76 一人目――明るい太陽――
ずっと苦しんで生きてきた。
影野統真には不思議で、そして危ない力がある。
それは生まれつきで――制御が出来ない。
「おい統真、ヒーローごっこしようぜ!」
「うん!」
小学生の頃。
まだ秘められた力を知らなかった影野は、クラスで仲が良い男友達と一緒に遊んでいた。なぜかいつも影野は怪人役で、ヒーロー役なんて回ってこなかったが楽しい日々であった。
――あの時までは。
「喰らえ! ジャスティスパンチ!」
「うわあっ!?」
怪人役の影野に攻撃してくるのは当たり前。影野自身それが嫌だったというわけではなかった。しかし無抵抗で怪人役を引き受ける影野は、何も嫌がらない影野は、少年達の間で格好の獲物である。
影野の態度をどう受け取ったのか、五人以上でヒーローごっこをやることになった時、怪人役の影野を四人で押さえて殴りかかってきた。
そのとき影野は気付いた――これはもはやいじめだと。
「ね、ねえ!」
「ああ? なんだよ」
「俺にもたまにはヒーロー役やらせてよ」
「え、嫌だよ。だって怪人役って殴られて痛いじゃん」
人に押し付けといてその言い草はいくらなんでも酷い。
その時、影野は怒りに支配された。ただ怒りのままに手を突き出すと――まるで紙きれのように同い年の少年が吹き飛んだ。
たった今、影野は起きた出来事を現実だと信じられない。
男友達は意識を失い、こういう時どうすればいいのか混乱していた影野は何も行動できなかった。目が覚めるまで傍に居続けることしかできなかった。
通行人でもいれば救急車を呼んだのだろう。だが運が悪いことに誰も通りかかることはなく、他の遊んでいた少年達は暴力が振るわれてから一目散に逃げているので、二人はずっと公園に留まっていた。
やがて男友達の目がゆっくりと開き「……ぁあ」と呟く。
「あ……良かった、目が覚めて」
「ヒッ!?」
男友達の目は怯えていた。
違和感を覚えた影野はそれでも心配そうに近寄ろうとした。
「来るな、来るなよ化け物! 俺の傍に近寄るなあああ!」
浴びせられた言葉に身体が動かなくなる。
逃げ去っていく男友達を追うことなく、影野は呆けてしまった。
――化け物。その言葉が心に刺さる。
影野も自分で考えて、それはそうだろうと納得する。
どうしてなのか分からなくても影野は異常な力を発揮してしまっていた。たとえ大人でも軽く殺せるだろう力。そんなものを目の当たりにして怖がらない子供などいない。
その翌日から、影野はクラスの全員から化け物扱いを受ける。
逃げた男友達が学校中に言いふらしたのだとすぐに理解できた。影野は見事にクラス内どころか学校全体で孤立した。
そんな様子を見かねて両親が転校を勧めた。
住んでいる町から遠く離れた場所。そこなら影野の力を知っている者は誰もいない。実際、初めて転校先の学校で挨拶した時、誰からも恐怖の視線で見られていない。
「なあ影野! 一緒に遊ぼうぜ!」
そう声を掛けてきたのはクラスの人気者の少年。
一人でいる影野を気にかけて、優しい少年は遊ぼうと誘う。
影野はその差し伸べられた手を取ろうとしたとき……ふと思った。
(また……あの力が出てしまったら?)
脳裏を過ぎったのは前の学校での畏れる目。
もう影野はああなりたくはなかった。関わっていけばきっと目前の少年も含め、ここにいる全員を巻き込んでしまう。
本当は一人でいたくない。誰かと一緒にいたい。
しかし優しい少年を守るために影野は断ろうとする。
「ごめん、俺は一人が――」
影野の言葉は続かなかった。
急に、なんの前触れもなく、目前の少年が吹き飛んでいたから。
教室の壁に叩きつけられた少年の腕は折れ曲がってしまった。
「きゃああああああ!」
「え、嘘! あの子がやったの!?」
「ありえねえだろ、化け物かよ!」
頭が混乱した影野は呆然と立ち尽くした。
危害を加えるつもりはなく、自ら遠ざかろうとしたのにこの始末。またしても口にされた「化け物」という言葉。どこにいっても結果は変わらないと、運命を知る神に告げられているような気分になる。
その日。影野は両親が呼び出され、少年とその家族に謝罪した。
複雑に折れ曲がった骨の治療費を払うと言っても、そんなことはどうでもいいと返される。なぜなら少年とその家族にとって、もう影野が近付くということ自体我慢ならなかったからだ。
誰からも怒鳴られて影野はまたしても孤立する。
「どうしてあんなことをしたの」
「……力が、俺には訳が分からない力があるんだ」
帰り道、母親に事実を答えはしたが信じてもらえない。それどころか「言い訳をするな」と怒られる始末。
あの時、影野は何もしていなかった。力は勝手に暴走するということを知った。それならば――いつしかも両親も怪我させるときが来るかもしれない。
