84 三人目――全員集合――
路地裏で一悶着あってから神奈と日野は一緒に歩き出す。
散々殴られた神奈だが、日野からは本気の拒絶の想いを感じなかった。ただ苦しいという想いしか伝わってこなかった。だからこそ神奈は日野が自覚するまで我慢し続けたのだ。
嘘の判別が可能ということは日野の父親に聞いている。
もし何も知らなければ、神奈とて虚言を用いて説得しようとしたかもしれない。相手に都合のいいことを吹き込んでやる気にさせる詐欺師の手法。手っ取り早くやる気を出させるには、飴を与えるのが一番早い。
しかし日野は嘘が分かる。
虚言を吐こうものなら、学院へ登校させるなど夢のまた夢だ。そもそも神奈が現場に行ったときには死体が転がっていて、もう不登校がどうのこうのと言えるような状況ではなかった。まさか殺人現場に向かっていたなどとは夢にも思わない。
まずやるべきは状況把握。
日野は「自分がやった」と宣言していたが、それは神奈にも嘘であるとバレバレであった。嘘を吐き慣れていない日野は、嘘を吐くという行為にどうしても不快感を覚えており、あからさまな嫌悪がひしひしと伝わる。何かの事故であると神奈は悟る。
どうして殺したのかはこの際神奈にはどうでもいいことだ。
大事なのは動機の追求よりも事態の収拾。殺人という行いをした一般人がどうなるのか、想像するまでもなく精神的なダメージは計り知れない。
精神的ダメージを快楽に変えるか、それともそのまま押し潰されるか。
極端に表せば二択。どちらになってしまったとしても見捨てる気はなかった。
日野の言葉は、全て遠ざたい気持ちから出ている発言だと神奈は推測している。
そこで一応本音である言葉をぶつけた。もちろん本音であるのだが、少々嘘判別対策をしていたのは秘密だ。
どうして固執するのかという問いに対し、神奈は「大切なクラスメイト」と告げたが、本当は「魔法を教わるのに必要だから大切なクラスメイト」が正しい。
嘘の判別は実際に口にされた言葉だけに適用される。
それなら嘘にならないよう口にする言葉を選べばいい。
卑怯なようだがいい手である。もちろんバレたらもう話すら聞かないだろうし、リスクが高すぎる手ではあるが、神奈は直感で一番いい手であると判断した。
「しかし、お前頑丈だな。あんだけ殴っちまったのに平気そうだし……」
確かに神奈は何百発も殴られたが、一発一発のダメージはほぼない。少し頬が赤く腫れてしまっているのは何百発も喰らったからだ、さすがにそんなに殴られたら誰でも赤くなる。
もちろん耐えられると思ったから耐えただけであり、神奈は断じてマゾヒストではない。日野がもし、同等とまでいかずともそれなりに近い実力だった場合、容赦なく物理説得としてぶん殴っていた。
「そうだ、俺をぶん殴ってくれ」
どう思考してもその発言は日野がマゾヒストにしか思えない。
「……マゾか?」
「ちげえよ! あんだけ殴ったんだ、ケジメ必要だろうが」
「言ったろ、私は反撃しない」
「それじゃ気が済まないんだよ!」
「心配いらないって、もうじき来るはずだから」
神奈の言葉が理解できない日野は「来る?」と首を傾げる。
なんのことかと疑問を持つ日野が何かを問う前に、前方から「神奈ちゃん!」と元気のいい笑里が走ってくる。その後ろには才華もしっかりついて来ている。
「あいつら確か……」
「覚悟しとけよ。笑里の一撃は効くぞ」
心優しい二人が、厄介事に首を突っ込むと分かって何もしないわけがない。心配して後を追うに決まっている。
少々赤い神奈の顔を見て、隣にいる日野に殴られたことを察すると、笑里は小刻みに体を震わせて空手でいう息吹をし始める。
いきなりの状況に、日野は置いてけぼりをくらっていた。
息吹なんてする笑里はまるで攻撃前に呼吸を整えているようで――。
「神奈ちゃんに何したの!」
――実際、その通りであった。
怒る笑里は日野を殴る。あまりの速度に反応できず、あまりの威力に「ぐべっ!?」と情けない悲鳴を出して日野は吹き飛んでいく。
「言ったろ、私は反撃しないってな」
嘘は言ってない。神奈の友達が勝手に反撃しただけである。
「才華、警察を呼んでくれ。この奥には――」
事情を全て説明された才華は警察に電話する。
