101.2 黄泉川三子メイド挑戦伝 後編
2023/09/09 割り込み投稿
笑里の口からそのまま吐き戻された麺を三子が箒と塵取りで片付ける。ついでに腐った卵味になったカップラーメンも片付けてもらう。魔力の身体強化を使って迅速に片付く様を見た笑里は「これだ!」と手を叩く。
「これだよ三子ちゃん! 次は掃除をしよう!」
「掃除、メイドの基本的な仕事ですよね。やりましょう!」
確かに掃除は使用人の仕事。藤原家は広いので使用人達は大変な思いをしているだろう。三子一人加わるだけでもありがたいはずだ。……失敗をしなければの話だが。
今日のたった数時間で三子のポンコツっぷりはよく伝わる。
掃除でも何かしらやらかすのではないかと思い、神奈は「不安だな」と呟く。
部屋を出た神奈達は近くにいた使用人へ「あの」と声を掛けた。
メイド服を着用している女性は丁度掃除をしていたようで、高価そうな壺を拭くのを中断して振り向く。こういった掃除を見ると、三子がやったら壺を割りそうな気がして増々不安が大きくなる。
「どうかされましたか?」
「あ、あの、私に掃除のお手伝いをさせてもらえませんか!」
「……ああ、黄泉川様は使用人になりたいと伺っております。掃除を手伝うとのことですが、申し訳ありませんが私の独断では決めかねます。トップに相談して参りますのでお時間頂戴致します」
女性はアスリート以上の速度で走り去る。
走るといっても両手を振ったりはしておらず、メイド服の裾を摘まみながら走っていた。まるで貴族の令嬢が走るかのような動きだ。……もし正しいフォームで走ったら世界陸上の新記録を叩き出しそうで怖い。
「メイドさんかー、私もメイド服着てみたいかも」
「それなら私の予備を貸しましょう」
「やった! 私も今日からメイドさん!」
「神谷様、すぐ戻ります」
口調だけならもう使用人な三子だが走り方は子供らしい。
才華の部屋から二部屋離れた場所が三子の部屋らしく、あっという間にメイドが二人になって帰って来た。藤原家に笑里のような明るすぎる使用人はいないだろうが、彼女はメイド服姿もよく似合っている。シンプルに可愛い。
「早かったな。よく似合ってるぞ」
「ありがとう。じゃあはいこれ、神奈ちゃんの分!」
畳まれたメイド服を笑里は笑顔で差し出してくる。
「……え、私も着るの?」
「うん!」
「……本気?」
「うん!」
神奈は整った顔立ちだしメイド服を着ても似合わないことはない。
ただ、笑里や三子と違ってメイドに憧れているわけではないし、着る理由がない。
だいたい神奈が着たところでコスプレにしかならない。
コスプレに興味はあるが魔法少女限定である。前世では筋肉質な男だったためコスプレは出来なかった。いや正確には一度したが鏡を見て気持ち悪くなった。今世ならメイドでも魔法少女でもコスプレ衣装は似合うだろう。
「やれやれ仕方ありませんね。神奈さん、来月から魔法少女ゴリキュアの新シリーズが始まる予定でしたよね」
「ああ。放送する」
「実は今朝公式サイトで発表がありまして、主人公はメイド見習いだそうですよ。メイド服を着れば新主人公のコスプレが出来るのではないでしょうか。ゴリキュアシリーズのコスプレ衣装は高額ですし、いっそここで――」
「着るしかないだろメイド服!」
瞬時に笑里からメイド服を奪った神奈は着替える。
僅か一秒にも満たない時間の早着替え。
先程まで着ていた服は畳んで脇に抱える。
三人揃ってメイド服姿になった神奈達のもとに使用人の女性が戻って来た。
「……神谷様と秋野様までなぜメイド服に」
「「憧れです!」」
「そ、そうですか」
ハイテンションな神奈達に女性は引きつった笑みを浮かべる。
しかし彼女も使用人のプロ。すぐ真顔に戻って仕事について教えてくれる。
掃除の手伝いをさせてもらえないかと頼んだ件について、彼女はトップと呼ばれる使用人を纏める人間に相談した。その結果、とある場所を掃除することが許可された。藤原家の奥、住み込みする使用人しか近寄らない廊下。つまり失敗してもプロがカバー出来る場所である。
早速その場所へ案内されると、綺麗な廊下が神奈達を出迎えた。
直線状に伸びた広い廊下の先にはドアが一つ。
何のドアか気になって開けてみればトイレだった。
「さて、掃除するか……って言いたいけど既に綺麗じゃね?」
「埃一つも落ちていないですね」
