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【終章完結】神谷神奈と不思議な世界  作者: 彼方
六章 神谷神奈と魔力の実
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78 勇気――変態はどこにでも現れる――


 勇気。それが坂下の名前であり、嫌いな名前であった。

 ちょっとしたことで怖がり、人と接するのが苦手で、家族にすら萎縮してしまう。勇気という名前が、なぜ勇気のない自分につけられてしまったのかと毎日悩んでいる。


「絆を作る方法……か」


 今日、メイジ学院で坂下が神奈から借りた本。

 なぜか数時間気絶していたために学院では読み切れなかったので、自宅でその本を読みながら神奈のことを考える。


 神谷神奈は凄い人間だ。不登校児だった影野を教室に連れてきただけで、坂下にとっては偉業を成し遂げたかのような人物だ。

 情けない人間だと自負している坂下にも気さくに声を掛け、誰かの不登校すら解決する神奈は、自分と違って勇気ある人なんだろうと坂下は思う。


(僕みたいな人間じゃなくて、神谷さんにこの名前をあげたいよ……)


 勇気という名前は坂下にとって重荷でしかない。


「よう勇気、何してんだよ」


 いきなり坂下の部屋に、まるで自分の部屋のように男が入り込んで来た。

 ――兄である坂下優悟(ゆうご)。その登場にビクッと肩を震わせる。

 坂下は振り向いて、これだけは言わなければと口を開く。


「に、兄さん……入る時はノックを」


「あ?」


「ヒッ! な、なんでもないです!」


 兄である優悟にも坂下はビビりきっており、何一つ言い返せた試しがない。口を開けたとしてもいつも中断してしまう。そんな自分を坂下は意気地なしだと罵倒する。


「いつも思うんだけどさ、落ちこぼれが意見しようとしてんじゃねえよ」


 坂下家は全員がメイジ学院に通っている特殊な一家。

 優悟はメイジ学院の二年生、それもBクラス。Dクラスのような落ちこぼれとは訳が違う。両親も坂下がDクラスになってしまったと知ったときは黙って睨みつけていた。情けない息子に怒っていたのか、それとも呆れていたのか。おそらく後者だろう。


 元から魔力量が少なく、強力な魔法一発放つだけで疲労困憊の身。

 数年かけて魔力量を高めようとしたがあまり上手くいかず、家族からは失望され、実兄からは罵倒されて暴行を受ける。長期間の暴力で坂下は自分以外を恐怖の対象として見るようになってしまった。


「うん? お前、何読んでたんだ?」


「あ、これは今日――」


 無理やり本を取り上げた優悟に文句の一つも言えない。

 雑に流し読みしていく彼に何かを言おうとしても喉に詰まって出てこない。


「絆ねぇ、くだらねえなあ……」


 優悟が本をパラパラと捲っていると、その口をニヤリと歪めた。

 坂下はその笑みを知っている。いつも何かをしてくるとき、大抵その悪人のような笑みを浮かべるからだ。


「こんなくだらない本なんて読んでねえでよお、勉強でもしたらどうだよ……ああダメかあ、お前落ちこぼれだもんなあ? 勉強したって無駄だろうよ……。こんな本買って金を無駄にするくらいなら俺にくれよ。あ、本じゃなくて金の方な」


「ち、ちがっ……その本は借りて」


「ああ? 借りてるう?」


 借りているという事実を知るまで優悟の目線は豚の貯金箱に向いていたが、最悪なことに持っている本へと目線が移った。

 坂下はまずいと直感する。もう経験上、何をされるか分かってしまった。

 阻止しようとしても体が金縛りにあったように動かない。


(ダメだ、このままじゃダメだ。動け……動いてくれ……! 本を取り返せ……!)


