131 悪魔――駆けつけた者達――
およそ十メートル弱、家よりも大きな体を持つ黒い人型生物。
背中からは翼が生えており、頭からは角が生えている。尻尾を地面に引きずりながら歩いてくる悪魔の体は筋肉質だ。
悪魔は村の中心部分に寝かせてある幼子を見ると、その子供を指で摘まんで嗤う。
「はっはっはっはっは! 毎度毎度臆病な連中だ! 見送りにすら来ない。自分の子供と永遠の別れになるってのに誰一人来ない!」
その豪快な笑い声、重低音で響く声は隠れていた全員によく聞こえた。
「どうせなら女が好みだが仕方ないな。おい、聞こえているだろう村人共! 一月後また来るからそのときは女を用意しておけよ!」
家の中で恐怖から動けないでいる村人達に言い放ち、去ろうと身を翻す悪魔。だがその瞬間を待っていたとばかりに飛び出した一つの陰があった。
「はああああ!」
雄叫びを上げながら明日香が走り出し、子供を摘まんでいた指二本を剣で切断する。
「なにっ!? ぐ、ぐがああ!」
明日香は悪魔の悲鳴で起きてしまった子供を抱え、素早くその場を去る。
悪魔は指を切り落とされた痛みで絶叫し、犯人を充血した目で睨みつけた。
「待てええ! このまま逃がすと思うかああ!? この俺様の指を切り落としやがったクソ野郎があ!?」
明日香は目が覚めて困惑している子供を家族が待つ家の前にまで届ける。
子供は泣きそうになっていたため頭を撫でて、家の中に入るよう手で促す。
悪魔は追いかけようとしていたが、他の騎士達総勢十四人が包囲して剣を向ける。そのおかげで動きを阻害できたので悪魔はすぐ追いかけることができなかった。
「人喰い悪魔! 人間を喰らう貴様の非道な行為は許されるものではない! 我ら騎士団第一部隊がお前を――」
悪魔はただ虫を潰すように腕を振り下ろした。
――グシャッと何かが潰れる音と、大地に亀裂を入れる音が村中に届く。
包囲していた騎士達は動揺し、明日香や洋一達は信じられないような目でそれを見た。
一人の騎士が鎧ごとすり潰されたのだ。赤い血液が瞬く間に周囲に広がっていく。
「うっ……ぐ」
「初めてか。人が死ぬ瞬間を見るのは」
洋一と才華は口元を手で押さえながら地面に膝をつく。
強烈な吐き気を感じたので咄嗟に押さえたのだ。もしも押さえなければ嘔吐物を吐き散らしていたかもしれない。
一般人が人間の死体を初めて見たとき、全然平気などということがあるのは稀である。それに、全身が潰されミンチになった死体をみれば誰だって気分が悪くなる。戦闘や殺しに慣れていたグラヴィーでも気分を害して眉を顰めている。
才華も洋一と精神面は同じだ。今まで友人が事件に巻き込まれ異常事態を目にしたことが何度かあるが、そんなものと死体への耐性は関係ない。
「もう、大丈夫……」
「私も……平気よ」
明らかに大丈夫ではない震えた声を出す二人は、目を離してしまった戦場に視線を戻す。
騎士達の剣が悪魔の足を切り裂こうとするが薄皮一枚しか切り裂けない。
休まず攻撃するも悪魔に損傷はほぼなく、騎士達はただ適当に振り下ろされる一撃で全身がひしゃげていく。
明日香はその光景に「うあああああ!」と絶叫しながら悪魔の頭目掛けて跳躍し、剣をその脳天に突き刺す――が、それが奥に進むことはなかった。
「うそ……でしょう」
「俺は石頭なんだ残念だったなあ。雑魚共を潰してたら少しは気が晴れたぜ。次はテメエをミンチに……いや、甚振って地獄の苦しみを味合わせてやる! まずは前菜として仲間をぶっ殺してやるよおお!」
「や、やめ……!」
悪魔が両手を連続して振り下ろす。ただそれだけで残り十人を切っていた騎士達は全滅した。
血が飛び散り、中身が飛び出し、それが誰かだったかなんてもう分からない程に惨い骸に成り果てた。
その攻撃の勢いで明日香は悪魔の頭上から落下して転がるも、すぐに立ち上がって怒りのままに突進していく。悪魔はそれを手で払い吹き飛ばし、明日香は家に激突して壁を突き破る。幸いその家の住民は他の場所に逃げていたようで誰もいなかった。
明日香が家から出た瞬間、その目で見たのは悪魔の足の裏。
アリでも踏み潰すかのように下ろされようとしている足を見て逃げようとするが、走ろうとしたときになって足が縺れて転んでしまう。
(もう……終わり? 仲間も守れない。敵に一矢報いることもできない。私の力なんて所詮この程度だったというんですか……?)
