳を振るい巨大な蟻を爆散させた。全長二メートル以上あった蟻は欠片も残らず塵と化す。
「ああ……大丈夫、そうだね?」
「右脚、ベットベトなんですけど」
体液塗れでテカテカしている右脚。気持ち悪いと内心思いつつ神奈は立ち上がる。
「つーか今のは蟻……だよな? にしてはでかくなかったか?」
「そうですね、少なくとも人間より大きい個体がいるとは初耳です。右脚はなんともないんですか? 齧られているようにも見えましたが」
「平気平気、私頑丈だからさ」
蟻といえば体は小さくても実は力持ちだ。
屈強な顎で獲物を噛み千切り、その力は自身の十倍以上の重さを持つ相手でも持ち上げることができる。そんな蟻もいるなか、神奈に噛みついて飲もうとしていたのは人間以上の大きさ。到底人間では力で勝てないが、異常な力をしている神奈には問題なかった。ただ体液で濡れているだけだ。
「しかしなるほど、この大穴……どうやら蟻の巣のようですね。それもとてつもなく大きな」
「その通りですアルファさん。どうやら神奈さん達は巨大蟻の巣に落ちてしまったようです」
「名前つけた人安直だな! 見たままじゃん!」
腕輪の存在を知っている神奈とレイは会話についていけるが、アルファ達は全く知らないので困惑する。しかし声が神奈の右手首につけている腕輪からしているのを聞き、まさかと思い問いかける。
「この声、まさかその腕輪から?」
「ん? ああそうだ、お前ら知らなかったのか。この腕輪喋るんだよ」
「はあー驚いた。腕輪って喋るのか。なあアルファ、チビ共に買ってやろうぜ」
「……喋るのはその腕輪だけでしょう」
市販の腕輪が喋るわけがない。もしそんなものがあれば今頃ブームになっている。都合よく子供の玩具として大人気になるだろう。
「みなさん、長話は地上でしませんか?」
立ち止まるのは止めて、神奈達は会話は足を進めながらすることにした。
平らな地面を進み、それが斜面になり始め、段々とこう配の急な坂になっていく。地上への道中には分岐する道がいくつもあり、蟻の巣であると聞いていたので納得しつつ迷いなく真っすぐ進む。
「ねえ腕輪さん、さっきの巨大蟻ってどういう生物なんだい? 強いのかな?」
歩いている途中でレイが話を切り出す。
「まあ強い方ですね。巨大シリーズの動物内ではかなりのものです。その体には銃弾も通さず、成長する大きさも限界がありません。群れで行動していると厄介です」
「群れってことは仲間がいるのかもしれないね」
「おいおい怖いこと言うな……って」
神奈達は前方に影が現れたので立ち止まり、目を凝らすと先程と同じくらいの大きさの巨大蟻が何匹も歩いて来ていた。
「本当に来ちゃったよ……」
その群れの先頭にいた個体を見てベータが大声を上げる。
「ああ! こいつの口元、ご飯粒が付いてやがる!」
その叫びを聞いて神奈もよく見てみれば、確かに先頭にいる巨大蟻に白いご飯粒が付いていた。
白いご飯がこの辺りに落ちているわけがない。落ちたというのならベータが落としたおにぎりだけだ。つまり転がったおにぎりを、目の前にいる巨大蟻が食べたということになる。
「ゆ、許せねえ……! それはなあ……昆布なんだよ!」
「はい? 昆布?」
「アタシの一番好きな具材だったんだ! それを食うとか許せねえええ!」
「いやそこかよ!」
「ちなみに私はおかか派です」
「聞いてねえよ!」
「あ、僕は塩むすび派かな」
「だから聞いてない……私も塩派だよ」
アホみたいなやり取りをしている間に、ベータが怒りのままに巨大蟻に殴りかかる。
「昆布の恨み思い知れえええ!」
「どんだけ昆布好きなんだよ!」
ベータの拳が巨大蟻に届く。金属を硬いもので叩いたような音が響くが、巨大蟻の体に変化はない。
傷を負うというのなら――むしろダメージを受けていたのはベータだった。
「いってえええ!? なんっだこいつ硬すぎだろおおお!」
