13 道場――道場にどうじょう――
午前十時五十分。宝生小学校にて。
神奈にとって温すぎる授業の一つが終わり休み時間に突入する。
晴れ渡っている青空を見ている神奈の元に笑里と才華の二人がやって来て、いつも集まっている三人で話をし始める。その話の中で突然話題に上がったことに神奈と才華は、笑里の報告を疑問形で繰り返す。
「空手を習い始めた?」
「うん! お父さんは空手の道場をやってたって言ってたから、私も空手やってみたいなって」
「そういえば秋野さんって空手道場の師範兼経営者だったんだっけ。空手の構えとってたもんなあ」
「笑里さんのお父さんって道場を経営していたのね」
やっていたという言葉は過去形。つまり今はやっていないということ。
風助が死んでいるということを知っている才華も事情は察している。
「うん、それで先生? が変わっちゃったんだけど新しい先生からお手紙が届いてね? 私にもお父さんみたいに才能があるかもしれないからやってみないかって」
「……笑里さん、お父さんの影を追うのね」
「影? 別に追ってないよ? だってお父さんいつも後ろにいるから!」
魔力も霊力も、特別な超常の力を持っていない才華。笑里の背後にて、なんのアピールなのか空手の技を披露している風助の姿が見えていない。
(……薄々気付いてたけど笑里さんも色々おかしいよね)
(危ないなおい、当たったらどうすんだ。いくら霊体でも見てるこっちはひやひやするってのに)
二人は少し遠い目になる。それを気にしないで笑里は途切れた話を再開させる。
「それでね、今練習してるんだけど……二人もどう? 次の休日見学してみない?」
「ああ、行くよ。どういう感じか気になるし」
「私も行くわ。武術も嗜んでおけって親から言われてるし」
神奈は一応顔見知りということで、風助の経営していた道場に行くと決める。もう師範が変わったとはいえ見に行ってみるのも面白いと考えてだ。
「才華ちゃんも何かやってるの?」
純粋に気になって笑里が問いかける。
「ええ、確か今やっているのは……ピアノ、バイオリン、カスタネット、トライアングル、フルート、ウクレレ、柔道、合気道、弓道、水泳、サバイバル基礎術、射撃、プログラミング、経営学、帝王学、心理学、華道、茶道、日本舞踏――」
「もういいもういい! もう分かったよすごいなおい! どんだけ習い事してんだよ!」
指を折り曲げながら数えていく才華を神奈は止める。
「そう? ならいいけど、まあ多すぎよね。私って一人娘だから、たぶん次期社長に育てるつもりなんでしょ」
「さ、才華ちゃん、そんなにいっぱいやって時間とかあるの?」
「効率よく短時間でやっているから大丈夫よ。ちょっと休みたいとか思うときもあるけど、それだけ期待されているなら応えなくちゃって思うから」
あまりの習い事の多さに二人は少し引いた。
習い事は毎日あり、最低三十分、最高一時間という中に一つを収めている。毎日四つ以上の習い事をしている才華に残される自由時間はあまりない。車で送迎されるのは少しでも時間を節約させるためだ。
「なんか、そういうの聞いてやる気出てきちゃった」
「いいことだな。……それはそうと、もう一人連れていっていいか?」
神奈の頭にはリンナの顔が浮かんでいた。
何かの事件の中心にいるリンナは外に出ない。周囲に危険が及ぶかもしれないと控えているのだ。
ずっと家の中に居ても気が滅入るかもしれない。少なくとも外出すれば気分転換になる。狙われている中だとしても、自分が付いていれば問題ないだろうと神奈は判断する。
「いいよ! 何十人でも!」
「一人っつってんだろ」
今から気合を入れる笑里は笑顔で言い放つ。
「じゃあ二人ともうちの道場の見学にどうじょう!」
「「……寒い」」
神奈と才華は自分を抱きしめる。まるで極寒の地に裸で放り出されたように寒い。
「えへへ、今の先生の言葉なんだあ」
どうやら空手ではなくダジャレの先生だったらしいと、二人は認識を改めた。
* * * * * * * * * *
神奈達は空手道場の目の前にいた。道案内の笑里を先頭にして、才華、リンナ、神奈、速人の順だ。
道場内の子供たちの掛け声が響き渡っているので外にも聞こえてくる。
