130 不安――いない者――
帝都フリーデン近くのとある村。
このモデン村では一つの事件が起きていた。
人喰い悪魔。そう呼ばれる魔物が一月に一度出没しては子供を攫っていくのだ。
そんな化け物に対して対抗する手段を持たないこの村は、少し前に騎士団に解決してくれないか依頼をした。それで派遣されたのが騎士団第一部隊だったのだが、アクシデントにより隊長が交代したことで騎士達の士気が低下している。
第一部隊現隊長である進藤明日香は部隊を引き連れてたった今到着した。
「ここがモデン村……雰囲気が重い。これも魔物の仕業ですか……」
「進藤さ――隊長……我々は大丈夫なのでしょうか」
部隊の一人が不安そうな声を上げる。
「どういう意味ですか」
「この村に出没するという人喰い悪魔は相当な強敵という話でしょう。隼隊ちょ――いえ元隊長がいない状態では――」
「後れを取ると、あなたはそう言いたいわけですか」
二重記憶障害者となって帝都を出ていった隼速人。彼の三夢にも並ぶ飛び抜けた力があれば百人力であるのだが、生憎といないものはいない。もう騎士団の仲間ですらないのだ。
速人の失踪には全員ショックを受けているのだ。不安をなくすためには時間が必要である。
「問題ありません。我らはこの世の平和を守る騎士団なのですよ? 敵と戦うときに敗北を考えるなど私達には許されない。今まで厳しい修練に耐え抜いてきたでしょう? もっと自分に自信を持ってください。速人がおらずとも大丈夫だとこれを機に周囲へ理解してもらいましょう」
いない者に頼っていては成長できない。そういう気持ちを抱き、明日香は不安を払拭するために強く言い放った。
果たして仲間の不安は払拭できただろうか。おそらくできていないだろう。なぜなら明日香自身もまた部下には言えない不安を抱いているのだから。
依頼をこなすにはベストコンディションとはいえない状態で、明日香達は村長宅へと向かう。
扉をコンコンと二回ノックしてから、明日香が鈴のように高く響く声を上げる。
「ごめんください! 騎士団の者ですが、いらしたら出てきてくれませんか!」
「なんと騎士様が来てくれたと……! 今出るので少々お待ちください!」
最初に出迎えてくれた村長の老人は騎士団が来たと知り嬉しそうにしていたが、十五人程度の人数と、それを率いる明日香を見て落胆した様子を見せる。
念のため明日香が「何かありましたか?」と問うても村長は「いえ、なんでもございませぬ」とだけしか言わない。薄々明日香自身気付いている失意を本人達の前で言えるわけもない。
「それで悪魔というのは?」
他の団員は外で待機させて、明日香と村長が一対一で話す。
「大きな黒い二本の角、翼、凶悪な顔、そして奴はこの家よりも大きい巨体なのです。歯向かっても儂等では到底歯が立たず、それで騎士団に救助を要請したのですが……」
村長は途中で言葉を切るが、明日香には何が言いたいのか理解出来る。
(力不足だと思われている!)
ただ長い髪だとか、細い腕だとか、女らしさが出ている見た目での判断だとは分かっていた。しかし明日香はそう思われるのは自身の力が足りないからだと内心喝を入れる。
(速人ならこのように思われないはず……全て私の実力不足。もっと修練を重ねなければいけませんね。しっかりするのです明日香、今は私が隊長なのですから!)
隊長は明日香なのだ。明日香が不安などを表に出していては部隊の士気に関わる。
「大丈夫です、私達第一部隊が必ずその悪魔を討伐してみせます!」
「はぁ……よろしくお願いします」
終始、村長は釈然としない態度で話を終えた。
一応家を出るまで見送ってくれた村長の瞳の奥底から失望が消えず、それを感じ取れてしまうのはとても辛くて歯を食いしばった。
* * *
洋一、グラヴィー、才華の三人はグロースから一週間かけ、帝都フリーデンの近くのモデン村まで来ていた。
モデン村は今までの場所と違い活気がなかった。どんよりとした空気が充満している。
「仮にも帝都が近くにあるというのになんだこの村は」
「何かあった、そう考えるのが自然だね」
「しかも騎士団がいるわ、只事じゃないわね」
見れば村人に交じって騎士団の人間が歩いていた。つまり何らかの事件があったという証明になる。もしかすれば二重記憶障害者かと思い洋一は思い切って聞いてみることにした。
「あの、すみません」
「なんだお前達は。村人ではないな」
「はい、実は旅人でして。それで騎士団がどうしてこんな場所にいるんですか?」
親切な騎士団員は語る。
「実は危険な魔物が出るらしくてな。お前達が旅人だというのなら早く離れた方がいいぞ」
「その魔物って――」
洋一が詳しく訊こうとしたとき、村長宅から出てきた少女が指笛を吹く。
「おっと悪い、隊長んとこ行かないと」
「あ、いえ、ありがとうございました」
騎士の男は、赤と黒二色の髪が腰まで伸びている少女の元に駆けていく。
