94 発熱――インフレ――
ギャグ寄りのシリアス、それはつまりシリアス寄りのギャグ。
どちらが正しいのか、正解は誰にも分からず個々の考えを口にしているだけである。
腕輪「うーん……それどっちでもよくないですかね?」
メイジ学院が休校になり毎日暇に過ごしていた神奈は、お気に入りの店であるマインドピースという喫茶店に入り浸っていた。以前この場所で親友から牛乳をぶっかけられる事件があったが、それを気にしていられないくらい暇だったのだ。
オレンジジュースを頼み、いつも通りレイが運んでくるのを待つが、その日運んできたのは流星の如き速度で配膳する阿呆ではない。
灰色のマフラーを巻いた細身の男、ディストである。
「あれ、レイは?」
「あいつなら熱を出してしまってな、今日は大事を取って休んでいる」
「大丈夫なのか?」
「熱を出してるんだから大丈夫なわけないだろう?」
「……そりゃそうだけども」
レイは奥にある控室で休んでいるというので、神奈も控室にお邪魔させてもらう。
本来なら従業員以外立ち入ることが出来ないが、そこはディストが融通を利かせて店長を説得した。熱を出している親友に見舞客が来たと告げれば即オーケーである。
控室に神奈が入ってみると、ソファーに横たわっている一人の少年を発見。
レイは顔がうっすら赤く染まり、息遣いも荒い。分かりきっているが熱を出している症状である。
「意識あるか?」
「ぐっ……神奈かい? ああ、今は少しだけ苦しいかな。気持ち悪くて吐き気がして眩暈がして全身の骨が軋むように痛い程度だよ」
「それは少しじゃなくない!?」
「大声を出すな」
神奈は飛んできた注意で口を押える。
控室に入ってきたウェイトレス衣装を身に纏う青髪の少年、グラヴィー。
彼がレイの瞼を指で広げて眼球を確認すると、赤く充血した目は視点が定まらないのか泳いでいる。続いて体に手を当て臓器に異常がないか確認する。ついでに口の中も確認した彼は、レイの症状に心当たりがあるようで口を開く。
「――インフレだ」
「インフルか、この時期流行り始めるからな」
「インフル? 違う、インフレだ」
「インフ……レ?」
インフルエンザなら馴染みがある神奈だが、インフレは聞いたことがない。正確にはインフレーションという言葉の略だとは知ってはいる。だがそれが病気とは関係ない言葉。まだグラヴィーが間違えたと言われた方が納得しやすい。
知らない神奈にグラヴィーは説明を始める。
「インフレはインフレーションパッションの略だ」
「最後の言葉消えてるじゃん!」
「インフレは最初は普通の風邪と同じ症状だが、一度出た熱は治まらず次第に上がっていく。上がり続ければ当然その熱に耐えきれなくなり死んでしまう。宇宙中で危険な病気として知れ渡っているこの病気を知らんとはな」
死ぬという言葉が出てきて神奈は内心穏やかではなくなる。
「それ、治す方法はあるんだよな」
「……あるにはある」
その言葉にホッとするが、神奈はグラヴィーの雰囲気におかしなものを感じていた。
「治す方法はたった一つ。インフレ菌最大の敵ともいえるコロナという成分を含んでいるコロナ草だ。それを煮詰めた汁を飲ませればこの病気はすぐ治る……のだが、コロナ草がある場所が問題だ。コロナ草は惑星コロンにしか生えていないために貴重な薬草。今から取引しようにも間に合わない」
「そんな、じゃあそのコロンってとこに直接行こう」
「あると思うか? いかに現地とはいえ、貴重な薬草がある可能性は低い。この時期なら市場に流してしまっているだろう」
「それを買うには?」
「金がない。僕達は今地球に住んでいるから、他の惑星の通貨など……この国で言うなら百円程度の通貨しか持っていない。コロナ草は高価な薬草、一つ百万円はすると考えていい」
絶望的な現状が理解できてしまった神奈は必死に頭を回転させる。
「……やっぱり直接そのコロンって星に行こう」
出た結論は一つしかない。
「さっき言っただろう、今の時期にはもう……」
「これしか方法がない。それにそのコロンって場所に何で一つもないなんて言える。恐らく原住民だってその病気は怖いはず、いくつか自分達用にとっといているはずだ」
「なるほど、だが自分達用にとっているものを譲ってくれると?」
もちろん穴はある。グラヴィーの疑問がまさにその穴だ。
グラヴィーも詳しくないようなので、その惑星コロンという場所の生命体が病気にならないような種族の可能性もある。病気とは無縁のコロン人がいたら親切に譲ってくれるかもしれない。
都合がいい妄想に過ぎないが希望は抱ける。しかし高確率で妄想に終わる。
自分が死の病気にかかるリスクを負ってまで、よく知らない神奈達に渡してくれる可能性などゼロに近いだろう。そこはもうコロン人の優しさを信じるしかない。
「……そこはなんとか気合で頑張る」
「はぁ、まあ方法がそれしかない以上そうするしかないか。分かった、これから至急コロンに行く」
「待ってくれ……」
レイが手を伸ばして抗議の声をあげた。
「いいんだ、無茶をしなくても……僕は君達に、危ないことをしてほしくない……!」