汗を流しながら何度も技を練習するとか青春だ。何かに夢中になれるというのは輝かしい青春の一ページである。
そんな素晴らしいことより気になることが神奈には一つ。
「お前なんでいんの?」
後ろに振り返れば、しれっと神奈達に交ざっている速人がいる。
「ふっ、敵を倒すためには敵の弱点を見つけることが手っ取り早い。まずはお前の弱点を見つけ出して殺してやる」
ストーカー染みている速人は本当に懲りない。
そもそも話をしている時にいなかったはずなのに、どこで聞いていたのかと神奈は怪しむ。
「隼さんは私が誘ったんです……迷惑でしたでしょうか?」
そう告げるのはリンナだ。素っ気ない神奈の態度に、申し訳ないことをしたのかと後悔し始めている。
「ん? どうしてリンナが隼に伝えられるんだ? 携帯とか持ってないだろ」
「バカめ、そんなことも分からないのか? お前の家にいたからに決まっているだろう」
「ふうん、私の家……に、なんでいるんだよお前はああああ! おかしくない!? 私の家なんだよな!? 許可した覚えないんですけど!?」
「そこの女と決着をつけようと思っただけだ。この前の戦いは消化不良だったからな」
この前の戦いと聞いてなんのことかと思い出そうとすれば思い当たるものが一つ。
あっちむいてホイ勝負のときだ。内容を知っている神奈としては、かっこつけているだけに聞こえるし、そもそも速人は正攻法でリンナに負けているので何も言い訳できない。
不法侵入や犯罪者という言葉を主に神奈がぶつけ、速人はどこ吹く風で受け流す。
そんな二人の前ではリンナと初対面の才華が彼女に対して話しかけていた。
「その、リンナさん……でいいのかしら? 今日はよろしくね?」
「あ、はい。リンナ・フローリアと申します……藤原さん、ですよね? よろしくお願いします」
会話を聞いて相手の名前を推測したようで、二人ともぎこちなく挨拶していた。
「リンナちゃんは神奈ちゃんとどういう関係なの?」
ただ、初めての会話にもかかわらずぎこちなさなどなく、笑里だけは昔からの友達のように話している。
相変わらずのコミュニケーション能力。こうやってフレンドリーに話されていると、知り合って間もないのに友達になったかのようである。
「その、訳あって一緒に住んでいます」
「へえ、じゃあ姉妹なんだ!」
「ちょっと待って、それって同棲ってこと? 小学生でそれは早すぎるんじゃないかしら……しかも女の子同士だし……」
「誤解だよ! ていうかなんで小学生なのにソッチ方面に考えがいっちゃうの!?」
あまりに酷い誤解に神奈が叫ぶ。
まだ神奈達は年齢が二桁にも届いていない。なんでも恋愛に繋げることは恋愛脳といえるだろう。
「いや、神谷神奈は男みたいなもんだろう。何も問題はない」
「お前の認識には問題あるだろ。喧嘩売ってるのかぶっとばすぞ」
前世が男性だったのである意味合ってはいるが、しっかりと今世では女性だ。態度や言葉遣いは男性に近いが、体はれっきとした女の子である。
「隼君! 神奈ちゃん! 喧嘩はダメだよ、仲良くしないと!」
またもや喧嘩になりそうな雰囲気を見かねて笑里が口を出す。
「いや、軽々と殺害予告出してくるやつとは仲良くはできないな」
「フン、癪だが同感だ。貴様らと仲良しごっこなんてゴメンだな」
騒がしく話をしているとき、神奈達の目と鼻の先にある道場から大人の男が出てくる。
「……喧嘩? ああ、笑里ちゃんのお友達かい?」
白い道着を着ており、薄い茶色の髪がさっぱりと切られている爽やかな人だ。
外の喧騒を不審に思って出てきた男は、唯一集団の中で顔と事情を知っている笑里に優しく話しかける。
「先生! お友達を連れてきたの、見学していってくれるって!」
「本当かい? どうも、僕はこの秋野道場の師範代を務めている秋風伸二だ。今日は見学に来てくれてありがとう。じゃあ案内するよ、道場にどうじょう!」
「「「「さむっ……!」」」」
まるで極寒の地に裸で放り出されたような寒さ……これは本日二度目である。
(マジで言いやがったよこの人。爽やかそうだったのに突然寒くてしょうがない人になりやがった)
「あはは、これぞ渾身の道場ジョークってね。さっ、いつまでもここにいないで入りなよ。見学なら大歓迎だからさ」
