71 絆――もう一度信じて――
神奈は神音に対して話し合いでの解決を求めた。
さすがに予想外だったので神音は数秒面食らった表情に変化する。
数秒経ち、神音は未だに困惑しながら問いかける。
「つまり君はなにか? 話せば分かる、だからこんなことはやめろとそう言うのか? 私と君が友達だとでも思っているのかい?」
「ああ、そうだよ。私達は友達だったじゃないか。お前じゃなくて泉さんとだけど、泉沙羅はお前の心の一部だったんだろ。それなら絆は確かに繋がっているはずだ」
「バカバカしい、そんなものは……絆など存在しない。それに話をしよう? 戦わない? 虚勢を張るのは止めてもらおう。本当に戦わないのなら攻撃されても反撃しないということだよ? 人間誰でも攻撃されたら反撃したいとどこかで思うさ」
「かもな、でも虚勢とか虚言ってわけじゃない。私は本当にお前とは戦わない。友達と殺し合うバカがどこにいるんだよ。私は、戦わない」
瞬間、神音の姿が掻き消えた。
神奈は左腕を引っ張られたことで背後に回られたことを理解する。
「もし、このまま骨を折ったらどうなるかな」
「言ったろ、私は戦わない。でもできればやらないでほしイッ!?」
願いとは裏腹に何かが折れる音がした。
何が折られたのか、すぐに苦痛がきたので理解できる。
「一本じゃ弱いか……それならもっと折ってみよう。君が戦う気になるまで」
左腕の次は左の指全てがおかしな方向に向いていくのが分かった。
両足も蹴られたことで骨が粉砕され、肩も砕かれる。それでも苦痛に顔を歪めて、小声で喘ぐだけで抵抗はしない。
立っていられない神奈は両膝をつき、紫色の床に倒れ伏してしまう。
「驚いた、君には本当に戦う気がないらしい。敵意を感じ取れなかったことが何よりの証明だ。圧倒的実力差を感じ取って無駄だと思っているからか、臆病風に吹かれて戦う意思を放棄したか。どちらでも構わない。どちらにせよ君が戦わないのは理解したのでね。耐えた褒美に禁術を体験させよう……〈完全治癒〉」
倒れて動けなかった神奈の身体から痛みは瞬時に消え去り、全身の疲労さえ取れていく。
禁術〈完全治癒〉は肉体の損傷のみを治すわけではなく、精神的なものなども治してくれる。だが全て治すというより、元の状態に戻すといった方が正しい。〈完全治癒〉の本質は回復ではない。隠された本質は時間逆行。それも繊細で強力なまさに禁忌とされるに相応しい力。時間を操る時の支配人に神音が強気だった理由がそこにある。
「禁断の魔導書か……」
独り言のような言葉に反応して神音が指を鳴らすと、周囲に三冊の分厚い本が出現する。
「元は私の物なのでね、とやかく言われる筋合いはないよ」
空中をふわふわと無重力空間のように浮いていた本は、もう一度指を鳴らしたときに空間ごと歪んで霞んでいき、そのまま幻想だったように消失した。
「言わないよ、まあ後で今の持ち主に返してもらうけどな」
立ち上がった神奈は神音を見据える。
視線は決して逸らすことなく、ただ見つめる。
「持ち主は今も昔も私さ。愚かな人類が使うことはおこがましい」
「お前も人間だろうに。……気になってたんだけど、どうしてそんなに人を愚かだなんて言うんだ。何かあるんだろ? お前のその想いの原点が。生まれたときからそんなふうに思うわけないもんな」
「いいだろう、私としても無駄な争いは好きではない。話そう、私の全てを」
大賢者と呼ばれたほどの者の過去がようやく語られようとしていた。
人間を憎んでいるのは何も知らない神奈にだって分かる。そんなに憎むくらいの何かを知ることで、説得への糸口を見つけようとする。
「私が転生者なのを知っているか?」
「え?」
「君もそうなんだろう? 神谷神奈」
「あ、ああそうだけど」
――なんで分かった。そう神奈が口に出そうとするも神音に遮られる。