当然だがベータが行ったのは魔力を込めての殴打だ。その威力は一般人を即死させるレベルだし、全身の骨が粉々になるだろう。そんな攻撃を受けても尚、巨大蟻はびくともせず動じていなかった。
手の甲を赤くして叫ぶベータは神奈達の後ろまで下がる。
その一連の行動を見てから腕輪の声が全体に響く。
「巨大蟻は個体差もありますが、今までに食べた量に比例し、その体を強靭に、大きく成長させるのです。ちなみに雑食であるためほとんどのものを食べれます。それがたとえ人間でも!」
「それ早く言えよ、もしかしなくてもこいつら結構危ない奴らだろ」
ひっそりと成長し続ければさらに大きくなる。成長に限界がない巨大蟻は家や塔よりも大きくなれる。体の大きさに比例して硬くなるのなら、放置されていれば厄介さが増していくばかりだ。
「逃げましょう!」
アルファが逃げ出す。懐中電灯役がいなくなれば困るので神奈達も追う。
坂になっている道を下っていき、勢いよく駆ける神奈達だったが、アルファの「止まってください!」という焦った声に立ち止まる。
なぜ立ち止まるよう言ったのか、それは正面を見ていれば分かる。
「巨大蟻の大群……!」
前からもどこから湧いてきたのか巨大蟻の集団が歩いてきていた。当然後ろからも来ているため実質挟み撃ちだ。
こうなれば神奈が全部倒すしかない。そう思って前に出ようとした時――レイが後ろの巨大蟻へと進んでいく。
「おい下がれ、死ぬぞ!」
「大丈夫、ここは僕に任せてくれないかな」
そう言うとレイは巨大蟻に接近し、拳を脳天に振り下ろす。
巨大蟻の頭は潰れ、脳も潰されたことで体が機能せずに完全に息絶える。それを素早く目の前の敵全員に行い、あっという間に地上方面の道にいる敵は全滅した。
害虫でしかないならレイとしても遠慮する必要はない。思う存分に振るわれた力に神奈達は目を丸くして驚く。
「レイ、お前戦えたんだな」
「まあね。さあ今の内だよ」
「よっしゃ! 地上まで走るぜ!」
地上に向かって走り出し、神奈はついさっきの戦いを思い出す。
あの動きは速人よりも、あの暴走したアンナよりも速く、力も強い。只者ではない動きに神奈は危険視――するわけもなくただ感心した。強い人間と会うことはもはや驚くことではない。
坂を駆け上がり、地上から差し込む光が見えた。
全員が希望の場所へと辿り着こうとして――絶望の場所へと叩き落された。
先頭を走っていたアルファが突然後退してきたのだ。いや、アルファだけでなく神奈以外の全員が後退している。これは最初の吸い込みであると神奈は悟る。唯一吸い込みを感じない神奈も、前から飛んできたアルファ達に巻き込まれてしまう。
「うわああああ!」
「いっつう!」
地上への距離が遠のいて、神奈達はまた地下深くへと転がっていってしまった。
尻を強打して痛がるベータが悲鳴を上げた。大怪我は誰もしていない。
「またか、なんなんだよ……」
「妙ですね」
アルファが顎に手を当ててそんなことを呟く。
「妙? そりゃあ妙だろ、この吸い込みは」
「いえそうではありません。私達はおそらく来た道を戻されてしまいましたが……その割にはあの蟻達がいないのです。巨大蟻もあの吸い込みで吸い込まれたのかもしれませんね……おそらくもっと深くに」
「でも邪魔がいなくなるならそれでいいだろ。早く地上へ……どうした?」
暗闇の中は〈灯火〉で照らされている。
その灯りをある一点に向けて、アルファはじっとその場所を見ていた。
「いえ、この穴が何か気になりまして……」
この蟻の巣の穴のことではなく、神奈達のすぐ横にある穴だ。その穴は大きいが深くはない。奥行きを感じない奇妙な穴である。
「これはいったい……っ!」
アルファが急に仰け反って、腰を抜かすように地面に尻を打ちつけた。
いったい何があったのか、それを確認しようと神奈は「大丈夫か」と手を差し伸べると、アルファは神奈の後ろにある穴を指さして震える。
「め、めめめっめ……目です! それは穴じゃない!」
そう聞いて神奈達もよく観察してみると、その黒い穴がギョロッと動いた。




