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【終章完結】神谷神奈と不思議な世界  作者: 彼方
六章 神谷神奈と魔力の実
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80 執念――何事も焦らずやった方がいい――


 坂下家での一件から翌日。

 教室の席に着いた神奈から見て、隣に座る坂下の表情はどこか吹っ切れたように見えた。何かの呪縛から解放されたように瞳や表情に暗さがない。


「神谷さん、この本なんだけど」

「あ、それって」


 坂下が神奈に差し出してきたのは数日前に神奈自身が貸した本。


「弁償だよ。兄さんが燃やしちゃったとはいえ、僕も止められなかった。だから受け取ってくれないかな?」


「あはは、ありがとう。おかげで買いなおさなくて済んだ」


 弁償してくれるのはありがたい。ただ、もうあの本は戻ってこない。

 神奈も後から知ったのだが貸した本は魔導書だったのだ。神音が試作品として作り上げた絆の魔導書というものであり、作った本人には焼失したのがバレていた。試作品だからかあまり怒っておらず、人類滅亡に動くことはなかったのは不幸中の幸い。元となった本の弁償を命じられただけで済んでいる。


「何を言っているんだい坂下君。神谷さんの本を燃やされたんだぞ、君は死刑だよ」


「いいんだよ、私は怒ってないんだから」


 相変わらず坂下は影野を怖がっているし、勇気が出たといっても全てが変わったわけではない。だがほんの少しでも変われたのなら、これからもっといい方向に変わっていけばいい。

 歩き出せたなら後はただ進むだけなのだから。


「なんだか分からないですけど一件落着みたいですね」


「言っとくがお前のことを許したわけじゃないぞ。反省してるか?」


「はい、盗聴器はもう持ってきません!」


「家にあるもの捨てろよ!」


 勇気を出せないちっぽけな少年の小さな事件はこれで終わり。

 この教室に来ていないのはあと日野ただ一人。

 絶対に連れて来るという決意の目で神奈は空席を見やる。


「そういえば、今日転校生が来るらしいわよ」


 葵の話に神奈は興味をそそられる。


「え、マジ? なんでこの時期? まだ四月だぞ」


「さあね。しかもその人本来ならAクラスだったのに、拒否してDクラスに来るらしいわ。わざわざ自分からゴミ溜めに来るなんてドMなのかしら。移動するなら一人でMクラスに移動すればいいのに」


 普通は優秀な方を選びたいだろうに、劣等である方をわざわざ選ぶなどおかしな奴だと神奈は思う。

 わざと下に落ちるということは何か目的がなければありえない。目立ちたくないとしてもDクラスだと悪目立ちするので逆効果。他の理由といっても神奈には思いつかない。


 色々考えていると神奈は――飛来した手裏剣を掴む。

 もうその時点で嫌な予感がした。入口に立つ男が誰かなど確認しなくても、数年の付き合いがあるので分かる。


「神谷神奈、覚悟!」


「やっぱお前かあああ!」


 飛び掛かって来た少年、(はやぶさ)速人(はやと)を神奈がぶん殴る。

 この少年に小学生時代から神奈は追いかけ回され、勝負を挑まれ続けている。


「えっと……知り合い?」


 引いた様子で葵が問いかける。他の二人も若干引き気味である。


「俺の名は隼速人、いつかその女を倒す者だ」


(今まで気絶させてたのと同じくらいの力で殴ったのに。どうやらまたこの短期間で強くなっているみたいだな)