「なんでと言いたげだけど理由は説明するさ。……神の系譜。日本語に限らず名前に神が入っているものは転生者なんだよ。神という文字は神聖なもので、それは神と関わり深い転生者にしか与えられない程に貴重で珍しい文字だ。実は転生者の中でも神という文字がつくのは少ない。だが神聖な神という文字は一文字ごとに多大な力を与えてくれる。身体能力や成長力、魔力だったりね」
「身体能力、魔力……そうか、おかしいと思ってたけどそうだったのか」
神奈は以前耳にした自分の強さについて腕輪からの説明を思い出す。
理由として最もらしいことを言っているだけみたいだと、そんな考えが神奈の頭から離れていなかった。それは置いておき、ここからが本題だと察したので心を冷静にして落ち着こうとする。
言わば転生の話は前振りのようなもの。人間を憎む原因に前世が絡んでいるから話されたにすぎない。
「ここで本題だ、前世の話になる。私は生まれた時に親に捨てられて孤児院に預けられた。孤児院ではいじめを受けて、学校に行ってもそれは変わらなかった。じっとしていれば終わる、そう思っていたけど……どんどんエスカレートして担任すらいじめに加わる始末。高校を出てからそんなことはなくなったが……就職してからも問題が出た。大手の会社に入ることが出来た私は日々働き貢献していた。だが上司は高卒というだけで私を見下して難癖をつけてくる。その後、上司のミスを私のせいにされて退職させられた」
聞けば聞くほど悲惨な過去。
神奈はそんな人生を歩んでいたら自分でも精神が壊れそうだと考える。実際壊れてしまったのが目の前にいることも踏まえて。
「私は無職になった。全てから解放されて空を見て、緑を見て私は知った。この世界のエネルギーという自然の素晴らしさを。元から花や野草を見たり、育てたりするのが好きだったからかもしれないけどね。当時は趣味にできるものがそれしかなかったし、花達は私を裏切ることはない。私の味方は植物達だけだ。……しかしそれを人間は破壊しようとしていた。許せない……そう思ったね。そして理解した。人間とは欲望と傲慢が合わさった異常な生き物だ! 無駄に知恵を持ってしまったが故に世界の破滅をもたらす存在だとね!」
「……確かに人間は欲望を持ってる。でも人は変われるんだ。難しいかもしれない、時間がかかるかもしれない、それでも変われるだろ。どうしようもない悪人は確かにいる、でも全ての人間がそうってわけじゃないだろ」
寂しさに押しつぶされていたが、親と再会したことで立ち直った少女がいる。
他人に興味がなかったが、ライバル心を持ち他人と関わるようになった少年がいる。
偽者だったことも受け入れて、精一杯生きている少女がいる。
誰かからの命令を運命だと諦めていたが、抗うことに決めた少年がいる。
何もできないと考えていたが、自分でもできることがあると諦めない少女がいる。
一度は財力という力に屈しても、妹のことを深く考えて目を覚ました少年がいる。
人間など弱者だと思っていたが、弱くても価値があると学んだ少年がいる。
一人の寂しさに耐えかねていたが、友達を作れたことで前を向いた少女がいる。
「私は何度も考えた。これが正しい選択なのかと、他に道はあったのではないかと、何度も何度も数百年という長い間考えた。その上で決定したのだ。君のように友情などと甘いことを言っているやつには分からない! 私の気持ちなど分かるはずがないんだ!」
「分からない……分かるはずがない! だって自分のことは自分にしか分からないからな。でもお前だって人を信じていた時くらいあるはずだろ。……そうだよ、時の支配人はどうだったんだ! あの人はお前のことを友達だって言っていた。ずっとお前のこと考えて、長い間、死んでからも待っていたんだぞ!」
