107.2 監獄――ハーデス――
2023/09/18 文章一部修正
世界から様々な犯罪者が送られる脱獄不可能とされている大監獄――ハーデス。
周囲は荒れ狂う海に囲まれている絶海の孤島。その島一つ丸ごとが監獄になっている。
脱獄を企てて監獄から抜けたとしても、荒れ狂う海の波に泳いで進むことも出来ず、船を用意するにしても材料がない。脱獄不可能というのは、結果的にハーデスからは出られても孤島から出られないという意味だと警察は捉えている。
高く黒い壁に囲まれた島。言われなければ島だとも気付けないその場所に、漆黒の船が島に近付くと髑髏マークがある重々しく巨大な扉が開き、島への道が開ける。島へはこれ以外に出入りする場所がなく、一度扉が閉まれば二度と出ることは出来ないと言われている。
扉を潜ればそこは既に監獄の玄関だ。
広い空間だが港の役割でしかない場所に着船したことにより、監獄内から迎えの看守が次々と出てくる。
「ああ、どうやら着いたようだね」
船が止まったのを感覚的に分かったのか、怪盗サウスは冷静に呟く。
その呟きを聞いた神奈も暇すぎて転がっていた状態から起き上がり、自然と気の抜けた表情から真剣な表情になる。
「さて、航海は終わったみたいだし話してくれるのか?」
神奈は壁の僅かな隙間に向かってそう声を掛けたがサウスの返事が来ないことに不審がっていると、その隙間から一枚の白い紙が神奈の部屋に入れられた。
その紙を拾い内容を見てみると、そこには【詳しくは明日の自由時間、十階の隅で】と綺麗な字で書かれていた。神奈はどういうことなのか訊こうと口を開きかけるが、直前に怒鳴り声が聞こえたことで閉じる。
「さあ着いたぞ囚人共! お前達の墓場にな!」
警察官の男がそう大声で叫ぶと部屋の鍵を開けていく。
鉄格子となっていた扉の鍵が開けられたことで自由となるが、ここで逆らう人物はいない。もしここで逆らって部屋に閉じ篭ったり、反抗して警察官に怪我を負わせたとしてもより大きな罰が待っているだけだからだ。
「おっと、部屋から出る前にこいつに着替えておけ! この大監獄ハーデスの囚人服だ!」
部屋を出ようとしていた神奈だが、外から投げつけられた服をキャッチして見てみればオレンジ一色の上着とズボンだった。
ハーデスは世界中から犯罪者が集められるとはいえ、その位置はアメリカと日本の中間辺りにある。アメリカの近くにあることで、現在アメリカの囚人服として使われているオレンジ一色の服が用意されるのだ。
「――全く、何でこんなことになったんだか」
神奈は部屋の隅で嫌々だがオレンジの囚人服に着替え、部屋から出ていき囚人が集まっていた外に向かう。囚人は全員着替えたのでもう誰がサウスなのか分からない。
「さあ、一列に並べ!」
船から降りてすぐのその場所で神奈含めた囚人が整列させられる。
囚人の数は五人と少なかったが、それは日本から送られて来た人数だけだったからだ。日本出港の船ならば日本人しかいないのは珍しいことではないだろう。
凶悪な犯罪者というだけあって屈強な肉体を持っている大男や、狂気が滲み出ている骸骨のような男もいる中、普通の子供にしか見えない神奈は浮いているようにみえる。
――否、神奈だけではない。
神奈の両隣には犯罪者には見えないような若者が二人いるのだ。うっすら青く光る髪をしている少年と、怯えた表情を浮かべて全身を震わせている高校生くらいの少女。
怪盗サウスは男だ。つまり少年の方が必然的にサウスだということになるのだが、その姿からは特別なものは何も感じず、道端を歩く一般人のようだった。
「それが、ジャパンの新しい囚人かね?」
整列している神奈達の前に一人、黒い軍服のようなものをしっかりと着こなしている筋肉質な男が立つ。その姿は堂々としていて覇気と迫力がある。
「クロノス看守長! お久しぶりです!」
「ああ、実に五年ぶりか……ジャパンから囚人が送られてくるのは」
