100 水族館――三枚下ろし――
話に出てくる意見などは全て登場人物の意思などであり、決して作者が決めつけているわけではありません。
遊園地へ行ってから一週間後の休日。
とある水族館の入口付近で、神奈と才華は近況を話しながら立っていた。そこに「お待たせー!」という元気な声と共に走ってきたのは笑里だ。
「これで揃ったな」
「ええ、じゃあ入りましょう」
三人揃ったことで神奈達は水族館へと入館する。
こうして神奈達がやって来たのは一か月前にオープンしたばかりの施設――ジュラ海水族館。
集客も順調であり、早くも人気が出ている水族館。水槽の中には代表的な種類の魚はもちろん、あまりお目にかかれない珍しい魚も泳いでいる。中でも一番の目玉はやはりイルカショーだろう。イルカに様々な芸を覚えさせて披露するそれは一番人気である。
「それにしても今話題の場所なのにチケットよくとれたな」
「うーん、私の机に置いてあったのよね……。以前の遊園地のチケットもそうだったし、誰が置いたのか気になっているんだけれど誰も知らないのよ」
不思議なこともあるものだと思いながら、神奈達は優雅に泳ぐ魚達を観覧する。
魚達は一枚のガラス越しに触れた笑里の手に寄って来る。数十の魚が集合する様は周囲の人々の視線を集めていた。
「おぉ~見てみて神奈ちゃん才華ちゃん、お魚が集まってきたよ」
「もしかして笑里さんは魚に好かれる体質なのかしら」
「ほー、どれどれ私もやってみるか」
興味深そうに神奈が手をガラスに触れさせる。
その瞬間、魚達は一匹も残らず逃亡していく。これもマーチングバンドのように綺麗な隊列を作っていたため美しいが、怪物でも目にしたように逃げられたことは神奈にショックを与えた。
「神奈さんは魚に嫌われる体質なのかしら」
「……あー、なんだろ、本能?」
自然界は弱肉強食の世界。弱き者は強き者に捕食されるしかない厳しい世界だ。
人間に飼育されているとはいえ、以前までそんな世界にいたのなら神奈の強さを本能で感じ取ってもおかしくない。
「分かるよ神奈ちゃん」
手をガラスから離した笑里が話しかける。
「……魚が寄ってきたお前に私の気持ちが分かるもんかよ」
「ついつい美味しそうって思っちゃうよね」
「一番恐れられるだろう思考!」
なぜ笑里からは逃げないのか、むしろ集まって来るのか神奈は納得がいかない。まさか魚も美味しく食べられたいなんて思っているのかとすら思えてくる。
「あ、向こうでは実際に触れるみたい」
水族館内によるが、実際に海の生物に触れられる場所がある。
せっかく来たのなら寄りたいコーナーであるので笑里と才華は小走りで急ぐ。その後ろを気乗りしない神奈はゆっくり付いていく。
面白がっている学生が離れたことで角の触れ合いコーナー近くに人がいなくなる。何がいるのかと神奈達が確かめてみれば、水槽内にいるのはナマコとヒトデだけであった。
「触れるっていってもナマコとかヒトデじゃん。正直触りたいとは思えないな」
「でもこのナマコってフニフニしててちょっと気持ちいいよ?」
「もう触ってる……」
貴重な体験であるとは神奈も思うが、不人気な生物でもあるのでこの場所は女子人気があまりないようだ。
「ねえ、神奈ちゃんも持ってみなよ」
笑里がナマコを掴んで神奈に見せる。
「いや私は……ってそれ中から出しちゃダメじゃないの?」
「え、そうなの?」
近くの看板には『水の中から出すのはダメ』とちゃんと書かれている。笑里がそれを確認しようとしたとき、グイッと力が入ってしまいナマコから白い糸状のものが飛び出た――神奈に向かって。
顔や髪の毛に勢いよくぶっかけられた神奈は「うわっきたなっ!」と、少し遅かったが飛び退く。
「わあ神奈ちゃん大丈夫!?」
「笑里さんはそれを早く戻して!」
才華の言う通りにして笑里はナマコを水槽へと戻す。
ちょっとした事件により神奈は急いでトイレへと駆け込んだ。
顔にかかった白い糸状のものを洗うために水道の蛇口を捻り、出てきた冷水によって全力で洗い落とす。
「熱帯性のナマコの多くはキュビエ器官という白い糸状の組織を持っていて、刺激を受けると肛門から放出するらしいです。キュビエ器官は張り付いて行動の邪魔をするらしいですから、敵に襲われたとき用なんでしょうね」
