92 超化――超・神速閃――
青紫の魔力が影野から速人の剣に伝わっていく。
その剣は淡い光を宿し、速人もそれが何かしらの援護だと気付く。
「神谷さんを狙う君は好きじゃないけどね……しかしまあ、ここで協力しなきゃ、もうあの場所には入れないんでね!」
「チッ、余計なことを……」
速人は再び剣を振ると先程よりも容易く死肉を斬り裂けた。それを見てニヤリと口元を歪める。
黒虎の頭部から周囲を見下ろしていた葵が振り向いて速人を見つけた。
「いた、こんなところに」
「女……今からこの醜い身体を切り刻んでやる、ありがたく思え」
「あなた如きの剣ではいくら魔力を集めようと無駄よ」
速人はまた走り始めた。
刀を背に突き刺したまま、しっかりと持ちながら走っているため通った場所は切り裂かれていく。しかし斬ったはずの背はすぐに元に戻っていく。速人はそれを見て舌打ちして、一旦背から降りる。
葵はそんな速人に危機感を覚えていなかった。実力も神奈より下だし自分には勝てない、どうすることも出来ないと思っていた。
「チッ、仕方がないな」
「ようやく諦めたのね」
「何を言っている? ふっ、この技は神谷神奈に使いたかったが仕方ない。お前に見せてやろう……〈神速閃〉を超えた〈真・神速閃〉、更にそれを超えた……〈超・神速閃〉をな!」
速人はそう言うと再び走り出した。
その速度は先程と一緒で何も変わらないと誰もが思った――次の瞬間、その足が赤紫色に光り始めると急激に速度が増す。
「あ、あれは……!」
神奈にはそれに見覚えがある。
かつて戦ったこともある親友、レイの魔技――〈流星脚〉だ。
* * *
速人がディストを特訓の相手としてもう数年。
既に速人はディストを上回る実力を身に着けていた。もしディストが本気になり、魔技を使用したとすれば勝敗は分からないが確かに強くなっていた。
「お前との特訓ももはや無意味、今日で終了だ」
「……どうやらそのようだな」
宇宙船が留まっている山のふもとで二人は向かい合っている。
ディストは特訓していたなかで理解した速人の異常性について考える。
(この男、成長の底が見えない……もしかしてこのまま強くなり続けたら神谷神奈に善戦くらい出来るんじゃないのか)
「おい、お前より強い奴はいないのか」
もう帰ろうとしたディストにそう訊ねる速人。
ディストには自分より強い奴というのが何人か思い浮かぶ。
神奈は論外。倒すべき相手と特訓するのはいいが速人の性格上一笑に付すだろう。エクエスはすでに死亡している。他にいるとすればレイくらいなものだが、今や喫茶店の店員として多忙の日々を送っている。
「おいどうした、いるのかいないのかどっちだ」
「いるが、そいつは忙しい。修行など付き合ってくれるか分からんぞ」
「それならその気にさせればいいだけだ、案内しろ」
そう言うならと、ディストはアルバイト先であるマインドピースに案内した。
そして心当たりであるレイに、速人の特訓を手伝ってくれないかどうか訊ねるが……当然の如く一蹴。
「そんなものに付き合ってる暇はないよ。ディスト……僕は一刻も早くマスターの教えを覚え、実践し、経験を積まなきゃいけないんだ。第一もう敵も現れていない、君もこの喫茶店で己の技を磨いたらどうだい?」
「喫茶店で……か。すまなかったな時間を取らせて」
「別に構わないさ。でも君もそろそろ接客してきてくれ」
ただの店員であったことに落胆しつつ、時間の無駄だったとばかりに速人は立ち去ろうとするが、店から出る前にレイの技を目にしてしまう。
まるで流星の如き速度で動き出し――配膳していた。
やっていることはともかく、自身を凌駕するスピードに速人は驚愕しながら席に戻る。
(な、なんだあの速度は……! 明らかに俺より速かった……あれだ! あれこそ俺が求めていた速さ、あれさえマスターすれば神谷神奈にも勝てる!)
