82 果実――信じあえる仲間――
思いがけないところで日野を見つけて神奈は思わず声を上げてしまった。
彼も神奈のことを憶えていたようで面倒そうな顔をしている。
「チッ、おい須川、三木さんが集合かけてる。早く行かないと怒られるぞ」
「なにい!? せっかくこんなかわい子ちゃん見つけたってのに!」
言うことを聞かない男の腕を日野が掴む。
「いいから行くぞ」
「ああ君達せめて名前だけでも!」
ナンパ男を引き摺って去っていく日野に神奈は慌てて叫ぶ。
「あっ、おい待て日野!」
完全に無視してどこかへ行こうとしていたので声を掛けたのだが、日野は止まらずナンパ男を引き摺って行ってしまった。
才華と笑里はどういう関係か分からないため首を傾げている。
「知り合いなの?」
「……実は」
神奈は二人にメイジ学院での現状を説明する。
クラス差別。授業すらされない実態。
自分達と別れてまで神奈が入学した中学校がそんな場所であるとは、二人も思っていなかったらしい。
全てを知った才華は納得した表情で口を開く。
「なるほどねってなんで追いかけないの! 私達のことなんていいから追いかけて! ここで逃したらもう会う機会がないかもしれないわよ!?」
「ありがとう!」
二人は良い人だ。二人を残して追いかけるのは悪いと思っていたが吹っ切れた。
急いで小走りで日野を追いかけるが人混みで見失ってしまう。
休日なのもあって人が混雑しているので人捜しは難航する。
焦ってどうすればいいのか悩んでいると、腕輪が声を上げる。
「神奈さん〈魔力感知〉を」
「〈魔力感知〉……そうか!」
基礎中の基礎、魔力感知。
少量の魔力を一帯にばら撒き、それが触れた魔力や物体を感じ取れる技術だ。
人通りが多くても、魔力を持っている物体に限定させれば捜索が楽になる。感じられる魔力を一つ一つしらみつぶしに確認していけば、いつかは日野に辿り着く。
メイジ学院に在籍している以上魔力を持っているのは当然。
Dクラスなので所有量は少ないだろうが支障はない。周囲の人間達に魔力を扱える者がほとんどいないため、周囲一帯での魔力持ちは探しやすい。
北西、ほんの少し遠い距離に反応がある。
魔力を密集させると建物同士の隙間――裏路地の方に複数の反応。
(一つほんの少し大きな魔力がある。その近くにそれより上の魔力が二種類、同じ大きさだ。そして最後にもうすぐその場所に着く小さい魔力が一つ。もしかしてこれか? 他のは違いそうだしこれで間違いなさそうだな)
特定は完了したので神奈は人混みに苦戦しつつも、急ぎその場所に向かっていく。
全力で走ると周囲の人間が吹っ飛ぶので素早く走れないのだ。
苦労しながら走っているとついに目的地の裏路地が見えてくる。
(……それにしても妙だな。今感じられる魔力が減ってる?)
細道へ続く曲がり角を曲がってからすぐ、神奈は目を見開く。
裏路地を進んで見た光景は――三人の男が血の海に倒れ、中心に日野が血塗れで立っているものだった。
* * *
幼少の頃から日野昌には不思議な力があった。
人間が言葉を話した時、特に両親の会話で多くナニカが反応する。
そのナニカというのが反応するのは嘘である。
どうやって能力に気がついたかといえば、能力自身に気付かされたのだ。
言い放たれた言葉が嘘だとなぜか日野には理解できる。
両親の会話は嘘だらけだ。
母親が「ちょっと買い物に出かけてくるね」と告げるのは嘘。
父親が「今日は仕事で疲れた疲れた」と告げるのは嘘。
他にも欲しい物をねだった時「また今度な」と「今月はお金が厳しくてね」と言われたもの嘘。
両親が互いの仲が良好だと言ったのも嘘。
互いのことを愛しているというのも嘘。
愛しているのはお前だけ――嘘。
愛しているのはあなただけ――嘘。
家族間の会話というものは嘘に塗れている。
やがて母親の浮気が発覚して両親は離婚。日野は父親一人に育てられた。
仕事をしている――嘘。そんなものはしておらずパチンコ店に居座る日々。ギャンブルに負けて機嫌が悪くなると酒に逃げ、浴びるように飲んだと思えば物に当たり散らす。父親は一言で言うなら典型的なダメ親。