「時の支配人か……傑作だ。あれこそ友情などないことの証明だよ。〈死者蘇生〉により復活した私を倒すのに彼は協力したんだろう? 何が友情、何が考えていただ。裏切り以外のなんだっていうんだ」
少し前に時の支配人からの想いを耳にしていた神奈は唇を噛み、沈黙を許さないように再び口を開く。
「あの人は紛れもなくお前の友達だよ。友達ってのは全肯定してくれるわけじゃない。時には道を間違えた相手を止めるのも友達の役目なんだ」
「残念だけど価値観の相違だね。本当に友人だというのなら、正か不かどちらだろうと協力するべきだ。もっとも私は間違っているつもりなどない。人間という生物は愚の骨頂。地球を害する悪。数を減らして私が管理する決断は間違ってなどいない」
「そういう悪い一面しか見てないだろお前。もっと視野を広げろよ、もっとよく見ろよ。胸張って言えんのは、私達はお前に何一つ悪いことをした気はないってことだ。私達が悪意を持って接したことがあったかよ。ずっと友達だってみんなで誓っただろ。友達ってのは時にぶつかり合い、仲直りするもんだ。まさに今がそうさ。……もうちょっとだけあいつらと過ごそう。もう分かってるんだろ、お前が思うほど人間腐ったやつ多くないって――くぁ……!」
喉が潰れたような声が神奈から漏れる。
気がつけば神奈の視界は九十度回転して青空を見上げており、胸部にある心臓の上を的確に踏む神音がいた。
肋骨が圧迫されてうまく呼吸もできなくなる。
「くぅ……! かぁ……!」
「聞き捨てならないな。腐りきった連中ばかりだから、今私はこうなっているんだ! 私には友人などいないし、これからも必要もない!」
「必要ないか、どうかなんて……! 一人も友達、いないと思っているやつに、分かるわけが、ないだろうが……! 私がなる、お前に別の道を、歩ませてみせる……!」
神奈は転生する前まで一人だった。友達などいらないと思っていたし、ある時期からは作ろうとすらしなかった。だがその考えも腕輪や笑里と出会うことで変わった。
友達は大事なものだと神谷神奈は誰よりも知っている。
「友人になる? ふざけるのも大概にしろ。私が必要ないと言っているんだ! この身一つで全てが叶えられる。誰かの手など借りる必要はない。私と友人になるなどという戯言を撤回しろ……そうすれば足をどけよう」
「撤回なんか……する気は、ない……! ぐうっ!?」
踏む足の力が強くなる。すでに肋骨にヒビが入り、神奈の胸辺りには焼けるような痛みが襲っている。
「しろよ、所詮は君も醜い人間だろう? 我が身可愛さに他を捨てるのは恥じることではない。それが人間というものなのだから!」
「しない、つってんだろ……! がぁ……!」
「殺さないとでも思っているのか! 本気だ、私は本気だぞ! 撤回するなら、助かりたいなら右手の指で床を叩け。そうすれば足を上げてやる!」
すでに心臓が圧迫され、時折心肺停止状態になっている。
神奈の意識は遠くなっていき……やがてプツリと途切れた。
*
全体的に黄金の空間に、一つの光球が存在していた。
泉沙羅というのが光球の名前。いや、正確には少女を作り出した者の名前。
ややこしいことに転生前は桜庭、その前は桃川、その前は金山と名前は恐ろしい数存在する。しかし名乗ったのはいつでも、初めてこの世界に転生して与えられた――神野神音という名前だった。
「結局こんな結末になっちゃう、の? 私はなんのために生まれて過ごしてきた、の?」
神音から泉が与えられた指示はただ日常を過ごすこと。
精神年齢が高くなりすぎた神音は子供に合わせることが難しいと言う。そんな彼の代わりに泉は約十二年ものあいだ日常を送ってきた。しかしそれも逆をいえば約十二年で終わったのだ。人生が七、八十年以上あるなかで、たったの十二年。
そんな短い時間だったとはいえ泉には大切な友人ができている。
複雑な事情を持つ身なのでなるべく一人で過ごそうとしていた泉だが、小学四年生の春に見知らぬ少女から声を掛けられたことが始まりだ。
