98 淑女――友達になるのに身分は関係ない――
私立高三野女学院校長、高野光子は雑誌のインタビューでこう語る。
「この世界の上に立つ女性は皆私のような淑女です。礼儀正しく、華のように美しく、女性という性をアドバンテージにして優雅に用意された階段を歩く。経営、政治、他の何にでもなれるよう我が学院では教育を施しております。我が学院で学んだからには必ず頂点に立てるとお約束いたしましょう」
四月。桜が満開になる入学の季節。
藤原才華は高三野女学院へと入学することになった。
友達と同じ学校に行きたいのが本音だがそれは叶わない。
生まれ持ち、選ぶことは出来ない親。
藤原家に生まれた以上、才華の将来は決して変えられないし変えようとも思っていない。
自分が大きな会社の跡取りだと才華は分かっている。きちんと厳しい習い事もこなし、経営を学ぶために堂一郎の会社で副社長代理として指揮をとっている。もちろん間違った指示を出したり、一手足りない時などは父親からのフォローが入る。
「いいか才華。高三野女学院には多くの大企業の社長の子供や資産家の子供が入学する。そこで様々な者と交流を図り情報を集めるのだ。それらのコネ――いや絆はきっと役に立つ時が来る。無論、神奈ちゃん達が無価値と言っているわけではない。彼女達はいい子だからきっと助けにはなってくれるだろう。私はただコネ――いや新たな絆を築いてほしいのだ。会社の利益に直結する人間が高三野女学院には多くいるはずだ。我が家は日本一といっても過言ではない経営者、その跡取りたるお前にも重責が伴うということは忘れないでくれ」
入学の話をされた時に父親、藤原堂一郎はそんなことを言っていた。
藤原家は代々引き継ぐ大企業の経営者。経済界において懇意にしておくべき者達は山ほどいる。何かの不祥事を起こした場合に備えての弁護士。大企業の跡取りとの繋がり。よりよい斬新なアイデアを生み出すためにも人脈というのは大事なものだ。
人脈作りに勤しむのも才華の務めである。
才華は嫌々ではあるが高三野女学院に入学した。
高三野女学院は入学費用さえ払えれば誰でも入学可能という特別な制度で、試験も何もない。ただ女学院なので本当に新入生が女性かどうかだけ確かめられる。
入学から僅か数日で、才華の周囲には多数の女生徒が集まった。
純粋に友情を結ぼうとする者もいれば、打算でコネを作ろうとする者もいる。しかしそれら全ての生徒に才華は分け隔てなく接することで、誰しもが親しめる女生徒として学院内で有名になりつつある。
そして――入学から一か月が経過。
高三野女学院の新入生四十人のなかで才華は半数以上といい関係を築いていた。
上級生にはさすがの才華も話しかけづらくて関わり合いは少ないが、一学年の中だけならばトップクラスで人脈を構築している。
「才華さん、ごきげんよう」
教室で白いカーテンが揺れるのと同時に、一人の女生徒がやって来て挨拶をしてくる。
白いドレスのような学院指定の制服を着こなし、藍鼠色の髪が風と共に揺れる女生徒――クロエ・スペンサード。彼女はドレスの一部を軽く持ち上げ、片足を一歩後ろに下げてから頭を下げた。
「クロエさん、ごきげんよう」
席に座る前だったので丁度よかったと思い才華は挨拶を返す。
実際に社会に出て使わないだろう貴族染みた挨拶。
立っているとき限定だが高三野女学院の挨拶はこういうものなのだ。
姿勢よく歩いて二人は入口近くの席に腰を下ろす。
クロエと才華は席が入学当初から隣同士であったことで初めて会話した関係である。そのため仲は学院内で一番良い。
「何回やってもこれは慣れません……」
軽くため息を零してクロエは呟く。
慣れないものは無駄に洗練された挨拶であると才華はすぐに分かった。そもそも入学当初からずっと聞き飽きるくらい愚痴を零しており、最初にお互いが挨拶を行ったときは羞恥でうまく出来なかったものだ。それが今では形だけでも綺麗になっているので進歩している。
才華は「あはは」と苦笑いで返す。
「あー、才華さん。私本来ならあなたと同じで宝生中学校に行く予定だったのになあ……どうっしてこんな堅苦しい学院に来ちゃったんだろう。宝生がよかった、楽しそうだし……」
関わり合いは少ないがクロエも宝生小学校に在籍していたのだ。それが親に言われてこの学院に入学するという、偶然にも似た境遇から一気に二人は仲良くなった。
「ダメよクロエさん、ほら言葉使い」
「おっとそうでした。ご忠告痛み入ります」
高三野女学院では言葉使いすら強制される。淑女であれという謎の規則において、はしたない行動や言動は罰を受けることになるのだ。その規定が厳しいために普段遣いの話し方でクロエは一度罰を受けている。
罰の内容としては才華も内心引いた刑……おしりぺんぺん。
冗談だろうと思いたかったが、いきなり朝の教室で教師にドレスをたくし上げられて、淑女という言葉が行方不明になるレベルで尻を叩かれていた。教室の人間全員にピンクのパンツを見られた挙句、尻が赤くなるまで叩かれるという罰にはさすがに引く。
「そうだクロエさん、この間美味しいクレープが発売したんだけれど今度一緒に行かない?」
「もちろん行かせてもらいますわ。楽しみですわ」
(……無理してるから言葉が変になってる)
他愛ない会話を続けていると、他の生徒も数人集まってくる。
そうして朝のホームルームが始まるまで雑談していようと思っていた才華だが、ここで友達になれていない人物が挨拶しにやって来た。