警察官の男が大声で敬礼して挨拶すると、クロノスと呼ばれた男が整列している囚人達へと氷のように冷たい視線を向ける。
「さて、諸君にも自己紹介程度は必要だろう。吾輩はクロノス、このハーデスの看守長だ。何故日本語を喋れるのか疑問に思っているかもしれないが、吾輩はこう見えて博識でな、十か国の言葉を話すことができるのだ」
「じゅっ、十か国……」
「よく聞いて心に留めておけ。諸君はクズだ! 生きる価値もない!」
突然の罵倒に囚人は呆気にとられるが、クロノスは構わずに続ける。
「このハーデスから脱獄は不可能、諸君は永遠に死ぬまでこの場所で働くことになる。まずは朝食をとった後で内職の時間、そして昼食をとり一時間の自由時間の後にまた内職。そして午後の五時間弱の仕事が終われば、夕食をとってから牢屋に入ってもらい就寝となる。基本的にはこの繰り返しであり、ルールに反した者はキツく処罰となり懲罰房送りとなる。くれぐれも違反などしないように心がけておけ――」
「ルールって?」
その緊張感のない声の主はサウスと思われる少年だ。
「吾輩が喋っている間に口を挿むのは本来なら懲罰房送りだが……いい質問なので夕食抜きで勘弁してやろう」
いきなり食事抜きにされた少年はうげっという風に顔を歪める。
「ルールは簡単、諸君のようなクズでも覚えられる。……吾輩に逆らうな、以上だ」
その言葉に全員の表情が強張った。クロノスが口にしたルールは単純に言えば一言で済むのだが、これはその気になればいくらでもルールが追加されるということだ。クロノスの言いなりにならなければならないという事実を悟った囚人達は嫌悪感を示す。
「ケッケッケッケッケ……!」
その囚人の中で一人、不気味な笑い声を上げる者がいた――骸骨のような男だ。
「おいおいぃ、マジで言ってんのかよオマエ? 俺が誰だか知らないみたいだなあ? 俺は連続殺人犯の鬼頭鹿蔵様だぜぇ? ルールがオマエなら殺せばルールってやつはなくなるよなぁ?」
鬼頭は腕を振ると袖から小さなナイフが出てくる。それを持ってクロノスの首にあてがうと狂気の笑い声を響かせる。
「バカなっ! 持ち物は全て没収したはずだぞ!?」
警察官の男が狼狽えるが、鬼頭が刃物を持っているのは事実。早く取り押さえなければ大変なことになると分かっていたので腰にある警棒に手を掛ける。
鬼頭鹿蔵は連続殺人犯だ。痩せ細った身体からは信じられないような身体能力を発揮して、主にナイフなどの小型の刃物で対象の脳天を貫き殺す。そんな方法で、逮捕されるまでに殺した人間は五百人に届く。殺した人間の中には捕まえようとした警察官が百人余り存在していた。
しかしそんな殺人鬼を前にしてもクロノスは微動だにしない。
恐怖で動けないのではない、鬼頭程度を恐怖に感じないのだ。
「そう、吾輩のルールに逆らった者は――」
「死ねえええ!」
鬼頭はナイフを首の奥に進ませようとはせず、いつものように脳天に突き刺そうと素早い動きでナイフを振りかぶる。その瞬間、クロノスのゴツゴツとした拳が鬼頭の脳天に振り下ろされる。
「――吾輩自ら処刑することもあるので注意するように」
一撃。たった一撃で連続殺人犯は地に沈み、頭から何かが潰れるような音を出しながら白目を剥いて死に絶えた。
警察官の男も、四人に減った囚人たちも驚きを隠せない。まさかこんなに早く一人死ぬことになるとは思っていなかったのだ。
「さて、後はこちらでやるので君は帰って結構。おい、この汚物を片付けておけ」
警察官の男は底冷えするような恐怖で震え、もう一度敬礼してから慌てて船に戻っていく。船はすぐに出航してハーデスから遠ざかり、二度と来るなとばかりに重々しい扉がズンと音を立てて閉まる。
何人かその場にいる他の看守達は慣れているのか物言わぬ死体を運び出していく。
「さあ諸君、付いてこい……地獄へようこそ……!」
地獄の扉が開かれて、神奈達は続々と重い足取りで中に入っていく。
