16 姉妹――シスコンの姉――
神奈「そういやお前魔法使えたのか」
腕輪「まあ初級なら使えるんですよ」
神奈「……まさかそれで初級しか教えようとしないのでは」
神奈達が乗り込んでいる黒いドーム状の建物。地下最奥の部屋。
人間も入るような大きめのカプセルがいくつも存在し、その内部にはリンナ・フローリアという少女の複製体が入っている。どれも成長途中であり、幼い者では赤ん坊、一番成長しているのは四歳程度。カプセルの数は六十以上、その数だけの命がそこにあった。
アンナ・フローリアはその部屋で、床に倒れているリンナを見下ろしている。
世間にバレないようにしている計画は、もしもバレてしまえば警察機関に逮捕されるのは確実。人間のクローンを作り上げるのは法として禁止されている。ゆえに厄介な連中を招く可能性がを作ったリンナをアンナは許さない。
「一つ、私の下僕となる気はないかしら。元々あなたは私が作った……従うのは当然ではなくて?」
許す気はない。が、利用価値はある。
見事に逃亡成功したテレポートといい、アンナには及ばないとはいえ高い実力といい、ここで処分することは勿体ない。アルファ達のように奴隷として扱うのが一番だと考えていた。
両手両足が紫色の魔力で作られた手錠で封じられて床に倒れているリンナは、寝ていることしかできない自分を憎く思う。怒りと悔しさも心で混ざって歯を食いしばり、唯一動く首から上を動かしてアンナを睨む。
「……断ります。あなたに協力していいことなんかなにもっ!」
自分の意思を伝えるリンナの体が宙に浮く。
蹴り上げられたと気付いたのは肺の空気が口から勢いよく吐き出されたから、そしてアンナの足が上がっていたのを見てからだ。
ゆっくりとアンナは足を下ろし、床を転がるリンナに冷めた目を向ける。
「なら死ぬだけよ。私が作った物だもの、作るも壊すも私の裁量で決まる。拒否権なんて初めから用意されていないわ」
「……うぐっ、くっ、自分のっ! 自分自身の意思はっ! 誰にも否定する権利はないはずで……!」
いつの間にかリンナはアンナに頭を踏まれていた。
蹴りも、今の移動も、リンナには何一つ視認することが出来なかった。ただ強く後頭部が圧迫されていること、アンナの黒いローブが視界の隅に捉えられること、その二つが現状を把握できる手がかりになる。
踏まれる力が強くなる度、リンナは押し殺されそうなか細い悲鳴を口から漏らす。
生物を見る目を向けていないアンナは踏む力を強めていると、誰かが駆けてくる音を察知する。それが侵入者であるということは明らかで、一度足をリンナからどけて、視線を扉の方へと向ける。
侵入者の正体は神谷神奈という少女。
腕輪の案内の元、辿り着いた場所は一つの大きな扉の前だった。いくつもあった他の扉とは明らかに違うものだ。
その扉を神奈が乱暴に開けて、待っていたのは二人の女性。
紫色に光る輪のようなもので手足を縛られて地面に転がるリンナ。そしてそのすぐ近くにいる、リンナが二十歳以上成長したかのような女性――アンナだ。
「ようこそ、歓迎はしないけれど」
「か、神奈さん……」
紫光の輪で拘束されているが、リンナに命に関わるような大怪我はないことを見て神奈は安心する。所々に細かい傷があったり、髪の毛や服が乱れているのは一先ず置いておく。リンナならば自分の時間を戻すことによって、どんな大怪我もなかったことにできるからだ。
「……リンナを誘拐したのはお前なんだな?」
「今度こそ本物ですね」
「誘拐? とんでもない誤解よ、この子は私が作ったの。元々私の物なのに誘拐なんておかしいでしょ? ただ失くしたのを取り戻しただけじゃない」
そんな言葉の効力はないと神奈は鼻で笑う。
「はっ、どうだか。てかこの部屋は何だ? 悪趣味というか気持ち悪いんだよ、なんでリンナとそっくりのやつがこんなにカプセルの中に入ってるんだ」
「これが気になるのね……ええ、ここまで来たんだもの。少し話してあげる」
「え、いや別にいいからリンナ返してくれない?」
別に神奈はアンナに興味がない。全く興味ないものは別に聞きたくない。
数秒の沈黙が発生し、アンナがそれを破る。
