17 姉――短い別れ――
願い玉の発光が止む。青白くまばゆい光が収まると、速人とリンナは目を開ける。
そこにはもうアンナという人間はいなかった。消えたという意味ではない、もはや人間を超越した存在になったというべきか。彼女の理性は消え去り、破壊のみを繰り返す機械のようになってしまっている。
その変化は五秒近くで終わっていた。眩い光を眩しくないなと考えていた神奈は全てを見ていた。
眼球は震え、爆散したと思えば白光で構成された眼球が収まる。ピンク髪は膝辺りまで伸び、血管があちこちに浮き出る。紫苑色のオーラが全身から立ち昇り、力強い波動が周囲に放出される。
「か、神奈さん、戦闘力が……」
「うわぁ、身体能力5020。魔力7300。総合12320。10000超えてきたかインフレめ……」
総合数値12320。それがどれだけのものか、神奈はよく分からない。しかし単純計算で速人の五倍以上強いと考えればなんとなく――勝てそうな気がする。
数値は単純計算で表せるものではなく、実際の強さは五倍どころではないが、立ち昇り続けているオーラを見ても神奈には恐怖などない。だがそれは神奈だけの話。
「な、なんだあれは……この俺が震えている?」
「……終わりです。あんなの、どうすれば」
速人とリンナの二人は身体が小さく震え、萎縮してしまっていた。
先程までのアンナとは比べ物にならない覇気。二人は瞬時に悟ったのだ。アレにはどう足掻いても自分では勝てないと。
「破壊」
その一言でアンナは行動を開始した。
まずはすぐ近くにいる神奈に対して拳を振りかぶり、容赦なく振るう。神奈は咄嗟に両腕をクロスさせて防御に成功した――が防御した状態のまま殴り飛ばされた。一気に速人達がいる扉付近の壁に激突する。
(もはや完全に格闘家じゃないか、魔法はどうしたんだ)
殴られたというのに神奈は呑気にそんなことを考えていた。
全く効いていないわけではない、わけではないのだが……彼女にとって向けられた拳は蚊が殴ったようなものだった。例えるならRPGで鍛えすぎ、敵の攻撃でダメージを負うか負わないかというレベル。それでも殴り飛ばされたのは単純に踏ん張ろうとしていなかったのと、予想以上の強さがあったことに他ならない。
再びぼそりと「破壊」と呟き、アンナは速人とリンナの方へと顔を向ける。
狙いを定め、両手を前方に突き出すと、手のひらサイズの赤く光る魔力弾がふいに現れる。
「やばっ! 避けろ隼、リンナ!」
神奈が喰らっても問題はないが、速人達が喰らうと大問題だ。
危険性を察知した神奈が叫び、二人は死の予感がしたので身構える。
「チッ、言われなくても避けるに決まってる!」
「どうすれば……!」
魔力弾がこの部屋の中にあるカプセルも貫いて二人に襲い掛かる。速人はなんとか避けれているが、リンナが不味い状況だ。本当に紙一重というレベルで躱すので、見ている神奈がハラハラする。
早く助けなければいけないと思い神奈は走る。あっという間にアンナの近くに行き、片手ラリアットを首にかまして、何か硬いものが砕かれた音とともに吹き飛ばす。壁に激突し、亀裂が入るとすぐに一部が崩壊して突き抜ける。
しかし――アンナはすぐ飛んで戻って来た。
(おかしい……今、首の骨折れたよな? バキッとかいう音聞こえたんですが?)
よく見れば首がブラブラと揺れていて、首から上を全く支えていない。首が重さに耐えきれず、百八十度を超えて曲がっている。
(あれ折れてるね、粉砕されてるよね? 生物としておかしくない!?)