席に戻ってから速人はレイの技を観察する。
「〈流星配膳〉」
観察し続けても技の原理がよく分からなかった……それでも諦めずに観察し続けた。
「おい貴様、何も頼まないなら帰れ」
「チッ、なら珈琲を持ってこい。俺の邪魔をするな」
途中グラヴィーが営業妨害だから帰れと言い放ったが、適当に注文することでそれを逃れる。
翌日もそのまた翌日も、毎日毎日マインドピースで観察し続けた。
「おい貴様、何も頼まないのなら――」
「珈琲だ」
翌日。
「おい、何も」
「珈琲」
翌日。
「……また珈琲か」
「そうだ、消えろ」
さすがに同じものしか頼まなければ覚える。速人も一応注文するのでグラヴィーは怒るに怒れない。
「こんな感じで……違うな、エネルギーをこう」
家に帰ってからも、速人はレイの使った技を普段の特訓に加えて覚えようとした。
そしてついに――試行錯誤の末に習得したのである。
「くく、これで完成だ。神谷神奈をこれで斬る!」
* * *
「――〈超・神速閃〉!」
それは唐突に始動する。
赤紫色に足が光った瞬間に、流星の如き速度で速人が駆け巡る。
「なっ、見失った!?」
〈流星脚〉を応用したその速度は通常より数段速い。
よって葵は急に速くなった速人を見失う。
視界も黒虎の図体がでかいため死角が増えているのが問題になっている。せっかく捉えてもまたすぐに見失ってしまう。
「ど、どこに……!」
「ノロマめ、終わりだ」
速人は凄まじい速度で黒虎の四肢を切り刻み、完全に切断した。
四肢が斬られた瞬間、胴体は支えを失って地面に落ちていく。
「なっ、見失った一瞬で手足を切断!? これじゃ再生に時間が……!」
「終わりだっぐっ……チッ、やはりまだ慣れないか」
速人の脚は出した速度に耐えることが出来ず、筋肉が悲鳴を上げている。
もう一度〈超・神速閃〉を出そうとするも膝をついてしまうのがその証拠。もしすぐに動けば筋肉が裂けてしまう可能性もあるだろう。強力な技に体が追いついていない。
葵はそれを好機だと思っているが、手足が切断されたため再生はすぐに終わらない。
そして、その好機を神奈は見逃さない。〈超魔激烈拳〉発動一歩手前の状態で黒虎の喉元に迫る。
葵が気付いたときにはすでに神奈の間合いに入っている。
「〈超魔激烈拳〉!」
黒虎の鼻から上は残し、それ以外は神奈の一撃のあまりの威力に再生すら出来ずに消滅した。
葵を生やした頭部は空中から一気に落ちてくる。
魔力をほとんど消費した神奈は立っていることもできず地面に倒れてしまう。しかしここから先に神奈の出番はない。
「神谷神奈、人の獲物を横取りしやがって!」
「悪かったって。さて真っ黒なでっかい引き篭もり部屋は壊した。二人共……頼んだぞ」
葵が生えている黒い塊は地面を転がって行き、やがて止まった。
なんとか態勢を立て直そうとするが葵だが、すでに偽りの体は消滅しているので何もすることは出来ない。そんな葵の目前に影野と日野が歩み寄る。
「ぐっ、あなた達……!」
「やろう、日野君」
「ああ、気にくわねえが坂下との約束もある。引っ張り出すぞ」
二人は葵の右手と左手をそれぞれ持ち、後ろに引っ張る。
運動会の綱引きかのように必死に、葵の腕が千切れるのでないかというくらいに拮抗した。全裸ということに戸惑ったり興奮している場合ではないため、そこには誰もつっこまない。
「や、止めなさい! せっかく力がある最高の体になれたのに、私はこのままがいい、この力を望んでいたのに!」
「はっ、最高の体だあ? 元の姿の方が何万倍もマシだっての!」
「うんうん、それに神谷さんが出ることを望んでる! 君に拒否権はないんだ!」
二人はありったけの力で引っ張る。
葵の体は膝下程まで出ているがあと少し――力が足りない。
「だ、ダメなのか……!」
「うるせえ! 神谷テメエもこっちこいよ!」
「無理だ、魔力を使い果たした今じゃろくに力が入らない……!」
「そうだ神谷さんに無理をさせるんじゃない! なんとか俺達の力で引っ張り出すんだ!」
技の反動さえなければ神奈も速人も手伝いに行っている。
ただ助けを求めてしまうくらいに二人の力は、ほとんど力が入らない葵の黒い塊に戻ろうとする力に一歩及ばない。徐々に葵の体が戻っていってしまう。
「じゃあ隼テメエは!」
「……無理に動けば膝が壊れそうだ、しばらく動けん」
「隼君の体なんてどうでもいい! そんなことより来てくれ!」
「何がどうでもいいだ貴様死にたいのか!」
二人はもう限界まで力を入れている。これ以上のパワーを絞り出すというのは奇跡でも起きない限り不可能だ。
「くっそおお二人じゃ無理だ! このクソ女が、わざわざ気持ち悪い物体に入り込みやがってえええ!」
「神谷さん……ごめん」
「私の勝ちよ、体を再生させてあなた達を今度こそ捻り潰して――」
抵抗する葵の視界に信じられないものが映る。
引っ張っている二人の背後から走ってくる者は、神奈が目を見開いて登場に驚愕する者は、急に二人の間に割って入った腕の主は――
「なら、三人で引っ張ろう!」
――重傷を負っていたはずの坂下勇気であった。
「坂下!? テメエなんで!?」
「君、怪我は!」
「説明は後だよ! とりあえず、南野さんをそこから出そう!」
状況を思い出して二人は坂下と一緒に葵を引っ張り出す。
三人の力ならば、もう力がほとんど失われている葵にも僅かに勝てる。動揺して一瞬硬直したこともあり、葵は力及ばず黒い塊から引っ張り上げられた。