「……これが気になるのね、少し話してあげる」
「無限ループ!?」
* * *
私はアンナ・フローリア。隣にいるのはリンナ・フローリア、私の可愛い妹。
妹はまるで天使だ。そのふわりとした表情。人形のような体。スラッと伸びたピンクの髪はまさに至高の妹といっていい存在だった。幼くも両親を亡くして孤児院に預けられていたが、妹とこれからも共に仲良く育つと思っていた……あの日までは。
私が八歳、リンナは四歳ほどの時だった。ある日孤児院の先生が暗い表情で帰ってきた。
大切な話があるからとリビングから私とリンナ、他の子供たちをを遠ざけた。
子供の私でも何かあったとそう思わずにはいられなかった。なのでこっそりリンナを寝かした後で、盗み聞きをするべく扉の傍で聞き耳を立てる。中にいるのは孤児院の先生二人。聞こえてきたのは信じられない話だった。
「ねえ、やっぱり本気なのね」
「ああ、この孤児院は収入源が少ない。それで子供を売って得た大金で経営する、今までだってそうだったろう?」
「そうだけれど、でも今回は」
「分かっている、いつもは毎年一人。だが今年は二人だ、子供たちに胡麻化すのも大変だろう」
「違うわ、そうじゃない……なぜアンナなの? 二人という条件なのにリンナは入っていない、姉妹なのに引き離すなんて」
「しかたないんだよ、条件は七歳以上の女児。それに当てはまるのは今は二人のみで、アンナの妹であるリンナは条件を満たしていない。スポンサーの言うことは絶対だ、守らなければ子供を売れなくなってしまう。そうなればここにいる全ての児童が死にゆくこととなる」
「……ええ、そうね。そうだったわ」
意味が分からない意味が分からない意味が分からない意味が分からない意味が分からない!
なんだあれは、なんなんだあいつらは。子供を育てる孤児院で子供を売るなんて矛盾している。
今までここを去った子たちは皆売られてしまったんだろうか。
私も売られる? 冗談じゃない。リンナと離れ離れになるなんて考えたくもない!
とにかく売られないようにする。でもどうやって? 私が売られなかったらこの孤児院は潰れる。もし売られればリンナに二度と会えないかもしれない。
私はどうすればいいの?
あんなに可愛い天使に、神が遣わした使者とも言える世界一いや宇宙一可愛い私の妹で将来は私と結婚してそれからあんなことやこんなことをして隅々まであの子のことをたんの――
* * *
「ちょっと待て!」
黙って聞いていた神奈が突然叫び出す。
「あら、なにかしら。まだ途中よ? まだ第一章よ? いくらなんでもやめるのは早いでしょう」
「お前さっきから妹のことしか語ってないよ! なんなんだ、私のことを精神攻撃するのが狙いか!? こんなの聞いてる方が異常に辛くなるからな、悲しさとは別の方向で!」
話の中でヤバいことは二つ。孤児院の経営と、アンナのシスコンぶりである。
あまりの妹狂いにリンナの口元は引きつっていた。
「てか第一章ってなんだよ続くのかそれ!?」
「何を言ってるの? 第五章くらいまではあるのよ。それを聞かずに帰る気?」
神奈は五章まであるのかとげんなりするが、リンナのことを考えて口を開く。
「帰りたいよ正直なところは。でもリンナは連れて帰る」
「そうはさせないわ。しかたないわね、簡潔に纏めるわよ。それならいいでしょ?」
「どうしてそこまでして話したがるんだ。話したがりか。本当に簡潔にしてくれよ? もう嫌だからねあんたの妹語りは」
ため息を吐くとアンナは再び語り始める。
* * *
私はアンナ・フローリア。
ひょんなことから売られた私だったけれど、取引に来た人についていった後。孤児院の方で爆発が起きた。
あそこにはまだリンナがいる。そう思った瞬間、私は駆け出していた。
「おい! どこへ行く、逃げるな!」
「うるさい!」
「なんだと、なまい……」
傍にいた大人を全員氷魔法で凍らせて銅像にして、私は孤児院に駆けた。
待っててリンナ! リンナ! リンナ! ああ私の可愛い女神!
「リンナ! あ……」
そこには子供たちが地面に倒れていた。ピクリとも動かないのはもう……いや生きているはず!