「じゃあお掃除終わったね」
「まだ何もやってないんだよ。始まる前から終わってんだけど何これ」
床には汚れ一つなく、トイレも真っ白。
廊下の壁際には台があり、上には壺が置かれているがそれすらも綺麗。額縁に入った絵画も綺麗。窓の縁も綺麗。強いて掃除する場所を挙げろと言われても、何も出ないくらい清潔が保たれている。
「――申し訳ありません。今から汚しますので少々お待ちください」
使用人の女性が確かにそう言った。
神奈が「は?」と呟いた直後、驚きの光景が広がる。
数人の使用人がバケツを持って来て、綺麗な廊下に中身をぶち撒けたのだ。
ぶち撒けられたものは泥水、埃、苔、葉、木屑の五種類。
まるでこの廊下だけ台風が通り過ぎたように汚れてしまった。
あまりの光景に神奈達は唖然とする。
「では、掃除をお願いします。途中で諦めたり、やり終えた場合は声を掛けてください。私は才華様の部屋近くにおりますので」
それだけ言うと案内してくれた女性含めた使用人全員が去って行く。
「……え、わざわざ汚す必要あった?」
「うわあ、嵐が通った後みたい」
「私はやります。どんなに汚れていても綺麗に掃除してこそ藤原家に仕える使用人。まずは床掃除から!」
恐ろしく面倒なことになったなと神奈は内心呟く。
水没した家屋のような状態になってしまった廊下を掃除するなんて、いったいどれほど大変なことだろうか。ご丁寧にトイレにまで泥水をぶっかけた使用人達に「ふざけんな」と悪態をつく。
掃除すると言ったのは神奈達なので仕方なく掃除を始める。
やるべきことは多すぎるが、まずは葉や木片など大きなゴミを箒で掃いて一箇所に集める。その後に泥水で汚れている床と壁を雑巾で拭いていく。天井も汚れていたので神奈が〈フライ〉を使用して雑巾で拭いた。
色々な場所を掃除し続けていると三子が壺を拭こうとする。
泥水や埃で汚れた壺は、これまた汚れた台の上に乗っている。
綺麗にするのは当前だが今までの三子のポンコツっぷりを見た神奈は不安だ。
「おい止めとけ止めとけ。壺は危ない」
「そうですけど、やっぱり完璧な仕事をしたくて。任された場所全てを綺麗にした方がいいと思います。今の時代、言われたこと以上をするのが当たり前ですから」
「……ったく、どうなっても知らないぞ」
三子から「あ」という声が漏れた。
力加減を誤ったのか、手が滑ったのか、壺は台から落ちていく。
「言わんこっちゃない!」
壺が割れるのを防ぐため神奈が駆け出す。
迅速かつスムーズに落下予測地点へと辿り着いた神奈は、正座のような状態で見事に壺をキャッチした。そして割れていないのを確認してため息を吐く。金持ちの家に置かれている壺なんて明らかに高価な壺だろうし、割ったら絶対怒られる。今は神奈がいたからどうにかなったが三子のミスを次もカバー出来るかは怪しい。
「ふう、ギリギリセーフ」
「あわわわ危なあああい! 避けてええええ!」
ホッとしていると神奈に向かって笑里が突っ込んで来た。
彼女も壺の落下を防ぐべく行動していたようで、勢い余って神奈に衝突してしまう。ミサイルのようにぶつかった彼女のせいで神奈は「ぬおわ!?」と悲鳴を上げ、持っていた壺を空中へと投げてしまった。
壺が飛ぶ。
丁度よく壺が向かう先に立つのは三子。
放物線を描いた壺を見事三子がキャッチ……出来なかった。
両手で掴もうとしたが手が滑り、結局落ちてしまったのだ。
床に落ちた壺は簡単に砕けて破片が散らばる。
目前の大惨事に神奈達はしばらく立ち尽くす。
そういえば、と神奈は数年前の記憶を思い出した。
壺について才華に訊いたことがあるのだ。興味本位で藤原家にある壺がいくらする物なのかを訊き、彼女は『一番安い壺でも百五十万円よ』と答えている。そんな高価な壺を弁償するなんて学生の神奈には到底無理な話だ。
「……さて、帰るか」
「今日は楽しかったよ三子ちゃん。また今度遊ぼうね」
「見捨てないでえええええ! 帰らないでええええええええ!」
歩いて帰ろうとする神奈達の腕を三子が掴んでくる。
「ええい放せ! 私は帰るぞ、こんなところにいられるか!」
「私は何も見なかった。ずっと腹痛のせいでトイレに行ってて仕方なく家に帰った」
「二人が共犯なのは使用人が証明してくれます! 逃げても罪は重くなるだけですからね!」
今の神奈達は冷静に物事を考えられない。
特大のミスを犯した時、鋼の心を持たない者は取り乱す。