 気絶していたとしても数秒。

 毎日のように修行している速人の実力は上昇し続けているので、神奈も力加減が大変である。手加減せずに殴れれば楽なのだが、もし本気で殴ったら爆散するので殴らない。


「お前ディストと特訓してたんだっけ?」


「ディスト……? ああ、もうしていない。あんな雑魚ではもうレベルアップできないのでな」


「その雑魚に殺されそうになっていたのはどこのどいつだ」


 久し振りという程でもないが再会したことで多少積もる話はある。

 話したいわけでもないのでそう長くは話さない。神奈はもういいかと口を閉じると、影野が立ち上がり、咳払いしながら速人に歩み寄っていくのを確認した。


「ちょっと待ってくれ。君、神谷さんを倒すというのは聞き捨てならいな。神谷さんは俺が守るグバシャッ!?」


 そして速人が裏拳を直撃させたことで一撃で倒される。

 いかに影野が超人染みた魔力量を保有しているとしても戦闘においては素人。戦闘のプロである速人からすれば隙だらけであり、油断している顎に一発入れるだけで事足りる。


「なんだったんだコイツは? まあいい、先程は不意打ちを喰らったが今度はそうはいかん。俺の新技を見せてやるので覚悟するがいい」


「不意打ちをしてきたのはお前だろ。それに悪いけど、忙しいから無理だ。また今度見てやるって」


「忙しい? 逃げられると思っているのか」


 神奈は本当に忙しい。

 なにせ日野の家に行く予定なのだ。行って彼がいないとしても、もしかしたら帰っているかもしれないので二時間程度待つつもりでいる。当然家に入れないので道に突っ立ってである。


 彼は滅多に帰らないということを悟り、神奈は斎藤と神音にも協力を仰いでいる。居場所については厄介なことにどこにいるのかも分からない。


「喰らえ! 〈真・神速閃〉を超えた最終奥義――」


「忙しいって言ってんだろ!」


「グハッ!? バ、バカな……」


 今度は先程よりも僅かに強く打って神奈は速人を気絶させた。

 転入騒ぎも終わったので、今日は学院に最後までいることなく日野家へと向かう。



 *



 神奈は午前中から教室を出て日野の家にやって来た。

 壁に染みがいくつかあり、近付けば瓦が剥がれかかっていたのか一枚頭に落ちてきた。この全体的に薄汚れたぼろい一軒家こそ日野が住むはずの家である。夢咲家より酷くないとはいえ、第三者がリフォームを要求したくなるくらいにぼろい。

 神奈はインターホンを押してみるがそれ以外の音がしない。


 また留守かとため息を吐いていると、近付いてくる気配を感じ取って右方向へ振り向く。

 ひと気のない場所にしては珍しく、酒瓶が入っているビニール袋を持った男が歩いて来ていた。その男は神奈に気付くと「ああ?」と顔を歪めて睨む。


「誰だお前、この家に何か用か」


「まあ、家に用っていうか……えっと、こちらに日野昌って人はいませんか?」


「あいつ絡みか。あんな奴になんの用だ?」


 くすんだ金髪をオールバックにしている男は若干日野と似ている。神奈は男の発言からやはりこの家に住んでいることと、男が家族であることを確信する。


「よかったあ、ここにいるんですね」


「いやいねえけど」


「はい? あ、出掛けているとか?」


「そうだな、あいつが最後に帰ってきたのは一か月前くらいだったか……」


 衝撃発言に神奈は「一か月!?」と驚く。

 何かしらの事情があるのは誰でも分かる。あまり立ち入ってはいけない事情なのかもしれないが、神奈にはDクラスの生徒を全員出席させるという目的がある。全ては魔法を学ぶためだ、妥協は許されない。


「詳しく聞いてもいいですか」


「別に構わねえが、お前はあいつのなんだ?」


「学院のクラスメイトです。こうして今日来たのは登校させるのが目的でして」


「学院ねえ……まあ誰だっていいか。てか詳しくとは言ったが、俺もたいして知らんからそのつもりでいろよ」


 それから男が語るのは日野昌という少年の過去。

 目前の男は日野(あつし)。日野の父親であると告げる。

 語られた過去は、日野の過去というより父親の感想というべきものだった。全て父親目線なのでおかしいというわけではないが、何もかも情報が足りなすぎる。


 日野が唐突に父親である篤を嫌い、その嫌った日を境に段々と乱暴になっていった。要約すればそんなところだ。なぜ嫌ったのか、なぜ暴力的になったのか、そういうことは日野本人でなければ分からない。