有象無象はどうでもいい。せめて妹だけでも生きていてくれれば、他はどうなっていてもいい。必死に妹だけを捜し続け、ようやく最愛の妹であるリンナを見つけることができた。
「うそ……リンナ、ウソでしょ?」
奇跡的に爆発に巻き込まれてはいなかったようだが、リンナの頭には酷い打撃痕が残っていた。
私がいないことで先生にあたって殴られたのか、それとも全く別の要因なのか。そんなことは些細な問題だ。だってもうリンナは死んでいるのだから。
そう……死んだ、でも体に外傷は頭以外はない。このとき私は蘇生魔法という禁呪のことを思い出していた。
「そうだよ、死んじゃったんなら生き返らせよう。それでまた二人で暮らすんだ!」
だが現実はそう甘くはない。禁呪という魔法の存在は知っていたし、その禁呪が記されていた魔導書がどこかにあるのも知っていた。しかし、やっとの思いで在処まで辿り着いたと思ったが、すでにそこには魔導書はなかった。
何者かに盗まれていたのか。それともやはり存在しないのか。そんなことがあり諦めかけていた私は禁呪を調べていたとき、偶然見つけた資料を思い出す。
資料に載っていた物こそが願い玉である。
願えばどんな願いでも叶う……そんな夢みたいな代物。もはや希望はこれしかなかった。
願い玉を探す傍らで、凍らせた妹の死体から細胞を取り出してクローンを作った。
そのクローンといる間は正気を保っていられた。
妹はあのとき四歳だったので、四歳にまで育ってから偽物の妹と過ごす。……まあ多くは自分がクローンであることを知って壊れたので始末したけれど。
そしてついに私は念願の願い玉を見つけることに成功する。
* * *
アンナはまだ語り続ける。
「それで私はまず本物なのか確かめるために、とある吸血鬼にそれを与えたわ。その次は効果がどれくらいなのか調べるために、あなたの知り合いの隼速人に渡したのよ」
「クローン、ね。それであんたの持っているそれは何に使う気だ? まあ聞かなくても分かってるけど」
「ご想像の通り、私はこれでマイエンジェルを蘇らせるのよ! もう代わりの人形なんていらないわ!」
なんとなく分かっていたが神奈の想像通りであった。
過去を聞けば誰だって目的くらい推測できるだろう。妹を生き返らせるためにそこまでするとは、もはや病的なまでのシスコンである。
「一つ、教えてください……」
リンナは紫光の輪で縛られたままであるが、首から上をアンナに向けて口を開く。
「あら、何かしら偽物」
「ずっとそんなふうに思っていたんですか……? 私……いえ、あの三人も、ここにある全ての命のことを、そんなふうに思っているんですか?」
「そうよ? だって事実じゃない。あなたもあの三人も含め、ここにあるリンナの偽物の命なんて、私とおままごとをするためだけのもの。もっとも、あなたも含め……これまでの子達は全員その役目を全うできないクズだったけどねえ!」
激怒したアンナがリンナを蹴り飛ばした。衝撃で紫光の錠が砕け、何度も床を転がっていくが、神奈が抱きかかえるようにして止める。
受け止められたリンナの顔は苦痛に歪んで、叫ぶのを耐えるように押し殺した喘ぎ声を出していた。
こんなことをされて、あんなことを口にする相手に、誰も怒るなという方が無理な話だ。
「ふざけんなよ、クズはお前だああ! お前が生み出した命だろ。だったら最後まで、偽物とか本物とか関係なく接してやれよ! それができないのなら、そんなことのために命を生み出すな! 勝手に道具にして、命を……弄ぶなよ!」
「知らないわねそんなこと。道具は道具、それ以上でもそれ以下でもない。私にとってリンナは、妹は、価値ある命はあの子だけなのよ……!」
命を粗末にするのはいけないことだ。自分で生み出したからといって、その命をどうしてもいいわけではない。アンナにとってはそうやって生み出した命を、命とも思わずに道具として扱っている。
決してあってはいけないことのはずなのに、アンナはリンナ達と仲良くするべきなのに、もう精神が捻じれ曲がっている。とっくに手遅れで、アンナは本当の妹以外を命としてすら見ていない。
「……くだらん話をしているな」
温度差が違いすぎる冷めた声が神奈達に届く。