夢咲夜知留と名乗る少女は語る。文芸部という部活を作りたいから部員になってくれないかと。
理由を問えば簡単な話で、いつも学校で本を読んでいたからだという。
本を読んでいた理由は単純明快。
泉の元となった人格、オリジナルの神音に影響されるのは当然のこと。花を育てることや観察することが趣味になった……のはいいのだが、学校ではそういったことがあまり出来ないため本を読んでいる。
最初は花に関する本を手に取り、次第に幅広く読書するようになっていた。休み時間はいつも読書していて、面白いことを広めたい気持ちから周囲にネタバレしてしまう。
神音の童心、善意から作られた泉だが結局は神音の一部。
人格形成した本人さえ気付かないうちに憎悪などが混じったのかもしれない。その結果がネタバレなら可愛いものだが。
「夢咲さんはいい人だった、な。他のみんな、も」
初めはどうしようか悩んでいた泉も、読書仲間の欲しさから入部を承諾。
期日になって部室に向かった泉を待っていたのは個性豊かな部員達。無個性なことが逆に個性の斎藤、発明好きの霧雨、殺し屋らしい速人。そして不思議な雰囲気を覚える神奈。
睡眠をとっている間のみ神音と会話できる泉はある事実を知る。神奈は神音と同じく記憶を保持したまま転生している者であり、魔法という不思議な力を扱うと知ったのだ。半信半疑であったそれは魔導書を巡る一件で本当のことだと信じられた。
「知らなかったけど神奈さんはすごい人だったんだよ、ね。宇宙人を撃退したことがあるし、加えて友達になっているなんて、神音に教えてもらったときは目が飛び出るほど驚いたな、あ」
その後も楽しい時間は過ぎていき、小学六年生の冬に起きた事件が全てを変える。
〈死者蘇生〉という魔法が使用されたことにより昔の神音が蘇ったのだ。その強大な魔力に当てられて現代の神音が決意を固めてしまった。
人類を厳選する計画。子供だけを残して一から教育していく計画実行を決めたのである。
「私は何度もやめてって懇願したけど、神音の気は変わってくれなかったん、だ。私一人じゃ説得ができなかったん、だ」
文芸部活動最終日。ずっと友達宣言をした日に泉は神奈達との別れを決意する。
もう一度諦めずに神音を説得しようと決めたのである。
――結果は惨敗だった。何もかもが最悪な結末に収束した。
説得しようとした泉は表に出られなくなり、神音の手によって世界中に混乱がもたらされる。さらには勇敢に立ち向かった速人は倒れ、神奈に至っては死亡寸前。
「神奈さんはすごい人なの知ってる、よ。神音を止められるのは神奈さんしかいな、い」
止められなかった泉は確信している。ただ一つの希望は神奈であると思っている。
「今の私はみんなの想いがちょっとずつ集まったことでこの世界に留まれてい、る。夢咲さんと、斎藤君と、霧雨君と、隼君と、神奈さんと、今まで出会ったみんなとの絆のおか、げ」
だからこそ希望は復活しなければならない。
絆エネルギーで作られた泉が、残された力を使って助けなければならない。
「まだ死ぬのは早い、よ。神奈さ、ん」
*
苦痛に耐えられずギブアップするだろうと神音は思っていた。
時の支配人でさえ攻撃されれば我が身可愛さに神音に反撃するはずだ。それならば今死にそうになっても友人になりたいと告げる少女はなんだというのか。
信じたくない。人間は自分以外全員腐食しているはずだと心で言い聞かせる。
「助かりたいはずだ! 死ぬんだぞ! 合図をしろ……しろよおおおお!」
神奈の右手の人差し指が上に動く。
合図というのは右手の指で床を叩くこと。
神音はようやくかと、やはり人間だと安堵する。
力なく神奈の指が床につく。合図を見たため足をどける。
「……ふ、ふ、ふふ、これで証明された。もう分かっただろう? 君は死の恐怖に負けた。友人になろうなどという言葉はただの妄言にすぎない」