化け物となったアンナのことを神奈が観察していると、攻撃が止んだことで自由になった速人が手裏剣を取り出す。
明らかな敵意と殺意を持ち、五枚の手裏剣を投げる体勢に入る。その姿が見えた神奈は慌てて「バカ止せ!」と叫んで止めようとする。その攻撃が全く意味をなさないと直感で理解したからである。
「ブーメラン手裏剣五連射!」
投げた手裏剣は以前神奈に使ったものと同様の物。手裏剣がブーメランのように帰ってくる特殊形状で、前からも後ろからも攻撃できる。
前方から向かう手裏剣五枚をアンナは躱す。やはり効果がないと思った神奈は叫ぶ。
「リンナだけでも逃げろ!」
「え、でも」
今のうちに戦力外のリンナを逃がすことにした。速人の方は指示しても聞く耳を持たないので、神奈はリンナだけに逃亡するよう言い放った。
指示されたはいいものの、リンナはこの状況で自分だけ逃げることに抵抗がある。本当にそれでいいのか分からず狼狽える。
「いいから早く!」
神奈が強く叫ぶと、リンナはようやくこの部屋から逃げるように走り出す。だが部屋の入口で一度立ち止まると振り返る。
すっかり変貌してしまったアンナのことを、リンナは哀しみの目で見据える。
「アンナ……お姉ちゃん……。神奈さん! この場にいて足手まといになるのは分かりました。だから出ていくけど、絶対にアンナを止めてあげてください!」
「まかせろ! 絶対にぶっ飛ばす!」
そんなやり取りをしていると、やはり速人が投げた手裏剣は全て躱されていた。帰ってくる手裏剣を速人が慣れた手つきでキャッチする――はずだった。
手裏剣は四枚目までは難なくキャッチできていた。しかし五枚目で不可解な現象が起こる。手裏剣が急に手前で遅くなったのだ。そのせいでタイミングがずれ、キャッチし損ねて手首に刺さってしまう。
「うっ、なんだと……!」
ありえない失態に速人は眉を顰める。
「ぎゃぎゃぎ」
(なんだって? 首の骨ごと声帯も重症レべルだからか聞き取れないんですけど!)
アンナが速人に向けて一直線に飛んでいくので、神奈は一応注意喚起する。
「くそっ、おいそっち行ったぞ!」
速人は迎え撃たないで回避するつもりで、舌打ちしながらも右に避けようとしていた。だがここでも妙なことが起きる。
「また……!」
動きが止まったかのように遅くなる。意識もないはずなのに、アンナは固有魔法を使用したのだ。
先程と同じように速人は思うように動けず、アンナが振るう腕を躱すことができなかった。ボディーブローを喰らった速人は壁に叩きつけられ、大きな亀裂を作ると神奈の傍に落下する。
すぐ近くに転がったので神奈は速人の容態を確認する。
勢いよく吹っ飛んで壁に激突したものの、速人は正常に呼吸している。少なくとも死んではいないことが分かり、危害を加えたアンナを見据える。
「神奈さん、来ますよ」
「分かってる」
腕輪の忠告通り、アンナは一直線に神奈へ突進してくる。
攻撃を避ける、もしくは拳には拳で相殺する。その度にアンナの体は壊れていくのだが、それもお構いなしに神奈へ向かう。もう両手両足の肉は抉れ、骨は砕け、見るに堪えない状態になっていた。
痛覚も、意識も、もしかしたらアンナという人間の魂もないのかもしれない。
アンナの腹に神奈はカウンターで蹴りを入れた。アンナの腹部に風穴が空き、軽々と吹き飛んでいく。いくつものカプセルを破壊しながら進み、ようやく体勢を立て直して止まる。近接戦は不利だと判断したのか、アンナは魔力弾を二十以上出現させ、レーザーのようにして広範囲を攻撃する。
レーザー攻撃の結果、この部屋にいくつもあるカプセルが中にいるクローンごと貫かれ、緑と赤の液体が漏れ出る。壁すらも貫通して外の景色が現れ、陽の光が入る。貫かれそうになっていたクローンの中にはリンナのオリジナルの姿もあった。
「妹なんだろうが、生き返らせたかったんだろうが……。あれだけ妹のこと嬉しそうに語っていたくせに、なんでこんなことしてんだよ!」
返答などあるわけがない。あれだけ饒舌に妹語りをしていたアンナが妹を攻撃しようとするはずがない。やはりもう体を動かしているのはアンナではなく、単なる破壊衝動そのものだ。
大量のレーザーが神奈には当たらないと悟ったのか、直径五メートルほどの魔力弾を一つ生成して放つ。その魔力弾は部屋の床を抉りながら神奈に迫っていく。
「ならこっちも撃ってやる!」
その魔力弾に対抗すべく、神奈は力を込めて、それと同じくらいの大きさの紫に光る魔力弾を放った。しかし放った魔力弾は突然勢いをなくす。アンナの力だ、全てを遅くする厄介な力。勢いをなくした結果、神奈の目の前で二つの魔力弾が衝突する。