開いたままの入口から聞こえたので、神奈が振り返ってみれば無傷の速人が立っていた。
自分の発言をくだらない言葉扱いされたことに神奈は腹を立てる。叫んだりはしないが、苛つきから端正な顔を歪める。
「隼さん……」
「隼速人……ふっ、くだらない? 確かにそうね、議論の余地などないわ」
「ああその通りだ、話すことなど何もない。道具だろうが人間だろうが何も変わらない。その女はその女だ、他の何者でもない」
速人の言葉を聞き、アンナは意見を認めていると判断し、神奈は否定していると判断して薄く笑みを浮かべる。
道具でも人間でも変わらない。リンナが偽者の妹だろうと関係ない。
リンナ・フローリアはリンナ・フローリア本人に他ならないのだから。
「お前……いいこと言うじゃんか」
感心したような神奈には目もくれず、速人はその腕に抱かれるリンナを一瞥する。
「さて、約束通り遊びに来てやったぞ。もっとも場所も遊び相手も違くなりそうだがな」
「……ダメ、逃げてください。アンナを相手に私達では……勝てない」
「黙れ、あの女には借りがある。借りは返すものだ」
敵であるアンナを見据えて速人は告げる。
強気な発言を耳にしてアンナは速人を嗤う。
「ふっ、ふふ、借りを返すねぇ? 忘れたの? あなたが私に手も足も出なかったのを」
「貴様こそ忘れたのか? あの願い玉とやらのせいで俺が大幅にパワーアップしているのを」
二人はお互いを嗤い、睨み、瞬時にその場から掻き消えた。
一瞬にして部屋の中央にて拳をぶつけ合う。衝撃波の強風が部屋全体に吹き荒れ、二人がいた場所の床が大きく抉れる。硬いコンクリートのような石材が砕けて、塵となって吹き飛ぶ。
「勝手におっぱじめやがった……!」
力が拮抗しているのを感じた速人は右拳を引き、同時に左手で腰にある刀を抜いて振りかぶる。
相手の力が抜かれたことで体勢を崩すアンナは迫る刃物を察知。冷静に側転することで刀を躱し、軽々と半回転したところで速人を蹴り飛ばす。
床を抉りながら速人は後退する。そして後ろに下がるのを止めようと踏ん張りながら、腰の右側にある小さなポーチを開け、中から五枚の手裏剣を連続投擲する。それは一回転して着地したアンナに襲い掛かっていく。
アンナは急いで体を傾けようとするが、手裏剣は思ったよりも鋭く速かった。避けることは諦め、左手に自分の顔ほどの球体の魔力弾を作り上げ、一番目に投げられた手裏剣を順に見極めて、魔力弾を左手に維持したまま盾として防御した。
手裏剣は魔力弾によって弾かれ、全て勢いよく床に刺さる。
そして防御に使った魔力弾を、今度は攻撃に転用して投げつける。
音を超えて迫る魔力弾を速人は視認すると、目を見開き、左手の刀で斬りかかる。
魔力というエネルギーは並の物質よりも強い。ただの鉄など軽く凌駕しており、速人の振るった刀を弾いて真っ直ぐ直撃した。ようやく先程の蹴りでの後退から止まれたというのに、次は魔力弾によって壁に激突する。
壁に大きく放射状の亀裂が走り、鉄球でもぶつけたかのような音が響く。
「隼さん……!」
このままでは速人が殺される。リンナがそう思って神奈の腕から離れ、立ち上がって速人の元に向かおうとするが神奈に腕を掴まれる。思わず止まってしまったリンナはなぜという困惑を抱いて振り返る。
「心配ないよ、あの程度じゃやられない。あいつが何回私の攻撃を喰らってると思ってるんだ」
止めた神奈は特に速人を心配していない。それはこの程度で負けないことを知っているからだ。
期待通りというべきか、速人は大した傷もなく歩き出す。表情で少し痛みを訴えているが、まだ耐えられるレベルである。
ほとんど堪えていない速人を見てアンナは小さく舌打ちすると、先程と同じように左手に魔力弾を生み出し、一つをシャボン玉のように空中に放ち、もう一度生み出す。連続で生成された魔力弾は全てで八個。アンナの左手が軽く前に振られると、その全てが一斉に速人へと向かっていく。
しかし大した抵抗もなしに、自然な歩行で速人は近付いていく。
当然の如く魔力弾は全弾が躱せないまでの距離にまで近付き、アンナの左手が握られるのを合図に爆発する。八個全てが連動して爆発したことで爆炎と白煙がその場を包み、熱風が部屋全体に行き渡る。