何一つ、倒れている神奈は反応しない。
「どうしたのかな? 自分の意思の弱さを悲しむ必要はない。むしろ君はよくやったと褒められるべきだろう。死の一歩手前まで我慢できたのだからね」
神音が見下ろす少女は微動だに動かない。
「……何か、言ったらどうだい? 私が悪かったとか、邪魔をしてごめんなさいとか、君が言うべきことは山ほどあるだろう?」
さすがにおかしいと神音は思う。
ここまでされて何も言わず、動かないなどありえるはずがない。
静かに魔法を発動する。効果は生命の感知。
命ある者の居場所が分かる便利な魔法だが、虫やプランクトンなども含まれるため場所によっては使えない欠点がある。紫の塔内には余計な生命体がいないので欠点は無視出来る。
「死んでいる……?」
塔の中にある命の反応は二つ。魔法使用者である自分と、後ろに倒れている速人のみ。
神谷神奈という少女の生命反応は欠片も感じられない。
「バカな……どうして、どうして諦めなかったんだ。さっきと違って殺すつもりだと分かっていたはずだ。殺意も敵意もふんだんに向けていて気付かないわけがない。諦めなければ死ぬと理解していたはずなのに……」
『ずっと友達だ』
『必要ないか、どうかなんて……! 一人も友達いないと思っているやつに、分かるわけが、ないだろうが……!』
『私がなる、お前に別の道を、歩ませてみせる……!』
「……今更か」
無意識に神音は右手を目元にやると肌とは違う何か……液体の感触があった。
「もしかすれば、痛みを知っている転生者同士で分かり合えるかもと期待していたのかもしれない。私はきっと君達と素で仲良くなりたかったのかもしれない。……今更、だけどね」
涙が頬を伝い、少女の遺体に落ちていった。
少量の涙を零したことに神音は驚いたが、神奈の死で目的が果たせないわけではない。一呼吸おいてから、大きな動作で後ろを向いて魔力を高め始める。
地球中の魔力数値三百以下の生命を昏倒させてからもうじき十五分。
そろそろ準備に取り掛からなければ宣言した時間に間に合わない。
魔力の高まりに応じて地響きが起こり、地球全体が揺れる。
「――ごふっ! あっぶねええギリギリセーフ! いまちょっとお花畑見えたぞ!」
しかし高めていた魔力は霧散する。
突然の声に驚いたのもあるが、その声がつい先程死亡した者の声であったことが原因だ。一瞬信じられずに速人の方を見たが動いていない。
目を見開いたままゆっくり振り返ると――神奈が平然と起き上がっていた。
「……バカな」
「神谷神奈完全復活。というわけで私はまだ諦めないぞ」
「ありえない……死んでいたのに、禁術もなしに……。こ、これは……!」
神音はふと右に見たことのない光球が浮いているのを視界に捉える。
傍にあるだけでほんのり温かく、僅かしか輝いていない白い光は優しい光。魔力弾ではない手のひらサイズの光球が確かに存在していた。
『私の少ないエネルギーで復活できたんだ、ね。その代わりに私の時間はもうほとんど残っていないけ、ど』
「泉の声だ……つまりこれは泉の意思の塊……! バカな……奴の人格は消し去ったはずなのになぜ……!」
大賢者時代に集めた知識の中にはないありえない現象。
魂でも魔力でもない理解不能な何かの集合体が、空中に浮いて死者の声を発している。しかしそれは神音にしか聞こえていない。深く繋がっていた神音にしか声は聞こえない。
「なあ神音、今まで何を見てきた? 転生者も、魔力を扱える奴も、どんなに強大な力を持っていたとしても私達と他の奴等で違いなんてない。同じ人間だから根っこの部分は同じだろ」
「つまり、全てを滅ぼせということかな」
「違うわアホ! 違いがない、それはお前もだって言ってるだろ」
「……私は他の人間とは違う。ヒトの愚かさに気付いて世界を守ろうとしている」