裏路地の殺人事件。もちろん日野が逮捕されては意味がないので、なるべく日野への疑いがかからないようにするつもりであった。しかし警察への通報も、日野への配慮も全て必要ないものだった。
――パトカーのサイレンが徐々に近付いてくる。
思わず神奈と才華は目を丸くした。まだ通報途中なのに聞こえてきたのだから驚く。まだ殴っている笑里も、殴られている日野も動きが止まる。
少しして警察が到着した。
神奈達が話を訊けば、すでに通報されているとだけ返される。その通報した人間に心当たりがあるのか日野は「……加藤か」とだけ呟く。
通報した加藤という男は、殺人を犯したのは三木という男だと事前に伝えていたらしい。あくまでも自分や、日野達は被害者であることを強く証言していた。
重傷であってもまだ息がある三木が病院へ搬送される。
当事者であるとして神奈達は警察に事情聴取を受けた。
もっとも笑里と才華は全く関係ないので、多くのことを訊かれたのは日野と、逃走していた加藤だけである。三木にはもう会いたくないという理由から逃げた加藤も警察からは逃げられない。
事情聴取したはいいものの裏路地には監視カメラがない。
いくら証言されても、証拠となるものが一切存在しないのだ。悲惨な現場だけから推測するのも無理がある。しかし二人の証言があるため、警察も三木を容疑者として扱った。怪我人なのですぐに逮捕とはいかず回復を待つ形となる。
警察署での事情聴取が終わった後、神奈は日野と共に帰った。
居場所を失った日野が帰るべきなのは実家だ。色々と本人から事情は聞いたので父親のダメ親っぷりは理解しているが、ずっと漫画喫茶などに寝泊まりするわけにもいかないだろう。もう頼りにしていた三木はいない。最低限の金も人脈もない学生が一人で暮らすのは無理がある。
何か話そうと思ったが終始無言のまま日野の実家に到着した。
彼は「んじゃ、またな」と告げてから家に入っていった。
入ってすぐ彼と父親の怒号が聞こえたし、大きな物音もしたが神奈も家に帰る。
どんなに家主と仲が悪くても今の彼の居場所は実家しかない。親子の溝を埋めようとするか、それとも準備が出来次第独り立ちするのかは彼が決めること。もちろん相談されれば神奈も知り合いとして力を貸すつもりでいる。
「……魔力の実、ねえ」
帰宅途中に神奈はボソッと呟く。
神音の話では隣町で取引されている果物の名前が魔力の実。
食べただけで力を得られる怪しい果物が今回の一件の鍵。
また同じようなことが起きないとも限らない。
神奈は空いた時間で魔力の実について調査してみようと決めた。
* * *
休み明け。メイジ学院一年Dクラスに生徒が全員揃う。
教室には神奈、影野、坂下、日野、葵が座っている。速人に関しては、いつもの如く懲りずに神奈へ突っかかって来たので倒されている。
ガラガラと音を立てて扉が開く。
入口で教室を見ている斑は目を丸くした。
「バカな、こんなことが……」
「どうだ斑先生、これで授業をしてくれるんだろ?」
教室にどうしても来てほしいと神奈が頼んだ結果渋々来てくれた。これでもうDクラスは普通の状態だ。授業のために全員出席させるという約束は果たしたし、後は斑が授業をしてくれればいいだけである。
「……全員集めたわけか、これは驚いたな」
(授業楽しみだな……やっとスタートラインだ。あの腕輪から習った下らない魔法をようやく捨て去ることが出来る。さあ、最初に習うのは何だ? 炎魔法か? 水魔法か? 土魔法ってのもいいな)
神奈が想像を膨らませていると、斑は身を翻して職員室に戻ろうとする。
慌てて神奈が席を立ちあがり叫ぶ。
「いや待て待て待て! なんで戻ろうとしてんの!?」
「どうして戻ってはダメなんだ」
叫びに反応して斑は振り返る。
「アンタ全員揃えば授業するって言ったよな?」
「違うね、僕は考えると言っただけだよ。君達がゴミのように軽い存在だということは何一つ変わっていない」
さすがに悪口が過ぎるのか「あ?」と日野が思いきり睨みつける。
関係ない坂下と一緒に斑は「ひっ!」と怖がり、すぐに職員室へ戻っていってしまう。
「なんだアイツは、まさかあんな奴が俺等の担任か? ただのクズじゃねえか」
「そうだよ、神谷さんの頼みを無視するなんて生きる価値ないねあのクズ」
「そもそもお前らが最初から学院に来ていればよかったんだけどな」