 篤の話によれば本当に唐突であったらしいが、神奈は原因が篤自身にあるのではと考えた。

 だらしない服装。平日の昼前だというのにコンビニで酒類を購入。おそらく仕事をしていないと思われるので、息子から嫌われる原因の一つや二つ持っていてもおかしくない。


 ただ話の中で神奈は一つ、興味深いものを聞いた。

 それは日野が相手の言葉を嘘かどうか判別できるというものだ。そういった不思議な力は固有魔法である可能性が高い。


 篤は吐き捨てるように「薄気味悪いガキ」と忌々しそうに話していた。

 嘘の判別可能な力を持っていると告白されたとき、篤は父親であるにもかかわらず「気持ち悪い」と拒絶した。どう考えても父親失格であると神奈は思う。というか嫌われたのはその時なのではと思わずにはいられない。


「まあこんなところか。じゃあ俺はもう家に入るから」


「……ありがとう、ございました」


 素直に礼を言いたくない相手である。

 一か月も帰ってきていない息子を心配もせず、酒を浴びるように飲む。もう本当に父親を名乗る資格などない篤に神奈は頭を軽く下げた。


 嫌な時間ではあったが収穫はあった。

 少ない情報とはいえ日野という男のことは知れたのだから、今日は意味あるものになっただろう。肝心のどこにいるかは分かっていないが一歩前進だ。


「どこにいるんだか……」


「路地裏とかですかね?」


「不良らしいからありえなくはないけどなあ」


 トボトボと神奈が歩いていると、喫茶店マインドピースを通りかかった。


「焦ってもしょうがない。珈琲……いや、オレンジジュースでも飲もう」


 ゆっくり過ごしたかった神奈は店に入る。

 客である神奈に声をかけてきた店員は驚きの人物だった。


「いらっしゃいませ……って神奈!」


 赤紫の前髪は下げ、後ろ髪は逆立っている少年。トルバ人のレイだ。


「え、レイ? お前なんで店員なんか……」


「実は僕、ここで働くことにしたんだよ。マスターに弟子入りを志願して、断られても根気強く志願した結果マスターの方が折れてね。見事弟子入りを果たしたんだ。今はバイトとして業務を教わっているよ」


 意外な事実に神奈は軽く驚きつつ「レイはここ好きだったもんな……」と一人納得する。


「僕だけじゃない、ディストもグラヴィーも一緒だよ」


「あいつらまでバイトしてるのかよ」


 よく店内を見渡せばディストが空いたテーブルを布巾で拭いているし、グラヴィーも注文を取っている。


(まさか客もこの店に三人も宇宙人がいるとは思うまい。思えばレイと最初に会ったのはこの場所だったっけ)


 席まで案内された神奈は腰を下ろす。

 注文を取りに来たのはグラヴィーだが、神奈を見た瞬間に嫌な顔へと変化した。


「それで注文は?」


「客に向かってその顔と態度酷くない?」


「お前だからこの態度なんだ。それにジュースしか飲まない者を僕は客と認めたくない」


 確かにジュースしか飲まないのは神奈も悪いと思っている。他に何か頼もうと思ったが、それでも今はどうしようもない理由がある。喫茶店に入ったのに神奈の財布には小銭しか入っていないのだ。


「今日は小銭入れしか持ってない。悪いけどジュースしか買わないんじゃない、買えないんだ」


「チッ、それなら自販機で買えばいいだろう」


「やっぱり客に対する言葉と態度じゃないな」


 どうあれ注文を聞いたグラヴィーはレイに注文を伝える。それを聞いたレイはオレンジジュースをグラスに注いで――魔力を高めた。バイト中に魔力など高めて何をするつもりなのかと思っていると、その答えはすぐに分かる。


「流星……配膳!」


 あっという間に神奈の頼んだジュースが運ばれてくる。神奈のものだけではなく、他の客のものも一瞬でまとめて配膳される。


(……ここまでの速さ喫茶店で必要? 凄いっちゃ凄いけどさ)


