96 王子――身分が偉いから偉そうにするのは何か違う――
貨物船が来月まで来ない事実が判明してから三日が経過。
神奈達はショックを受けて、安値の宿泊施設で寝たきり状態になっていた。
安い宿なので白いベッドが一台だし石の様に硬い、というか石である。食事も出ない。天井にはなぜかこの星でも存在している蜘蛛の巣がいくつもあり、壁は隣の客の声すら聞こえるレベルで薄い……まあ神奈達以外客はいないのだが。
もっといい場所に泊まろうにも金がない。
神奈達はその宿屋の一部屋で一緒に泊まり余生を過ごすしかなくなった。
もはや何もする気が起きない。無料で泊めてくれると言っていた苺色の粘液体、もといザンカー人には感謝しかない。ここは宿屋じゃない気もするが、苺色の粘液体は宿屋だと言っているので恐らく宿屋である。
「おい……向こうにいけ」
怠そうな声でグラヴィーが命令する。
スライムのような粘液体に果たして白いベッドがいるのかは置いておき、二人で一台のベッドだとスペースが狭い。ザンカー人なら体を自由自在に変形させられるようだが、生憎地球人とトルバ人にそんな真似は出来ない。
「行けるスペースがないよ」
「お前の薄い胸ならもっと寄れるだろ」
「殺すぞ」
「殺せ」
「……いやだ」
食べる物も、まともな生活が出来る娯楽も、楽しい未来すらない。
もう神奈達はこの三日間でおかしくなり始めていた。突然笑ったり、泣いたり、怒ったり、精神が追い詰められている結果そんな状態になっていたのだ。
金を手に入れようと働くにしても労働基準法の壁。つまり金が増えないので八方塞がり。どんな惑星でもそういった法律はしっかりしているらしい。
食事についてはザンカー人の食糧が鉱物であったため、神奈達の食べられそうな食材は存在していなかった。一度空腹に敗北を喫してザンカー人の食糧を分けてもらったこともあったが、鉱物の類を噛み砕ける砕けない以前の問題。ただの鉱物を食べるという行為に頭を抱え拒絶してしまう。さすがにいくらお腹が空いていようと石を食べようとはならない。
ザンカー人は鉱物を適当に体へ入れれば消化が始まって溶ける。
見た目からしても中身からしても神奈達とは構造が違いすぎるのだ。
幸い水分は湧き水などでしっかりとれるとはいえ、二人がこの星で来月まで生きていくのは無理がある。
「殺せえ!」
怒鳴る。
「いやだあ! おまえしんだらわたしひとりじゃん……いやだよお!」
泣き喚く。
「クッ、くそおっ……くそだ、お前はクソだ」
落ち込む。
「ひゃははははふざけんじゃねえよ! ぶっ殺してやる!」
笑ってすぐ怒鳴る。
「殺せと言ってるだろう!」
自分が何をしているのか、何を言っているのかすら神奈達には分からなかった。
もう三日が経ったがこの先どうすればいいのか分からない。
(今日は外が騒がしいな……まあどうでもいい、たとえこの星が滅びようと私達にはどうでもいい。いっそ滅んでくれ。もう楽になりたいんだ)
宿の外が騒がしい。この三日間は、というか常時静かなのが惑星ザンカーであるにもかかわらず民衆がさわついている。
さすがに気になるので翻訳魔法〈ホンヤック〉を使用して話を盗み聞きする。
「なんだ!? 何があったんだ!?」
「侵略とかなんとか言ってるらしいぞ! もう喧嘩好きのロブルが瀕死にされたらしい!」
民衆というか二人の男。男というかただの粘液体。
とにかく二体の粘液体の会話だけが異様にうるさく、神奈達のいるオンボロ宿屋の二階まで届いている。
「あのロブルが!? あいつこの星一の強さを持ってるんだぞ!?」
「とにかくヤバい奴が来てるんだよ! 早く逃げた方が良い! 外にはでっかい船が止まってるらしいから深い場所に逃げるんだ!」
うるさかった二体の声がそこで止む。
(へえ、そっかあ……侵略、喧嘩、ヤバい奴、船? ふ、ね、だ、と?)
