3 幽霊――家の鍵は確認した方がいい――
神奈は住宅街から少し離れた公園に向かっていた。
公園の名は夜見野公園。幽霊が出るという噂が出回っている心霊スポットである。
初めて成功した魔法がゴミのようでショックを受け走り出し、気がつくとその公園の近くにいたので神奈は見物していくことにしたのだ。
ちなみに出っ歯になっていた魔法の効果はもう切れている。効果時間は三十分と腕輪は言っていたが、相手の魔力量によってはその時間が縮まる。神奈の魔力量は想定外に多く、僅か三十秒ほどで元に戻っていた。
「そういえば私って幽霊が見えるんだけど、なんで見えるんだ?」
過去のことを気にしても仕方がないので、神奈は気になっていることを相談することにする。
今しがたも白いモヤが重なった女が真横を通り過ぎた。黒髪で顔が隠れている様はどう見ても幽霊。さすがに気にせずにはいられない。
「ああ、それは神奈さんが強い魔力を持っているからですよ。魔力も霊力も似たようなエネルギーなので、強い人は見えてしまうんです」
「ふーん……なるほどねえ。あ、じゃあさ、なんで幽霊って見た目が人間みたいなの? 幽霊って魂なんだし白いモヤ状態で彷徨ってると思ったんだけど」
「生前の未練に縛られているからでしょうね。幽霊になった時点で霊力を得て、自然と生前の姿を模した霊体を作り出すのです」
本当かは不明だが筋が通る説明。
万能を自称するだけあってそれなりの知識はあるようだ。残念ながら魔法の知識は期待出来ないが、他のことなら多少頼りになるかもしれない。
腕輪と話していると目的地である夜見野公園に到着する。
「な、なんじゃこりゃああああ!」
公園全体を見てみると、そこには三十以上の幽霊が彷徨っていた。見たことない光景に思わず叫んでしまう。
何十年もほったらかしにされているせいで遊具は錆びついており、地面には所々に長い雑草が生えている。子供達がいない理由は心霊スポットだからというわけではなく、単純に汚いから近寄りたくないだけだろう。
「こりゃ酷いな。幽霊の数も、公園の状態も」
「そうですねぇ……でも神奈さん。あの奥の砂場の方にいる子、幽霊じゃなくてまだ生きてる人ですよ」
腕輪の言葉通り、砂場には神奈と同年代だろう小さな女の子がいる。一人で寂しそうに砂を固めて遊んでいる背中からは哀愁が漂っていた。
「本当だ、でもどうしてこんな場所――」
どうして生きた人間が、小学生くらいの子供が薄汚い公園に来ているのか。疑問が浮かんだ時、神奈のもとに一人の幽霊が地面を削りながら飛ばされてくる。
三十代ほどの男性。服が破れ、見えている筋肉質な体には青い痣が複数ある酷い状態だ。
男は体全体を震わせながら格闘技の構えをとる。神奈は分からないが空手の基本的な構えである。
神奈の前方から、筋肉が異常に発達した身長三メートルを超える男が歩いてくる。その体に目立つ傷はなく、それを見ただけでこの勝負の行方は想像できる。
長身の男は地面が抉れるほどの脚力で地を蹴り空手男に接近する。しかし構えをとっている空手男は反応できない。
「えい」
そこで神奈の雲をも吹き飛ばすアッパーが繰り出される。
長身の男の顎に入ると彼は「ギャアアア!」という悲鳴を上げ、ギャグ漫画のように吹き飛んで星のように輝く。
残っていたのは拳を振り上げたままの神奈と、場の状況を理解しきれず呆然としている空手男の姿だった。
「なんだったんだ? あの筋肉オッサンは」
「あれは悪霊ですね。邪悪すぎる未練を持って死ぬと悪霊となり、人々に害を与える存在となってしまうのです」
「へえー、なあアンタ大丈夫なのか?」
未だに固まっていた男に神奈は声を掛ける。男はハッと正気に戻ると、目を丸くした状態で神奈の方へと視線を向ける。
「き、君は僕が見えているのかい?」
「見えてる見えてる。で? さっきの悪霊と何があったんだ?」
男は息を呑み、何かを決心したように口を開く。
「……まずは自己紹介をしようか。僕の名は秋野風助、あそこにいる女の子の父親だよ」
「私は神谷神奈、ごく普通の小学生だよ」
「嘘だッ!」
どこの世界に筋肉質な成人男性をお星さまにできる少女がいるのか。少なくとも普通の小学生ではないことは確かである。
「僕はね、生前は三人家族で、空手の道場を経営していたんだ」
「さっきの構えは空手か。道場経営ってことは相応の実力者なんだな、負けそうになってたけど」
「はは……。まあ……道場は順調で毎日忙しい日々を過ごしてきた。……けどある日、トラックに轢かれる交通事故で死んでしまってね。幽霊になっていることに気付いた」
(トラックに轢かれたって……よく異世界転生しなかったな。いや別にトラックに轢かれたからといって絶対にするってわけじゃないし、未練が大きすぎれば転生の間にすら行けないって神様が言っていたよな)