普段なら思い付く解決策ではなく愚策しか思い付かない。
逃走、隠蔽。無意味だと理解出来ずに神奈達はそればかり考える。
「落ち着いてください三人共。誰も傷付かない解決策はちゃんとあります」
ここで唯一冷静な思考をしていた白黒の腕輪が喋り出す。
「分かった。外部の犯行に見せかけるんだな」
「違います」
「み、みんなを殴って記憶を飛ばすんだね」
「違います」
「接着剤で壺を直すのでしょうか」
「だいたい合ってます」
各々が出した案の中で三子の案に腕輪が賛同した。
万能腕輪ともあろうモノが酷い解決策だ。接着剤を使えば壺の破片はくっつくだろうが、素人が直そうとしたところで元に戻るわけがない。ましてやこの場にいるのは神奈達三人。同年代の天才発明家でもいれば話は別だが、神奈達だけでは歪な形の壺が出来上がるに決まっている。
「無理だろそれは。割ったのすぐバレるってば」
「おそらく大丈夫ですよ。接着剤で直したらバレるでしょうがね、使うのは接着剤ではありません。三子さんが使える究極魔法、禁術〈万物改造です」
「あ、なるほど! その方法がありました!」
三子が声を上げたのに遅れて神奈も納得する。
笑里だけは未だに頭にクエスチョンマークが浮かんでいるが、説明するより見せた方が早い。神奈も詳しい効果を知らないが想定は出来る。ドリンクやカップラーメンの味を変えるだけなら禁断の魔法にはならない。あれは味というか、存在そのものを作り変えたという方がしっくりくる。
「禁術〈万物改造〉」
三子が魔法を唱えたら壺が輝きを放ち、みるみる修復されていく。
破片が集まり、汚れすら落ちて完全に元の状態に戻った。
何も予想していなかった笑里は「おお~」と驚いている。
「すっごーい。これなら壺割ったのバレないね」
「ええ、何とか誤魔化せそうです」
神奈も「……ああ」と同意する。同時に危ういとも思う。
禁断の魔導書を神音に奪われてもなお、三子は禁術を使えてしまう。斉藤もそうだが一度憶えてしまえば魔導書なしでも究極魔法を使えるのだ。究極魔法は強力で便利だが危険な代物。いっそ使えない方がいいのではないかと神奈は思っている。
「――何を誤魔化せるって?」
冷ややかな声が廊下に響く。
聞き覚えのある声に神奈達が振り向くと、ゆるふわパーマのお嬢様が立っていた。
黄色髪の彼女は中学生ながらに会社の手伝いをしているのでスーツ姿。可愛らしい服も似合うがスーツは凜々しくて別方向で似合っている。
「……才華様」
「……才華ちゃん」
「使用人達に三子さんが掃除しているって聞いたのだけど、どうやら結果は残念なようね。今日だけで三子さんの能力が向上するとは思っていなかったし、予想出来た結果ではあるのだけど。まさか割った壺を魔法で直してミスを隠蔽するとは予想外だったわ」
「「「……すみません」」」
まさか才華に見られるとは運が悪い。いや、本当に運が悪いのなら使用人達の誰かに見られていただろう。魔法の存在を知っている才華に見られた方がマシだ。藤原家の使用人なら知っていてもおかしくないが知り合いで良かった。
「まあ、直してくれたならいいけど掃除は止めましょう。また何か壊してもいけないし、後は使用人に任せましょう。……ふぅ、疲れたしマッサージでも頼もうかしら」
才華が自分の部屋に歩き出したので神奈達も付いて行く。
長い廊下を歩く三子の表情は暗く落ち込んでいる。才華は先程の一件を気にしていないようだが三子は、壺を割った張本人は違う。明らかに大きなミスをして、隠蔽しようとしたのがバレて焦っている。
励ましの言葉を掛けてやろうと神奈が考えた時……殺気を感知した。
掃除を放棄したから使用人が怒ったのかと思ったがおそらく違う。
「……誰かが侵入しています」
そう告げたのは神奈ではなく三子であった。
「え、侵入者? 藤原の本邸に?」
「嘘!? どこどこ!?」
「才華様は私の後ろに」
安全のために才華は三子の後ろへ移動する。
本来なら神奈の後ろの方が安全だが他二人もかなりの実力者。この世界では上澄みに位置するので安全面は保障される。仮に二人より強くても神奈より強い者はほとんどいないので、いざとなったら神奈が守りきればいい。
「よく気付いたな黄泉川」
「両親を殺した男の殺気を忘れられなくて、殺気には敏感なんです」
さらっと重い理由を告げた三子は「そこ!」と言って小さな魔力弾を放つ。