聞き捨てならない単語に神奈の目に生気が宿る。
「おいグラヴィー、聞いたな?」
「ああ、確かに聞いた」
神奈達はガバッと起き上がり顔を見合わせる。
お互いの表情は完全に悪役だった。いや、今からすることは普通に悪いことなのでおかしくない。
口を悪人のように歪めながら神奈達は意思確認を行う。
「「船を奪うぞ」」
そう、船は壊れた、直せない。それなら奪えばいい。
あまりにも安直で傍迷惑な思想だが、侵略という言葉からも悪い奴っぽいのは相手側も同じだ。ぶっ飛ばして船をぶんどっても許される……はずである。
「あndpklt」
苺色の粘液体が部屋の入口に現れる。
このオンボロ宿屋の持ち主であるザンカー人だ。
慌てて神奈は効果切れになった〈ホンヤック〉を再度唱えて会話の準備をする。
「早く逃げな、地上に悪い異星人が現れたんだ。この居住区よりも下には災害時の避難場所があるから早く行くんだ」
どこから声が出ているのか不明だが、人間でいえば六十代後半の女性のような声。
顔がないために気持ちが伝わりづらいが心配していることだけは確かであった。
「お婆さん、あなたは?」
「あたしゃもう老い先短い粘液だからね、最後くらいぱあっと派手に散らせてもらうよ。地上にいるやつらを一人でも多く倒して町の英雄にでもなるさ」
明らかに無謀だと神奈でも分かる。
ザンカー人は戦闘能力に優れていない。溶解液で物体を溶かすことはできるがそこまでだ。気をつけていれば地球人の成人男性でも倒せるくらいでしかない。
「外の奴らに付いていきな、そうすれば――」
「その必要はないですよ」
神奈が静かに苺色の粘液体へと歩き出し、そっと手を置く。
「泊めてくれたけど金払ってなかったですよね。三日間の代金代わりです。敵は私達がぶっ飛ばしてきますから」
そう言って通り過ぎる神奈にグラヴィーも続く。
焦った声で「なっ、およし! 無茶だ!」などと叫んでいる苺色の粘液体には振り返らない。神奈達は船を奪うという目的にザンカー人を守るというものも加え、急いで地上へと出ていった。
地上に出てみると、神奈達の宇宙船よりも大きな円盤が灰色の大地に存在していた。その宇宙船近くには見慣れた地球人のような者達がいた。何体ものザンカー人の崩れた遺体を前に高笑いしている。
「はっはっは死にたいならかかってこい! 抵抗せずこの星を明け渡して貰う!」
「我々に逆らう奴は……なんだ? おい、あっちから何かが!?」
玩具のような銃を所有しているが気にする必要はない。あると分かっていれば並みの銃弾など躱せるし、当たってもノーダメージで済む。グラヴィーは無傷で済むか不明なので躱す一択だ。
もっとも銃を使用する暇など彼らにはなかった。
神奈達が銃弾の速度を超える猛スピードで走った結果、それが彼らには見えなかったらしく風圧だけで吹き飛んだのだ。
銃で襲っていた連中が誰だか神奈は知らないが、悪人なのだからどうでもいい。今は気にする余裕なんてない。
神奈達は船の入口にまで到達して遠慮なく侵入する。
「……あの銃は、まさか」
「どうした?」
「……ああ、いや気のせいだろう」
グラヴィーが吹き飛ばした男達のことを気にしていたが、思い過ごしであるだろうと思ったのか深く考えなかった。
船の構造は神奈達が乗ってきた宇宙船と似ていて操縦室までの道のりは分かる。扉が途中いくつもあって、センサーで反応する自動ドアだったようで近付けば開いていく。
そうしてすぐに操縦室まで辿り着くと、高い椅子に座り偉そうにふんぞり返っている男がいた。
「誰だ? 俺様の船に侵入した愚か者は……この星の人間ではねえみてえだが?」
「どうでもいいだろ侵略者、この船は今日から私達が貰う! いいな!?」
「いいわけないだろ何を言っているんだ!」
偉そうな男が怒鳴るがその反応が正解だろう。これであげますなんて言う奴なら病気を疑われてもおかしくない。