まだ話を聞きたかったが上司が来たのなら仕方がない。
「全員集まりましたね、予定を伝えます」
集合の合図となっている指笛の音を聞いた騎士達は迅速に彼女の元に集合して整列する。
少女――明日香は第一部隊に所属している全騎士に作戦を伝える。
「明日、件の魔物がやってくるそうです。村の人達には辛いでしょうがこれまで通りに生贄を差し出してもらい、攫おうとやって来たところを我々で一網打尽にします。その戦いも、村人に恐怖を長く与えないために迅速に討伐することを心掛けるように。それでは皆さん、明日に向けてしっかり身体を休めておいてください」
騎士達は「了解!」と叫ぶ。
話は終わったので、休憩するために騎士達はそれぞれ宿屋へと向かっていく。
短い話を終えてから明日香は洋一達に気付いて歩み寄る。
洋一達といえばいきなり騎士団、それも立場が上そうな少女が近づいてきて動揺が走る。まさか二重記憶障害者だとバレたかなどと小さく話し合うが、推測が終わる前に明日香に声を掛けられて冷静を装う。
「そこの人達、もしかして旅人ですか?」
バレていない。そう心で安心しつつ洋一は声を大きくして答える。
「え、あ! はいそうなんですよ!」
「ここは危険です、悪魔が出るらしいので。この村から北の森を真っすぐ抜けると帝都が見えるので早めに向かった方が良いですよ」
その言葉を聞いてただ心配されていると分かった洋一達。
明日香の言う通り帝都までは森一つ抜ければいいだけだ。
「おい白部、長い接触はリスクが高い。早々に話を切り上げろ」
長く話しているとボロが出る可能性は上がる。グラヴィーの心配から小声での忠告は理解できるが、洋一は会話を続けようと口を開く。
「――その悪魔っていったい何なんですか?」
正義感から放っておけない。洋一は自他認めるお人好しだ、危なそうな名前に詳しい話を聞きたくなっていた。
「悪魔、そう呼ばれている魔物なのですが……現時点で分かっているのは一か月ごとに子供を攫う巨体の持ち主ということだけです。そしてその攫う日が明日の昼……ですので逃げた方がよろしいかと。では私はこれで失礼します」
そう説明し終わると明日香は立ち去る。
悪魔。人攫い。この単語で洋一の頭から帝都へ行くという選択肢が消えていた。
「ふっ、逃げるわけではないが僕等もやるべきことがある。早いとこ帝都に向かうぞ」
グラヴィーは洋一と才華に意見を告げるが、洋一は納得の意思を見せない。
首を横に振った洋一は真剣な瞳をグラヴィーに向ける。
「僕はその悪魔を倒したい」
「なっ、ばっ、バカか! 今の僕達の目的は帝都でムゲンを倒すことだぞ。関係ないことに首を突っ込んでいる暇なんてない!」
正論だ、そう信じて疑わないグラヴィーの発言だが洋一の答えは変わらない。
「それでも放っておけないんだ。困っている人がそこにいるのに見捨てるなんて出来ない」
「騎士団がいるだろう!」
「それでも絶対救えるってわけじゃない。何事もないならそれでいいんだ、でももし騎士団が倒せなかったら誰がその悪魔を倒すのさ」
騎士団を信用していないというわけではない。ただの心配から来た言葉だった。
どうしても残るという洋一に対して業を煮やすグラヴィーは才華に助け舟を求める。
「ああ!? 藤原、お前からも何か言え!」
「――私も見捨てておけないわね。確かにムゲンを倒すのが目的なのは間違いないわ。でもこれはどちらも捨て置けない状況よ」
しかし才華もグラヴィーの言っていることはもっともだと思いつつ、洋一を援護した。
(あなたなら見捨てずに助けるでしょう……神奈さん)
二対一で不利だと悟ったグラヴィーは舌打ちして不機嫌そうな顔をする。
「ふざけやがって……物事の順序を勘違いするな。そんな甘い戯言を抜かすのは一人で十分なんだよ」
「……あなたの気持ちは分かるわ」
グラヴィーは「ああ?」と怒気を込めて反応した。
「焦っているんでしょう。早く地球に戻りたくて仕方ないんでしょう」
「……そうだ、地球で待っている者がいる以上長引かせたくはない。一刻も早くムゲンを討伐するべきだ、そうだろう?」
「あなたは正しいわ。多少の犠牲はやむを得ないと割り切れる人ね。でもね、白部君は納得しない。たぶんたった一人でもこの場に残るでしょう。短い付き合いだけどね、分かるのよ。だって私が知っている人とそっくりだから」
才華の頭には神奈の顔が浮かんでいる。
――グラヴィーもまた神奈のことを考えていた。
(そっくり、分かっている。この男はあの女に似ているんだ。ここで引かないことも……理解できる)
白部洋一と神谷神奈は性格面が似ているのだ。
前者よりも後者の方が多少悪の心を持っていると注釈はつくが、考え方が似ていることに変わりはない。そのことに二人と関わった人間なら気付く。
「チッ、分かった。ただ悪魔を討伐するのはあくまで騎士団の連中に任せるぞ。奴らがピンチになったら助けに入るってことで……いいな?」