港から先はゴツゴツとした岩が剥き出しになっている一本道で、その壁の隅には小さいランプが飾ってある。その灯りがなければ暗闇で何も見えなくなるだろう。
一本道を抜けると神奈達の目には巨大な建物が映る。外からは黒い壁に遮られていて見ることができないが、薄気味悪い雰囲気とともに多少の霧が出ているが、その建物は塔のように長く上に伸びていた。
「あれがハーデスだ、塔の一階部分から先程までいた港の数倍は広いぞ。二階が食事を取る部屋、三階が内職部屋、四階から二十階までは囚人の牢屋となっている。諸君が知る必要のある情報はこれぐらいだろう」
四人の囚人はクロノスに黙って付いていく。
先程の一幕を見てしまえば逆らう気などなくなるというものだ。
神奈は恐怖を感じたわけではないが、強い者でも逆らう準備というものが重要だ。あの場でクロノスに盾突いても得られるものは何もないだろう。
しばらく歩き、辿り着いた塔の入口付近には頭が三つもある犬が寝ていた。その異常な生物に四人は目を見開く。
「ああ、気になるかね? 地獄の番犬。脱走者を噛み千切る猛獣だが脱獄しないのなら関係ないだろう?」
四人は首を縦に何度も振り無言で答える。地獄の番犬という近づきたくもない獣を目にすれば脱獄などする気にもならない。
クロノスの案内で塔に入ると一階部分には中央に螺旋階段があるのみだった。階段以外何もない部屋に神奈は少し寂しさを感じるが、クロノスが先に階段を歩いて行くので一階から二階に上がる。
二階は食卓がいくつも並んでいる清潔な空間。
三階も同じような場所であり、神奈達は続いていく螺旋階段を上り四階に辿り着く。
四階以降は鉄格子の扉で閉じ込められる牢屋がいくつも存在し、その中には四人ずつ強面の男や女が睨むような目線を神奈達に向けている。
――いや、神奈達ではない。クロノスだ。
クロノスは看守長であり、自分達をこの塔に幽閉している者達のボスなのだ。
恨む気持ちがない方がおかいし、だからこそ睨みつけるのだ。実際に手を出せば懲罰房か死刑になってしまうからこそ、そのささやかな反抗の意思を見せつけている。
ささやかな反抗の意思を無視したクロノスは神奈達を九階にまで案内する。
案内といっても全ての階に繋がっている螺旋階段を上がっていくだけなので、ただの一本道と変わらない。
「ここが諸君の牢屋がある九階だ」
四階から始まっている牢屋だが、四人一組となっているため一部屋が意外に広い。二段ベッドが二つもあるので寝る場所には困らないし、狭いがシャワールームも付いている。これに関しては不潔な体で出歩かれては看守も嫌な思いをするからだ。
「神谷、伊藤はそこの九十八番。春雨、本田は九十九番だ。二人の先客がいるが仲良くすることだな」
伊藤と呼ばれた九階に来るまでずっと怯えていた少女と神奈は、【九十八】と書かれた札が貼ってある牢屋へ入り、春雨という少年と本田という大男は九十九番の牢屋に入っていく。
「それでは諸君、夕食を食べて今日は休むといい。夕食は普段食堂で食べるものなのだが、新しい四人のものは牢屋の中にいれてある。存分にここの料理を味わって明日からの仕事を頑張ってくれたまえ」
クロノスはそう言うと身を翻して、目が回りそうな螺旋階段をコツコツと音を立てながら降りていく。
神奈と伊藤はとりあえず自分のベッドらしい名前の書かれた場所に座り、その上に置かれていた食事をまじまじと見る。
皿には二切れの小さなパン、そして色とりどりの野菜に美味しそうな匂いがするカレーだった。それをジッと見て神奈は「はぁ……」と深いため息を漏らす。
「カレーなのに……米がないよ……!」
カレーライスではなくただのカレー。米がない代わりにパンがあるが神奈は米派だった。そんな些細なことに落ち込むことができるくらいには余裕を感じている。
神奈は仕方なくトレーに乗っている皿にあるカレーを口に流し始めた。