ふと、神奈はグラヴィーがさっきから黙っているのが気になった。どうしたのかと横を一瞥すれば、何かに驚いて目を丸くしている。その視線は目前にいる偉そうな男に固定されている。
「やはり……」
「ん、お前は」
突如偉そうな男が椅子から飛び降りてグラヴィーに歩み寄っていく。
戦うのかと神奈は思ったがそれにしては様子がおかしい。偉そうな男はグラヴィーのことを端から端まで見て、何かを思いだしたかのように手をポンと叩く。
「そうだ、お前はグラヴィーじゃないか。もう何年振りだ?」
「やはりお前は……」
顔見知りの反応だったので神奈は「え、知り合い?」と戸惑う。
知り合いであるというのならトルバ人以外いないだろう。グラヴィーが地球で知り合った人間など数少ないうえ、こうして巨大な宇宙船を持つ者など存在しないからだ。
互いを知っているのなら頼めば乗せてくれそうだと思いつつ、何か久し振りに会った者達にしては反応に差がありすぎるのに違和感を抱く。
偉そうな男の方は嬉しそうだが、グラヴィーは汗を流して若干俯いている。
「この男は惑星トルバの王子……バルト。まだ幼い頃に……会ったことがある」
「ふはは正確には今は俺様が王だぜ。今はトルバ王と呼ばれている」
トルバの王。つまりレイ達トルバ人の故郷で一番偉い者。
しかしグラヴィーの表情が硬いのは相手が偉いからというわけではなさそうだ。
「親父は死んだよ、喧嘩を売ってはいけない危険な星に侵略しに行ってな。惑星ドーマって名前くらいお前も知ってんだろ? 全くバカな親を持つと苦労するぜ……だが俺様は違う。欲をかいて死ぬのはゴメンだからな、いずれもっと強くなるまで危険は犯さない」
神奈は二人の様子を窺うばかりで何もできない。
この状況においての最善手が何かまだ分からない。
「そうだグラヴィー、お前今まで何をしていたんだ。調べたら地球という惑星に攻めて死んだと出たもんで驚いたんだぞ? だが生きていたんなら良かった良かった」
「は、は……ありがたい、言葉だな」
いつもグラヴィーははっきりした言葉を使うが今は違う、バルトを目にして萎縮している。乾いた笑みを零す彼にバルトは意気揚々と声を掛け続ける。
「こうして再開したんだ、トルバに戻ってこい。今ならあのエクエスもレイもいない。お前は序列五位以内に入れるかもしれないし結構いい身分になれるぞ。また星を侵略しようぜ。今度は俺様と一緒によ」
その言葉に神奈は「マズい」と心中で呟く。
本人曰く、グラヴィーは仕方がなく地球に手を出すのを止めている状態。好きで地球にいるわけではない。もしかしたらこの誘いに乗って戻ってしまう可能性がある。
グラヴィーのことは個人的な気持ちでいえば正直好きではない……だが、嫌いでもない。腹を刺されたこともあるが困ったときは協力してくれた。良い奴ではないが悪い奴というわけでもない。実に評価に困る人間。
「弱い者いじめは楽しいぜえ? ゴミみたいな弱者を捻り潰そうぜえ、俺様と一緒によお……! ほら、昔みてえに!」
両手を広げて笑いながら最低なことを宣う目前の屑に神奈は吐き気を催す。会って短時間でバルトは神奈の嫌いな人間カテゴリーに入った。
「……僕は」
「だよなそうこなくっちゃな! お前なら行くって思ってたぜ!」
自分で話を勝手に進めるバルトは握手でもするつもりなのか手を差し出している。
そして――乾いた音が部屋にこだました。
グラヴィーが相手の手を払ったのだ。その行動に驚愕するバルトは信じられないくらい見開いた目で彼を見る。
「お前……どういうことだ」
「……僕はお前とは行かない」
「俺様の誘いを断るのか!?」
グラヴィーは神奈の方を見た。
その表情に神奈は目をバルト程ではないが見開く。なぜならその顔は、今までに見たことがない満面の笑顔だったから。
「神谷、僕は自分で思っているよりも……地球が好きなようだ」
グラヴィー「フン、次回は僕の番外編らしいな。だから出てきてやった、ありがたく思え」
神奈「いや別に呼んでないけど?」
グラヴィー「……たまには呼んでくれ」