秋風に促され道場内に入ると、神奈達は端に案内されて一列に座る。順番的に神奈は速人の隣になってしまったので少し間を空けておく。
「笑里ちゃんは道着に着替えておいで」
着替えるよう言われた笑里は「はーい!」と元気よく返事をして、隅にある更衣室に向かっていく。
秋風も生徒達の前に移動して見学者だけが残される。
道場内では体を動かしている少年少女の声が響き渡っていた。神奈達が先程から聞いていた生徒達の声は、自主練習している者達の声だったのだ。全員が白い道着を着ていて素早く拳を動かしている。その構えはまるでボクシングだ。
「……格闘技の種類違くない?」
「神奈ちゃん、それについて少し話があるんだ」
独り言に出てしまった疑問に一人の男が反応する。
何も用意されていない即席見学席には神奈達以外に一人、笑里の背後霊である風助が残っていた。
幽霊である風助のことを見える者は神奈と笑里のみ。独り言を言っているようにしか周囲に聞こえないため、怪しまれないように極力小声を意識して口を開く。
「……話? 何かあるのか、この道場」
「見てもらった方が分かりやすいよ。今の道場の実態は」
小声で話す神奈を気遣い、風助は隣に移動する――ことはなかった。
移動はした。したにはしたのだが、一度道場を壁から出ていき、その壁から顔だけを中に入れてみせた。つまり神奈のすぐ後ろに、風助の顔だけが壁から出ているという恐ろしい光景が生まれている。
(もう少しいい場所なかったのか……)
内心呟く神奈だが風助も気を遣っているのだ。
隣には友達が座っている。いくら霊体ですり抜けられるといっても、子供に重なり話をするなどあまりいい光景ではない。本人は本気でそう思っているがもちろん今の状態もあまりいい光景ではない。
壁から顔だけが出ていることを神奈は敢えて訊くことはせず、他の者達には見えないので気にせずに自分のことに集中している。
笑里が着替え終わったことで集団に加わり、全員が揃ったことを確認した秋風は大きな声を出す。
「じゃあみんな揃ったし、そろそろ今日の練習を始めるよ! 自主練習してた子達も整列! まずは基本の構えから!」
生徒達全員が「はい!」と返事をしてから空手の構えを取る。
神奈達からは寒いダジャレで信用なんてなかったが、稽古はちゃんとしている。教え方も優しいし、簡単なものから分かりやすいよう教えている。
「空手……思えば初めてね。リンナさん、面白そうだし一緒にやらない?」
「……そうですね、こういう経験も何か役立つかもしれませんし」
立ち上がった才華とリンナは生徒達の真似をし始める。
不吉なことを言われて警戒していた神奈だったが、別に何も問題ないしいい道場だと判断する。だが隣にいる速人はそうは捉えなかった。
「なんだこのレベルの低い特訓は。しょせん雑魚共か、下らんな」
「お前失礼すぎだろ。自分のことを基準に物事を考えるのは止めた方がいいぞ。将来碌な大人になれないから」
「事実を言ったまでだ」
「そういうところは直した方が――ん?」
口論を繰り広げようとしていると、さっきまでとは少し稽古の内容が違うことに神奈は気付く。
手をチョキの形にして前に突き出したり、蹴りは妙に蹴り上げることを主体としている。ときには素早く拳や蹴りを放ち、明らかに空手とかけ離れている技練習を始めていた。
「では今日は見学者もいることだし急所突きを覚えましょう」
「空手に必要ないもの教えてる! なんだ急所突きって、空手にそんな物騒な技あった!?」
神奈の叫び声に反応した秋風は、神奈達の方へと歩いてきて口を開く。
生徒達は技練習を中断して秋風を待つことにしている。
「何を言ってるのかさっぱりだよ、これは空手の基礎だよ」
「嘘つけ! 急所突きが基礎の空手なんて存在しないだろ!」
「それは殺しの技だぞ。目潰しや金的など空手の試合などでは使えまい」
「え? でも買った本にはこう書いてあるんだけどなあ」
そう言って秋風は頭を掻きながら懐から本を取り出す。
道着の中から出されたのは【誰でも強くなれる技と型 百選】というタイトルの本。そこから導き出される答えは一つだけ。
「秋風さん、もしかして空手の経験はないんじゃ……」
「気付いたのか……ああ、僕は空手の経験なんかないさ」