結局、グラヴィーが折れて妥協した。
「うん、分かってるよ」
それから洋一達は村の宿屋に泊まった。騎士達が泊っているのと同じ場所だ。
才華とグラヴィーは明日に向けて早めに体を休めることにした。もちろん洋一もそうしようとしたのだが、あと一歩でグラヴィーと仲違いしそうだったからか、それとも別の理由からか一人眠れずにいる。
夜中。上空には星々が煌めく時間。洋一は散歩することにした。
「この世界でも星は変わらないな」
見上げれば地球と何も変わらない星の輝き。
綺麗だな、などと思いながら歩いていると、森の入口の方で誰かの声が聞こえてくる。
気になって様子を見に行けば、気合を入れつつ剣を振る明日香がいた。
顎からは汗が垂れ、少女が発した熱でそこら一帯だけほんの少し気温が高く感じた。
洋一が近づいてみれば、明日香は気配を感じ取ったのか勢いよく「誰ですか!」と振り向く。
「あなたは昼間の旅人ですか、どうしてここに……」
「それはこっちの台詞だよ。君こそなんでこんな夜中に鍛錬なんてしてるのさ」
明日香は俯いて呟く。
「私は……まだまだ力不足なんです」
疑問に感じた洋一は「そうなの?」と問いかける。
その疑問は知らなかったから出た言葉ではない。洋一は見た。明日香が剣を振る速度、技術、全て並大抵の騎士よりは上だということを見て分かった。決して力不足などとは思わない。
「……実は私は代理なんですよ。本来なら隊長は私じゃない。少し前に隊長――速人は二重記憶障害者だと告白して去ってしまいました。私は彼の代わりとしてまだまだ努力が足りていません」
仲間になってくれる可能性がある人物の手がかりが思わず手に入ったことに目を見開く洋一。だが、今はそこではないと思い明日香の本音を知るために質問する。
「その隊長さんを、君はどうしたいの?」
「もちろん捕まえます。でもそれ以上に……超えたい。そう思っています」
人の言葉からは想いが伝わる。
洋一はなんとなく目前の少女に秘められた想いを感じ取る。
明日香はずっと速人を追いかけていた。幼い頃から技量、力、速度、全てが及ばずにいたことから憧れたのだ。追い抜くことだけを目標としてきた明日香は、もういない相手のことを強く想いながら話していた。
洋一はその瞳と言葉の質から純粋な想いを感じた。そして脳裏に幼馴染の姿がよぎる。それがなぜか考えるまでもない。
洋一自身もまた、超えたい相手がいるのだということに今さら気付く。
「僕もいるんだ。超えたい相手が」
洋一は夜空を見上げてそうはっきりと考えたことを言葉にする。
反応した明日香は顔を上げて「あなたも?」と声を上げる。
「うん、なんというかな……言葉に出来ないくらい凄い人だよ。だからお互い頑張ろう。それでその相手に示そうよ、超えたってことを」
「……そうですね。きっといつか……示してみせます」
明日香も夜空に浮かぶ星を見上げながら同意し、二人は黙ってただ相手のことを想う。
競争相手がいれば人間は成長する。二人の力量はまだまだ伸びる可能性を秘めている。
時間も時間なので「さて」と呟いて洋一は宿屋の方へ向き、後ろにいるこれから敵対するであろう少女に別れを告げる。
「修練の邪魔してごめんね。また会おう」
「ええ、あなたとはまた会える……そんな気がしますよ」
* * *
太陽が昇って日光が宿屋の部屋の中を照らす。
洋一は寝不足なのか瞼を手で擦りながら起き上がる。
時刻は十一時を示しており、グラヴィーと才華はすでに出発の準備が終わっていた。もっとも出発するのは悪魔の件が片付いてからだが。
「遅いぞ」
「それなら起こしてくれてもよかったんじゃ……」
「甘えるな、それにまだ時間はある」
「そうね、悪魔が来るとされているのは昼頃だし。さすがにあと一時間くらい経っていたら起こしていたわよ?」
洗面所で冷たい水を使用して顔を洗い、鏡を見る。
ごくごく普通の少年の姿……いや、少し逞しくなったと洋一は自身のことを評価した。
荷物を纏め、包丁という名の武器を手に取る。
「とりあえず騎士団からは離れたところで見守りましょう。何事もなく終わるなら私達は帝都に向かうんだし関わる必要はないわ」
「うん、でも何かあったならすぐに助けよう」
その洋一の言葉に一応の納得を見せたグラヴィーと才華は宿を出て、宿屋の裏に隠れて様子を伺う。
村の中心には騎士団がいる――というわけではなく生贄とされている子供だけが寝かされていた。騎士団の人間は洋一達と同じく様子を見るために、家の物陰など見つからない場所に隠れているようだった。
ズシンズシンと大地が揺れる。その重い音から何か巨大なものが迫っていると分かる。洋一達、そして明日香率いる騎士団は隙間などから村の中心を見て目を見開く。
そこには悪魔と呼ばれるのがおかしくない程の威圧感を放つ黑い人型の魔物がいた。