勢いがないために押されるかと神奈は思ったが、耐えていた結果アンナの方の魔力弾が霧散した。
「よし、これなら!」
距離が離れすぎていたので魔力弾は普通に避けられた。
アンナはズタズタの体で神奈に向かうが、速度はその体のわりに落ちていない。そして周囲に赤く光る光球――魔力弾が次々とふいに現れ、その数は四十を越えた辺りから神奈も数えていない。
冗談だと神奈は思いたいが、それら全てが向かってきた瞬間巨大化した。先程の魔力弾の比ではない大きさで視界のほとんどが赤く染まる。
しかしいくら数を揃えても弱者では話にならないように、神奈の前ではそんな魔力弾は無力だ。
(そんなもの全て消し去ってやる)
などと神奈は心の中で悪役のように叫びながら、巨大な魔力弾を放とうと思って――止める。
そこまでの大きさはこの施設全てを吹き飛ばして更地にしてしまう。速人も、リンナも、クローン達も殺してしまうのでそれは良くない。威力がありすぎる魔力弾で正面衝突するなら被害は大きく、神奈以外生存者が出ない悲惨なことになる。
――だから全ての魔力弾を素手で上空に弾き飛ばした。
天井は崩壊し、上空にあった白い雲も全て吹き飛ぶ。黒い闇が広がる宇宙にまで到達すると、星と見間違えるような小ささになり遠くで爆発を起こす。
そして次の魔力弾の準備をしていたアンナに向かい、神奈は魔力で光線を放つ。
魔力弾ではダメだと思い、できるだけ範囲が狭い魔力光線でトドメを刺してやると気合を入れる。範囲が狭ければ破壊規模もほとんどなくなるはずである。
「まさか神奈さん、あの必殺技を!」
「そんなものはない!」
神奈は腕をアンナに向けて、魔力を集め始めると手のひらが淡く青紫に光る。そして発射したときのために狙いをよく定める。
「ぎゃがぎいいい!」
アンナが魔力弾を生成、そして放つ。先程よりも大きく、威圧感がある魔力弾が床を抉りながら神奈に向かう。
「死者に固執する気持ち、分からなくはなかった。その悲しみ、苦しみ、私には分かる。……でも、リンナのためにも、お前の妹のためにも、何よりお前のためにもここで朽ちてくれ」
魔力が手のひらに集まりきったのを感じると、神奈は右手から光線を放つ。
赤紫の魔力弾が青紫の光線とぶつかり合う。拮抗は一秒にも満たない短い時間だ。
「――恨んで幽霊になる、なんてのはやめろよ?」
魔力弾が貫かれ、爆発を起こす。障害を突破して青紫の光線は一直線にアンナへと向かう。
床が吹き飛ぶと白煙が発生し全てを覆い尽くす。光線がアンナを後ろの壁ごと呑みこみ、突き抜けて地中を抉り、数キロ先で勢いをなくして霧散した。
煙が晴れた時、そこにはアンナの姿はなかった。文字通り消えたのである。
「……今度こそ終わったな」
「安心してください神奈さん。完全に魔力反応が消失しましたので、アンナはもう死んだと思われます」
姿が見当たらないので、神奈は当たらなかったのではないかと思ったが、今度は本当に光線に呑まれたことで全身粉々に消えてしまったのだと理解する。
部屋には戦闘の影響で死んでいるクローンが倒れている。緑と赤の液体が交ざり合い、床をなんともいえない色で侵食していく。あまり長居はしても意味はないので、神奈は速人を回収してここから出ることにした。
速人を肩に担いだ神奈が外に出ると、リンナとアルファ達がいた。
三人組は気絶しており、神奈は速人を三人組の傍に寝かせる。
なかなか声を掛けられなかったリンナがようやく口を開く。
「……終わったんですね、これで何もかも終わり……なんですね」
漠然とした不安があったリンナはそう問いかける。
気絶している速人達の寝顔を見ながら神奈は「ああ」と返す。
「これで本当に終わりだ、終わったんだよお前らの戦いは。これでもう殺される心配もない」
「そうですか、これで、終わり……。なんだか実感が沸きませんね。これは私の、私達の問題なのに最後まで何も出来なかったんですから。助けられて、言われた通りに避難して、もちろんこんなことが言える立場ではないと分かっています。でも最後くらい、私達が終わらせるべきだったんじゃないでしょうか……」
リンナは晴れている青空を見上げてから、ボロボロになった黒いドーム状の建物を見る。その建物は所々穴が空いており、激しかった戦いを物語っていた。
後悔を残すリンナへと神奈は振り向く。
「最後くらい、か。でも分かってるだろ? あの状況でリンナができたことはない」