「お前はどうでもいいことを知ってるよな……ったく、顔に白いのがまだ付いてるよ」
「ちょっと神奈さんそういう言動は控えてください!」
「……なんで?」
腕輪に何かを注意されてから神奈はトイレから出る。
黒髪だと白い物体は余計に目立つので念入りに神奈は洗っておいた。そのせいで四、五本は抜けてしまったが許容範囲だ。
「おっ、あれは……」
合流しようとした神奈の視界に大きな魚が映る。
才華が「あ、見て!」と言いながら指した方向にはジンベエザメが泳いでいた。その大きな体が他の魚達を押しのけている。
「あれがジンベエザメね」
感動したような表情の才華。
「お魚美味しそうだなあ」
涎を垂らしそうになり飲み込む笑里。
「お前何考えてる?」
呆れながら合流した神奈だが才華と共に圧巻の迫力を楽しむ。
笑里は違う感想を持っているがそれからも初見なら十分に楽しめた。真上もガラス張りになっていて魚が泳いでいるところを自由に見れたり、珍しい聞いたこともないような種類の海の生物を見学したりなど様々だ。
昼食の時間になると食事を取るために四階にあるレストランに向かう。
ランチはビュッフェ形式で、ゴーヤチャンプルーを始めとした沖縄関連の食事も楽しめる……ちなみにこの場所は沖縄ではなく関東地方である。
「どうする二人共、お寿司食べる?」
笑里の問いに神奈と才華は心底嫌そうな表情を浮かべる。
「ちょっとそれは……ねえ神奈さん」
「なあ……ってあれもしかしてここの魚料理……」
まさかと思いつつ、魚料理だけはここで食べないと二人は決心する。だが笑里は容赦なく笑顔で寿司を取っていた。
昼食を食べ、その後に行われているイルカショーへと向かう。
一番人気の場所というのもあり混んでいるがなんとか席を確保した。三人仲良く腰を下ろすと、神奈は左隣にいる女性に目を向けて固まる。
「……ん?」
「……え?」
相手の女性も体と表情が強張った。
偶然にも隣に座っていたのは――南野葵だ。
神奈と同じ現在は休校になっている学院に通う生徒であり、Dクラスの仲間という絆で結ばれた生徒だ。さらに左隣には坂下勇気の姿もある。
「奇遇ね……」
「そうだな……元気か?」
「……ぎこちないね二人共」
「「そりゃそうでしょ」」
葵と神奈は学院が休校する原因を作った二人である。
戦った余波で学院を滅茶苦茶に破壊してしまったのもあり、戦った後にもうしばらく戦わないと約束した二人だったが、その関係は少しギクシャクしたものになっていた。
「神奈さん、彼女は知り合い?」
「友達なの?」
二人に学院でのことは説明しているので、同じ学院に通っているのと名前だけを神奈は教える。それだけで説明は十分で関係性は理解できる。
魔力の実というドーピングアイテムを生み出すために危険な実験を繰り返していたことは説明しない。あえて悪い部分を言う必要などないし、そんなことを言ってしまえば悪印象を与えるだけでいいことはない。
「そっか、神奈ちゃんの友達ならいい人だね。私は秋野笑里! よろしくね!」
――拳が飛ぶ。
薄々嫌な予感はしていたが神奈と才華はギョッとした。
小学生時代から笑里は挨拶として本気ではないが人を殴っており、未だにそれが間違っていると気付いていない。これまでなんとか止めてきたが仮に殴ってしまえば常人ならば即死、運が良くても病院送りにされる。坂下と葵は常人と比べれば肉体が強いとはいえ、もし笑里が殴ってしまえば確実に骨折以上の怪我になるだろう。
席は神奈がいるために一つ離れている。笑里が葵に挨拶するまで、殺人拳が神奈の目前を通り過ぎるのだ。
視認すらできず、向かってくる拳に気付かない葵。殴り飛ばさせるわけにはいかないので神奈はなんとか拳を止める。
「むぅ、どうしていつも止めるのお?」
「大丈夫大丈夫、口だけの挨拶で問題ないって」
拳が迫っていた事実に遅れて気付いた葵は混乱した。
「え、ちょっ、私今殴られかけてた?」
「ああ気にすんな気にすんな、いつものことだから」
「いつものこと!?」
絶対に普通ではないと無意識ながら的確に伝わった。
性格的な危険度もそうだが、身体能力面も相当なものである。葵でさえ認識することができなかったレベルとなれば、メイジ学院のAクラス生徒を瞬殺できるレベルだ。
「あはは……私は藤原才華です。以後お見知りおきを」