正論に影野と日野は顔を背けた。
沈黙が降りて少しして、腕輪が声を発する。
「神奈さん、私が授業しましょうか?」
「うおっ!? 今の誰だ!?」
日野は初見だったので驚いている。
腕輪に授業と言われても神奈は乗り気にならない。
「今までを振り返ってみろよ」
「ええ、ええ、振り返りましたとも。私の完璧な指導で見事神奈さんを勝利に導きましたよね」
「お前の記憶能力は自動改変機能でもついてるのか」
今までに教えてもらった魔法を振り返れば、役に立つ魔法など本当にごく僅か。神奈としてはもうあまり教わりたくない。どうせ教えてもらうなら……と想像してみたが誰もいなかった。精々斎藤か神音だろうか。
帰り道で一緒になった斎藤と神音に、神奈は今日あったことを話した。
授業されないことへの不満。腕輪への不満。とにかく不満だらけの日々になりそうだという愚痴を吐き出した。
全てを聞いた斎藤は苦笑しつつ納得する。
「どうりで不満そうな顔してるわけだ。そっちではそんな感じなんだね」
「そうなんだよ……そっちはどう?」
「こっちはなんというか、みんな優秀で置いてけぼりにならないか心配だよ」
「よく言う、よ。究極魔法を使えるくせ、に」
Aクラスは一番優秀な者達が集まっている。
斎藤は自己評価が低いが、そんなに優秀なら神奈も見てみたいものだと思う。
とりあえず、神奈は頼み込んで簡単な魔法を見せてもらうことにした。
「〈氷結〉」
「おおっ」
斎藤は落ちていた葉を拾うと、魔法を唱えて氷漬けにする。
雪の結晶のように綺麗だ。葉は完全に氷に閉じ込められており、落としたりしてみても割れない程に頑丈。芸術性すら兼ね備えた美しい魔法だ。
今使用した〈氷結〉は火属性の基本的な魔法。
凍っているとしても、氷属性なんてものは世界に存在しない。随分前に神奈は腕輪に属性を教えてもらったことがある。
火、水、土、風、雷、光、闇、無。全てで八種類。
火属性の主な使い方は当然火を出すことだが〈氷結〉はその逆。火魔法の本質ともいえる温度操作で、空気中の水分を氷にするくらい温度を落とすことができる。つまり火属性を極めれば火と氷の魔法が使えるのだ。
(これだよこれ、こういうのを私は求めてたんだ! なのに腕輪はどうした。出っ歯になる? 棒を作る? 家の鍵を閉める? バカにしてんのか? 家の鍵を閉めるのは意外に使えるから今でも使ってるけどさ……)
簡単なものでもいいので普通の魔法を身につけたい神奈はため息を吐く。
「そっちは本当に楽しそうだな」
「あはは、神谷さんもこれくらい……あ、でも適性がない人は属性魔法が使えないって習ったな」
「〈氷結〉!」
神奈は落ちていた葉に向かって凍るイメージをして、先程斎藤が使用したのと同じ魔法を唱えた。その結果、葉は見事に凍りつく。
斎藤はそれを見て「えっ!?」と驚いているが、神音は当然といわんばかりに驚いていない。
「どうして? 神谷さんには適性が……」
「適性がなくても魔法は使える、よ。ただ威力が落ちるだけだから込める魔力が強ければ普通に使える、の。ただでさえ神谷さんの魔力は大きいから私達Aクラスと同等くらいには使える筈だ、よ」
「そうだったんだ……でも、詳しいんだね泉さん」
「あっ昨日テレビで見た、の!」
「テレビでやってたの!?」
(やってるわけあるか!)
習っていない、つまり知りえているはずがない知識を披露してしまったので、神音は慌てて誤魔化した。知識も実力も桁違いの神音は、一般人の泉を演じるのにかなり苦労している。小学校の同級生にバレるのも時間の問題かもしれない。
「まあなんにしろ、その先生のやる気を出すのが一番だと思うけどね」
「それが出来れば苦労しないんだよ」
見るからにやる気がなさそうな教師。生きることすら面倒と思っていそうな人間だ。一度でも見ればやる気を出させるなんて無理だと悟る。斑が授業をする気がないのは何か理由があるのだろうか。それはきっと本人にしか分からない。
神奈は再び重いため息を吐いた。
もしも神音が初級魔法である氷結を全力で使ったら日本が氷漬けになる。
神奈「いや、嘘だろ? 嘘だよね?」
腕輪「ははは、神奈さんは甘いですね。神音さんが究極の魔導書三冊を持ち、全力で究極魔法を使用した場合は地球なんて消し飛びますよ」