侵入者に向けたものではない。飛んできた苦無に対してのものだ。
危険な飛び道具を小さな魔力弾の爆発で防いだ三子は「出て来なさい」と、姿の見えない侵入者に向けて冷ややかな声で告げる。
「……やるな。光学迷彩全身スーツで隠れた俺を見破るとは」
「テレビで見たことある! 会社員が社長から貰うやつだよね!」
「笑里、それはたぶん給与明細だ。あっちのは光学迷彩」
頭にクエスチョンマークを浮かべている笑里に向けて神奈が説明する。
光学迷彩を簡単に表すならカメレオンの保護色。
周囲の景色に色を合わせることで自分を景色に溶け込ませる。
詳しいわけではないので光学迷彩スーツの原理は説明出来ないが、映像を投影しているとか、光の屈折に作用しているとかで実現しているのだろう。
科学力で実現させたのは素晴らしいが神奈には〈魔力感知〉で居場所が丸分かりだ。そしてそれは――三子も使える。
「俺がいることに気付いたのは見事だが位置までは分かるまい。俺は姿を見せずにターゲットを仕留める殺し屋、愛枝騎良。秋野笑里、神谷神奈、黄泉川三子の三名を抹殺させてもらおう」
狙いが才華ではなく自分達だということに神奈は「またか」と呟く。
水族館の帰りに襲ってきた殺し屋も、今回の相手も神奈達がターゲットになっている。遊園地でも狙撃されたりしたのでおそらく殺し屋だ。明確な殺意を持った誰かが、少し前から殺し屋を利用して神奈達を狙っている。
「誰がターゲットでも構いません。私はただ、不法侵入者を捕らえるだけです。姿は視覚だけで見るものではありません。私の魔力があなたの居場所を教えてくれます」
「ほほう、自信があるようだな。では――」
戦闘が始まろうとしていた時、愛枝の方から音楽が流れ出す。
何とも場違いなアニメソング。しかも萌えアニメのキャラクターソング。
「すまん、電話だ。少し待て」
「待つわけないでしょう」
一直線に駆けた三子が愛枝を殴り飛ばす。
彼が取り出していたスマホは投げ出され、彼と共に転がった。
彼が着ていた光学迷彩スーツは破損したようで姿が明らかになる。
「ぐううっ、バカな……たかがメイドに俺が負けるとは」
「違います。メイド見習いです」
「ぐううっ、バカな……たかがメイド見習いに俺が負けるとは」
「何で言い直したんだよ。言い直さなくていいだろ」
呆れた神奈は彼のスマホを拾って画面を見つめた。
若干ヒビが入った画面には電話番号が表示されている。つまり未登録番号からであり、もしかしたら依頼主からかもしれないと思い通話ボタンを押す。これが迷惑電話だったとしても神奈が困ることはない。
『やっと出たか。愛枝騎良』
聞こえてきたのは低い男の声だった。
愛枝ではないので神奈は返答しない。
『高野麗華は依頼を白紙に戻すそうだ。お前達殺し屋への失望を露わにしていたぞ。こうして一人一人に依頼取り止めを知らせていたがお前が最後だ。……件の少女達はそこそこ強い。惨敗したくなければ速やかに帰ることだな』
通話は一方的に切られた。
話に出ていた高野麗華という人物が依頼主だろう。名前からして女性だが神奈は聞き覚えがない。殺し屋を雇われる程にどこで恨まれたのか、自分が何をしたのか全く分からない。
いずれにせよ一度会わなければならない相手だ。
直接会って、自分が何をしたのか確認する必要がある。
神奈は通話が終了したスマホを愛枝の傍へと放り投げた。
話していた男や高野麗華などが気になるが今はどうしようもない。しかし、殺し屋まで雇って神奈達を殺そうとしてきた人物だし諦めるとは思えない。別の手を打ってくるに違いないので神奈はそれを待つ。
「ありがとう三子さん。私を守ってくれて」
「メイドとして当然です。……少しでも私が役に立って良かったです」
三子と才華が笑い合い、掃除前にいた部屋へと戻っていく。
神奈達は練習という名の遊びをして時間を過ごして解散となった。
その日の夜、神奈は三子から顛末を報告された。
才華の危機を救ったことで藤原夫妻から直々に頼まれて使用人になったらしい。
ただの使用人ではなく、才華だけに尽くす専属使用人である。
今日のように侵入者が来るかもしれないので今後は家でも護衛を付ける話になり、そういった護衛などを主にこなすのが専属使用人らしい。……つまり使用人というかボディーガードなわけだが、本人が喜んでいるので神奈は水を差す言葉を言わなかった。