「なるほどねえ。そんじゃ〈灯火(スモールランプ)〉発動っと」


 炎魔法の名前が坂下の耳に届く。しかし坂下の体は少しも動かない。

 空中に出現させられた火球に向かって本が放り投げられる。本は燃え始め、黒く焦げていく。そんな様子を坂下は目を見開いて見ていることしかできなかった。


「そんならお前が明日言っとけよ。こんな下らない本は燃やしましたってなあ!」


 高笑いしながら優悟が出ていった時、本は既に燃え尽きていた。

 今日起きた出来事を坂下は誰にも言えない。神奈に言えば、性格上助けてくれることは付き合いの短い坂下でも分かる。だからこそ言えない。優悟はBクラスの生徒。Dクラスの坂下や神奈が勝てる相手ではないと抵抗を諦めていた。


「なんで僕には勇気がないんだ……大層な名前なんだから、少しくらいあってもいいじゃないか……欲しい、立ち向かう勇気が欲しいよ……」


 誰にも言えない。

 自分ではどうすることもできない。

 無力感に打ちひしがれた坂下は一人で俯いて、静かに涙を流した。



 * * *



 メイジ学院入学四日目。

 神奈は日野を連れて行こうと住所頼りに家に行ったのだが、その家には誰もいなかった。インターホンを押しても反応がなく留守だと悟った。

 出だしはこけても諦めない。これから毎日家に行ってやると神奈は決意する。


 日野を連れて来れなかったのを残念に思いながら、神奈は一学年Dクラスの教室の扉を開ける。


「――ごめん!」


 入った教室でいきなり謝られたことで「え?」と神奈は困惑する。

 頭を下げてきた坂下は教室入り口の傍で待ち伏せしていたらしい。


「昨日借りた本、なくしちゃったんだ!」


「なんだって!?」


 怒って坂下に近寄り肩を掴むのは神奈――ではなく影野だった。


「貴様神谷さんから借りた本をなくすとはどういうことだあああ!」


 なぜ関係ない彼が怒るのか。神奈も「いや何してんの」と、あまりの気迫に引きながら止めようとする。坂下は完全に萎縮してしまい、両足をガクガクと生まれたての子鹿のように震わせていた。


「あ、すいません……つい」


「坂下君、なくしちゃったものはしょうがない。また新しいの買えばいいんだからさ」


 そう言ったがまだ「ごめん」と言い続ける坂下。このままでは一日中「ごめん」祭りになる勢いなので、神奈はなんとかいい言葉を絞り出す。


「坂下君は悪くない、こうして素直に謝ってくれてるじゃないか。私は黙っていられる方が嫌だよ」


「それでも……僕がっ……僕に……があれば」


(なんだ? よく聞こえないな。まあ、ごめんの嵐が止まったからいいか。……あれ、貸した本って私も借りた本……神音の、本。……殺されるううううううう!)


 よりによってなくしたのは借りた本。借りた相手が普通の相手なら弁償と謝罪で済むかもしれないが神音は違う。少しでも謝罪方法を誤ると最悪の場合、人類絶滅計画を再び執行する可能性がある。仮にそうなったら元凶の神奈と坂下は真っ先に殺されるだろう。

 神奈が恐怖で震えていると、後ろで悩んでいる様子の影野から衝撃発言が飛び出す。


「あの、神谷さん! 実は俺も隠していたことがありまして!」


「な、なんだ? 気軽に言ってくれよ、隠し事なんて誰にでもあるからさ」


「実は俺、神谷さんに盗聴器をしかけていました! ごめんなさい!」


「ふんふん、なるほど盗聴器をね……はい? いや、どういうこと?」


 つい今しがた聞いた告白を事実と認めたくない。

 会ってまだ三日程度。それで盗聴器をしかけるという犯罪者のようなことをしたと言われれば、誰だって信じたくないだろう。


 可能性はある。神奈とて性別が女性である以上、そういった犯罪に巻き込まれる可能性は高い。気をつけようとも思うし、犯人は許せないとも思う。だがまさかクラスメイトから、恩人のようなポジションにもかかわらず容赦なく罪を犯すとは予想外であった。