未練の大きさという部分に神奈は納得いかなかった。なぜ自分は幽霊にすらならずに転生の間へ直行してしまったのか、未練の大きさというのなら自分も相当なものだったはずと考える。だが娘を思いやる父親の気持ちは大きいのだと無理に納得する。
「僕は娘の守護霊になりたかったんだけど、すでに守護霊はいた。だから許可をもらって背後霊になり、得意な空手を屈指して悪霊を追い払っていたんだ。まあ連戦で疲れていたからさっき負けそうになったけどね」
「許可もらえるんだ……そういえば守護霊の人は?」
周囲を見渡すと幽霊は多いが、先程の戦いに加勢するものは誰一人いなかった。守護霊というからには危険から守るため、どこにでも付いていくイメージが神奈にはある。
「あはは、まだまだ若い男だったから家で過ごさせてるよ。若い男だよ? 娘のあんなことやこんなことも見ていたと思うと……!」
「守護霊追い払っちゃダメだろ! 仕事させてあげようよ! あんなことやこんなことって大したことしてないでしょ!?」
「……ゴホンッ! 僕が死んだ日から娘の元気はなく、なぜか毎日のようにこの公園に来ているんだ。でもこの場所は心霊スポットで悪霊も多いし、もう守りきるのも限界を感じていた。だからこの公園からは一刻も早く娘を帰らせたい」
「あの子、そんな毎日何してんの? 心霊スポットとか知らなくても、こんな寂れた公園には普通来ないと思うんだけど」
「それが分からないんだよ。娘はいつもここに来て一時間以上も居座るんだ。ここは危ないからどうにかしたいんだけど、どうにかしようにも話すことも触れることも出来ない」
幽霊は幽体なのが基本で、普通の人間には見ることも触ることもできない。物体に干渉してポルターガイスト現象を引き起こすことはできるが、風助は新米幽霊で干渉できるレベルに至っていない。
霊力があれば幽霊にも干渉できるが風助の娘には備わっていなかった。
「……ところで思い出したんだけど君、娘と同じクラスの子じゃないか」
「え? あ、どっかで見たことあるなとは思ってたけど、あの子同じクラスだったのか。そういえば居たな、最近教室でいつも暗い顔して気味悪がられてるやつ。あれってあの子だったのか。魔法のこと考えすぎてて気付かなかった」
「それでどうかな。こうして僕が見えるのも、娘と同年代というのも縁だと思って、娘のことを頼めないかな?」
面倒だと思い神奈は僅かに顔を歪める。
命を懸けて、ほぼ見ず知らずの他人を悪霊から守るなど、絶対に断りたい案件であった。それでも事情を知ってしまえば断りづらい。断れば薄情な奴と自分で自分を批難してしまう。
「どんな縁だよ。まあ確かに可哀想だとは思うけど……」
「娘がここにいる限り、さっきのように僕では太刀打ちできない悪霊が寄ってくるかもしれない。君と仲が良くなればここには来ないかもしれないだろう? もし僕がやられてしまえば娘は悪霊に殺されてしまう。君のような娘と同じ年頃の女の子に頼むのは恥だと思う、けど……頼むよ」
風助は神奈に対し、腰からしっかりと曲げて頭を下げる。
子供になんて嫌な頼み方してるんだと神奈は戦慄していた。同情させるような説明、そして殺されるという言葉。良識ある人間なら現状を放っておけないだろう。少なくとも神奈は放置できない類の人間だった。
「まあ知っちゃったしな、ここに来てること。死ぬのを分かってて見殺しにするってのも嫌な気分になりそうだし、夢に出そうで嫌だ」
「……すまないね。こんな頼み方をして」
心に留めておくだけで「本当に嫌な頼み方だ」という言葉は口からは出さない。
神奈としても協力すると決めたのだから、もう過去のことは何も言わない。それよりもこれからどうすればいいのかを考えるのが先決だった。
「とりあえず話しかけてみては?」
「まあそうなるよな」
「一応教えておくけれど娘の名前は秋野笑里だ。よろしく頼むよ、神奈ちゃん」
腕輪の提案に一理あったので神奈は砂場へと向かう。
近くに寄ると元気も生気も感じられない顔つきが分かる。そんな状態の相手にただ話しかけてみても効果は薄い。ちょっとした笑いのようなものを入れなければならないだろう。
そこで神奈は二度と使わないと思っていたあの魔法を使うことにした。
「ねえ、秋野さんだよね。私同じクラスの神谷神奈だよ、こんな所で偶然だね」
「クラスの……? ぶふっ!」
顔を上げて神奈を見た瞬間に、笑里は笑いのツボに嵌り吹き出して爆笑し始める。
(小学生なら笑うかなと思っていたが正直ちょっとショックだ。この魔法だけは……! 〈デッパー〉だけは使いたくなかった……! そしてこんな魔法が役に立つのが許せない……!)