自分が愛されていないことを日野はとある一件で理解する。
小学生の時、ちょっとした交通事故で大怪我をしたため病院に搬送されて、手術後に父親が病院へとやって来た。すぐ来れなかったのは「仕事で多忙なもので」と言い訳をしていた。
「心配したんだぞ。お前のことを愛しているんだから少しは気をつけろ」
その言葉に頭のどこかが反応する――これは嘘だと。
薄々分かっていたことだ。日頃の態度は悪く、酷いときは暴力すら振るわれる。酒に酔っていたせいだと考えないようにしていたが、本心で大切にしていないから出来るのだと悟る。
これで日野は誰にも愛されていないことを知った。
翌日から日野は暴力的な態度をとるようになった。
この世界で愛してくれる者がいないのなら、敵しかいないのなら、生きる全てを屈服させればいい。そんなことを頭の片隅で考えていたが、周囲に暴力を振るい始めたのは純粋なる怒りが原因である。
ただの反抗期といえばそうかもしれない。
親に愛されていないことに、嘘を吐かれたことに怒りを感じて日野は喧嘩に明け暮れた。性格の悪い子供を一方的に殴りストレスを解消していたのだ。
小学校高学年になると、自分の中にあるナニカをコントロールすることを覚えた。そうすると今までより強くなれた。不良と呼ばれる中学生、もしくは高校生と喧嘩しても圧倒出来るほどに。
「ヒッ! 狂犬だ逃げろ!」
「うわあっ殺される!」
「すいませんすいませんすいません」
いつの日か日野は〈狂犬〉と呼ばれるようになっていた。
喧嘩に明け暮れ、周囲を暴力で支配する。そんな荒れた日々を送っていた日野の元に救いの手が差し伸べられた。
「お前随分と酷い目をしてるな、俺と一緒に来ないか?」
「テメエは……」
「俺は三木、お前と同じでちょっと訳ありなんだわ。それに辛そうな顔してるやつ、ほっとけない質でね」
裏路地で喧嘩による疲労が蓄積して座り込んでいた日野に、その男は軽い口調で話しかけてきた。
三木と名乗ったその男は嘘を吐かない。
隣町で活動している不良団体だというが、いざ加わってみればしていることはただ仲間と遊んだりするだけ。全員が良い親に恵まれなかったと口を揃えて言う。
同じ気持ちの仲間がいるそこは、まさしく日野の居場所である。
家にはろくに帰らず、日野は隣町で過ごすことにする。漫画喫茶やネットカフェに泊まり、ある時は三木が借りているアパートで日常を送る。たまに帰っても父親は心配する素振りすら見せない。実家はもう日野の居場所ではない。
日野が三木のアパートで過ごしていたある日、彼の口から気になる言葉が出た。
「メイジ学院?」
「ああ、昌……お前言ってたじゃないか、嘘が分かるって」
嘘が分かるなんて出鱈目な力を三木は信じてくれた。
「何かよく分からないんだが不思議な力を持つ生徒がたくさんいるらしい。このウェブサイトなんだが、どうやら特殊な力を持つ人間ならその学院の公式ページに見えるらしいぞ」
そう言ってスマホを見せてくるので、日野は三木の持つそれに視線をやる。
魔力を持つ日野にとってそれはただの学校紹介ホームページにしか見えない。
「元から学校紹介のホームページなんじゃないんすか」
「いいや、俺にはこれが意味不明な文字の羅列にしか見えない。やっぱり昌は見えたか……ならここに行ってみろよ。きっと同じ境遇のやつが多くいるさ」
メイジ学院に受験するのを決めたのも全て三木の言葉があったからである。だがそんな場所も、既に居場所がある日野にとってはどうでもいい。
入学初日は面倒で帰り、気が向いたので後日教室に行ってみればいたのは数人。
生徒を揃えなければ授業を受けられないらしいが、そんなこと日野が知ったことではない。だいたい隣町にいるのだから関係ないと、そう思っていた。
仲間である須川は普段からナンパを繰り返しているが、今日していた相手は最悪という他ない。一度見たことがあるその顔は、あれ以来顔を出していない学校のクラスメイトだと日野は分かった。顔が整っているからか須川はなかなかナンパを止めそうになく、結局日野が強制的に止めた。