「同じさ、結局お前は理由付けて復讐がしたいだけなんだよ。しかも関係ないこの世界の連中を対象にな。それってお前が言う愚かな人間とどこが違うんだ? 誰かを自分のストレスの捌け口にしたかっただけだろ」
「何を言っている? 復讐だと? そんなものと一緒にするな――」
神音の反論を許さずに神奈は口を開くのを止めない。
「同じなんだよ。本当に自然を守りたいっていうなら、もっと遠回りでもやり方があったはずなんだ。環境保護の仕事とかあったろ、なんか他にもあるはずだ。力を持ったから人類絶滅なんてことが言えるんだ。なら持たなかったら? お前は本当に自然を守るために何かしたのかよ?」
無駄に強い力を持つと人間は視野が狭くなる。考え方が傲慢になって破壊と直結する。強大な力は麻薬のように人間をダメにする。それが突然降って湧いたような力なら尚更だ。
『神音、あなたからは悲しい心が伝わってくる、よ。本当にやりたいことってこんなことな、の?』
「黙れ」
『同じ人間だ、よ? 私も神音ももちろん他の人達、も。自分が特別なんて思わない、で』
「黙れと言っている……」
『自分にチャンスを上げよう、よ。また一からやり直そう、よ』
「……まれ」
死者蘇生時の神音よりも現在の神音は説得が可能なレベルにまで落ち着いている。長い時を生きていたことで憎しみは和らいでいる。泉一人に説得されるような状態ではないが……神奈と二人で説得され続けてしまえば、憎悪に蓋をしてしまうかもしれない。
「ここはお前がいた世界じゃない。人間の本質ってやつは変わらないかもしれないけど、お前は前世でも今世でも人の悪意しか見てない。今度はこの場所でもう一度信じてみたらどうだ? 人の善意ってやつをさ」
『ここはあなたがいた場所じゃな、い。この世界と私達を一度だけ信じ、て』
「子供も大人も、魔力の有無も関係ない。人は善意と悪意両方持ってて、お前は片方しか知らないだけなんだ……まずは誰かと憎しみなんか捨てて、向き合うことから始めよう。最初から憎しみとかを向けてたら誰だってお前のことが嫌いになるよ」
もう一度向き合うことをせずに、ただ復讐のために過ごしてきた神音は初めから選択肢を間違えていた。正しくは既に除外されていたというべきだろう。
「なぜお前達は信頼出来る? 絆など結べる? そんなものが本当にあるというのか。私はそんなものは知らない……! 分からない……!」
「……あるさ。だって目に見えなくとも、そこにあるって感じることが出来るんだ。……本来ならお前もとっくに知っていたはずだったんだ。時の支配人の想いが本物だって心のどこかで気付いていたのに、身を焦がす憎悪のせいで理解しようとしなかったんだ」
『そうだよ、絆は縁と同じようなもの。今だって私達は人と関わって縁を――絆を結んでい、る。時の支配人さんも結ぼうとしていたんだ、よ。私達だって同じだ、よ。私は確かに作られた存在だけど、あなたの心から作られている以上私はあなた。泉沙羅は、神野神音の一部。私の意思はあなたの意思でもある。あなたが見ようとしなかったものを、感じようとしなかったものを、私が代わりに見たり感じたりしていた、の』
泉は部活や休み時間中にほとんど同じ題材の本を読んでいた。
それは人との絆、友情の物語や悲劇を描いたもの。
泉は神音のことを理解しようとして、絆を結びたかったのだと今なら理解出来る。たとえ自分が作り出された者だとしても理解者になるために努力をしていた。
「知らない、分からない……! なぜ、私だけが……!」
「神音。知らないんだったら……私が、私達が教えるよ。人間まだまだ捨てたもんじゃないってことを」
二つの声が重なって神音に届く。
「神谷神奈、この問いに答えてくれないか? この問いに答えてくれれば、私は決断できそうな気がするんだ。君は今、そこに何かが見えているか?」