「そんな本見せられたら誰だって気付くよ」
技を真似していたリンナと才華も一旦止めて耳を傾ける。
「それじゃあなんでこの道場に?」
神奈の疑問に秋風は渋い顔をする。そして後ろに振り返って、生徒達に「少し休憩していいよ」と言ってから神奈に向き直り話し始める。
「道場経営、師範代。全て元々は姉が引き継ぐ予定だったのに、急に面倒になったなんて言ってきてね。急遽、弟の僕が引き継いで指導してるんだ」
「……そのお姉さんは?」
「昔から外面だけいい顔してただけで、実際は怠惰の化身のような人だ。九歳の頃、偶然とはいえ本性を知ってから、あの人は僕をパシリに使うようになった。逆らおうにも空手をやっていたあの人には勝てないし、訴えようにもあの人の猫かぶりが完璧で周囲が信じない。だから今回も引き受けるしかなかった」
「そんなんでいいんですか?」
問いかけたものの、神奈は秋風の目を見て悟っている。
全てを諦めた人間の目。もう何も目的を持っておらず、停滞し続けるのをなんとも思わないだろう諦観が感じ取れる。
「しょうがないんだ……空手の経験がないのにやらなきゃいけない、だからあることにした。いまさら子供達に僕は空手やったことないですなんて言えないよ。だから、このことは黙っていてくれよ?」
そう言うと秋風は生徒達の方へと戻って、休憩終了としてまた練習の指導を開始する。
練習が再開されてから、渋い顔をした風助が神奈に話しかける。
「伸二君の姉、秋風真李さんは優秀でね。スポンジのように技術を吸収して、空手を始めてたった一年で黒帯になった。驚異的な才能だよ。僕から見れば彼女は道場を任せるに値する人間だったんだ。だから生前に僕がこの道場にいられなくなったときは引き継いでくれとお願いした。……彼女は笑顔で快く引き受けてくれたのに、まさかこうなるとは思っていなかったんだ」
「……それで、どうしろと?」
「なんとかしてほしい」
壁に埋まっている風助は真剣な表情で告げる。
「雑すぎだろふざけてんのか。まあ事情は分かったけどさ、私はみんな空手じゃないことに気付いているんじゃないかと思ってる。そもそもあまりにも空手とはかけ離れてるし、これでバレてなければここの奴等はただのバカだ」
空手を習うようになった経緯は知る由もない。だがこれが本当は空手でないことなど、練習をしていれば誰だって分かる。気付いていないまま練習しているのではなく、気付いた上で秋風を気遣うために乗っているだけではないかと神奈は思っている。
合計四十分の練習を終え、一時休憩となった。
自由な時間になったので、笑里は見学していた神奈達の方へと駆け寄る。
(……そうだよな笑里。お前は優しいから、先生が空手を知らないことに気付いてても言わないんだよな? まさかそれが本物の空手だなんて思ってるはずないよな?)
「みんな見てくれてたかな私の空手! 実は近々子供の参加する空手大会に出ようと思ってるんだ! 先生も私のこと褒めてくれてたし優勝も夢じゃないよね」
(前言撤回。こいつは、こいつらはただのバカだった)
風助含めた見学者全員が目を丸くする。教え方が丁寧でも、空手ではないことに気付いているのではと全員が思っていたのだ。
(てかこのままはこの道場がヤバいよな……)
こんなものは空手ではないので、大会など出たら頭のおかしい道場の教えが明らかになってしまい、最悪潰れてしまうだろう。秋野道場は風助の残した道場だ、笑里の為にも潰すわけにはいかないと神奈は強く思う。
「二人共、何かいい方法はないか? 大会に出れるレベルにまで生徒を育てるぐらい、空手の常識を教えるいい方法は」
具体的な解決策が思いつかない神奈は小声でリンナや才華に相談する。
「あの、それなら神奈さんが教えるのは」
「ダメでしょうね、子供の教えなんて受けるわけないわ」
リンナと才華もまだ子供だ。そうすぐに解決策など思いつかない。
「俺にいい考えがあるぞ。あの秋風とかいうカスを殺せば次の指導者が来るじゃないか」
「人道的にアウトだろ。あの人は悪いことしてるわけじゃない、どっちかといえば被害者なんだから」
速人が思いついたとはいえ物騒で、それ以外の案が出されることはなかった。
ダメなのかと神奈が諦めかけたとき、小声で腕輪が語りかける。