「もっと神谷さんの声を聞きたくて……つい」


「ついで済むかこのクズがああ! 言えばなんでも許されると思うのか!?」


「だ、大丈夫です……どうやら取れちゃったみたいなんで」


「大丈夫じゃないだろそれ! え、お前そんなことしてたの!?」


 申し訳ないと思う気持ちはあるようで俯いていたが、影野は勢いよく顔を上げて神奈を見つめる。犯罪者とは思えない澄んだ瞳である。


「すみませんでした。でも俺は神谷さんが好きなんです、あなたは俺の太陽で――」


「うるっせええええ! お前今後私の三メートル以内に近寄るな!」


「そんなっ!? 俺の机隣なのに!」


「移動しろ今すぐ! 席替えだよお前だけな!」


 助けたのは変態だった。そんな現実に神奈は頭を抱える。

 非常に悲しいことにこれが現実だ。影野は神奈という暴走しても離れない希望を知り、信仰に近い感情を抱いている。もはやどうしようもないレベルにまで一気に振りきれたのだ。


(なんてこった、私は変態を助けてしまったのか……キャラ崩壊もいい加減にしろよ。まさか坂下君と南野さんも何か隠してるんじゃ……いやまさかね?)


 席替えといっても席は五個しかない。

 廊下側に坂下と神奈がおり、窓際には葵がいるので、実質移動できる席は一つ。葵の右隣。かくして影野は苦笑いしている葵の隣に移動する。


「変態がこっち来たわね。席を移動してくれないかしら、あなたの席はゴミ捨て場よ。焼却炉の中でもゴミ袋の中でもいいから今すぐ移動しなさい」


「ごめん南野さん、我慢してくれ。大丈夫。俺、神谷さん以外に興味ないから」


「あなた最低の変態ね……」


 そんなこんなで学院で過ごす一日の時間が終わりに近付く。

 読書中に影野から一緒の下校を誘われたがもちろん神奈は断る。変態からの誘いに乗る意味がない。それに今はそれより優先すべきことがある。日野捜し……ではなく坂下のことだ。


 借りた本を一日でなくすというのは神奈もおかしいと感じている。そういうガサツな人間には見えないし、いくら物の扱いが酷いとしても酷すぎる。彼の態度は悩んでいるようにも見えて、何か事情があるのではないかと思えた。


「じゃあ……またね」


「坂下君、気にするなよ?」


「そうだよ、気にしない方がいいよ」


 しれっと影野が神奈に近付く。


「お前は自分のやったこと気にしろよ、それと近寄るな!」


 結局坂下は落ち込みながら帰って行く。


「おい、腕輪」


 神奈は腕輪に話しかける。外では珍しいが、どうしても確認しておきたいことがあったのだ。


「はい? 神奈さんが話しかけて来るなんて珍しいですね?」


「ああ緊急だ、お前坂下君のバッグに入ってこい」


「ええ!? まさか私を坂下さんに渡す気ですか!? そんなことしてもすぐに戻って来ますからね!」


「違う。今日坂下君の様子は変だった。元々臆病っていうかあんな性格だから分からないけど……もしかしたら何かあったのかもしれない」


 この日の最悪な出来事から発想を得た。腕輪を盗聴器代わりに使えば、坂下の本音を難なく聞き出せる。人助けになるかもしれないので腕輪も断りはしない。


「分かりました」

「頼むぞ」


 腕輪は渋々飛んでいき、坂下のスクールバッグに潜り込む。ほんの少しチャックが空いていただけでも不用心だ。知らぬ間に盗聴器を入れられても不思議ではない。

 気付かずに帰る坂下を見送った神奈に声がかけられる。


「それじゃ帰りましょう神谷さん!」

「一人で帰れ」


 辛辣に返して神奈は一人で帰る。

 帰り道ではしつこく影野が付いて来たが嫌なので走って撒く。

 その日、神奈は珍しく家で静かに過ごした。


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