辛そうな声に神奈達はレイを見やる。
「友達のためなら無茶だろうがやる」
「……まあ、そういうことだレイ。大人しく寝ているんだな」
静かに「君達は……」と呟き、レイは瞼をゆっくり閉じた。
止める者も寝てしまったので神奈は「よし行こう」と言って歩き出す。その発言に部屋を出ていこうとしたグラヴィーは動きを止める。
「どうした?」
「別にお前まで来る必要はないだろう」
「私だって心配なんだよ、レイは親友だからな」
少しお互いが視線を交わしてグラヴィーが折れる。
「まあいいだろう、命の保障はしないがな」
「上等だよ」
神奈達は山にある宇宙船の元へ向かう。
放置されている宇宙船だが、一応トルバ人三人の誰かが当番制で二週間に一回のみ掃除を行っている。汚れはあまりなく清潔さが保たれて、設備も生活に必要なものが揃っているため、旅をするのに使うのは問題ない。
グラヴィーは宇宙船の機能を確認して起動させる。
操作があまり慣れない手つきなのを見て神奈は不安な気持ちになった。
「なあ、お前宇宙船操縦したことあるの?」
「この船は一回だけだ」
「おいおい大丈夫かよ……」
「心配ない……ここがこうで、こっちが……あれ?」
「超心配!」
宇宙船は徐々に飛び立ち、途中変な方向に行きそうになったが無事宇宙に出ることが出来た。自分が今まで滞在していた青い星を見て、神奈は現状を気にしつつも一種の感動を覚える。
「あそこに私達はいたんだな」
「そうだな、どうでもいいだろう」
「……少しは空気読んでくれよ」
グラヴィーが感動など覚えない理由は分かる。
他惑星に行くのは彼にとって特別なことではない。幼い頃から宇宙に出ているため、既に自分がいた惑星の景色など見飽きたのだろう。
神奈は一気に熱が冷めて、煌めく星々を高速で過ぎていく風景を見ていた。
「……凄いな」
正面を見続けているグラヴィーが「何がだ」と返す。
「地球の科学力じゃこんなの作るのどんだけかかるか分からないし、やっぱりこれは貴重な体験だと思わせてくれるよ」
「ふん、地球は食べ物は美味しいが他の進歩が遅いな。ああ、でもアニメや漫画などはいいものだ」
「小説もいいですよ!?」
いきなり神奈の右腕につけている腕輪から声が発される。
「うわっ腕輪いたのか?」
「いました、というか神奈さんずっと付けてましたよね!?」
宇宙船の操縦は自動操縦になっており目的地には自動で向かっている。
流れる星々は綺麗だが、さすがに同じような光景を見ていると飽きてきた。神奈とグラヴィーは二人でトランプをしたりして暇を潰す。
「そういえば惑星コロンまでどれくらいかかるんだ?」
「コロンまではおよそ九時間というところか」
「わりと近いんだな?」
「この宇宙船は速さ重視の高速型だからな。まあ最新の宇宙船ならもっと速いものもあるんだろうが」
グラヴィーがそんなことを言った時、宇宙船内に警報音が鳴り響く。
突然部屋が真紅の光の照らされて、鳴り響いている警報に神奈達は何事かと困惑し、急ぎ原因を確認する。
神奈達が前方の景色を見ると、遠くから何かが飛来していた。
「……あれは」
「え、まさかあれに衝突するとか言わないよな?」
「その、まさかだ」
迫っている物体は宇宙船と同程度の大きさを持つ――隕石。
「いや嘘だろ、こんなところで死ぬのか! あ、そうだグラヴィー、この船に隕石を砕く砲撃みたいなのが出来る装備はないのかよ!? ほら波動砲とかあるだろ!?」
宇宙戦艦なら隕石だろうが太陽の熱だろうが問題なかっただろう。
宇宙を移動するのならデブリ対策もあるはずだがグラヴィーは悩んでいる。
「……どうだったかな」
「思い出せよ! つか忘れるなよ! お前この船乗ってたんだろ!?」
「ぐっ、操縦も異常事態も全てレイやディストに任せていた! 僕は知らん!」
「ふざけんな!」
目の前に迫る非常事態に神奈の心は穏やかではなくなる。
グラヴィーも事態をどうにかしようとボタンを押しまくるが、それは神奈が止めた。隕石が衝突する前に船が壊れては意味がない。
「こうなれば神奈さん、一つ方法があります」
「はい? お前の思いつく方法?」
「露骨に嫌そうな顔しないでくださいよ……」
腕輪が思いついたと知ると神奈は顔を歪めるが、他に方法もないので聞くことにする。
「神奈さんが隕石を壊せばいいんですよ!」
「ああなるほど……ってバカか!」
「いやそれしかない頼んだぞ」
「お前ディストと代わってこいよ! ああもう行ってやるよおおお!」
神奈はヤケになりつつ宇宙船のハッチを開けて、真っ暗な宇宙空間に飛び出した。
息が出来ず、苦しそうに口を押える。普通ならそれだけで済まないが神奈には神の加護があり、環境を無効化する神奈にとって問題は酸素だけである。
「神奈さん! 酸素生成魔法〈オキシド〉です!」
「……!」
左手を口元に当て「〈オキシド〉」と唱えた神奈は、なんとか魔法で酸素を吸収しつつ「〈フライ〉」で隕石の方に向かっていく。
(どうしてこうなった……もういい、この怒りをぶつける!)
神奈が迫る隕石に拳を放つと、隕石は亀裂が入り砕け散った。