神奈もリンナの言い分が全く分からないわけではない。確かにこれはリンナの、いやクローン達の問題ではあるし、何もしていないのは本当だ。しかし負けるのが分かっている無謀な戦いを挑んで命を落とすことなど、しなくて正解だと神奈は思う。
「それでも、アンナの最期くらいには……立ち会っていたかったんです。アンナにとっては私達など、数あるクローンというだけだったんでしょうが、私達にとってアンナは……悔しいですけど、どれだけ恨んでも、偽物だと存在を否定されようと、ただ一人の姉だったんです。少なくとも最期くらいは見届けてあげたかった……」
(リンナ……。力不足で足手まといになると分かっていても、リンナを逃がすべきではなかったのかも……。私が施設のことを気にしないで全力で動けていれば、庇いながらでもアンナを倒せたはずだ。……ダメだな、選択した結果をいくら悔やんでも戻ることはできない。私はまだ未熟だが、この経験を次に活かせばいい。そうすることで人間は間違いを減らしていくんだ)
建物からリンナは神奈の方に向き直る。
そして両目を瞑り思案し、本当に後悔のない選択肢を選ぼうと決意し目と口を開く。
「あの、私――ここに残ります」
告げられた言葉を受け入れるのに神奈は数秒の時間を要した。
助けにきた相手が帰らないとは本末転倒である。戸惑いはいつまでも消えない。
「な、なんでだよ……こんな場所に残ること」
「せっかく助けに来てくれたのに申し訳ありません。でもここに残されたクローンたちはこれからどうなるんでしょう? 誰かが世話をしないといけない。ならそれは私がやりたいと思ったんです。だって私達先に生まれたクローンしか、これから生まれるクローンの姉にはなれないじゃないですか。アンナという姉がいたように、あの子達にも育てる姉が必要なんです」
アンナは倒しても、生み出されたクローンは消えない。
生まれてすぐの奴らを放置は良くない、育児放棄になってしまう。これから外に出る者もいるのだからなおさら放置はできない。そして世話をするにしても、クローン研究なんてものをしていたここのことがバレたら事件だ。だとすれば事情を知っている当人以外には適任はいない。
理由に納得はした。神奈はいなくなる寂しさを、引きとめようとする言葉を、下唇を噛むことで無理やり抑えつける。
「………………しょうがないな、それならしょうがない」
「……すみません。完全に私の都合なのに」
悲しくないわけではない。リンナの手足は小刻みに震え、瞳が潤んでいるが涙を流すのを堪えている。神奈はそれを見て、離れるのが嫌なのは自分だけではないと理解した。
神奈とリンナの出会いは刺激的だった。いきなり空中から現れてリビングを破壊され、行く当てもないと言ったリンナを居候として迎え入れた。終わるのがもったいないと思える悪くない生活だった。
日常を思い返すとおかしくなる。下唇を噛むのを止めて、ゆっくりと微笑む。
「いや、短い期間だったけど一緒に過ごせて楽しかった。今後いつでも来てくれよ。今度はリビングじゃなくて玄関、空中からじゃなくて地上からな」
僅かに笑みを浮かべる神奈を見て、リンナは「……はい」と口から零すと、潤んでいる目元から透明な雫が頬を流れる。
「今度は、神奈さんの方からもっ……遊びに来てください。……きっとっ歓迎……しますからっ」
神奈は「元気でな」と短く返し、後ろに振り向いて足を進ませる。
去っていく姿を見ていたリンナは涙が零れ落ちていくのに気がつき、小さく震える両手で目元を拭う。だが拭っても拭っても、声を押し殺して泣く度に溢れてくるそれに対処方法が分からず、両手で顔を覆い尽くす。やがて、震える足では立っていられずに膝から崩れ落ちた。
「いやぁ、素直じゃないですねえ」
建物から遠ざかっていく神奈に腕輪が声をかける。
いつの間にか笑みは崩れ、両目からはまばたきで涙が押し出される。神奈は「うるせえ」と覇気のない声で返すも、遠ざかる足の歩みは止めることはない。零れそうな涙は服の袖で拭っても止まらない。
そしてゆっくりと家に帰る途中、腕輪がまたも話しかける。
「そういえば……家、片付けないといけないですね」
一瞬なんのことを言っているのか分からずに「……家? 家……家……い……え?」と混乱する神奈は思い出す。
「そうだった、家の中が半壊してるんだった! リンナを連れてこないと!」
「さっきシリアスに別れたのにもう会うんですか!?」
「しかたないだろ戻るぞ!」
現在の家の状況を思い浮かべながら、神奈は歩いてきた道を走って戻っていく。
こうして歪んだ愛を持つ姉の計画は潰れ、願い玉の事件は解決された。
リンナ「さようなら……あれ? 戻ってきた」
神 奈「家を直してください!!!」