掴みは順調。辛気臭い表情に笑みを戻せた。役に立たない魔法といえど、どこかに使い道が残されているということだ。
「ごめんね笑っちゃって。でもなんでっ……こんなところにっ……いるのっ」
謝りつつも笑里はチラチラと神奈の方を見ては笑い、顔を背けて落ち着き、そしてまた笑うという状態をループしていた。
何度も笑われることに神奈は内心苛立つが、冷静さを保つために深く呼吸する。
「……それはこっちの台詞だよ。この公園ここらじゃ有名な心霊スポットじゃん。最近ずっと見てたんだけど毎日ここに来てるよな」
「え? 全然気付かなかった……私以外に人がいたんだ」
見ていたのは幽霊の風助なので気付くわけがない。人のカテゴリーに含まれるか不明だが、幽霊ならパーティーを開けるくらいに居る状態である。
そして会話は途切れた。
何かを言おうとする神奈だが、会話の経験が浅すぎて何を言っていいか分からない。笑里は笑里で何か言うこともなく、再び砂場と向き合い砂で歪な人型を作り始める。
十秒、一分、三分。どんどん時間だけが経過していく。
ついに何も話すことなく五分が過ぎたころ、神奈が意を決して口を開く。
「あ、あのさあ……好きな食べ物、とか……何かな」
「……ケーキかな」
「……そうか」
再び沈黙に入ってしまい、神奈は空を見上げる。
(終わったああああ! やばいよ会話終わっちゃったよ! あーもう、こういうときに何話せばいいのか分からないよ! どうしよう、とりあえずもう一度話題を振ってみるか?)
それから何回か途切れがちの会話を続けた。
特に面白いこともない他愛もない話をし続けた。
「遅くなってきたしそろそろ帰らなきゃな。じゃあまた明日学校で」
「うん」
そしてついにお互い、遅い時間になったので帰ることになった。公園に来ている目的など何一つ重要な情報は聞き出せていない。
夕陽は沈み、暗闇が世界を包み始める。
別れの際に神奈は手を振っていたが、振り返してくれたのは風助だけだった。神奈は非常に虚しい気持ちになった。
協力するとはいえ、今日一日では何も出来ていない。明日から元気を出させるための作戦を考えて、実行していかなくてはならない。
「しかし妙ですね。気になりませんか?」
家への帰り道。腕輪がいきなりそう問いかけるが、神奈は心当たりが一つあった。
「ああ、実はこの公園に来てからずっと気になってることがあるんだ」
「なっ、そんな前からですか! いったい何が……」
深刻な表情で、神奈は胸の内を腕輪に告げる。
「ドタバタしてたからな……家の鍵がしまってない気がする」
「あ、そうですか」
期待が外れたように腕輪はガッカリした声を出す。
「いや泥棒入ったらどうすんだよ! 盗るような高価な物なんてほとんどないけどさ!」
そう言って神奈は家へ向かって走り出す。
家を飛び出して来たため不安なのである。大急ぎで帰宅してみれば、鍵が閉まっていないどころか当然のように扉が開けっ放しであった。