 普通の喫茶店なら、いやどこの店でも配膳は丁寧に運び歩くものだ。

 少なくとも隕石が落ちるような速度で配膳するのはこの店だけだろう。

 近くにいたグラヴィーに、神奈はどうしてこんなことをしているのか聞いてみる。


「客に出すなら早い方がいい。そう店主も言っていた」


「いくらなんでもあれは早すぎだろ。早い方がいいなんていっても多分あそこまでは求めてないぞ」


 魔技(マジックアーツ)〈流星脚〉を利用して速く動いているのは見れば分かる。だがこれが意外にも評判で、その動きが目当てで来る客も多くなったとグラヴィーは告げる。

 結果的にいい方向へいっているなら神奈も文句を言えない……とはいえ、それ危なくないのかとツッコミを入れたくなる。あんな速さで配膳していたら十中八九転ぶだろう。


「おまたせしまあっ!?」


 神奈が心配した通りにレイは躓き、誰かが頼んだ牛乳が投げ出される。

 音を超える速さでグラスが神奈のこめかみに衝突し、グラスが砕けて中の牛乳がぶちまけられる。そのあまりの事態にレイは顔を青くして、周りの客達も沈黙する。


「あ、神奈……そのね……」


「……いや、気にしてない」


「でもその……ゴメン」


「……気にして……ない」


 神奈はそれから何も言わずに立ち上がり、静かに店を出て行った。

 帰り道すれ違った人々から、白い液体を被っているせいでギョッとした目で見られたが家に着くまで我慢した。家でシャワーを浴びればお湯が牛乳をしっかり洗い流してくれる。しかし牛乳臭さは消えない。


「神奈さん……」

「なんだ」


「完全に怒ってますよね?」

「怒ってない」


「いやでも……」

「怒ってない」


「で」

「怒ってない」


 本当に怒っていないが神奈はしばらくあの店に行くのを止めることにした。

 レイは一度ミスをしたし、また〈流星配膳〉を使うことはないと思うが不安は消えない。喫茶店マインドピースは大好きだが、再び牛乳をぶちまけられないとも限らない。


 ――翌日の朝。

 メイジ学院への登校前、珍しい客が神奈の家に訪れる。

 小学校からの同級生の斉藤と神音だ。


「日野の情報をもう掴めたのか?」


「泉さんも調べてくれたんだけど、どうやらその日野って人はとある不良グループに入っているらしいよ。小学校高学年から入ってて、周囲には〈狂犬〉なんて呼ばれていたらしい」


 それからも詳しく聞くと隣町でよく活動しているようで、自分達の縄張りと称して他校の不良達をボコボコにしているらしい。ほとんど隣町で寝泊まりしているのも明らかになり、家に帰っていない理由が一つ判明した。


「これでようやく日野のやつを連れて行けるな。連れて行ければ晴れて全員が揃う。斑もこれで授業をする気になるだろ」


「それともうひと、つ」


 話は終わりかと思いきや神音が口を開く。


「最近魔力の実っていう妙な果実が隣町で取引されているみた、い」


「魔力の実?」


「食べただけで高い魔力を得られるってうわ、さ」


 その話が本当なら厄介な代物だと神奈も思う。

 魔力は少しでもあれば強力な力として振るえる。

 いったいどこの誰がそんなものを作り、ばら撒いているというのか。そんなことを考えていると斎藤が何か決意したような顔で口を開く。


「あのさ、さっきから気になってるんだけど……なんか牛乳臭くない?」


 神奈は彼の言葉を聞こえなかったフリをして無言で家に戻る。

 外で「神谷さん!?」という声がするのを無視して、神奈はその日初めて朝にシャワーを浴びた。









腕輪「みなさんは牛乳の入ったグラスを、音速すら超える速度でぶつけられたら怒りますよね?」


神奈「怒るっていうか普通死ぬだろ……」


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