その日から、影野は自分の部屋に引き篭もるようになった。
引き篭もって数日は両親も心配していたが、数か月という月日が経てばこのままではいけないという気持ちの方が強くなる。
「ねえ、統真……学校行こうか」
「行かない」
両親とて影野の気持ちを尊重はしたいだろうがそれとこれでは話が別。
学校へ行かなければ苦労するのは影野自身。就職など将来に向けての準備期間を、無駄に消費させるわけにはいかない。両親はきっとそう思っている。
「行くんだ! お前の為なんだぞ!」
「そうよ! 学校は本当は楽しいところなんだから!」
どんなに怒鳴られても、以前のようなことが起きるのを防ぐため学校には絶対行きたくなかった。それどころか外出することも嫌になっている。そんな影野の気も知らないで「行け」と言い放つ両親に、自分のことを想ってくれていると分かっている影野も我慢の限界だった。
「しょうがないだろ! 俺は危険なんだよ!」
「何をバカなことを言ってるんだお前は!」
父親は意味が分からないと一蹴して、影野の肩を掴む。
触れられた瞬間、影野の頭には今まで怪我させた者達が浮かんでは消える。
もう誰も怪我させたくなかった。影野は愛してくれる両親を傷つけたくなかった。
「や、やめろ、やめてくれ! 俺に触らないでくれよ!」
「父親に向かってなんて口を利くんだ! いいからがっ!?」
――都合よく現実が動くわけがない。
父親も、母親も、部屋にあったゲーム機なども全て吹き飛んだ。その部屋だけ嵐の被害に遭ったかのようだった。
二人はぐったりと動かなくなる。
影野の頭に両親の姿が浮かび……消えていく。
――頭の中が暗闇に包まれ、影野は一人になった。
「だから……言ったのに……!」
部屋は滅茶苦茶だが幸い両親は生きていた。
気絶から目覚めた両親が影野を見る目は――今まで傷つけた人間達と同じ、化け物を見るかのようなものであった。
心配しつつも関わりたくない気持ちが出たのか影野の両親は家を出ていく。それでも自分達の子供であるからか生活費だけは置いていき、一月ごとに銀行口座へと振り込まれる。
影野自身何も言うことはできず引きとめられなかった。そもそも引きとめたところで、家族に苦しい思いをさせるくらいなら出ていかせた方がマシというものだ。
部屋に引き篭もってゲームで遊ぶ。食事など欲しい物は全てネットで注文して事足りる。生活費が足りなくなれば仕方ないので口座から下ろしに行く。人との関りを最低限避けた生活に何一つ問題はなく、そんなだらしない生活が続いていく。
「……これは」
引き篭もり生活三年目。
ネットサーフィンしていた影野は少し惹かれるサイトを見つける。
【メイジ学院生徒募集! 不思議な力を持っていれば誰でも入学可能!】
見るからに胡散臭いことを書いてあったそのサイトだが、影野には不思議な力に心当たりがある。幼い頃から暴走し、一人でいれば心が落ち着いて暴走しない力。この人を傷つけることしかできない危険な力を、他に持っている人間が――仲間がいるのではと希望を抱く。
少し興味が湧いた影野は、自分に課した他人と関わらないルールを捻じ曲げてメイジ学院へと足を運ぶ。
いつまでも引き篭もるのが良いこととは影野も思っていない。将来困るのは自分だというのも自覚している。これを機に変わりたいという気持ちがある。
――だが影野の期待は裏切られた。
「……化け物」
試験最中女教師が絶叫し、最後に影野が最も嫌う言葉をポツリと呟いたのが聞こえたのだ。目前の女教師も友達だった少年や両親と同じ、恐怖に染まった瞳をしていた。やはりここにも、この世界のどこにも同類などいないのだと影野は悟る。
人間の形をした爆弾のようなもの。
影野は自分のことをそう表現し、自分の危険性を再確認した。
家に帰ると部屋に引き篭もり、影野はもう誰とも会わないことを心に誓った。食事の注文もしない。ネットで注文しても持ってくる配達員がいるし、誰にも会わないと決めた今は必要ない。
こんな自分など孤独死した方がいいと本気で影野は考えている。
*
静かに語った悲惨な過去。
悲惨なはずだが……神奈は不思議そうな顔で全く気にせず問いかける。
「……終わりか?」
「そうだよ、だからここにいれば君も危ない……早く帰ってくれっておい!? どうしてこっちに来るんだ!? 話聞いていたのか!? 来るな、来るなよ!?」
関わることを拒否する影野へと神奈はゆっくり歩いて来た。
焦って後退りした影野に対し、真面目な顔で彼女は告げる。
「言っただろ。納得出来なければ引きずり出すって。私だって強大な力を持っているけど、暴走させて友達や親を傷付けたことなんて一度もない。お前の問題は、その力を制御出来るかどうかだろ」