三木が集合を掛けているのに遅れていくわけにもいかない。
仮に遅れたとしても笑って許してくれるのを知っているが気持ちの問題である。
「三木さんはなんの用なんだ? 俺、今すぐにでもあのカワイ子ちゃん達のとこへ戻りたいんだけどな。あれほどのカワイ子ちゃんにはそうそう会えないんだぜ?」
「俺も知らねえ、でも大事な用があるとか言ってたんだ。まあ不良グループとして珍しく抗争でも参加するのか、それとも新しい遊びでも考えたのか……とにかく何かあるんだろ」
いつも集まっている裏路地ではもう仲間達が集まっている。
少し臆病な加藤。喧嘩好きな村井。ナンパ好きの須川。そしてリーダーであり成人男性の三木。この四人が仲間であり、互いに居場所を求めあったグループである。
「よし、全員揃ったな」
全員集合したので三木が口を開く。
急に集められたことに全員が疑問を抱いており、代表して加藤が疑問をぶつける。
「三木さん、いったい何があったんです?」
「手早く要件を済ませよう」
加藤が問うと、三木は持っていたバッグの中から怪しい果実を取り出す。
リンゴより少し小さく、シワシワの赤黒い実。食欲は全くそそられない果物だ。全員が「うげっ」と気持ち悪そうに顔を歪める。
「これは魔力の実。最近この町で会った女がくれたものなんだが、食えば不思議なことに強くなる。これを食べて身勝手な親に復讐しよう。この果実を喰らった俺達ならどんな奴だろうと敵じゃないぞ」
当然であるが全員信じられないといった雰囲気だ。
日野も自身の力を信じてくれた三木に対して申し訳ないが、食べただけで強くなるなんて漫画じゃあるまいし、そもそも見た目とか存在が怪しい。面白半分で食べるにしても人体に害がありそうである。
「お前達もいい加減、身勝手な親共に嫌気が差しているだろう? なあ加藤、勉強勉強とうるさい親はウザいよなあ? 須川、家庭崩壊を招きかねない浮気を繰り返す親は最低だよなあ? 村井、実家が道場だからって鍛錬参加は面倒だよなあ? 昌、子供に無関心なクズは親失格だよなあ?」
全員がごくりと息を呑む。
「それにこれをくれた女も実験結果が欲しいらしいんだ。丁度いいじゃないか、俺達とあいつで協力し合えば全てを支配できる。自分が好き勝手に生きれるように、世界を作り変えられるかもしれないんだぞ?」
持ち掛けられる提案より、日野は話に出る人物が気になっている。
(怪しすぎだろ……三木さんにその実を渡した女が気になるな。何か騙されてんのかもしれねえ。嘘が分かる俺がその場にいれば暴いてやったのに……)
日野が正直な気持ちを伝えようとすると、先に須川が軽い口調で喋り出す。
「はっはっは、そんな話信じられねえっすよ。あのお、俺ちょっとナンパの途中だったんで戻っていいすか? 冗談抜きで可愛い子だったし、押せばいけそうだったし」
「ふむ、まあそうだろうな。なら証明しよう。俺は既に食べた、俺の身体能力は桁違いにアップした……こんなふうにな」
歩き出した三木が須川の頭を片手で掴む。
何をするつもりかと日野が思えば「うあっがっぐっ」と、須川の頭と表情が徐々に歪んでいく。白目を剥いて声になっていない悲鳴が漏れる中、三木はお構いなしに力を入れ続ける。
三木が手を離すと須川の体が倒れる。その頭は目を背けたくなるほど歪み、一目で分かるが……死んでいた。
目の前の光景が信じられない日野達は言葉を失う。
ついさっきまで共に歩いていた仲間が死んでいる、その事実を認識したくない。指が食い込んだせいで須川の変形した頭からは真っ赤な液体が流れ続けている。嫌でも現実を受け入れろと言わんばかりの光景だ。
「さあ、こうなりたくなければこの実を食え! お前らのことを信じあえる仲間だと思ってるから渡すんだ!」
その言葉に久しく、肉体の魔力がざわつく感覚が日野を襲う。
日野自身すっかり忘れていた反応――嘘であった。