「才華さん、ごきげんよう」
「麗華さん、ごきげんよう」
才華に微笑を浮かべながら声を掛けてきたのは高野|麗華。
学院長である高野光子の親戚であり、その親もいくつもの中小企業を持つ優秀な経営者である。さらに最近は株価も大暴落し落ち目だった金城財閥の企業を取引により吸収、そして持ち直したことにより莫大な利益を手に入れている。
麗華は才華と違い友達になる人間を選別する。
付き合って良い結果が出るなら付き合う、何も変わらないなら切り捨てる。しかしそんなやり方でも、麗華の親が優秀なことでコネを作ろうとしてくる生徒が後を絶たない。現状、才華と麗華の人気は同等になっていた。
才華はあまり麗華のことを好きになれないでいる。友達を選別している姿勢が、他人を対等な存在ではなく見下しているようにしか思えないからだ。
「そういえば、この前見てしまったのだけれど……才華さん、随分品のない女性とお友達なのね」
「……え? それはどういうことでしょう?」
才華は言葉に怒気を混ぜながら笑顔で聞き返す。
その二人の雰囲気に周囲の人間はクロエ以外恐れるように離れていく。
「休日だったかしら、才華さん隣町にお出かけなさっていたでしょう?」
「……ええ、確かに」
思い当たる節はある。笑里と神奈、二人の友人と共に隣町へ出かけたときだ。その日は久しぶりに会えたので嬉しく、女子力矯正も目的に加え一日遊び回った。
「そのときのご一緒なさっていたお二人を見て私驚愕いたしました。貧相な服装、下品な言葉遣い、はしたない食べ方。どれもこの学院の淑女が付き合う人間とは思えない酷さでしたわ」
才華はその日を思い返すと確かにそう言われても不思議じゃないと思う。
服装。笑里は最初ジャージ姿だったし、神奈も女性らしい服装ではなかった。
言葉遣い。笑里が子供っぽい喋り方だし、神奈の方は荒い言動が目立つ。
食べ方。二人共その日食べたクレープの生クリームを口の端に付けており、才華が指摘するまで気が付かなかった。
しかし才華にとって二人はかけがえのない友達だ。よって二人のことを悪く言われると怒りが込み上げてくる。
「私の友人についてあまり侮辱はしないでください。彼女達は……優しい人です」
笑里は挨拶で人を殴る癖がある。神奈もお人好しな部分はあれど容赦なく殴る。正直優しい人と言っていいのか疑問だったが、そこは言わなければ何を言われるか分からない。
「優しい? ただそれだけで才華さんとお付き合いするのに相応しいと?」
「もちろんそれだけとは言いません。ですが彼女達は小学校時代からの良き友人、麗華さんにとやかく言われる筋合いはありません。この場で一番彼女達を知っているのは紛れもなくこの私なのですから」
他人の交友関係に口を出さない方がいい。その正論に周囲に避けていた生徒達も次々に「そうですわ」と便乗する。
「確かにそうね、でも認めはしないわ。この由緒正しき高三野女学院の生徒である貴女が付き合うに相応しい人物は、他にもいるということを覚えておきなさい」
「それを判断するのは私です」
「……直に気付くでしょう。あの者達では相応しくないと」
その場の空気に少し不利だと感じた麗華は好き放題言って立ち去ってしまう。
彼女が立ち去ったことで少し離れていた生徒はまた才華の周りに固まる。
ずっと隣にいたクロエは心配そうな表情で問いかける。
「才華さん……大丈夫ですか?」
「ええ、クロエさん。他のみなさんも心配はいらないわ」
ホッとするクロエは神奈達のことも知っている。しかし周囲の者達は誰も友達のことをよく知らないので、百パーセント善意であっても癇に障る言葉が出てくる。
「しかし先程麗華さんが言っていたことも一理あります。もしも脅されているなら……」
「大丈夫です! 彼女達はそんなことをする人達じゃないので!」
麗華は口で負けたが周囲に爪痕を残した。才華のことを心配する彼女達は完全な善意での言動なので質が悪い。
少し怒るように声量を上げて言い返した才華は頭を抱える。
麗華は何やら神奈達を敵視している。彼女の目的、思想が何一つ見えてこない。
* * *
高三野女学院での一日の授業も全て終わった。
下校時間になり、生徒達はほとんどが送迎車で帰っていく。
黒塗りの横長い車の中で、高野麗華は悔しそうに叫ぶ。
「なんなのよ才華さんはあの下品な女共ばかり! あんな人達のどこがいいっていうのよ!」
それを宥めるように、サングラスを掛けた若い運転手の男は言葉を掛ける。
「まあまあお嬢様、人にはそれぞれ魅力というものがあります。お嬢様が言われている下品な女という人にもきっと良い所があるのですよ」
「良い所? そんなものがあってたまるものですか!」
男の言葉はただ麗華の怒りを増幅させるだけだった。
「才華さん、ああ哀れな才華さん! 下々を見捨てられない女神の如き優しさに付け込まれ、下衆な女の相手をする哀れな人。才華さんと付き合うに相応しいのはこの私! 数々の企業を持つ父の一人娘である高野麗華ただ一人!」
男は知っていた。自分が仕える麗華は、友人関係諸々の物事を損得でしか考えられない女であると。運転手の面接で自分が選ばれたのも、ただ若く顔がいい自分を運転手にした方が周りから受けがいいからだと。
「才華さんとお友達になれたらいったいどれだけ得なのか……考えるまでもない。そして得をするためには彼女の一番にならなければいけない。その為には排除しなきゃね……汚らしい庶民を」
麗華は走行中に見えた神奈へと冷たい眼差しを向けた。