「あの、それならいい方法がありますよ」
「どんな方法だ?」
腕輪は「いい方法」を神奈に語る。
全て聞き終わった神奈は少し考え、頭を整理してから頷いて採用することに決める。
その日、神奈達は何もせずに道場から帰っていった。
* * *
道場見学から三日。神奈はまた秋野道場に行ってみることにした。
道場に対して腕輪の語った「いい方法」の結果を見に来たのだ。
「はい、次は腰を深く落として拳を思いっきり前に突き出す! それを百回繰り返してください」
元気よく「はい!」と返事をし、生徒達は正拳突きを繰り返す。正真正銘空手の練習だ。
練習の終わりまで神奈は見ていたが、もうまともな教えになっていることがはっきり分かる。
腕輪の語った「いい方法」とは何か……その答えは憑依である。
腕輪の説明によれば、憑依した霊は自身の記憶や感情を憑依体に流すことができるらしい。神奈は人間なので他人に憑依なんかできない。自分が幽霊になるなど神奈は絶対に嫌であるが、今回に限っては状況にピッタリな幽霊がいた。それが笑里の父親であり、この道場の元経営者――秋野風助である。
風助に憑依してもらい、自分が学んできた空手の記憶を秋風に流してもらう。これが今回の作戦だった。
その影響あって、空手もどきを教えていた秋風は空手を理解することができたのだ。
今では全てを諦めていた目もなくなり、生き生きとしたものになっている。空手の知識、風助の想いを理解したことで、何かの目標を得て突き進もうとしている。
今なら大会に出てもルール違反で失格なんてなりはしないだろう。本当にそうなる前に止められて良かったと神奈はため息を吐く。
今までと違う教えに戸惑っている者もいたが、そこはバカな生徒達だ。大して深くは考えず、単純に今教えられていることが正しいと考えている。
練習が終わり、笑里が神奈の元に駆け寄る。
「神奈ちゃん! 私ねお父さんみたいな空手家を目指すよ」
「へえ、道場を将来持つってことか?」
「うん、そのためにはまずお父さんと同じくらい強くならないといけないね。お父さんは凄いんだよ! 音より速く動けて、パンチを打てば人がお星さまになるんだって!」
「へ、へえ……それはすごいな」
笑里の後ろでは風助が吹けもしない口笛を吹こうとして、神奈から視線を逸らしていた。
娘に見栄を張るのは良いことではないが、親として多少見栄を張りたいこともある。風助の気持ちを推測して神奈は呆れる。見栄を張るにしても普通の人間規模にしてほしかったからだ。
道場に関する用も済んだので、神奈は自宅へと帰ることにした。
途中まで一緒に帰るために笑里と一緒に外に出る。
「あれ、なあ笑里、何か聞こえなかったか?」
草が風で揺れたかのような静かな音。それでも神奈が疑問に思ったのは、道場脇にある林は風で揺れていなかったからである。
「ううん、何も聞こえなかったよ。それより帰ろうっ! 明日も練習頑張るぞおー!」
「日曜日は練習休みだろ」
二人で帰り道を歩き、途中で神奈は笑里と別れる。
一人で自宅に到着し――目が見開かれた。
突然の事態。目に入ってきたものが現実と思いたくなくて、何度も目を擦る。
上谷と表札のある家には――扉が存在していなかった。外から玄関が丸見えになっており、風通しがよくなってしまっている。
言葉を失い、ゆっくりと横にある庭に目を向ける。
リビングの窓ガラスが割れていて、庭にガラス片と洗濯物が散乱している。なぜ洗濯物までと神奈は思ったが、原因は真っ二つになって転がっている鉄製の物干し竿だと理解する。
しかし肝心の、なぜそうなったのかは分からない。
全てを確かめるべく、少し怖かったが神奈は玄関を走って通り、無事ではないだろうリビングへと向かう。
家の中はあちこちボロボロになっていた。あったはずの扉は見当たらないし、テーブルが真っ二つに割れている。どこか破壊されたのか水道からは水が勢いよく噴出しており、その近くの壁はなぜか黒く焦げていた。床には亀裂も入っているし、血のような跡も残っている。
「……な、な、なんじゃこりゃああああああ!」
神奈はご近所にまで届くような大きな声で叫ばずにはいられなかった。
近所の方々「また神谷さんのとこの娘さんが何か叫んでるな、もう何度目だろう」
 