それを見てリンナは顔面蒼白になり神奈の方を見ると、神奈は引きつった笑みを浮かべていた。
「……だ、大丈夫かなぁ」
「……え」
まさかと思いリンナは勢いよく爆発した場所に視線を戻す。
爆発により発生した煙が晴れていくと神奈達の目は見開かれた。凄まじい爆発痕に速人の姿が――ない。
「どこに……!」
「残像だ」
アンナは背後から底冷えするような声が聞こえた。
死の気配と予感。何もしなければ確実に死ぬと理解する。
「カスが、簡単な手に引っ掛かりやがって。終わりだ」
刀を振りかぶった速人は躊躇なくアンナの背中に振り下ろす。
この一撃で終わる――はずだった。
速人は刀を振り下ろそうとした体勢で止まっていた。
「なにしてんだよあいつは……!」
「まさかあれは……」
――正確には速人の体は動いていた。ゆっくりと、ゆっくりと、スローモーション映像のように。
腕輪はその現象に心当たりがあり正体もすぐに分かった。
「驚いたわ、まさかここまで強くなっているとはね。願い玉だけの力じゃない、あなた自身が努力して手に入れた強さ。認めてあげる……でもね、勝つのは私よ」
振り返ったアンナがゆっくり歩いて刀の軌道から逸れていく。
まだ完全に振り下ろすまで半分もいっていない。速人からはアンナが超高速移動しているように見えており、慌てて刀を戻そうとするも体の動きが遅すぎる。
隣に移動したアンナが魔力弾を右手に生成し、思いっきり速人を殴りつけた。防御もできず、受け身もとれず、速人は勢いよく床を転がる。
「神奈さん、あれは固有魔法です」
「固有魔法って、リンナみたいな?」
「はい、通常の魔法よりも強力な個人専用魔法。おそらくあれは他人の行動を遅らせる力です」
通常、人間は脳から電気信号を各部位に送って体を動かしている。何かを見たり聞いたりしたときも、脳に情報が伝わって景色や音が理解できるのだ。アンナの固有魔法はその認識を遅らせる。もっと簡単に表現するならば、一人だけが遅い時間を生きている。
何をするのも、何を理解するのも遅れ、周囲が超高速で動いているように感じてしまうのだ。
「さあ、次はあなた達の番よ」
神奈達の方を向いて告げるアンナに、神奈は笑みを浮かべる。
「いいや、まだみたいだぞ。そいつはしつこいから気をつけな……経験談だから」
神奈が指をさす方向では、速人が立ち上がろうとしていた。
無防備に攻撃を受けてしまったことでダメージは大きいが、痛みに耐えて立ち上がる。
「なるほど、でもこれで終わりね」
アンナがサッカーボールくらいの魔力弾を一つ放つ。直撃を受けてしまえば戦闘不能になるだろう。
なんとしても喰らうわけにはいかない。速人は左手に力を込め、握っている刀を振りかぶる。――だがそこでまた動きが遅くなる。
音を置き去りにする魔力弾は速人にすぐ到達する。
彼の顔面に直撃して首が折れ曲がる――はずだった。
忽然と速人の姿が消え、代わりに手裏剣が現れる。手裏剣に魔力弾が直撃して高速で壁に刺さる。
アンナは再び目を見開く。速人から目は離していない、本当にいきなり彼が手裏剣に変わる場面がしか見えていない。
「――身代わりの術」
だから理解できなかった。戦っていた相手が瞬間移動したかのように背後にいるということを。
単純な話、速人はアンナの足元に刺さっていた手裏剣と入れ替わったのだ。それを技術と呼ぶにはあまりにも異質で、もはや魔法の域である。
「今度こそ終わりだな」
固有魔法は通常魔法と違い、これといった欠点はない。しかし弱点はある。アンナの場合、相手がどこにいるかを認識していなければ使えないというものだ。
本来の速さを取り戻した速人は刀でアンナの背中を薙ぎ払う。
黒いローブと肉体が裂かれ血が噴き出す。
アンナは「がっ!?」と小さく喘ぐと、二歩程度前に歩き、前のめりに倒れた。
もう戦闘不能になったアンナを確認すると速人は刀を鞘に収める。赤い水たまりが広がっていくのを一瞥し、神奈達の方に歩いて行く。
「ずいぶん苦戦したな」
「……わけがわからん技に翻弄されただけだ。小手先の技抜きの実力では俺の方が上だった」
歩いてきた速人を神奈は真顔で出迎える。
勝利が嬉しくないわけではない。ただ、あの傷では治療しなければ死ぬだろう。本当に殺さなければいけなかったのかと、神奈は疑問に思う。