これから来る死を受け入れ、明日香はゆっくりと目を閉じた。
「諦めちゃダメだあああ!」
――閉じた目が勢いよく開かれる。
突如聞こえてきた第三者の叫び声。その声を発した洋一は、取り出していた包丁を悪魔の眼球に向けて投げつけていた。
包丁は見事眼球に突き刺さり、悪魔は痛みによって悲鳴を上げる。
洋一は明日香の場所まで駆けると、明日香を背負ってグラヴィー達のいる場所へと走る。
「あなた、なんで……ここに……」
「助けたいと思ったから助けに来たんだ! それ以外に理由はない!」
なぜここまで助けるのが遅くなったのか。決してヒーローのような都合のいいタイミングを見計らっていたわけではない。
「白部君、すごいわね……私は動けなかったのに」
「……他者への奉仕精神が原動力か」
恐怖。狼の時とは比べ物にならない恐怖があった。洋一も、才華も、グラヴィーでさえもそれに抗うことなど簡単には出来ない。
その三人の中で洋一が動けた理由は、人を助けたいという純粋な想いからである。困っている人を見捨てていけない洋一の心が、強い恐怖を一時的に緩和させた。
「うがああああ!」
悪魔が咆哮する。
洋一達は自分達の方を文字通り血眼で睨みつける悪魔を見て足が竦むが、立ち向かう覚悟を決める。
グラヴィーは自分の頬を殴り、才華は両頬を両手でパンッと叩く。洋一の勇気ある行動で二人はようやく動くことが出来た。
「逃げて!」
洋一から下ろされた明日香は悪魔が突進してくるのを見て恐怖する。洋一達に逃げるよう言うが、そんな指示に従うなら今この場に残ったりはしない。
グラヴィーが少し前に出ると右手を翳し、得意とする魔法……正確には魔技を使用する。
「重力操作……!」
それが使用された瞬間、悪魔は体が異常に重くなり身動きが取れなくなっていた。大地が蜘蛛の巣状に割れどんどん地面にめり込んでいく。
その威力に驚愕したのは悪魔だけでなく使用者本人もだ。
「なんだこれは……なぜこんなに威力が……」
「私の魔法、威力上昇をあなたの魔法に付加したわ。これを使えば威力が数倍にも及ぶの」
つい口に出してしまったグラヴィーの疑問に才華が冷静に答える。
才華は地球では魔力を持っていなかったがこの世界では違った。貴族という血統は全員が魔力を持っていて、その中でも才華はかなりの魔力量だった。
周囲の期待から精神を病んだ才華は外に出ず部屋に閉じこもっていたが魔法の勉強はしていた。この世界の才華は立派な魔法使いとして成長を遂げていたのである。
「何が出来るのかと思っていたがまさか魔法とはな」
「何も出来なければ私は付いていかないわ。地球のときみたいに、迷惑になるだけだと分かっているならね」
「ふっ、役に立つじゃないか。ざっと重力二百倍といったところか、これであのデカブツもお終いだな」
重力が二百倍近くともなればもう生物はひしゃげて生きられない――極めて一般的な生物ならの話だが。
「まだだ! あの悪魔、動き始めてる!」
洋一の指摘でグラヴィーは「なにぃ!?」と叫んで確かに見た。
悪魔は徐々に動き始めて洋一達の方へと向かってきている。
グラヴィーと才華は焦る。お互いが最高出力だと理解しているから焦る。全力でこれならもうこれ以上はない。死ぬ気だとか、もっと本気でやれとか言われても、それ以上の力が出ないものは出ない。
「くっ!」
洋一が悪魔へと向けて駆け出した。
「白部君!?」
「白部! 戻れ!」
グラヴィーと才華は血迷ったのかと止めようとするが、明日香はそれに続いて走り出す。
((動き始めるからピンチとはいえない。今がチャンス!))
洋一と明日香の考えることが一つになった。
明日香は自身の剣を走りながら構え、洋一は既に死亡していた騎士の剣を奔りながら拾い上げて笑里の技能を模倣する。
「「はああああ!」」
二人揃って跳躍し、剣を真っすぐに突き出す。
悪魔の両目にグッサリと突き刺さった剣は神経なども傷つけて視界を奪った。
二人の実力では悪魔に剣を突き刺すことなど出来ない、筋肉の壁があるからだ。ならばそれがない柔らかい部分に刺せばいい。眼球という立派な弱点となりえる部位ならば、二人の力でも容易く攻撃を通すことが出来る。
悪魔は絶叫し後ろによろけて下がった。
二人は地面に着地して急いで逃げようとする。このまま追撃しようにも攻撃は通らないし、一撃で瀕死に追い込まれるのなら退くのが当然だ。
(そう、今なら視界もないは……ず?)
二人は走りながら後ろを振り返ると見間違いかと思う光景を目にした。
――悪魔の額に三つ目の眼球が生まれた。
それは先程までなかった。
何が起きたのか本人にすら分からなかった。
悪魔は自身の視界が奪われたという窮地に追い込まれ、目を増やすという変化を遂げた。
常識では考えられない変化。それを可能としたのは満ち溢れた魔力。
今まで食べることで取り込んできた人間の子供。それの眼球などの部位を悪魔のものとして自由に出すことが出来る。悪魔は初めて死を感じた土壇場でそんな力に目覚めたのだ。
指が再生し、背中から腕が何本も生え、体の至る所に眼球が出現する。
その変化した姿を見て洋一達ははっきりと自分達の死を理解してしまう。
――しかし死んだのは悪魔の方だった。
悪魔は足の付け根から上半身までを斬られて四等分にされてしまった。さすがにそこまでされれば悪魔だろうと絶命する。
洋一達には何が起こったのか分からなかったが、そこにいたのは――悪魔を剣で両断したと思われる二人の人物。
そしてその二人を見て洋一達四人は信じられないという風に何度も瞬きをする。
「――なんでここに?」