神音が右にある光球を指で示す。
目を凝らす神奈に特別な反応は何もない。
「いや、何も……でも温かい何かは感じるよ」
「そうか……」
目を閉じて神音は深く考える。
『もう大丈夫そうだ、ね。私はもう必要ないよ、ね』
白い光球から白い無数の粒が昇っていく。
遥か高くに舞い上がった白い粒は風に乗って町へ流れていく。その風は宝石でも散りばめられたかのようにきれいな軌跡を描いていた。
「私の……負けだよ。もう一度だ、本当にもう一度信じよう。人の良心ってやつを」
十秒ほどして目を開けた神音は結論を出す。
絆など信じていなかった。弱者の妄想だとも思っていた。でもその存在が目の前で証明されてはどうしようもない。前世と今世では世界が違うのだ。絆を感じられたし、人間の善意悪意も違うかもしれない。神音としてはその辺りを確かめたくなり、絆という未知の力も知りたくもなった。
「じゃあ」
「ただし、やはり人間がこの世界に不必要だと分かれば今度は全ての人間を消す。これはチャンスだ、一度だけのチャンスとして捉えておくといい」
神音が指を鳴らす。ただその簡単な動作一つで昏倒していた者達が目を覚ます。
「さあ、もう魔法は解いた。昏倒させた人間は目覚めているはずだよ」
「はやっ! 何か儀式的なの必要じゃないの!? ……塔は消えないのか」
「五色の塔は本来の性能を失っているとはいえ、〈死者蘇生〉の時と同じようにこれからも残り続けるだろう。別にちょっと変わった建物くらいの認識でいいんじゃないかな。町のシンボルだとでも思えばいい」
もう全て終わりの雰囲気を出す神奈だが、まだ終わっていないこともある。
高速で回転する手裏剣が二人目掛けて三、四枚飛んでいく。当然そんなもので手傷を負うような二人ではなく、全ての手裏剣を素手で弾く。
「チッ、仕留め損ねたか」
何者の仕業なのか分からないわけがない。この場で手裏剣を持つ者は一人だけだ。
「隼速人……目が覚めていたのか」
「てか今私にも飛んできたんですけど! 明らかに私ごと仕留めるつもりだったんですけど!」
うつ伏せで倒れていた状態から速人はゆっくりと立ち上がる。そして二人の雰囲気から状況を推測して、取り出していた手裏剣をポケットにしまう。
「……ふん、この場で殺した方がいいと思うがな」
「私達友達だから、手を出したらぶっ飛ばすぞ」
「別にもう攻撃しない、この結果を作り出したのは紛れもなくお前なのだからな。……だが夢咲達にはどう説明するつもりだ」
それは一番の問題だ。
もう友達であった泉はいない。夢咲達に伝えようにも暴言を吐かれるのではと神奈は危惧しているのだろう。真に危惧しているのは神音が再び暴れること。暴言を吐かれた程度で今回と同じことをしようと思うはずがないのに、神音としては心外である。
「私から話してこよう。元々泉を作ったのも消したのも私なのだから」
「いやダメだそれは! 神音、隼、このことは私達三人の秘密にしよう。いいか絶対に喋るなよ」
「つまり喋っていいということか」
「フリじゃないよ! そういうノリいらないよ!」
「……あとで後悔しても知らんぞ。奴らが何も気付かない間抜けだと思うな」
それから神音は神奈達と紫の塔を出ていった。
今回の事件も解決されたのだと、解決に動いた者達も日常に戻る。
「そういえば神奈さん」
ずっと黙っていた神奈の腕輪が声を発する。
「お前全部終わった後に喋るのかよ」
「あの時何か感じたと言っていましたが、本当に何かあったんでしょうか?」
「……あれかあ、本当に何かあったのかは分からないよ。でも確かに感じたんだ。確かな繋がりを……。見えなかったけど今考えたらあれは泉さんだったり……なんて、ありえないか」
笑みを零す神奈の頭上を、白い極小の粒が乗る風を通り抜けていった。
きっとそれが見えたのは泉を作り上げた神音だけだったのだろう。