力の強さが問題ではないことも、このまま引き篭もっていても何も解決しないことも影野は理解している。今の選択がただの現実逃避であることも理解している。神奈の言うことは正論だ、影野が一度諦めた生き方だ。
「違う、違う違う! 君の想像以上に俺の力は強い! 何も分かっていないからそんなこと言えるんだ! この力は全てを吹き飛ばす。母さんも父さんも友達になろうって言ってくれた子も全員吹き飛ばしたんだ! 俺に近付くと危ないのが分からないのか! 日々強くなる力……君なんか死んでしまうかもしれないんだぞ!」
激昂した影野は立ち上がって叫ぶ。
「それならやってみろ。断言する、私は死なないし吹き飛ばない」
神奈は怯むまずに距離を詰めて来た。
足が止まることも、歩幅が小さくなることもなく、着実に近付いて来る。
「あ……あ、ああ……あああああ!」
トラウマが影野の頭に再び浮かぶ。
友達が、友達になろうとした少年が、心配してくれた両親が浮かんでは消えていく。暗闇の世界で影野は一人俯いている。その世界を破るかのように光に包まれた手が伸ばされても、影野からすれば恐ろしい悪魔の手にしか見えない。
外に連れ出そうとする悪魔の手に影野は怯える。
神奈の伸ばした手が近付くにつれて苦しむ。頭を抱えて、恐怖に顔を歪め、距離を詰められる度に閉じていた蓋が開き始める。
「ああああああああああああああ!」
強大な魔力が吹き荒れて、部屋だけに収まらず家全体が揺れた。
その揺れは距離を詰める度に大きくなり、部屋にあった物が移動し始める。
後ほんの一歩。そこまでいくと制御出来ていない魔力がさらに溢れ出し、震動がもっと強くなる。
「ああああああああああああああ!」
恐怖した。影野は心から恐れていた。こうして近付いてくる神奈からもどうせ怯えられるのだと。また誰かを傷つけてしまうのかと。
外へ連れ出そうとする父親と彼女が頭の中で重なった。
これ以上来るなと目で訴え続けたのに、彼女は迷わず影野の肩を掴む。
「ああああああああああああああ!」
「……っ!」
手を置かれた瞬間、更に強くなった震動。
部屋にあった物が全て彼女へと向かって勢いよく飛ぶ。
菓子類ならいいのに机も飛ぶ。ベッドが額に直撃して鈍い音が鳴るも、彼女の手は肩から離れない。本棚やテレビが直撃しても彼女は傍から動かない。
床と天井が崩壊し、重力に従って落ちていく。
散乱した物が全て彼女に向かって飛んでいく。
そんな状態が一分程続くと、勝手に出ていた力の放出が止まった。もはや瓦礫と化した家が力の強さを物語っていた。天井がなくなったことにより太陽光が降り注ぐ。
「――ほらな、吹き飛ばない」
物は吹き飛んだ。家も崩れた。
――神谷神奈は吹き飛ばなかったし、ほぼ無傷である。
これほどの力を放出したのは今までになく動揺していた。それなのに彼女は頭から少し血を流す程度で済んでいる。その事実に驚きを隠せない。
忌々しい力は全てを吹き飛ばすはずだったのに、吹き飛ばない人間が目前にいる。
何度も化け物と呼ばれ、畏怖の視線を向けられた自分を恐れない人間が傍にいる。
「力が制御出来ないんなら学院で学べばいい。私も協力するからさ、一緒にこれをどうにかしようよ。狭い世界に引き篭もってないで、この広くて不思議な世界を見てみろよ。一人が不安なら私が付いていてやるからさ」
「……俺は、化け物で」
「だったら私はもっと化け物だな」
閉じ篭っていた暗い部屋が消失したことにより影野には眩しい光が見える。
神奈の姿が太陽光で照らされている……いや、影野には彼女自身が明るい太陽のように感じられた。光る彼女の表情は辛うじて笑っているように見えた。
暗闇を光で照らしてくれた彼女を見て、その言葉を聞いて、影野はついさっきまで家だった瓦礫に立ち尽くして俯く。下を向いた顔から涙が落ちる。いくら手で擦っても自分では止められない。
「……俺、俺は……明日から……学校に行くよ……!」
顔を上げて神谷神奈を見ると自然と笑みが浮かぶ。
「だから、これからよろしくお願いします……神谷さん」
強者を知ったことで影野の不安は軽減される。
根本的な解決はまだまだ遠くても、少なくとも関わっていい人間がいると彼女は示してくれたのだ。外に出て人とまだ関わってもいいと分かれば、心の底から嬉しさが込み上げてくる。
暗かった世界は太陽光で照らされ、影野の前では少女が笑いながら手を差し伸べていた。
リンナ「家を直してほしい? 私を便利屋か何かと勘違いしてない?」
神奈「……いや、別に。とりあえずこれを」
腕輪「神奈さん……千円なんて渡したら」
リンナ「……これからは一回五千円で」