少なくとも神奈が戦っていれば、一撃で気絶させるくらいわけないこと。その場合、力加減を間違えて殺してしまう可能性には目を瞑らなければいけないが。
「アンナ……」
倒れ伏すアンナを見て、リンナは悲し気な表情になる。
本性を現す前――いやまだ優しく接していたときも本性だったのだろう。どれだけ偽物、紛い物、失敗作だと言われようと、良い姉であったときのことは覚えている。たとえ本物の妹を重ねて接していただけだとしても、記憶が最低限のクローン達はどれだけ救われたか。
このまま日常を過ごせれば幸せだと、リンナは過去どれだけ思っていたか。
現在の結末は本当に最善のものかどうか。彼女にはどうにも他の方法があったのではと納得できないでいた。
「お姉ちゃん、本当にこれでよかったの……?」
「くっ……いいに、決まってるじゃない……!」
苦し気な声を聞いた神奈達はアンナに視線を移す。
アンナは倒れていながらも、ローブの右袖から、ゆっくり小さな青い球体を取り出していた。
「さあ、願い玉よ……」
力なく倒れて赤い液体に浸りながら、アンナは掠れているが祈るような声を絞り出す。
「私の……ラブリーな妹、リンナを……蘇らせ……なさい」
願い玉は光ることなく、十秒が経過する。
祈るような願いは肝心の物に届かなかった。その場にいる全員がどういうことかと困惑する。
願い玉は生命の願いを叶えてくれる代物のはずで、実際に体験した速人が一番分かっている。神奈も吸血鬼が使用するのを見ているので、なぜ何も反応しないのか疑問に思う。
「どうなってるんだこれ? もしかしてあれって偽物なんじゃ……」
そのとき、腕輪から静かに真実が語られた。
「……説明しましょう。簡潔に言うと人は、というか生物は蘇りません。それは何故か、魂がもう既に新たな肉体に癒着してしまっているからです」
その説明で神奈が思い出すのは転生の間である。
『生命はその命が尽きれば、体から宿っていた魂が抜けてこの場所へと引き寄せられる。そしてこの空間の入り口で魂に刻み込まれた想いを消去し、出口から現世に戻り、新たな体へと宿る。世界中の生命はこのようにして循環しているのだ』
老人が言っていた言葉。普通は死者の魂は別の体に宿る。神奈のような強い未練なら記憶を持って転生。もっと強ければ幽霊として地上に残る。それも本当かどうか怪しいと以前思ったが、少なくとも魂の循環システムについては納得している。
「つまり蘇生させようとしても、その生物を形作る根源の魂がもう新たに生まれ変わってしまっているので、元の肉体には帰ることができず、蘇生は失敗するということです。所詮は人が作った道具、神が定めたこの法則には通じません」
正しいかどうかも分からない説明はアンナの耳にも届いた。
瞳が揺れ、涙が零れる。赤い血だまりに雫が落ち、すぐに赤に呑まれていく。
「……なるほどな、まあとにかく願い玉を取り上げとこう」
神奈は願い玉を回収するべく、アンナのもとに歩いていく。
これで願い玉の事件も終わりだ。そう思い近づいていくと、アンナが小声で何かを呟いているのが聞こえてくる。
覇気もなく、声が掠れているせいで神奈には聞き取れない。
「……み……ない……と……めな……い」
まだ大事そうに願い玉を握っているアンナを神奈は見下ろす。
死を悲しむのがダメであるとは思わない、誰だって誰かが死ぬのは悲しいからだ。それでもやってはダメなことの境界線がある。アンナはその一線を越えてしまっている。しかし神奈も、誰かを蘇らせたいという気持ちを完全には否定できない。過去、そう思っていた時期があったからだろう。
それでも悲しんでから立ち直り、忘れはしないが日々を生きていく。それが正しい死との付き合い方だと神奈は思う。もっとも、そんなことを思えるのは今だからで、前世では立ち直ってなどいなかった。
「こんな……世界、なんて……消え、て、しまえ……ば、いい」
妹がアンナにとって全てだった。世界そのものだった。
生きる意味を失ったなら、この世界などもう必要ない。アンナにとって悲しいことしかないこの世界は壊したいほど憎いものになっていた。
強い願いを感知して、願い玉はようやく青白い光を放ち始める。