「南野葵よ、よろしく」
「坂下勇気です。その、よろしくお願いします」
(((この人は普通そうでよかった……)))
お互いに自己紹介をしているうちにイルカショーが始まった。
神奈達は一番前の席に座っていたので水飛沫がよくかかる。イルカは輪潜りや、餌をジャンプして食べたりなど様々な芸を披露している。
イルカショーの途中、夢中になっていない葵が「神谷さん」と話しかけた。
「どうした南野さん?」
「もし学院が再開したらお互い頑張りましょう」
「ああ」
「それと気づいてないみたいだから忠告」
「なんだ?」
「あなた、いやあなた達――狙われてるわよ」
「……知ってるよ」
葵は詳しくは語らなかったが神奈は気付いていた。
遊園地では銃弾が飛んできたのもそうだが、実は神奈自身もう少し前から殺気と負の感情を感じ取っていたのだ。黒塗りの長い車、これが通る度に強力な殺気と悪感情を感じ取っている。それが誰なのか、なぜ自分なのかは分からなかったので神奈は深く考えていなかった。
「これもそろそろ嫌になってきたな」
神奈は今も誰かから観察されており、殺気も飛ばされているのを感じて嫌な顔をする。
イルカショーの楽しい時間も終わると同時に殺気は消えた。忠告してくれた葵と、何も気付かずに楽しんでいた勇気とも別れて、神奈達は一通り回った水族館を出ていく。
「あー、お腹空いたー」
ぐううう、という腹の悲鳴が神奈達に届く。
お腹を押さえる笑里の反応に、神奈と才華は顔を見合わせて微笑む。
「ここから一番近い飲食店はお寿司屋ね」
「お寿司いいね!」
「昼も寿司食ってたくせに……」
情報を口にした才華は「でも」と付け足し、悲しそうな表情になる。
「私は仕事があるから一緒には行けないわ……残念」
「それならしょうがないな、食事は二人で行くよ……でも今度三人で行こうな」
「お仕事頑張ってね」
微笑を浮かべた才華は「ありがとう」と告げて帰路につく。
二人きりになった神奈と笑里は話していた通り寿司屋に向かう。
「一番近いとは言ってもなあ……水族館行った後に寿司屋ってどうなんだ」
「でも美味しいよ?」
「そうだけどお前何も感じないのか……」
寿司屋に着いて、誰もいない客席に腰を下ろす。
お昼時は過ぎて三時のおやつタイム。それでも誰もいないということに神奈は何か引っかかるが、深く考えることもないだろうと大将に寿司を注文する。
注文したのは王道のマグロだ。近年捕獲量が減って貴重になりつつあるが、寿司屋といえばマグロだろうというくらい定番の一品である。
マグロが来るのを待っている間、神奈は「才華だけどさ」と切り出す。
「どーしたの?」
「あいつ、凄いよな……あの年で会社経営の手伝いっておかしいとしか思えないよ」
「凄いよね!」
「お前はもう少しこの凄さを分かってもいいと思う」
才華から何をしているのかを神奈達は聞いている。
会社経営の手伝い。数が減少したとはいえ厳しい習い事。高三野女学院というもはや別世界の学院生活。どれも神奈には想像できないような厳しさで、どうしても自分と比べてしまう。
才華と比べて神奈はあまり進歩していない。魔法も学べず学院は休校。宇宙も行ったし貴重な体験しているが、自分が本当にやりたいことを出来ていないような気がしていた。
(……まあ横のこいつは何も考えていないみたいだけど)
まだ中学生、もう中学生。どちらだろうが今の年齢が変わることはない。
夢があれば真っすぐ突き進んでいる年頃だ。挫折だって経験する時期かもしれない。神奈も夢と呼ぶべき目標に歩いているように見えて、実際はそこまで進んでいないのではと常々思う。
――それから十分程が経過。
いつまでも注文が来ないので笑里が愚痴を零す。
「マグロ遅いなあー」
「確かに遅いな……ていうか大将どこ行った?」
店を見回すと神奈達以外いないことに気が付いた。最初から客はいなかったとはいえ、肝心の大将の男すらいない店内に不気味さを感じる。
少しして店の奥から大将の男が戻ってきた。
「あの、何をしてたんですか? あ、注文覚えてますよね?」
「ええ……」
大将の男は無機質な瞳で神奈達を見つめる。
「――神谷神奈、秋野笑里の三枚下ろしでよろしかったでしょうか」
そして手に持っていた包丁を振り上げた。
マグロ「え? 僕は?」




